昼と距離感

昼と距離感


昼放課。校舎の隅にあり、授業や部活で使われることがないからか、人目に付くことがないとある空き教室。

人混みが苦手な僕は放課中等は基本的にこの部屋にいることが多い。ストーカーのようにずっと付き添ったりでもしない限り校舎の中にありながら見つかることは無いだろう立地の悪さ、その割には日当たりがよく、壁が厚いからか外の音なんてほとんど聞こえない。休憩するにはもってこいの場所だ。問題と言えば部屋の大半が物置になっている事だが、それも掘り出し物があるかもと思うと少年心が揺らされる。


この場所を知っているのは僕と、仲のいい友達だけ。所謂仲間たちだけの秘密基地というものだ。


「硝太、いい匂いするよね。香水とかつけてるの?」

「え?」


その仲間たちの中の一人、国民的トップタレント、美少女と言うと100人中100人が彼女の名前をあげるとすら言われる美少女不知火フリルは両手で可愛らしくおにぎりを摘んで食べながら自分──斉藤硝太の隣を陣取っている。


その距離が近い。尋常ではないほど近い。肩なんて触れ合ってしまうのではないかと思うほど近い。近すぎて不知火さんの方を見られないぐらいに近い。なんかめちゃくちゃいい匂いする。不知火さん本人はいい匂いと言っているがそれは自分の匂いではないだろうかと思ってしまう。


「い、いや、別に。フリルさん──フリルの方がいい匂いすると思うけど」


クソ、声まで可愛いとか反則だろ。こっち見てくれるのは嬉しいけど心臓がもたないのでしばらく見ないで欲しい。

そんなことを思いながらいい匂いなのはご自分の匂いでは?と言ってみる。だが、その答えは不知火さん的には求めていた答えのようでくすりと微笑む声が聞こえた。


「ねぇ、いい匂いと感じる相手は遺伝子的に相性がいいって知ってる?」

「え?」

「今お互いにいい匂いって言ったよね?私たち相性いいんだね」


背徳的で、妖艶な言葉が洗脳してくるように魅了をかける。魅了された体は蛇に睨まれたカエルのようにピクリとも動かない。

鼻がフリルの匂いを強く感じる。自然と出てくる汗の匂い、女子高生として背伸びしたのか、それともこれが常識なのかは分からないがつけられた自然な香りの香水。お母さんがつけていたものにそっくり...というかもしかしたら同じものなのではないだろうか。


「あ、いや、それは──」

「付き合おう?もちろん恋人として、ね?」

「ひゃあ!」


首元に吐息と音が重なる。ぞくりと全身を電流が貫き、不思議な感覚と共に麻痺した身体が明後日の方向にぴょんっと跳ねた。その影響で顔が自然と不知火さんの方を向く。そこには食事を終え、明らかに色っぽい目付きになっている不知火さんがいた。

可愛い、と同時にやけにエロい。何かがあったのだろう──とまでは考えられるが何があったのかはよく分からない。彼女の心理的なものが現れているだけ?ならその理由は?

考えれば考えるだけ先程の声が脳に痺れを引き起こす。とんだ麻薬だ。これを毎日聞ける人は余程前世で徳を積んだに違いない。多分世界とか救ってる。


「あっ、可愛い悲鳴。凄く興奮してきた。───そうだ、硝太。ASMR撮ってみない?マイクの耳元に向かって囁くの」

「な、ななななんで!?」


頭の中で反響するように再生されていく不知火さんの声に犯されてる時に突然突拍子もない発言が聞こえたからか、反射的に麻痺したままの声が出る。とても人様に聞かせられたものでは無いがそれが荒療治となって脳の麻痺が自然と治る。


「?私が欲しいから。言い値で買うよ?あ、もちろんフリルって呼んでね。恋人みたいにイチャイチャしたり、ちょっとエッチなの期待することになるけど、練習と思えば問題ないでしょ?今日の帰り、空いてる?」

「空いてる」


こっちはただ声を聞いて普通に話しているだけでめちゃくちゃ恥ずかしくて、頭おかしくなっているというのに、不知火さんは当たり前のように要望を出していく。こっちはプロでは無い。そんな所業できるわけが無い。

──と諦められたら少しは楽だったのだろう。どうやら僕は想定より単純な人間らしい。変な話題であろうと彼女の希望に答えられるのが何より嬉しい。

恐らく、これが別の人間では無い、斎藤硝太のものだからってことも関係しているのだろうが。


「分かった。なら変装して私の事務所まで行こうか。大丈夫。私限定の非売品にするから。ネットとかにも流出させないよ。私の為だけに撮って私だけが聴く。内容も、君と私だけのもの。勿論、私も硝太くん用に撮るから。これで平等ね。どう?」

「むしろ、そんなの貰っていいの?ファンに刺されない?」


不知火さんの言っていることは要するにこのことをふたりの秘密にしようということだ。2人だけが知っている言葉、2人だけが知っている繋がり。心臓の鼓動がまた強くなるのを感じる。痛いぐらいに跳ねる心臓を抑えて小さく呼吸して身体を落ち着かせる。


「大丈夫。これは等価交換ですらないの。私は君の声を聞いて君に抱かれていたいだけだから。それを少しだけ納めてくれればいいの。そもそも、いくらファンとは言っても夫とは対応が変わるのは自然な話でしょ?」

「籍入れてないよ!?」


素早くツッコミしようが、何をしようが、その後なんと言おうがこれは他でもない彼女の要望だ。応えないという選択肢は最初から僕は持ち合わせていない。最初から彼女の隣に立てるような男じゃないとわかっていても見栄は張りたいし、そうじゃないと言う言葉で言い訳して何もしないのはそれこそ最悪だ。


「分かった。君がそれで喜ぶなら、いくらでもやるよ」

「ありがとう。また、秘密が増えたね」

「罪深い秘密だ。お墓に入るまで誰にも話せそうにない」

「じゃあ、私も同じ墓に入れてね」


少し皮肉気味に返すと不知火さんは調子が良さそうに鼻歌交じりで部屋を出ていった。

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