有形

有形



モブ男性が鏡から脱走したマグニフィコ王を匿う妄想。

※名無しのオリキャラ

※ブロマンス

※魔法に関する設定捏造、本編と矛盾する可能性あり







平和なロサスの夜。満点の星空、静かな町に馬の走る音が響いた。一頭ではない。兵士を乗せた馬が何頭も家々の間を走り抜けていく。

一軒の家の戸からひとりの男が顔を出した。神経質そうな細身の男。不安げに辺りを見渡し外へ出ると、通りがかった一人の兵士に尋ねた。

「何事です」

「囚人が脱走した。元国王のマグニフィコだ。奴は魔法を使える。危険だから家の鍵を閉めて外出は控えてくれ」

男は怯えたように顔をこわばらせた。

「わかりました」

男は兵士に丁寧に礼を言い家に戻ると戸の内鍵を閉めた。男が振り返ると、部屋の奥には怪我を負った壮年の男が椅子に凭れるように座っていた。髪は乱れ、所々破れた服から血が滲んでいる。────元ロサス国王、マグニフィコだ。彼が足を引きずっているところを男に発見され、家に連れて来られたのは兵士が来るたった数分前のことだった。


「もう追いついたか。予定より早いな」

マグニフィコは細く息を吐き出し、痛みを堪えながら小さく笑うと、立ち上がろうとした。が、すぐによろめいて椅子に座り直すことになった。

「動かないで。安静にしなくては」

男は慌てて駆け寄った。だがマグニフィコの目は鋭く男を見返した。

「私を突き出さないのか?」

「怪我人を手当もせず放り出したりはしない」

男は怯まずにそう答えると、椅子のそばに膝をつき、慣れた手つきで手当を始めた。腕、脚、脇腹……。明らかに交戦によってできた傷だった。

「黒魔術の使える危険人物は通報した方がいいんじゃないのか?」

皮肉めいたマグニフィコの言葉に男は答えず、黙々と作業を続ける。最後に腕の包帯を巻き終えると、ようやくマグニフィコと目を合わせた。

「これからどうするおつもりです」

「もう一度戦って、あの恩知らずどもに一泡吹かせてやってもいいな。王を裏切っておいて何が兵士だ」

口ではそう言いつつ、呼吸は浅く、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

「あなたは弱っている。ご自身でもお分かりでしょう。ここで少し休んだ方がいい」

「信用できると思うか?」

「どうしてもと言うなら止めはしない。怪我は悪化するでしょうが」

マグニフィコはしばらく黙って眉間にしわを寄せていたが、観念したように深くため息をついた。しばらくこの男を頼る他なさそうだ。男の手を借りて二階へ上がり、ベッドに横たわった。屈辱だ。眠れるわけがない。そう思っていたが、自覚している以上に疲れていたのだろう、目を閉じるとすぐに眠りの闇へ引き摺り込まれていった。


目が覚めると、まだ辺りは暗かった。窓の外を見る。日の出まであと数時間はあるだろう。身体を起こし、怪我の様子を調べた。あの男は手当てを心得ているようだった。包帯も緩んではいない。魔法を使って癒してもいいが、自身の魔力が弱まっているのを感じていた。また兵士と戦うことになるかもしれない。この国を離れるなら長旅になる。海に出るまで魔力は温存しておきたかった。


目が暗闇に慣れてくると、部屋のあちこちにキャンバスが並んでいるのが見えた。窓際にはイーゼル。作業台にはたくさんの絵筆が乱雑に置かれていた。あの男は画家か?マグニフィコは慎重に立ち上がり、近くにあったろうそくに火をつけると、部屋全体を見渡した。そして壁に掛けられている、大きな一枚の絵に気づくと息を呑んだ。

ロサスの町の絵だった。活気に溢れる町並み、青空の下で活き活きと働く人々、美しい建物、笑い走り回る子ども達。奥には城も見える。まるで静かに町を見守るように……。


「怪我の具合はどうですか」

ろうそくの灯りに気づいたのだろう、男が階段を上がってきた。だがマグニフィコの目は壁の絵に釘付けだった。

「美しい絵だ。あなたが描いたのか」

「ええ」

男は短く答えると、マグニフィコからろうそくを受け取り、火をランプに移した。部屋全体が明るくなり、絵の色使いがより鮮明に見えるようになった。絵の中の町全体が、まるで生きているように輝いている。

