星空に流れた
『いたい?』
『痛くねぇよ』
『…………。』
一番最初あの子に会った時から、多分間違えていたのだ。
檜佐木修兵に対する現在の評価は綺麗に二分している。
裁判上の無罪は確定したが、それでもやはり東仙と通じていたのではという声と、隊長の裏切りにあった三隊の中で唯一、副隊長として一度も乱れることなく職務を全うした全死神の範であるとするモノ。
もちろん九番隊の中の意見は全員一致で後者として纏っており、隊内の空気そのものは復帰した拳西からみても悪いものではない。隊士はみんな心から檜佐木を慕っている。
誰も居ない室内を見回し、拳西は溜息を吐く。よくまあ見事に…。
拳西復帰から僅かの時間で、九番隊の隊首室は見事に様変わりした。東仙好みから拳西好みにだ。
物の配置や置かれている物自体の量などだ。東仙は盲目なこともあってかひとつの室にごちゃごちゃと物を置くことを好まなかったようだが拳西はどちらかといえばひとつのところに纏めておいたほうが何をどこにおいたか解らなくなる心配がないという考え方。
たとえばそんなところの違いを、拳西が指示してそうしてくれと言ったわけではない。修兵が感じ取り、至極自然に変えた。
恐れ入る。白と比べるまでもなく、また身内贔屓の分を綺麗に差し引いてもこれほど優秀な副隊長はそうはいないだろうと思うし、此度の混乱からは九番隊が最も早く立ち直ったと言われている。だが……。
「失礼致します。六車隊長、こちら、書類を…、「修兵」」
「はい?どうされましたか。」
手を伸ばして、触れる。
額から頬に走る傷に。修兵が東仙に貫かれた腹の傷に。そして腹の傷よりも前に、なんの覚悟も決めるより前、東仙を信じ切っていた時に貫かれたという、みぞおちの傷に。
さすがに修兵の息が止まるのがわかった。
「むぐる、「修兵、」
「…、痛いな。」
「―――っ、 いいえ、もう大丈夫です。痛みは無くなっていますから、もう何も感じませんよ」
「俺は、痛い。」
「え、拳せ、」
「東仙に貫かれた傷も、アイツに大切な部下を殺されたことも、アイツを憎む気持ちを消しきれないことも、…それでも、お前をこうして育ててくれたアイツへの感謝が、どうしても無くならなくて、死んだ奴らにどう顔向けしていいか解らなくなりそうなことも、全部だ。……全部、痛くて、苦しい。」
「ごっ、め、なさい!ごめ、っなさい拳西さんっ、俺、拳西さんの傍にいる資格、ないっ、のに…っ!俺が傍に居たら拳西さん、色々思い出してっ、苦しい、のにっ」
「違う。そうじゃない。そうじゃないんだ。」
拳西はゆっくりと首を横に振る。
「お前が言ってくれないと、俺も言えなくなるんだ。東仙のことが、好きなんだって」
「そっ、な嘘、吐かなくていいです。拳西さん。拳西さんにとっては…っ、「仇だよ」
誤魔化すために始めた話ではない。だから嘘は吐かない。
「そうだ。俺にとっては仇だ。アイツも大切な部下だったが…、もう、仇でしかない。でもな…」
「東仙が俺にとっていちばん大事なお前を、こんなに優しく育ててくれたのも事実だ。」
「おれ、は…。東仙さんのことは、」
「痛いな、修兵」
言葉を武装してしまうより先に、会話をいちばんはじめに戻す。
鳩尾に、触れる。
「痛くな、「わけないだろう、だってこれは、」
「東仙に裏切られた九番隊(おれたち)の傷なんだから…。」
「おれ、たち…?」
「そうだ。俺も、白も、笠城も衛島も藤堂も、今の九番隊の奴等も、皆だ」
「みんな…、」
「昔は、お前はかわいくて守られるだけの小さな子供だったのにな。…俺達と同じモノ、背負ってくれるくらい、ほんとに大きくなったな」
「お、れ…、東仙さんに、っ、育て、られたのに…っ、皆と同じなんて、言えな…っ」
