歌い手が消え去っても

歌い手が消え去っても



 今日は雲ひとつ無い快晴。こんな天気の日は心も晴れ晴れと良い気分になる。帆柱に寄り掛かりながらウタはお気に入りの歌を口ずさむ。


「♪この風はどこからきたのと 問いかけても空は何も言わない」


「--おっ、機嫌良いなーウタ」


 後ろからの声に振り返ると、特等席(船首)に来たのだろうルフィが立っていた。


「その歌一番気に入ってるよな。子どもの頃からずっと」

「まァね、最初の方に作った歌だし。それに……」

「?」

「私にとって大事な思い出もあるから」


 そう言葉を続けて空を仰ぎ見る。

 確かあの日もこんな晴れた空だった、と目を閉じて昔の記憶を呼び起こす。


 12年前、フーシャ村


「キィキィ!」

「マーキノー! 買い物終わったぞー!」


 両手に買い物袋をぶら下げながら勢いよく入ってきた2人を、マキノは笑顔で迎え入れる。


「おかえりなさい。おつかいありがと--」

「なあなあマキノ! どっちが先だった!?」

「えっ?」

「ウタと勝負してたんだ! どっちが先におつかい終わるかって! おれだよな!?」

「キィキィ! ギィギィ! ギィギィキィ!」


 迎えを遮り、まくし立ててくる2人の勢いに一瞬面食らったが、すぐにいつもの対決ごっこだと理解する。それぞれ自身の勝ちを主張し合うルフィとウタを宥めて頼んだ品々を受け取る。


「もう、あまり物を持ったまま走らない。勝負もいいけど、むきになって怪我しないでね」

「ぐぬー」「ギィ~」

「へーんーじっ」

「はい」「キッ」


 大人しくなった2人に背を向け、買ってきてもらったものをしまい込む。


 シャンクス率いる赤髪海賊団がフーシャ村を出てから少し経つ。2人……特にウタは酷く落ち込んでいたが大分元気を取り戻したようだ。互いに遊び相手が居てくれるおかげで心の傷が癒えるのも早かったのだろう。


 些か元気が有り余っているのは難点だが。 


 やれやれと呆れながらも小さく笑い声を漏らす。


「♪ビンクスの酒を届けにゆくよ 海風気まかせ波まかせ」


「随分ご機嫌ね。何か良いことあったの?」

「暇だったから歌ってただけだよ。ウタが喜ぶんだ!」


 そういえば、名付けの理由をそう語っていたなと思い出す。本人は口が利けないし、赤髪海賊団の面々も分からないという事で、暫くの間「ちび」だの「人形」だの安直な名前で呼ばれていた。


 女の子に対してその呼び方はあんまりだと考えていた時、ルフィが自信満々に「こいつは今日からウタだ!」と広めていた。

 シンプルだけど可愛らしい響きだし、何より、村に来てからずっと塞ぎ込んでいた人形がとても嬉しそうに喜んでいたので、ルフィ命名の「ウタ」はすぐに浸透した。


 確かに赤髪海賊団が宴の時合唱していた「ビンクスの酒」や、ルフィの即興の歌にも楽しげに体を揺らしている姿をよく見掛けた。相当好きなのだろう。頭の輪っかを揺らしているウタの背中を見つめる。


「そういやウタ、自分ではあんま歌わないよな」


 ルフィの言葉に、輪っかの揺れが止まった。


「…………」


「聴くのが好きなんじゃない?」

「でもよー、たまには歌うのも楽しいぞ。それに海賊は歌うもんだってシャンクスたちも言ってた!」


「…………」


「ウタも一緒に歌うか!」


「…………」


「ウタ?」

「はいそこまで。おやつの用意が出来たから手を洗って」

「分かった!」

 