「なんて素晴らしい」

マグニフィコはため息をつくように呟いた。男はマグニフィコの隣に立ち並んで絵を見つめ、静かに言った。

「私は美しいロサスを愛している。そしてロサスを創り上げた王もまた、敬愛している。それは今も同じです」

マグニフィコは男を見た。男は決まりが悪そうに目を伏せた。

「……あなたが国民を、私を恨み疑うのは当然です。あなたへの恩を忘れ、何事もなかったかのように生活し続けている」

マグニフィコは目を見開いた。突然の男の言葉になんと返したら良いかわからず黙って見つめていると、男は続けた。

「私は行動を起こすべきだったんだ。あなたが幽閉された時、皆に訴えるべきだった。王を解放するべきだと。この国にはマグニフィコ王が必要だと。私は……周りの目を恐れて流された。愚か者だ」

「禁じられた魔法に取り憑かれた悪しき王でもか?」

やっとそう返すと、男はマグニフィコを見つめ小さく微笑んだ。

「正義と正義が対立しただけです。そしてぶつかり合った以上、勝敗が決まってしまう。私は、あなたを悪しき王だと思ったことはない」

マグニフィコは男の言葉に、だんだんと心から薄暗く澱んだものが消えていくのを自覚した。男はさらに続けた。

「民衆は弱く、流されやすい。そして恩を忘れがちだ。我々はもっと深く知るべきだった。革命家の少女とあなたの考えを両方とも」

その声から緊張感は消え、本来の声であろう、穏やかで優しいものに変わっていた。マグニフィコは男に向き直り、彼の目を逸らさず見つめた。

「あなたを疑ってすまなかった」

マグニフィコを見つめ返す男の目は潤んでいた。

「本当はあなたに玉座に戻ってほしかった。でもやはりあなたの身の安全を思うと、逃げた方がいい」

男の瞳の中に苦悩が見えた。王が幽閉されてからずっと考え続けてきたのだろう。マグニフィコは黙って頷いた。ふたりはしばらく並んで絵を眺めていた。


「本音を言うと日が昇る前に出発したいが、まだ身体が万全ではない。私を閉じ込めていた鏡のせいで魔力に自信がない」

マグニフィコは苦々しく言った。怪我は手当の甲斐もあり動けないほどではないが、鏡は取り込んだ人間の魔力を弱まらせているようだった。男は少し考えると何かを閃いたようにぱっと顔を上げた。

「私の願いは使えないでしょうか」

「……国民に捧げさせていた願いのことか」

「はい。手の中で砕くと、その力を自分のものにできると聞きました。私の願いをあなたに託したい。少しは足しになるはずです」

男の提案に、マグニフィコは狼狽えた。

「それは確かにそうだが……あなたの一部を握りつぶすなんて……駄目だ、そんなことできない」

「いいのです。元より叶うことのない願いだ。今は何より、あなたの命が大事です。どうか」

男はすでに覚悟を決めているようだった。マグニフィコはその真剣な表情を見つめ────ついに根負けした。

「願いを思い浮かべてくれ」

「はい」

マグニフィコが男の胸に手をかざすと、青く輝く願いの玉が現れた。他人の願いを見るのは久しぶりだった。禁断の魔法に堕ちた今でも、人の願いは美しいと感じる。国を治めていた頃、必ず守ると誓ったものだ。願いの玉を覗き込むと、彼が何を願ったのかが見えた。

