書き逃げ!ごめんね
非お客様ァ花嫁さんと深夜までのお仕事をして、彼女が飲み物を取りに一階に降りたあとに、いつもより時間がかけて戻ってきて言うことには。
「スレッタ? 疲れてるならちょっとバルコニーに出て休みなさい」
「え、大丈夫ですよ。パイロットですから体力にはちょっと自信が……」
「いいから……もう、なんで私がこんなこと」
なんだかよくわからなかったけど、私をバルコニーに追い出そうとしたのはわかったので言う通りにすることに。
花嫁さんの言葉はいつも私のためだというのはもう、嫌というほどわかっていたからだ。
外に出る前にふと壁の時計を見ると、11時30分、あと一時間もしないで私の誕生日が終わる、と気づいて。
(あ、もしかして、サプライズを?)
とそんなことを思って外に出た。けれど、バルコニーはいつもと同じ風で、たしかに涼しさと新鮮な空気はあったけれど、だからといって……。
「はぁ」
疲れた、とため息をついた。暗い闇の中でため息を付くと悪い記憶が上がってきやすい。
私はいなくなった人を思って、エランさん、とつぶやいた。
返事が返ってくるはずもない、帰ってくるはずもない。そんな奇跡は、
「……ぇ?」
聞こえた。いや、聞こえるはずがない、幻聴。幻聴のはずだ。
だって、聞いたことないもん。あの人が歌うハッピーバースデーなんて。
「っ!」
でも、でも、そんなに一緒にいたわけでもないのに、魂が言う。
その声を聞き間違えるはずがない、と。
「エランさん!?」
バルコニーから人工森林に向かって出した声は、木陰から聞こえるハッピーバースデーに重なって響く。
私の声が枝葉に吸われて森に沈着しても、ハッピーバースデーの歌声は止まらなかった。
だからフレーズが、足音と一緒に聞こえる。出てきた影は見たことがない。顔はあのエランさんと同じくらいに整っている。
後で聞いたことろによると『本当の僕に近いらしい姿』といっていた。
でも、わからない、知らない姿、でも、知っている声、知っている気配。
最後に会った宇宙で聞いた優しい調子。
「ハッピバースデーディア・スレッタ、ハッピバースデートゥーユー」
見えた。姿も何も違うのに、その人がそうだとわかった。
わかった瞬間に私はバルコニーをとびおりていた。
「ったく、私が励ましても響かなかったところに響くのね、あの歌が。
もう、ロミジュリるな、って言ったからって、ジュリエットがバルコニーから飛び降りてちゃ喜劇でしょ」
ミオリネは一階のキッチンから二人の抱擁を見て微笑んだ。
「……いや、いいか、あの子達はそれで」
「どっ、どどどど、どう、どうして!どうしてここにいるんですか、エランさん!?」
「君に会いにだよ、スレッタ。スレッタ・マーキュリー」
「スレッタでいいですよぉーう。う、ぅえ。え、ん。
な、なん、で、エランさんがエランさんなのにエランさんじゃなくて……ここにいるんです」
「僕は僕だよ、僕の姿が変わってるのは……まぁ、君の知ってるあの顔が作り物だからだね。
君が気づいて信じてくれたから僕は僕だ」
「わた、わ、わたしが気づかなかったら……信じなかったらどうするつ、つもり、だったんですか」
涙が出た、鼻水も出た。多分、聞き取りづらかっただろう、でも、エランさんは根気強く、私の背に手を回したままで私の声を聞いてくれた。
「君が信じなかったら……?」
「はい」
「…………その可能性は考えなかった」
ぷ、と私は笑った。変わっている顔、でも、間違いなくエランさん!
