月に囚われる兎

月に囚われる兎


砂狼シロコの"脱走"があった日の真夜中、月雪ミヤコは小鳥遊ホシノに部屋から連れ出されアビドスの校舎を歩いていた

元々考えが読めず脈絡もなく暴威を振り翳すホシノだが、今まで真夜中に突然起こされてついてくるように言われることなどなかった

昼間の出来事は彼女の機嫌をたいそう損ねた、最悪の想像に体を強張らせながらもミヤコは小さな背中を見失わないよう注意して薄く砂の積もった廊下を歩く

「あの…どこに向かってるんですか?こんな時間に…」


沈黙に耐えきれず放った質問にホシノが返した答えはミヤコの緊張を余計に煽るものだった

「大事な話だからね〜、内容に相応しい場所に行くんだよ」

(…教誨室…?私、吊られるんですか…?)

ミヤコのますます血の気の引いた顔が青白い月明かりを照り返す


唐突にホシノが一つの教室の前で立ち止まり、その扉の鍵穴に鍵を差し込んだ

「うへ〜、ここだよ〜」

「ここは…」

教室の看板に貼り付けられた紙には"アビドス廃校対策委員会"の文字

面食らって足を止めたミヤコを尻目にホシノはスタスタと教室に足を踏み入れ閉じられたままだったカーテンを開けた

「ミヤコちゃん、おいで」

電灯は点けず、窓から差し込む月光の下に椅子を置いて腰掛けたホシノが声をかける

誘われたまま部屋に入ったミヤコを見据え、ホシノは言葉を続ける


「うへ〜、ミヤコちゃんにはちょっとおじさんの昔話を聞いてほしくてさ、聞いてくれる?」

部屋の暗がりと薄寒い月明かりの間から金色と空色の視線がミヤコに向けられ、彼女の体を貫き通したかのようにその場に縫い留める

問いかける言葉とは裏腹に"聞け"と強いる圧があった

「はい……」


「うへへ…昔々あるところに、キヴォトスで一番大きな学校がありました〜。

けれどある時その学校は砂嵐に見舞われました。

それから何度も何度もどこからか砂嵐がやってきて〜、やがてその学校の自治区は砂漠になり、砂嵐と砂漠化への対策に借金までしながら移転と縮小を繰り返した学校自体も廃校寸前にまでなってしまいました。」

その話は知っている

きっとアビドスにいて、まだ記憶力に支障をきたしていない者は皆そう答えるだろう

「それは…アビドスの…」

ミヤコは当事者であるアビドス廃校対策委員会から直接アビドスの砂漠化についての話を聞いていた

「うへ…まぁ知ってるよね、でも本題はここからだよ。

そしてある時、アビドスに二人の女の子がいました。

二人の同世代の生徒たちは別の学校に入学するか、アビドスに入っても転校していった中で残っていた二人は先輩の方が生徒会長に、後輩の方は副会長になりました。

……後輩は、先輩に噛みついてばかりいました、先輩はお馬鹿で能天気でお人好しで…アビドスの借金を返すことや、砂漠化を止めることよりも日々をぐうたらに楽しく過ごすことを愛していたからです。」