「同じだろ。俺のところに居た時の東仙が、信頼できるいい部下だったのも、お前にとって優しい親だったのも、…アイツに裏切られて、憎みたいのに……、こんなにも苦しいのにやっぱり、憎みきれないのも、全部同じなんだぞ、修。」
修、というのは幼い頃修兵が自分をそう呼んでいた呼び方で、それに合わせて拳西も時々そう呼んだし、白は常に修ちゃんと呼んでいた。
「…っ!しゅう、っ、しゅう、ね…、」
「けんせーのきらいなひとでも、やっぱり…、とうせ…さんのこと、すきっ、でっ」
ああと応えながら、震える身体を引きよせて抱きしめてやる。
大きくなった。優しく育った。
それがそのまま、東仙の愛情の証だ。
それが解るからこそ、ここまで愛しんだ者を最も深く傷つけることをした東仙の愚行に、目の前が紅く染まるほどの怒りを覚える。
裏切るならば何故愛した。
人を信じることを恐れていた幼子。
やっと信じられるようになっていたはずなのに、こんなにも壊れかけている。
「でも、俺本当に、東仙さんのっ、こと、憎いって、許せないって、思ってて、」
「だからもう、解んないんです。あの人が死んで、悲しいのに…、苦しいのに、これでよかったって、九番隊の、皆も死んだんだからって……っ」
ちゃんと東仙の死を悲しむことも、喜ぶことももちろん、できていない。
「修兵…」
大きくなった。それでも、怖がりで優しくて泣き虫のままだ。
「頑張ったな。沢山。沢山頑張ってくれたな。ありがとうな。もういい。もう充分だ。俺はここに居る。だからもう、いいんだ、修兵」
昔みたいにまた、泣いても。
「あっ、あ…、で、も…っ」
「痛いことがあったら、隠さないでちゃんと言うのが約束だろ、修」
「う、ぅ、ぁ、っ、んっ、」
最後の悪あがきのように大きく唾と嗚咽を飲み込んだ修兵のそれをあえて突き崩すように、背をポンと叩く。
「うっ、あぁああああぁぁ、っあ、ぁ、ぁ、ああぁぁぁ、ぅぅ、ぁ、っああぁぁ…、け、けんせっ、…っ、けっ、せ、…と、うせ…っさ、けっ、んせぇ、とう…ん…っ」
支離滅裂な大きな泣き声。
これが聞きたかった。
出会ったときからこれができない子だったから。
意味などいっそ無くてもいい。
ただ呼吸をするためだけに、明日を生きるためだけに泣いたっていい
グラリと修兵の身体から力が抜けたのは気を失ったわけじゃない。
そのまま抱き上げてソファーに座る。
「んぅっ、」
一気に泣きすぎて呼吸を乱したのだろう。過呼吸を起こしかけていた。
「大丈夫だ修兵、その苦しいのはすぐ収まる。お前はもう独りじゃない。ゆっくり、そうだな、こうしてると俺の心臓の音、解るだろ?それに合わせて呼吸しろ」
「んっ、」
反射のように返事をして目を閉じた修兵の頬を生理的な苦しさからか感情のものか、そのどちらもか、涙が流れるのを拭ってやる。
そうしてしばらくは拳西の心音を聞いていた修兵はそのまま眠った。
「頑張ったな…」
なんとかギリギリ、壊れる前に間に合った。
壊れてしまえば元に戻すのは至難だと、今、羅武が痛感している。あの子も一時的に預かった身だから気にかからないことはないけれど、己が何もかも守れるほど強くはないことは100年前に痛感している。
拳西にできることはせいぜい修兵一人を護ることくらいなのだろう。
「お前は馬鹿だよ、東仙……」
それだけ、拳西は言った。
1度泣けたからといってそれで片付くほど浅い傷じゃない。とりあえず拳西には隠さなくなるだろうというだけだ。立ち直るには時間がかかる。
そういえば修兵は流れ星を探したことはないと昔言っていた。
お前のやるべきことはきっと、修兵と一緒に星を探すことだったのに―――。