桜の枝を手折る

桜の枝を手折る


ギィ、と玄関の開く音がした。

手枷が重たくて、落ちた筋肉じゃロクに動くこともできない。

パタパタと少しせわしい足音を響かせて、家の主はこの部屋に入って来た。

「ただいま、礼佳。元気にしてた?」

いつから、彼の黒い瞳は煙を纏ってしまったのだろう。いつから、彼の柔らかい声は暖かみを失ってしまったのだろう。いつから、なんで、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

「紫苑……」

彼の名前を弱々しくなってしまった声で呼ぶ。

「ねえ、どうしてこんなことするの。出してよ…」

「……駄目だ。外は危ない、俺が外に出さなきゃ礼佳の足だってこんなことにならなかった。ここに居れば安全なんだよ。俺だって礼佳と同じで、大事な人を失いたくないんだ。礼佳がいないなんて耐えられない、あの時どんなに心配したか……」

唇を噛む。それを言われてしまえば何も反論できない。大切な人を失う辛さは、自分だってよく知っている。

いつからこうなったって、答えは出ているじゃないか。うちが等級違いの任務に当てられて大怪我をしたあの日からだ。一歩間違えば凛姉と同じ道を辿っていたんだから、恋人が気を病むほど心配するのは当然だ。

だからと言ってやりすぎだ、これは人間にすることじゃない、と言う気力は恐怖症がとうに奪い去ってしまった。

紫苑が一度部屋を出て、食事を持ってくる。

「はい礼佳、あーん」

あ、と黙って口を開ける。鳥への給餌のようなその光景は、もはや日常となっていた。毎日変わるはずの餌の味は、情報に長けているはずの己にはわからない。

食事が終わる。優しく抱きしめてくる紫苑を拒絶できないから、この歪な関係が続いてしまうことには気づいていた。それでも、瘦せ細った腕を精一杯前に出して、抱きしめ返してしまう自分がいた。黒閃なんて鮮烈なものじゃない世界の歪みが、二人の中心をぐるぐると渦巻いていた。

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