これはきっとホシノ自身の話だ、ミヤコはそう思った

そういえばノノミさんが彼女の二つ上の先輩について触れたこともあったっけ、などと考えながらホシノの静かな語りに耳を傾ける

「ある日、先輩は『砂祭りをやろう』と言ってアビドス砂祭りのポスターを作って学校に持ってきました。

後輩は怒ってそのポスターを破いてしまいました、先輩の提案は借金と砂漠化に追い詰められた現実を全く鑑みていなかったからです。

……そして、先輩と後輩が会うことは…二度とありませんでした。」

「…喧嘩別れ…ということですか…?…⁉︎」

ミヤコはホシノの目から一粒二粒と光るものが落ちたのを見逃さなかった

「泣いて…いるんですか?」

「うへ〜…ここにいるとちょ〜っと幻覚とか幻聴とかキツくてね〜…

それで…実は喧嘩別れって訳じゃないんだ〜、先輩は死んでしまったんです。

先輩はその後失踪して…後輩が先輩を砂漠で見つけた時、先輩はすでに事切れていました。」


それが…彼女が、ホシノが狂った原因なのだろうか

だとしても、こんなやり方でアビドスに人を集めて砂祭りを開こうだなんて、あまりにも…

ミヤコの葛藤と静かな怒りを見抜いたように静かな視線を向けながら、ホシノは続ける

「大切な先輩でした、大好きな先輩でした、気性や意識の違いからきつく当たってしまっても、そんな別れ方はしたくありませんでした

……やがて、後輩は"先輩"になりました。」


「彼女はアビドスの復興は内心諦めていて、先輩がそうしていたように善く生きること、優しく在ること、後輩を正しい道に導くことを自分の使命として過ごすことにしました。

それはとても暖かくて幸せな日々で…

"先輩"は、それをただのぬるい馴れ合いだと思っていました。

お菓子を食べながら駄弁ってるだけでアビドスが救える訳ないじゃないですか‼︎ここには遊んでる余裕なんかない!現実を見てできることをやり続けるべきです‼︎

貴女に言ってるんですよ!ユメ先輩‼︎」

ホシノが突然誰も座っていない椅子に向かって怒鳴る

ミヤコにはホシノの幻覚など見えるはずもないが…それでもそこで、ホシノの怒声に怯んだ誰かがいたような気がした

「対策委員会の皆さんを…そんな風に思ってたんですか…?喪った先輩のこともそんな風に……!だからこんな…こんなみんなの思いを踏み躙るような形でアビドスを復興して砂祭りを開こうとしているんですか⁉︎」

アビドスで唯一と言ってもいい友人達に対する裏切りとも取れる嘲りと理不尽な怒りを吐き出され、ミヤコの中で怯えより先に怒りが昇ってきてホシノを糾弾する言葉が口を突いて出た


ホシノは深く息を吐くとケラケラと笑った

「まさか…ユメ先輩も、あの子たちのことも大好きだよ〜…うへ〜…そんなこと思ってない、思ってたなんて認めたくない

それにこのお話はフィクションだよ

だってこの話に"砂糖"は出てこないんだから」

落ち着いていたかと思えば涙を溢し、泣き止んだかと思えば怒鳴り散らし、疲れたかのように振る舞った直後に笑い始める

いつにも増してホシノの振る舞いは常軌を逸していた

そして今、ホシノは再び真顔でミヤコを見据えている

「でも君ならわかるでしょ〜?諦めるべきだって…叶う筈ないって分かってる願いを手放せない。

大好きな相手に抱くべきじゃない怒りを…ミヤコちゃんの場合逆でもいいかも、大嫌いな相手に抱くべきじゃない同情を抱いて、自分を許せなくなる」

……身に覚えが無いと言えば嘘になる


「おじさんはさ…夢も、後輩の皆も、先輩との思い出や後悔も諦められなかったせいでこんな酷い現状を招いちゃったんだ

あの子たちのことだけ考えてればよかったのに…人が沢山いて借金もない、砂漠が皆を笑顔にしてくれる資源の山ならいいのにって…後輩のためならそんな理想のアビドスを諦めてもいいと思ってしまった自分とユメ先輩が許せなかった、そのせいで全部クソにしてしまった」

……言葉が出なかった

ミヤコも廃校を認められなかった側の生徒だ

正義を失ってでも…という理念はFOX小隊のこともあって共感はできないが、それでもホシノの告白には一蹴できない重みがあった

「…そろそろおじさんがミヤコちゃんを呼び出した理由がわかったかな〜?」

「…似ていると思ったんですか?私とホシノさんの境遇が…自分の言い分に共感してくれるとでも?」

相手と同じに見られるのは気に障る、とミヤコは明確な敵意を込めて返す

「うへ〜、三割正解。赤点は回避ってとこかな〜?

