時には昔の話を(閑話・ドレスローザ19)

時には昔の話を(閑話・ドレスローザ19)

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 一年程前のエレジア──。

 城の地下にある蔵書室の中で、本を広げてうんうんと頭痛に悩まされる人影が、二つ。

 片や背の高い、細身の骨。

 片や目立つ髪色の、若い女。

 ブルックとウタであった。

 埃と黴の湿っぽい匂いのする薄暗い部屋で、ウタたちは蝋燭に炎を灯して書を漁る。

 古くなった本の乾いた頁は、ウタの指によく絡みつき、そして捲る度に古書独特の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 探しているのは、“Tot Musica”に関する伝承だった。

 正確に言えば、“Tot Musica”に謳われる“救世主”についての文献。

 『Tot Musica』を編曲《リメイク》するにあたって、歌詞から変えなければならないだろう。さすがに、物騒な言葉が数多く使われているあの歌詞をそのまま使っていては、いくら曲を編纂したところで、“Tot Musica”は“魔王”のままになってしまう。

 しかし、むやみやたらと賛美すればいいというものでもない。それでは編曲とはいえず、ただのオマージュした作品になるだけだ。

 歌詞を変えるならば、やはりそれの本質を突かなければいけない。そのために、今二人は歴史を紐解こうとしているのだ。

 ただ、蔵書されている文献の数は多く、目当ての文献が見つかるまでどれほど時間がかかるのか……。

 ウタは嘆息を禁じ得ない。

 そんなウタの溜め息に、薄めの本に目を落としていたブルックが、徐に顔を上げた。

「おやァ、ウタさん、どうしましたかそんな溜め息吐いて」

 温かなその声に、ウタは「うー」と呻きながら、読了済みの本の重ねられた机に突っ伏した。

「…………飽きた」

 単純明快なその理由に、ブルックはヨホホと笑う。

 なにしろ、もう六時間ほどぶっ通しで蔵書を漁っているのだ。それも、あくまで今日の話。通算すれば軽く五十時間は超えていてもおかしくはない。それほどまでに、文献探しは難航していた。

 徒労感や不安などから、集中力が切れてもおかしくない。

 ブルックが言う。

「猫の手も借りたいと言うのは、まさにこのことですねェ! まあ、私が貸せるのは骨の手だけなんですけど!」

 ブルックが礼のごとく、笑えないスカルジョークを飛ばして言う。

 しかも、最近判明した、彼の体は“魂”によって維持されているため骨同士の着脱は自由、という特性を利用して、自分の肘から先をもぎ取り、その手をウタの方へと振ってくる始末。

 ウタはそんなブルックに、頬を膨らめて言う。

「……ブルックも集中力切れてるんじゃない? ちょっと休憩しようよ。パンケーキ食べたい」

 ブルックは腕を元に戻しながら、再びヨホホと笑った。

「では少し休憩しましょうか。──そうですね、ちょうど今、面白い絵本を見つけたので、読み聞かせしてあげましょう」

 ブルックの提案に、ウタはえー、と口をへの字に曲げて不平を表明する。

「ねえブルック、そりゃわたしはブルックからすれば幼いんだろうけどさ、絵本を読み聞かせてもらうような年齢じゃないよ?」

「まあまあ、いい話ですから。……そうだ、今度子供たちの前でライブする時に、私がBGMを演奏しますから、ウタさんも何か読み聞かせをやってみたらいかがです?」

「……それはちょっと楽しそうだけどさ」

 じゃあその練習ということで、とブルックは有無を言わさずに、その表紙の煤れた絵本を取り上げた。

 そんなに面白い内容だったのだろうか、とウタは首を傾げる。

「むかしむかし──」

 ブルックの低く優しい声が、その本に綴られた物語を語り出す。


 

 

 