 「おやつ」の単語に目を輝かせ、急いで手洗い場に向かうルフィを見てから、そっとウタの顔を覗き込む。


「ウタちゃんもこっちにおいで。ガープさんがね、また新しい本を持ってきてくれたのよ」

「…………ギィ」


 足元を見たまま静かに頷いたウタを抱き上げる。


 さっきまでの楽しそうな姿から一転して黙り込んでしまった。ふわふわの綿が詰まっている筈の身体が石のように強張っている。

 「歌う」という事に強い抵抗感があるのだろうか。


「(オルゴールがうまく鳴らないからかしら)」


 なんだか口に出すのは憚られたので心の中で呟く。ウタの背中のオルゴールが小さくギィと鳴った。



「…………」


 読書もそこそこに、マキノの店から1人抜け出て、ウタは崖の上から海を眺めていた。


「……ギィ……」


 短くなった膝をぐっと抱えて座り込む。


 歌うのは大好きだった。


 自分が歌うと皆が楽しそうにしてくれる。それを見るのが好きだった。


 皆と輪になって歌うと心が1つに重なっているようで好きだった。


 少し照れるけど、皆に上手だと褒めてもらえて、シャンクスに頭を撫でてもらうのが好きだった。


 そう、"だった"。すべて過去の話。


『ギギ……ギギ……ッ!! ギギギギィ……ッ!!』


(いやだ! いやだ!! こんな汚い音、私の声じゃない!! こんな声じゃ歌えない……! 元に戻りたいよォ……シャンクスゥ……ルフィィ……ッ!)


 フーシャ村に着く前、変わり果てた身体に絶望し泣きじゃくっていた自分の姿を思い出す。


 人形の身体になってから自分のアイデンティティの1つである声は奪われてしまった。背負ったオルゴールは壊れていて掠れた音しか出してくれない。


「♪キキキィ……キィ……キィ……」


「…………ギィ」


 少しだけ口ずさむも哀しくなってすぐに止めた。


 決して音程が滅茶苦茶という訳ではないが、この金属音がウタにとってどうしても耳障りに聞こえて許せなかった。

 この声で歌って周りに「壊れた人形のくせに」と嗤われたらと思うと怖かった。


(……でもやっぱり、歌いたいな……)


