【晴晋】晋作太夫ルートif 01. 分岐点

【晴晋】晋作太夫ルートif 01. 分岐点


 恐らくはどちらもが悪手だったのだろう。尾を踏んだのは僕だし、如何を決めたのは信玄公だった。

 たったそれだけのこと。それだけの話だ。


 始まりの暴言はともかくとして、武田信玄という男はとかく友としても同僚としても気持ちのいい男ではあった。飲みっぷりはもちろん、気前も面倒見もいい。詩歌にも通じて、逸話と軍略だけでも酒が進む。気が合うというよりは向こうがこちらに合わせている節はあったが、友人付き合いなど大概がその場その場の譲り合いだ。

 思えばその夜もそうだった。部屋での飲みに誘われて、もちろんだとも!と快諾して、そうして互いに杯を交わし始めた。

 なんなら浮かれてもいたのだろう。信玄公と飲み明かすのは僕にとっては『面白いこと』で、彼としかできない話をふったのは、酔った場の笑い話のつもりだったのだ。


「そういや結局『床を共に』なんて、ふざけた冗談だったんじゃないか!まったく、初対面でするには趣味が悪いにもほどがあるぞ!」

 酔いに任せて遠慮なく叩いても、信玄公の背は微動だにしなかった。座った目線はさして変わらないというのにこの厚さ、羨ましい限りである。少なくとも武を識る者として、憧れを抱くには十分だ。

 くっと空けた杯を片手に、信玄公の前に置かれた徳利に手を伸ばす。と、その腕を急に掴まれた。

「別に冗談ではないが」

「……信玄公?」

 くるりと視界が回ったのは一瞬のことだった。背の後ろにベッドの敷布がある。見上げるかたちとなった天井との間に、さっきまで背を叩いていた男の顔があって、ああこれ、覆い被さられてるな、と遅れて理解が及びだした。

「いや、笑ったのは悪かったが」

「今でも床を共にしたい、と思っているぞ」

「は、」

 冗談だろ、とは流石に口にできなかった。妙に据わった薄い瞳が僕を見下ろしているからだ。

 この瞳には覚えがある。信玄公と初めて会ったときのこと。なんならどこぞの花街で、僕自身が女たちに向けていたそれ。何よりその瞳が、彼の言は嘘ではないと僕に理解させてくる。

「今でも、……今でも、か。信玄公、それはあの時からずっとかい?」

「ああ。何ならあの頃よりもっと、その赤に惹かれている」

 その言葉を聞いた途端に、腹立たしさに頭を殴られた。

 そんなつもりで、僕と親しくしていたのか。結局欲しいものはそれで、そんなことのために、ただ僕を楽しませていたってことか。

 何より腹立たしかったのは、それが満更でもない自分自身だった。ろくに口説かれてもいない、心だってさして尽くしてもこない、そんな男に女を抱くように押し倒されて、湧くのは嫌悪よりもっと知りたいという好奇心ときた。どこまでもふざけている。

「へえ、そうか。……そうかよ」

 頭が痛くて仕方がない。胃を焼く怒りにめまいがする。もう何も考えたくない。まともに言葉が吐けただけでも御の字だ。余計なことを口走る前に、つとめて感情を排していく。こんな茶番、正気じゃ到底受け止めきれるはずがない。

「ま、いいさ。目当てはこれだろう?好きに触れて、きみの思うがまま抱きたまえよ」

 見せつけるように絡め取った髪紐は、指に巻きついて離れやしない。これ以上信玄公の顔を見る気にはなれなくて、しばらくの間、ただそれを眺めていた。


 サーヴァントともなれば身支度など知れたものだ。魔力で普段通りに服を編み直し、痕を消して、髪さえ結えば元通り。身体のだるさこそあれど、動けぬという程でもない。

 それには信玄公の気遣いも多分にあったのだろう。だったら他にその気を遣えなかったのか、だなんてのは、筋違いな文句だと僕にもわかっている。わかってはいても、信じも許しもできるものではない、というだけで。

「戻る」

「そうか」

 信玄公はドアまでの数歩、ただ後ろについてきていた。見送りのつもりなのだとしたら、随分と手厚いことだ。こういうところに絆されるのだろうなと、まだ見ぬ誰かを哀れに思ってしまう。

 廊下に出てからドアが閉まりきるまで、あと十数秒ある。残りをカウントして、十のタイミングで振り返った。

「次からは直接部屋に呼びつけたまえよ、信玄公。なに、いちいちご機嫌取りなんかしなくても、ちゃんと抱かれに来てやるさ。

 ……まあ、そもそも次を望むのなら、だが」

「は……?は、おい、待___」

 睦言を交わす仲でもなし、誰が待ってやるものか。再度ドアが開く前に、即席のクラックで強制的にロックをかける。SAITAMA以来のなかなかの出来映えに少しばかりの慰めを得て、僕は一切を顧みることなく、自室へと足を向けたのだった。

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