 ──昔々ある所に、小さな王国がありました。

 愛と平和と、そして音楽の国。

 争いの絶えないこの世界では、まるで太陽のように輝いて見えるような、そんな国でした。

 そんな国に、双子の姉妹が暮らしていました。

 双子だというのに、あまり似ていません。

 元気で活発な姉と、大人しくて優しい妹。

 濃い髪色の姉に、薄い髪色の妹。

 背の低い姉と、背の高い妹。

 顔立ちは確かに似ていましたが、顔にある黒子の位置も正反対で、一目見た印象では、二人を双子だと思う人は、誰一人としていませんでした。

 そんな二人にも、何よりも似ている点が一つありました。

 歌が好きなこと。

 二人は口をそろえて言います。

「歌っていると、楽しい!」

「歌を聴いている人が喜んでくれて、嬉しい!」

 二人は、歌を歌うのがとても上手でした。

 ただ、その上手さは、やはりまったく違うものでした。

 妹は、よく勉強をしていました。歌を上手に歌う方法だけでなく、音楽に使われる音の一つ一つの意味を勉強して、それに合った歌い方をする、技術の上手さでした。

 一方の姉は、勉強が嫌いで、いつも歌ってばかり。でもそのおかげか、歌詞に使われている言葉一つ一つをよく理解して、感情豊かに歌う、そんな上手さでした。

 二人は齢が十を超える頃には、この国で一、二を争う歌手に成長していました。

「姉の歌はすごい。情景が目に浮かぶようだ」

「妹の歌はすごい。心にすっと入る優しさがある」

 甲乙つけがたかった彼女たちの評価は、ある日を境に一変しました。

 姉が妹に言います。

「私ね、もっと思い通りに歌える力を手に入れたの」

 妹には、その意味がよくわかりませんでした。

 しかし、それからその国一番の歌手は、双子の姉であるという評判が瞬く間に広がりました。

 それもそのはずです。

 彼女の歌を聴くと、“情景が目に浮かぶよう”ではなく、実際に“情景が目に浮かぶ”んですから。

 それは、どんな技術や経験を得ても、手に入れられない力でした。

 優しい妹は、

(姉はどこでそんな力を手に入れたんだろう)

 と思いながらも、姉のことを祝福しました。

 そして妹は歌手の道から離れ、かねてから興味のあった、音楽を作る作曲家として活躍することになったのです。

 

 

 ……それから、五年が経ちました。

 近くの国で、大きな戦争が起きました。

 一つの国同士ではありません。

 多くの国が巻き込まれる、大きくなひどい戦争でした。

 たくさんの人が傷つき、命を落としました。

 以前から争いの絶えない世界に心を痛めていた二人は、すぐに動き出しました。

 そんな人々が、一時でも安らぎを得られるようにと、妹はたくさんの温かい音楽を作りました。

 そんな人々が、少しでも心を癒せるようにと、姉はあちこちへ行って歌を歌いました。

 ある日、姉が妹に言います。

「戦争のあったあの国で、音楽会を開きましょう」

 心と体に深い傷を負い、生活もままならない彼らを救いに行こうと、姉は言ったのです。

 優しい妹が、それを断るはずがありません。

 外の世界の人々を思ってのことではありましたが、それだけが理由ではありませんでした。

 最近の姉の様子が、心配だったのです。

 ──もっと、人を助けなくっちゃ。

 ──人はもっと、みんな幸せになる権利があるのに。

 ──私にはその力があるんだから、もっと人を幸せにしなくっちゃ。

 ──私は選ばれたんだから、その責任を果たさなくっちゃ。

 姉はまるで人を助ける義務があるようなそんな言葉を、よく呟くようになったのです。そして妹は、それを聞いて、心を悩ませていたのでした。

 しかし、決して悪いことをしているわけではありません。

 姉がそれを望むなら、と妹は姉を見守ることしかできませんでした。

 そして、その戦争のあった国へと旅立つその日。

 やはり、この双子はどこか似ていないのでしょう。

 妹は高熱を出してしまい、国から出ることができなくなってしまいました。

「あなたの分まで、しっかり歌ってくるからね」

 姉は妹の頭を撫でて言います。

 行かないで、という、最初で最後の妹のわがままは、誰の耳にも届きませんでした。

 姉は旅立ちます。

 妹の書いた、新しい音楽を抱えて。

 そして──、姉は帰ってきませんでした。

 一か月が経ち、二ヶ月が経っても帰ってきませんでした。

 