 沈み続ける気分を変えたい時、心が踊り出しそうなくらい楽しい時、ふと頭の中に新しいメロディが浮かんできた時、反射的に歌がこぼれてしまいそうになる。


 この衝動をどう抑えればいいのだろう、膝を抱えた両腕に顔を埋めた。


「やっぱりここに居た! おーい!」


 後ろの方からルフィの声と、駆け寄ってくる足音が聞こえる。気付いてはいるけど相手にする気になれず、埋めたまま顔をあげない。


「…………」


「どうしたんだ? 何かあったのか?」


「…………」


 あの時ルフィは良かれと思って言ったというのは分かっている。楽しい事を共有したかっただけ。


 悪いのは、歌いたい気持ちに素直になれない自分なんだ。


「んー……」


 声をかけても反応せず蹲って動かないウタに、ルフィは首を捻る。マキノのいう通り、歌うのはそんなに好きではないのだろうか。ならまた自分が歌って元気付けてやろう。


 そう決めたはいいが何を歌おうか少し迷う。ビンクスの酒はさっき歌ったし、自作のアホの歌も何となく今の気分ではない。


 こめかみに人差し指を当て思案していると、不意に覚えの無い歌が脳裏に流れてきた。


「……♪この風は……どこから、来たのと……」


「ッ!!」


 聴こえたままに口ずさむと、ウタが急に顔をあげ、ルフィの方をじっと見つめてきた。


 菫色のボタンの目の奥から「驚き」と「期待」の感情が伝わってくる。


「どうしたウタ」

「ギ……ギィ……?」

「ん、ああ、今の歌か? 突然頭ん中に流れてきたんだよ。誰の歌とかは覚えてねーけど」


「…………ギィ」


 覚えていない、という答えに残念そうに少し肩を落とすもルフィの顔から視線は外さなかった。まるで歌の続きを求めているように。


「なんだ、この歌がいいのか? ……でもあんま分からねえんだよなァ」

「ふふんふ~んふ~♪ ふふんふ~ふふ~ふふ~♪」


 おぼろげな記憶を頼りに探り探り歌うルフィ。


 その歌声を聴いている内に、ウタの心の奥底にしまい込んでいた想いが膨れあがってきた。


 恥ずかしい。怖い。でも、歌えば思い出してくれるかも。もしそうでなくても、やっぱり私も歌いたい。あの頃のように。


 すくっと立ち上がり、ゆっくりオルゴールを鳴らす。


「~~♪~~~♪~~♪」



「~~♪~~……キィ……?」

「…………」


 思わず歌に夢中になってしまったが、ふと、ルフィの鼻歌が止まった事に気が付く。

 改めて顔を見ると、ルフィはぽかんと口を半開きにしてウタの事を見ていた。


「……ギッ……」


 その反応にウタは「やっぱり今の私の歌はダメダメなんだ。嗤われる」と頭の輪っかを下げ、身を縮める。


 だが次に彼の口から出てきた言葉はウタにとって意外なものだった。


「なんだあ! お前やっぱり歌うのも好きなんだな!」


「……ギィ?」

「でもなんでウタもこれ知ってるんだ?」

「……キィキィ」

「……ウタが作ったのか? でもおれお前が歌ってるの聞いたこと無いぞ」

「……ギィィ……」

「……まァ細かい事はいっか! ウタがそうだっていうんだからきっとそうなんだろ!」

「…………!?」


 疑う素振りを見せず、けらけらと笑う姿に呆気にとられる。でも同時に、ウタの中にあった暗い気持ちがほんの少しだけ晴れた気がした。


「なあなあウタ、この続き教えてくれよ」

「……キィッ」


 こくりと頷き、ウタとルフィの2人きりのレッスンが始まる。


「ふふ~んふふふ~♪」

「ギィ! ~~♪~~♪」

「どこが違うんだよーウタの歌と同じだろォ?」

「ギィィィ!」



「……思い出した! 次は確かこうだろ! ♪ただひとつの夢 決して譲れない」

「……!! キィ! キィキィ!」

「しししっ、合ってるんだな! ……でもウタ喋れねェのに、なんでおれ歌詞分かるんだ?」

「……キィ」

「……ま、いいか! 次つぎ!」



 そんなやりとりを日が落ち始めるまで繰り返している内に、ようやくワンコーラス分歌えるようになった。


「♪いつだってあなたへ届くように歌うわ」

「♪~~♪~♪~~~♪」


「♪大海原を駆ける新しい風になれ」

「♪~~♪~~♪~~♪」


「--っはァ~~! たくさん歌ったなァ~~!」


 流石に歌い続けて疲れたのか、仰向けに寝転がる。ウタはそんなルフィの顔の近くまでぽてぽてと歩いていき見下ろした。


「ん? どした?」

「キィ」

「それにしてもすげェな、ウタ。お前ホントに歌が好きなんだなっ!」

「…………」


 自分の不恰好な歌を嗤わないでくれた。それどころか自分の主張を疑わないで褒めてくれた。


 そうだ、ルフィはこういうヤツだった。

 キレイに声が出せないのは変わらない。こんなの「歌」と呼んでいいのか分からないけど、今はその問いかけに少しだけ自信を持って肯定出来る気がした。


「……キッ!」

「にししっ」


 暫く顔を見合わせ笑っていたが、あまり帰りが遅くなるとマキノに心配されてしまう。ウタはルフィの手を引き、帰ろうと促した。



「……そういや、そんな事もあったなァ……」

「今だから言うけどさ、あれすっごい嬉しかったんだ。ルフィの中にまだ「私」が残ってたんだって」


 「赤髪海賊団の音楽家ウタ」という存在を何もかも忘れ去られ、自分には再び貰った名前くらいしか残っていないと諦めていた。


 だから自分の歌がルフィの心の中に残っていたと知った時はとても嬉しかった。作り手が消え去っても歌は誰かの心に響き続けるのだ、という事を知れてウタの中で「歌の力」の存在がさらに大きくなった。


「でも結局あの後もおれの前以外じゃあんま歌わなかったな」

「そりゃあ……やっぱりすぐにはさ……」

「おれお前の歌昔も今も好きだけどなー」

「……ありがとっ」


 こういう幼馴染だから、自分は今こうして元の姿に戻れるまで心折れずにいられたんだろうな、としみじみ思う。

 寄り掛かっていた体を起こし、ぐっと背伸びをしてから船首の方を指差した。


「ねえルフィ、たまには一緒に歌おうよ。「風のゆくえ」」

「しょうがねえな~」


「--ルフィさん、ウタさん。お茶でもご一緒に……おや」


 昼過ぎのティータイムの誘いに来たブルックだったが足を止める。耳に届いた2つの歌声は、聴いている方も穏やかな気持ちになる見事な旋律を奏でていた。


「……こんな素敵なデュエットの途中でお邪魔するのは無粋というものですね、ヨホホ」


 まだまだ先は長い。この2人の歌を楽しんでからでも遅くない。そう思い、2人に気付かれないよう柱の陰に回り込み、腰を下ろした。


 重なりあった歌声は風に乗り広い海に響き渡った。


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