本当は 君を

本当は 君を

石田のお預け序章

友人に脅迫を受けている。


歳を数えるなんて、四十を超えた辺りで辞めてしまった。

とにかく無事に次の一年を迎える事が、身体の弱い撫子の目標だった。それが百回を迎える頃、大方の脅威も去り、課された大抵の規制は解除された。


少し寒い夕暮れのアパートの一室、制服姿でローテーブル…炬燵を囲みマグカップに注がれた紅茶を啜った時、途端に今日が生まれた日であると気づいたのは本当に偶然だったし、無意識に「アタシ、今日誕生日や」と溢してしまったのも、本当に無意識だったから仕方がない。

「今日?」

「うん、今日」

腰を浮かせた姿勢で尋ねる石田に対し、撫子は頷いた。それだけでもう自分の誕生日からは関心を失ったようで、課題に齧り付いている。

「どうして皆に言わなかったんだ?!」

「ゴメン、急に思い出してん。生徒手帳に書かれた誕生日は喜助が決めたもんやし、年一回皆まとめて祝うのが我が家の方針やから」

「自分の誕生日を忘れるのは、あまり聞いた事がないよ」

「信じられんかもやけど、ホンマに今の今まで忘れとってん。百年引きこもったら、めっきり季節の移り変わりにも疎うなる。それこそ一年、アレもう終わったんかって感じ」

そう言うと、石田が物問いたげな瞳を向けた。その明確な言葉にはならなかった問いに対し、撫子は殊更大きく頷いてみせる。

「でもそれは、高校に入るまでの、隠れて生きとった頃の話。皆に会って、学校通う様になって、1日はとっても長いって事を改めて知ったで」

テーブルから目を離し、撫子はにっこりと笑ってみせた。

「平子さん……それで、何か欲しいものは?」

石田の質問に、うーん、と撫子は頭を捻る。

「これといっては… 今はないかなァ」

平子さんは、もう少し欲を持ってくれてもいいのに、と思う石田だが、撫子にしてみればそんなものである。

「……君は僕の誕生日に祝ってくれた」

「石田が産まれた日なら、アタシにとっても大切な日やもん」

「それなら、僕も同じだ!君の誕生日を祝いたい。君が生まれてきて、僕と一緒にいてくれる今日この日を祝福したい」

真っ直ぐで切実な石田の言葉と瞳に、いたいけってこういう事を言うんかな、と撫子は目を細める。

「嬉しいわ……ううん、何か欲しいもの………」

とは言うものの、撫子が石田にあげた誕生日プレゼントはシャーペンと缶コーヒーを奢ったぐらいのものである。

「んー」

撫子はもう一度腕を組んで考えてみた。

石田は苦学生だ。いくら本人の望みとはいえ、金銭的にも気持ち的にも負担が大きいプレゼントは、あまり褒められたものではない。何かないだろうか。彼が喜んでくれるようなモノ。でも、自分が貰って嬉しいモノ……

(うん、きっとアレやな)

「……石田」

「うん?」

「アタシのして欲しいコト、ひとつ頼んでもええ?」

撫子が言うと、石田が僅かに身を揺らした。

「…………………」

石田の耳元で囁かれた撫子の「して欲しいこと」に、石田の頬ばかりか耳まで瞬時に染まる。眼鏡が割れなくて本当によかった。

赤くなって固まり続けるその様子に、撫子は要望を取り下げようと口を開いた。元々思いつきみたいなもんだし、言ってみただけなのだ。

「…だいぶ急やし、やっぱええよ。来年、覚えてくれとったら嬉しい」

軽く「遠慮」の意を伝えただけなのに、石田は炬燵から出て撫子の向かいに座り直すと、手を差し出してきた。

「い、いや!……僕が言ったんだ。君を祝福したいって」

ああ、そうだった。

クールに見えて、石田は負けず嫌いな性分なのだ。撫子がそれを認識して苦笑した時には、石田の眼鏡の奥の瞳は最早使命感で燃えていた。

「じゃあ、お願い」

おずおずと、石田は撫子の体を抱いた。ついでにぽんぽんと頭も撫でられる。

「た、誕生日おめでとう、平子さん」

「ふふ……」

可愛らしい笑い声を零して撫子が頭を擦り付けてくるので、石田も釣られて笑みが零れた。

「…来年は、一番におめでとうって言わせて欲しい」

「うん……嬉しい」

「今年の分は来年に廻るから、君が満足いくまで何度でもお祝いするよ」

「楽しみにしてるな」

柔らかな微笑みを浮かべて頷く撫子の声は、本当に幸せそうで、彼女の望む通りにできて石田は良かった、と思う。

(来年一番に祝いたい、に平子さんは気づいてくれているだろうか…)

日付が変わる瞬間まで2人でいたい、眠らず一緒に起きていたい、その意味を。

(平子さん…柔らかくて……いい匂いがする……!ああ、こんな事を考えてはいけないのに!!)



(好きに抱きしめてってお願いしたんはアタシやから、強ち間違いではないんやけど……)

よく知らないが、恋人同士のハグには少し遠いのではないだろうか。まだ恋人ではないけど。

でも、石田がくれるむず痒いほどの柔らかな抱擁は心地よい。


「平子さん」

「……ッ」

不意打ちで耳朶に石田の吐息を感じ、撫子の肌が震えた。

「 」

耳に直接流し込まれるその言葉に、撫子はただ早くなる心臓の音と、上昇する体温を持て余しながら、真剣に撫子を見つめる石田と目が合う。


キス、してみたいなァ


そう思ったが、自分から目を瞑り、口付けを待つ気の無い撫子は石田に回していた手を解き、「勉強に戻ろっか」と炬燵に戻る。石田は少しの間撫子を見ていたが、やがて炬燵に戻った。

課題に頭を突っ込むと、先程の行為が何度も何度も脳裏に過ぎる。


(アアもう、耳が熱いよォ)

(平子さんは、きっと心の準備が出来ていないだろうから…!)


2人の理性の壁は、まだまだ厚い。

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