ごめんねスレッタ・マーキュリー(最終回)

ごめんねスレッタ・マーキュリー(最終回)


※こちらは元スレにて投稿したSSの完全版です

現行の『ごめんねスレッタ・マーキュリー』のSSとは微妙に設定が違っている所があります




 ミオリネ・レンブランからの接触があったのは、エランが倒れてからしばらく後のことだった。

 今は珍しくなったレトロな通信器具を使い、ミオリネとスレッタが喋っている。

 彼女は相変わらずパワフルで、拡声器モードにした通信機からは、ひっきりなしに姦しい声が響いてくる。

 まだ学園にいた頃、落ち込んでいたスレッタを寮に誘った時のことを思い出す。あの時も、彼女はすごい剣幕でスレッタを守ろうとしていたのだった。1年も経っていないのに、なんだか妙に懐かしい心地がする。

 薄皮一枚隔てたような現実感のない光景にエランはめまいを覚える。ミオリネは二人が直接害される可能性はなくなった事、もう安全なのだという事を必死に説明しているようだ。それを聞いたスレッタは一瞬目を瞬いて、次いで安心したように笑った。

 スレッタが笑っている。

 帰ってきて、とミオリネが言う。

 ミオリネさん、ありがとう。スレッタが答える。

 めまいが酷くなる。

 彼女の声はとても優しくて、今にも消えてなくなりそうだった。

 もう自分が立っているのかどうかすら分からなくなる。このまま死んでしまうのではないか、そんな馬鹿なことを考えた時、ふとスレッタの瞳が自分を見ていることに気がついた。

 帰ってくるわよね?ミオリネの声は続いている。

 そばで佇むことしか出来ないエランに微笑みながら、スレッタは唇を開く。


「いいえ、私はエランさんのそばにいます」





………

…………

……………



 最初、スレッタが何を言っているのか分からなかった。エランは目を見開いて、呆然と、まるで木偶の案山子のように、ミオリネと話し続ける彼女ををただ見つめる事しかできなかった。

 エランさんは、私に優しくしてくれるんです。

 ───それは、だって当然だ

 エランさんは、私が我が儘言っても、怒らなくて。

 ───だって、僕は嫌がる君を無理やり連れて。

 エランさんは、私の為に、いつもいつも頑張って…。

 ───連れ去って、自分だけの世界に閉じ込めて。

 頑張りすぎて…倒れて。

 ───閉じ込めたくせに、君を守ることも出来なくて。

 だから、私も頑張ることにしたんです。

 ───…………。

 最近は、私も外に働きに出ているんです。本当に働き始めたばかりで、まだまだ至らないことばかりですけど、周りの人たちも優しくしてくれて、何だか今はとっても楽しいんです。

 ────……………。

 辛いことがあってもへっちゃらです。だって、私には優しくて、頑張り屋さんで、ちょっぴり融通は効かないけど、誰よりも安心できる素敵なエランさんがいるんですから。

 だから、ごめんなさいミオリネさん。私は、エランさんのそばを離れません。ここでずっと、エランさんのそばに居たいんです。

 ─────………………。



 いつの間にか、ミオリネの声は聞こえなくなっていた。通信機を切ったスレッタは、少しだけ眉根を下げると、静かな表情でエランを見上げた。

「エランさん」

「どうして…」

「エランさん」

「僕は君に酷いことをしたのに」

「エランさん」

「君はもう、どこにだって行けるのに」

「…エランさん!!」

「ッ!」

「エランさんは私を抱きしめてくれました。寂しくてつらい時、ずっと寄り添ってくれました。お風呂だって、ホントは嫌だって顔をしていたのに、一緒に入ってくれました。その間、私の嫌がることは絶対に、絶対にしませんでした」

「……」

「私は、嬉しかったんです。甘えていたんです。まるで子供のように、エランさんに引っ付いて、ただ喜んで、いたんです。エランさんを失うことになる可能性なんて、考えないで」

「……」

「私は嫌です。エランさんと離れることになるなんて嫌です。エランさんとずっと一緒にいたいんです。エランさんを支えて、エランさんに支えられて、生きていたいんです」

「……」

「…何とか言ったらどうですか」

「…何を」

「私は言いたいことを言いました。エランさんも、言ってください。エランさんはどうしたいんですか。私に何か、言いたいことがあるんじゃないですか」

「……」


 言いたいこと。

 もちろんある。

 今からでもミオリネへ連絡して、彼女の元へと帰って欲しい。彼女のそばなら安心だ。自分にはない身分があり、金がある。こんなオンボロあばら家でなく、隙間風のない頑丈な住居を用意できる。学園だって、きっと通える。

 安物のブランケットも、軋んだ音のするベッドも、端の欠けた鏡台も、古着の靴や服も、なかなか泡立たない石鹸だって、そこでは必要ない。きちんとした生活が送れるだろう。

 だから、言う。言うべきだ。彼女の為なのだから、なのに。

 息を詰めたまま硬直する。言ったら終わる。この愚かしくも甘やかな生活が。

 スレッタを見る。彼女は静かにエランを見ている。エランの何かを見極めようとしているように。

 ふと、スレッタの笑顔が頭を過ぎった。彼女はいつの頃からか、楽しそうにする事が増えていた。少しずつ我が儘を言うようになり、よくこちらを困らせた。

 彼女が笑う。彼女が怒る。拗ねる彼女に許しを請うのは大変だった。お風呂はとても恥ずかしかったし、薄い寝巻しかないのに一晩中添い寝を強要されたときは流石に堪えた。

 でも、幸せだった。

 スレッタを見る。彼女は静かにエランを見ている。エランの言葉を、祈るように待っている。

「あいしている」

 零れ出た。

 あ、と思った時にはスレッタの目は見開かれていた。頭が真っ白になる。言うつもりなんてなかった。こんな事、言う資格なんて…。

 スレッタの顔がくしゃりと歪む。眉根を寄せて、唇を噛んでいる。まるで初めて会った時のように。

「愛している」

 止まらない。焦るエランを余所に、スレッタの涙のようにポロポロと言葉は落ちていく。馬鹿のように何度も繰り返す。あいしている、愛している…。

 スレッタが笑う。くしゃくしゃの顔で、嬉しそうに笑っている。

 その顔をずっと見ていたいのに、だんだんと彼女の顔がにじんでいく。

 愛の言葉を零しながら、いつの間にかエランも笑う。スレッタのように泣きながら、きっと不器用に笑っている。


「君を愛している スレッタ・マーキュリー」







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