 

 ──半年が経った頃、一枚の新聞が妹のもとへ届きました。

 そこに書いてあったのは、とても悲しい内容でした。とても、信じられない内容でした。

 姉は、戦争で傷ついた人たちと一緒に、命を落としたというのです。

 ……それを、妹は十分に覚悟していました。これだけ長く帰ってこないのならば、きっとそういうことなのだろうと、妹も思っていました。

 ですが、新聞に書かれていたのは、それだけではありませんでした。肝心なお話は、それではありませんでした。

 新聞には、「争いの火種はまだ残っているのか」と書かれていました。

 姉が命を落としたというその国で、巨大な怪物が暴れ始めたというのです。

 誰にも、原因はわかりません。

 妹は、それ以来音楽を作るのを辞めてしまいました。大好きだった歌も歌わずに、ただぼんやりと日々を過ごしていました。

 

 

 一年が経ったある日のこと。

 夜中に妹が家で眠っていると、コンコンと窓を叩く音がします。

 目を覚ました妹が窓の外を見ると、そこには箒を持った魔女が立っていました。

 妹が窓を開けると、しわがれ声で魔女が言います。

「姉を助けたくはないかね?」

 妹は頷きました。

「悪魔に魂を売る勇気はあるかね?」

 妹は、もう一度頷きました。

 そうかい、と呟いた魔女が、赤いリンゴを妹に差し出します。

「これをお食べ。あとは、あんたならわかるだろ」

 そう言うと、魔女はふっと夜の暗闇に姿を消してしまいました。

 妹は、手に持ったリンゴをじっと見つめると、やがて、そのリンゴにかじりつきました。

 

 

 翌日、妹は一人で国を出ました。

 姉の為に書いた音楽を抱えて向かうのは、怪物が出たという国です。

 その国は、もう既に滅びていました。

 怪物が、壊してしまったのです。

 隣の国の兵士にお願いして、妹はその国に入りました。

 そこには、国を壊してもなお、周囲を壊し続ける怪物の姿がありました。

 その山ほども大きい怪物は、とても奇妙な姿をしていました。

 楽器を継ぎ接ぎしたような見た目に、帽子まで被っているようです。

 大きな口からは、綺麗な音のようにも、汚い音のようにも聞こえるなき声が聞こえます。

 それは狂ったように、昔は町だった瓦礫の山を、粉々になるまで殴りながらないていました。

 妹は、それを見て膝から崩れ落ちました。

 ごめんね、と呟いて、妹は持ってきた楽譜をびりびりに破いて捨ててしまいました。

 その歌を歌っても、怪物に意味はないと思ったのでしょう。

 妹は近くの小屋へ避難すると、念のために持ってきていた白い紙をつかって、新しい音楽を作りました。

 とても、神々しい音楽でした。

 とても、美しい音楽でした。

 とても、厳かな音楽でした。

 そしてそれはとても、悲しい音楽でした。

 音楽ができると、妹は兵士が止めるのも聞かずに、怪物のもとへ向かいます。

 巨大な怪物が、じっと妹を見下ろしていました。

 妹はそれに恐れることはなく、新しく書いた音楽を堂々と歌います。

 怪物に聴かせるように、一生懸命に歌います。

 一年も歌わなかったせいで、すぐに声が枯れてしまいます。

 それでも、喉から血が出ても、妹は最後まで歌うことをやめませんでした。

 最初は山ほど大きく、町に暗い影を落としていた怪物も、いつしか体を縮め、そして最後には、すっかり姿を消してしまいました。

 歌い終わった後、妹は地面に置いていた新しい楽譜を拾い集めて、それをぎゅっと抱きしめます。

 題名のなかったその楽譜には、誰が書いたのか、気が付けば題名が付けられていました。

「ごめんね」

 ぽたぽたと流れた涙が、地面に染みを作りました。

 ごめんね。

 もう一度、妹が謝ります。

 誰も、その声に応える人は居ませんでした。

 ただ、妹の嗚咽の声が、誰もいなくなった国に響くだけでした──。




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