最後の演奏
※シャディミオっぽい何か。時系列とか一切考えてない
「ミオリネ、遊びに来たよ」
声変わり前の子供の声が『お姫様部屋』の中に静かに響く。声を掛けた少年は扉を開けたまま、部屋の中央に鎮座する大きなベッドに近づいていく。
お目当ては掛布団の中に潜っているらしく、少年の呼びかけにも応えずにジッとしていた。
「ピアノ、辞めさせられたんだって…?」
その知らせを受けたのは、少年が家で自主学習をしている時だった。少年の友達である女の子が、親の意向でピアノを辞めさせられたというのだ。
以前から女の子の親は理不尽な仕打ちを彼女に度々してきていた。ごく小さい頃からの幼馴染と引き離されたこともあったようだ。
少年は腐れ縁ではあるが女の子と程々の距離を保っていたので、幸いにして排除の対象からは除外されていた。だから何かある度に慎重に時間を置いては彼女を慰めに行っていた。
でも今回ばかりは、話を聞いてすぐに彼女の部屋に駆け込むことにした。
彼女が泣いて暴れて、学校にも行けなくなったと聞いたからだ。
少年は女の子が好きだった。女の子の強いところが好きだった。思いきりが良く、危うくも思える真っすぐなところに憧れていた。
度重なる親からの仕打ちで、いま彼女の心は折れようとしている。少年はそんな彼女を放って置けなくて、急いで支度してここに来たのだ。
恐らくこれからは迂闊に彼女に近づけなくなる。それは分かっていたけれど、少年は愛すべき彼女の性質が折れ曲がる前にとやって来たのだ。
「俺、君のピアノを聴きたいな」
ともすれば怒られるようなことをワザと言って、彼女の反応を待つ。椅子には座らずベッドの近くに膝をつき、枕の近くに手をついて、ただジッと反応を待つ。
すると、こんもりと盛り上がった掛布団がすこしだけ動き、小さな小さな白い手が現れた。
少年の大きくなり始めた骨ばった指の先を触った手は、一瞬ピクリと引っ込んでしまった。けれどしばらくして、もう一度恐る恐るという体で近づいてくる。まるで小さな白い手そのものが小動物のようだった。
その間少年は動くことはしなかった。傷ついた女の子をこれ以上怯えさせたくなかったからだ。
少年の手を探り当てた小さな手は、きゅっと指の先を握り込んできた。布団の中に潜り込んでいた彼女の手は温かく、少年は少しだけ泣きそうになった。
「ねぇ、これから俺の家で演奏会を開こうよ。練習していた曲、形になってきたって言ってたじゃない。俺、聴きたいな」
たぶん養父には勝手なことをしたと怒られる。ミオリネの幼馴染の友達のように、少年も引き離されてしまうだろう。
でも、小さな手が、返事のように指先を強く握ってくるから。
「2人で秘密の演奏会をしようよ」
これから先、彼女に気軽に会えなくなったとしても、きっと後悔はしないのだ。
やがてクシャクシャの格好の彼女がベッドから顔を出し、急いで着替えて支度をさせて、『お姫様部屋』から勝手に家に連れだした。
そこからの数時間は、まるで夢のようなコンサートが続いた。彼女の好きな曲を、少年が気に入った曲を、勝手気ままに演奏しては、2人で無邪気に笑いあう。
やがて事態を知った養父と彼女の親に知られ、すぐに彼女は家に連れ帰られてしまった。そうしてあまり彼女に近づかないようにと、顔をしかめた養父に釘を刺された。
少年は微笑みながらその命令を受け入れた。最初から分かっていたことだからだ。
音楽や笑い声に満たされていた少年のピアノ部屋は、元の停滞したような静けさに戻っている。たとえ同じ曲を弾いたとしても、中身は空っぽのままだろう。
けれどこの日の出来事から、彼女は再び学校に行くようになったらしいと人伝に聞いた。
だから、少年はやはり後悔しなかった。
それから数年。彼女は少年の通っている学園に編入して来た。また彼女の親が強権を発揮したらしい。
でも学園での彼女はベッドに引きこもることなく、前を向いて過ごしていた。たまに脱走計画も立てているようで、大いに学園を騒がせている。
少年は、時折彼女に会いに行った。表立って接触することはできないので、彼女が一人でいる時間にこっそりと尋ねた。
そこでさり気なくピアノの話を持ち出して、遠回しなリクエストをしたりしたのだが、彼女にすげなく断られてしまった。
「『引退コンサート』の後から、ピアノには触ってないよ。これからも触る事はないでしょうね」
サッパリとした物言いに、少年は目をぱちぱちとさせた。
彼女はこちらを見ずに、植物の世話ばかりをしている。声音も実にそっけないものだ。
でも『引退コンサート』という呼称から、彼女の中に残っている思い出の大きさを垣間見れたようで、少年は何だかとても嬉しくなった。
「なに?ピアノは弾かないからね」
不機嫌そうに彼女が言う。ともすれば拒絶とも思える強い言葉だ。
けれど、もう一生分のピアノは弾いた。彼女の言葉は、そんな事を言っているように聞こえた。
「分かった。もう言わないよ、ミオリネ」
だからシャディクは、笑いながら返事をした。あの日のピアノの音を、思い浮かべながら。