「これは……」

「決して叶うことのない願いと言ったでしょう。私の願いはあなたが無事この地に戻り、私と再会を果たすこと。私はあなたを待つ苦しみ忘れ、あなたは魔力として取り込める」

「本当に、それでいいのか」

「もちろんです。ただ、この願いがあなたの心残りにならないかが心配です。これは私のエゴでもある。できればあなたにも忘れてもらいたい」

男は申し訳なさそうに目を逸らした。その表情にマグニフィコはたまらなくなる。思わず男へ手を伸ばし、頬に触れ、首筋を撫でた。涙を堪えきれない。手を離すと、今度は彼の方からおずおずと頬へ触れてきた。指先で目元を何度もなぞり、涙を拭う。その手をそっと握り、マグニフィコは首を振った。

「忘れたくない。忘れられるものか。あなたのためにもこの命、無駄にしない。必ずこの願いを叶えるために戻ってくる」

「嬉しいが、約束であなたを縛りたくない」

男は寂しそうに微笑んだ。空が白んできた。時間が迫っている。

マグニフィコは願いを受け取ると、じっと願いを見つめ、目を閉じ、意を決して手に力を込めた。玉が砕け、腕から全身へ白く光が駆け抜けていった。男は一瞬だけ苦痛に顔を歪め胸を押さえた。

「大丈夫か」

「ええ、大したことはありません」

マグニフィコの身体に力がみなぎってくる。痛みに意識を集中すると、傷口が閉じ、癒えていくのがわかった。動ける。男は部屋の隅にある箪笥を開け、黒いローブを取り出した。

「これを。家の裏に繋いでいる馬を使って海へ向かってください」

「ありがとう」

マグニフィコはローブを受け取り羽織ると、男の手を取り、両手で強く握った。

「もう行かなくては。この恩、決して忘れない」

「お会いできて光栄でした、我が王。どうかご無事で」

願いを預けた男の笑顔は、どこか晴れやかだった。マグニフィコは最後に男の名前を尋ねた。男が名乗ると、噛みしめるようにその名を呼び、再び礼を言い彼を抱きしめた。名残惜しく手を離すと、マグニフィコは家を後にした。馬に跨り、颯爽と走っていく。男は窓から見送った。彼の姿が見えなくなってもずっと、いつまでも窓のそばから離れようとはしなかった。


海に向かう道を王を乗せた馬が駆け抜けていく。マグニフィコは心に決めていた。この先何があろうと、必ずこの国に帰ってくる。あの絵が思い出させてくれた。私がなぜロサスという国を築いてきたのかを。始まりの願いは人々の幸福だった。それは間違いではなかったと信じたい。どんなに道のりが長くても、王は必ず戻る。そして私を救ってくれた、あの絵描きの男と再会を果たすのだ。もうすぐ日が昇る。空が明るくなり、星々が見えなくなっていく。星に願うのはいつだって夜だ。朝が来ることに怯える日もある。だがたとえ願うことができなくなったとしても、目の前の水平線の輝きをいつまでも覚えておくことを誓った。



数日後。男は馬に乗って港へ向かっていた。衝動的に、海の絵を描きたくなったのだ。最後に見たマグニフィコも、この道を走っていた。賢い馬は王を海まで送り届けた後、無事に男の家へ帰ってきた。青天の昼下がり、潮風を受けながら、男と画材を乗せた馬はゆっくりと海へと続く道を行く。

去りゆく王に願いを預けた時のことを思い出した。願いの内容は覚えていない。彼はもう戻ってこないだろう。たった数日前のことなのに、彼がこの国を離れたことを受け入れている。これで良いのだ、と。彼が戻ってこないとわかっていて差し出したのだ、忘れたい願いだったことは間違いない。魔力のためとはいえ、彼にエゴを押し付けたのだ。マグニフィコの強く誇り高い後ろ姿を思い出す度に、恩知らずの卑しい自分を恥じることしかできない。だが同時に、マグニフィコが涙を浮かべて自分の頬に触れたこと、最後に名前を呼び抱きしめられたことも忘れてはいない。忘れられるわけがない。

港に着き、馬を繋ぐ。イーゼルを立て、港の絵を描き始めた。なぜだろう、この海の向こう側に想いを馳せてしまう。きっと理由なんてない。


ただ今は、思い出と水平線だけが、美しく輝いている。





(タイトルは本編の劇中歌「At All costs」の歌詞の中の単語「tangible」より)



Report Page