…境遇とか気性とか、共通点があるだけでおじさんと君って別にそこまで似てないじゃん?

ミヤコちゃんには素質があると思ったんだよ〜、共通点を通して同じ景色を見れるんじゃないか…ってね」


俄にホシノが椅子から立ち上がり、ミヤコの目の前に歩み寄る

「皆には内緒だけど…今のこんなアビドスおじさんは好きじゃないんだよ、今から開こうとしてる砂祭りにだって納得行ってない。

でも何も変わらなかったんだよ、連邦生徒会を頼っても、先生に助けられても…大切だとわかってる後輩との日常はユメに描いたアビドスからは程遠いままだった!

……ミヤコちゃん、君はどうなのさ〜?先生に助けられて、SRTは再開の見通しが立った?少しでも最初より前進した?

実はマイナスからゼロにすらまだ辿り着けてないままなんじゃないの?君は正しいままじゃSRT再開なんて実現できないと分かってて、それでも正義に拘り続けて…どこかに自分も周囲も許さないままでいるミヤコちゃんもいたんじゃないの?」

月光の差し込まない位置で間近から見るホシノの両目はどこまでも昏く、深かった

「そんな…!ことは…‼︎先生も小隊のみんなも、頑張っていたんです…!

いくら貴女でも言っていいことと悪いことが…」

「私はここでは誰にも言えないことばっかり話してるよ、言ってはいけない事情や理由があることばかりね〜…!」


ホシノに胸ぐらを掴まれ、足を払われてミヤコが両の膝をつく

見上げた先には開き切った蒼い瞳があった

曰く、ウジャトの眼とも呼ばれるホルス神の左眼は月を表し智慧と洞察力、そして目的を達成する力を司るのだという

「本当は知ってるんでしょ?先生は目先の問題を解決してくれても私達の問題の根本的な原因は解決してくれないって…

解決できない原因をそのままに目的を達成するなら…犠牲を積み上げて、夢を自分の手で穢して、歪んだ成果を手にするしかないってことも

諦めなくていいんだよ、君にも君以外の全てにも現在に対する責任がある

だから…何も/誰も許すな、ミヤコちゃんは私と一緒に夢を穢しながら実現するんだ!今日みたいな失態は君のSRTの再建を遠ざけるぞ…」

ミヤコは昏く青白い月のようなホシノの瞳に落ちていくような錯覚を覚え、咄嗟に目を背けて言い返そうとする

「そんなものに私が求めるSRTの正義は…」

「嘘だッ!喉から手が出るほど欲しい筈だよ〜…特に今すぐ縋れる目標や結果は、ね…」


「ミヤコちゃん、君は私みたいになれる」

反論を鋭い怒声と否定し難い強弁で潰されたミヤコに、頭上から一際受け入れ難い言葉が投げかけられる

内容は受け入れ難く、先程言ったこととも矛盾している支離滅裂なものだが…

その声音はどうしようもない説得力を孕んだものだった

「君は大事なものを失い、大切にするべきだと信じたい場所に馴染めず、夢を理想を自分の手で歪めて私みたいになる…!」

「そんな…こと……」

「おじさんはSRT再建だってやってあげよう、私が死んだ時は君の嫌うアビドスそのものを君にくれてやったっていい…それでも君は私と同じようにできるだけのことをやってくれるからね〜

お前は私なんだ、月雪ミヤコ」


パッといきなり手を離され、ミヤコは冷え切った教室の床に尻餅をついた

言いたいことを全て吐き出したのかどこかスッキリした顔のホシノを見上げたまま、ミヤコは何も言えずに呆然と座り込んでいる

そんな様子を見てホシノは鬱陶しそうに手を振った

「うへ、もう話は終わり。部屋に戻っていいよ〜…あ、もちろん今日のことはナイショだから…言いふらしたりしたらダメだよ〜」

ミヤコは立ち上がりヨロヨロと後ずさって教室を出て行った


一睡も出来なかった彼女が翌日の訓練で更にホシノからしごかれるのはまた別のお話…

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