エランさんの、自分自身に当惑したような表情と、そして、その内容。
「は、ははは、恥ずかしいこと言ってますよ、エ、エランさん」
「そう?」
「私を信じるって言ってくれてるみたいな」
「信じてるよ」
「はへっ!」
「僕は君が信じてくれるって信じてた。だから、幸せな誕生日をあなたに(ハッピーバースデートゥーユー)と言ってくれた君に……
君……いや、『親愛なる貴女に』、スレッタ・マーキュリーに、スレッタに幸せな誕生日を祈る歌を歌いたかった。だから生きたいと思えた」
「で、でででででも、そんな」
盛大にどもった。まっすぐこちらを見る目、抱きしめていて抱きしめられているから過去一近い。
拍動も相手と同期するような距離。
「おかしいかな?」
そこか、かすかに記憶に痛いような言葉で問われる。
「おかしく……ないです。嬉しいです。誕生日祝ってくれる人、いました。増えました。貴方です。それに、祝ってあげたことを届けてくれました――貴方です」
「僕は、何も持ってない」
「そんなことないです。歌と、言葉で私に喜びをくれました」
「誕生日プレゼントだってない」
「ものだけがプレゼントじゃないです。私の喜びも、私を喜ばせてくれたものも、プレゼントです」
「あげるよ、ぜんぶあげる。もっと、あげられるものはない?」
脳が走った。雰囲気のいい場所だ。花嫁さんは多分見ているけど。いい、別にいい、というのではなく。
見られても構わないし、きっと、私が見られたくないと思うことは見ない。そう思える。
ピンク色から何から、プレゼント、という言葉に関連づいた言葉が脳裏を流れる。
「は……っ」
と一呼吸置く。言葉は流れて残っているものはない。
いや、1つあった。
「プレゼント」
「うん」
「約束。約束、未来……えっと」
技術資料の中にあった。強化人士がどれだけ生きるのに苦労をすることになるか。
生き延びるだけで辛い。生きていることが、遠い。
これを口にするのは、ひどいだろうか。
ひどい、あぁ、そうだ。ひどい。ひどい女だ。と自分で思う。
花嫁さんなら言ってくれるだろう、
『スレッタを心配させて、待たせて、何も教えなかった分、ちゃんと責任とんなさいよ!』
とかなんとか。表情が笑みになる。ひどいのは知ってます。ひどいことでも、きちんと自分の意志で言えば。
それは自分の選択で、自分の未来です。
「約束、生きてください。生きて、一緒にいて、来年も私にハッピーバースデーを歌ってください。
来年も私にハッピーバースデーを歌わせてください。やりたいことリストも全然埋まってません」
いいですか?と聞こうとした。違う。私が決めて、この人を結ぶ。
未来の明るい約束は、祝福だ。
未来の無分別な約束はときに、呪いだ。
いい、いいと決めた。ぜんぜん違う状況だけど一度問われた記憶がある『君は魔女か』と、そのときは違った。違うといった、否定した。
でもいい、呪うために魔女である必要があるなら、私は魔女でいい。
未来を約束して、呪って、結ぶ。
目を離した瞬間に消えてしまいそうにも感じるこの人を、この世界の未来に縛る。
他に魔女がいても知らない。運命がどうあるのかは知らない。
彼が、ディアーで呼んでくれた名で、スレッタ・マーキュリーの名で。それを魔女というのなら。
スレッタ・マーキュリーは水星の魔女でいい。
「約束をしました」
疑問形はやめた。過去形だ。すでに約を結んだのだと宣言した。
何に? 彼に。そして、運命に。世界に。
「私は次のエランさんの誕生日にハッピーバースデーを歌います」
「うん」
「エランさんは次の私の誕生日にハッピーバースデーを歌います」
「……うん」
「その時にまた、プレゼントを貰います。今日と同じプレゼントを」
「…………うん」
「うっとおしいですか?」
「……意地悪だね」
そんな答えとは裏腹に、その表情はとても優しかった。
「もう一つ、いいですか?」
「プレゼント? いいよ、あげられるものなら」
「じゃあ、エランさんの言葉と声を少しのあいだだけ貰います」
そう言って、宣言どおりに彼の口を塞いだのだった。
「もう、花婿さんが花嫁みたいな顔しちゃって……。あっちのあの子のフォローで私の仕事が増えるけど、まぁ『楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ』ってね
だ、か、ら、今日のところは『終わりよければ全てよし』としてあげる」