止める人
夜も更けた海の上、黄色い船体が目立つポーラータング号の甲板に1人立ち、柵に寄り掛かりながら空を見上げるトラファルガー・ローは考え事をしていた
というのも別世界から来たもう1人の自分の治療をしているのだが、そのもう1人の自分には困った癖の様な物がある
それが発覚したのは彼がこちらに来て間もなくの頃、ぼうっと遠くを見つめながら、何かをブツブツと呟きながら、覚束ない足取りで甲板を歩いて柵に近寄って歩いて行く
柵に手が触れたと思った直後、彼は何の抵抗も無く海へと身を放り投げた
それからと言うもの、ふとした時に同じ事を繰り返すようになった
何度海から引き上げ、何度叱って、何度もうしないと誓わせてももう1人のローは同じ事を繰り返す
あまりにも何度も繰り返す他、歩いている時の様子が可笑しい事から、ローはもう1人の自分にその際何を考えているのかと聞いてみた
「声が聞こえるんだ。」
「声?」
少し俯きがちに、果たして言っても良いものかと考えるように視線を泳がせ、漸く口を開いたもう1人のローが出した名前に、こちらのローも少なからず驚いた
「コラさんの声が聞こえるんだ。」
「コラさんッ……!?」
声が聞こえると自分の姿が幼い時の姿に映り、目の前にコラさんが現れて、何の疑いもなく近付いて行ってしまう。そして気が付いた時には海から引き上げられて慌てているクルーの姿が目に入るらしい
そんな会話を思い出しながらローは視線を空から海へと落とす。夜の海は暗く、深く、空との境目も分からない
(いくらコラさんの姿が現れたとして、幻覚だって分かってんなら何で歩いて行くんだ?)
もう1人の自分の話の中で、ローはそこだけどうしても理解が出来なかった
何度も海に落ちて叱られているのだから、いい加減幻覚だと学んで歩いて行かなくなりそうなものなのに
とは言え憔悴しきっている身で、大好きな恩人が現れたのであれば歩いて行きたくなる気持ちも分からなくはない。そもそも彼も自分も同じトラファルガー・ローなのだから、同じ状態なら歩いて行くのだろうかと1人考える
考えが大してまとまらないがそろそろ部屋に戻ろうと歩き出した時だった
『ロー』
聞こえた声に足が止まる。
『コラさん?』
振り返った視線のその先には黒いファーコートにハートの柄のシャツ、臙脂色の帽子を被り、ピエロの様なメイクを施している、大好きなコラさんが立っていた。
『ロー』
『コラさん!何だよ、そんなとこで何してんだよ?』
立って名前を呼んで、優しく笑うその姿にローも笑う
『そっち行けば良いのか?まったくしょうがねェなコラさんは!』
歩いて行こうと一歩踏み出したその瞬間、右腕を誰かに掴まれた
慌てて振り返った時だった
「ロー、行くな。戻って来い」
「!!」
目の前の景色はポーラータング号の甲板、そして今歩いて行こうとしていたのは間違いなく柵の向こう側。夜の海
左手は柵を掴んでいるどころか、今まさに柵を乗り越える為に足を乗せていた
「ッ!!?」
ドッと冷や汗が噴き出し、慌てて体を柵の内側に戻す。そしてそれと同時に理解した
(あァ、そうか……)
幻覚と分かっているのに歩いて行くもう1人の自分
しかしあれはそんな生半可な物では無かった。意識も記憶も何もかも、まるで本当に幼い頃に戻っているかのような感覚だった
自分の意思ではないのに気が付いたら体が動いてしまっていた
「あれは確かに無理だな……」
もう1人の自分が自分の意思で海に飛び込んでいた訳ではなかった事を理解し、明日の朝に何度も叱った事を軽く謝ろうとローは思った
今度こそ本当に寝ようと船内に入る扉に手を掛けた
(……いや、ならアレは何だ?)
今まさに海に飛び込まんとしていたローを止めた人物
病気で倒れた自分を本気で心配してくれた時と同じ顔をしたコラさんは一体何だったのか
もう一度甲板の方を見る
変わらずに空と海があるだけだった