星の娘

星の娘


「今も星は美しいか?」

目元を能力のイトで覆ったままの男は、窓の無い客室で天を仰ぎそう言った。


金、金、金だ。

金さえあれば全てを手にできる。黄金は全てを支配する。

そのはずだった。

「良い夢は見れたか?ギルド・テゾーロ」

オークションから奪い取ったゴルゴルの実は確かにこの手に渡り、そしておれはその悪魔の能力を身に宿した。腐りきった金持ち共が会場でいくら焼けようとも、ステラを失った世界で、それらの事実は何ら意味を持つものではなかった。

全て上手くいくはずだった。

クズ共を唆して混乱を生み出し、目的達成後は一人で撤退する手筈だった。

「しかし…フフ…会場ごと焼いちまうとは」

にやにや笑いの男の前で、体が見えない何者かに押さえつけられたように動かない。

こめかみを冷や汗が伝う。体の底から血が冷えていく。この感覚には、嫌というほど覚えがあった。そして同時におれの知る"それ"が、卑小な末裔共の錆び付いた権能であったことを脳の奥まで思い知らされていた。

「次を探すのも面倒だ。ウチで働かせてやるよ」

天上で畜生のような顔を晒していた連中の、チンケな命令などではない。

現実に姿を得た支配。存在の芯に刻まれた、逃れえぬ隷属。

おれにとってその男は、ドンキホーテ・ドフラミンゴは絶望そのものだった。


地獄の再来の予感はしかし、薄気味の悪い平穏によって裏切られた。

どうやらオークションの元締めであったらしい奴は、まず私に一流の教育を与えた。12で裏社会に飛び込み19で奴隷となり、命からがら逃げ延びてからは再び犯罪に手を染めていた私に学などあろうはずもない。それを知った男は、仕込みからだなと呟き何人もの教育係を付けたのだ。

何のつもりだと問えば、お前を始末して実を探し直すよりも育てる手間の方が少ないのだと答えられた。それすらも、使い物にならぬ暗愚ではないと判断された結果なのだと気付いた頃には、既に己の役割までもが決められていた。

「まずはウチの船を一隻やるよ。元手の金もな」

「…持ち逃げされるとは考えないのか?」

「フッフッフッ!!やらねェさ、お前は!そこまで馬鹿にはなれねえだろう?」

あれこれと知識や教養を詰め込まれていた私には、少なくとも今はまだ従うべきだと判断できる程度の能力がもう備わってしまっていた。課された不自由がこの命を繋ぐなど、なんとも皮肉な話だ。

与えられたのは、凪の海を渡るギガントタートルとカジノ船。

そして、必要なだけの金。

それだけあれば、十分だった。

まずは七武海のツテを利用し、アラバスタのレインディナーズと提携した。当時からクロコダイルは英雄の顔で砂漠の国にのさばっていたが、秘密結社を立ち上げるほどの資金はなかった。外貨をもたらす興業の話ならば、奴にも断る理由はない。

次にドンキホーテ海賊団の傘下から、使える奴隷を買い集めた。絶望が希望に変わる瞬間、人はそこに救いの形を見るものらしい。ショーのために手元に揃えた連中は、まるで神のように私を崇めた。愚かで、哀れなことだ。

金は力だ。私はいつしか、国すらも買えるほどの力を手にしていた。

それは決して、支配そのものにはなり得ないというのに。


「―と、いうわけだ。ご苦労だったな、テゾーロ」

まさに、青天の霹靂だった。

私を支配していたはずの男は、何の前触れもなくその手を放してそうのたまった。

面倒を見るために拾ったわけじゃないと、これからはただの、ヤーナムに税をいくらか納めるだけの一団体としてやっていけばいいのだと。

ガレーラカンパニーに任せていた巨大艦船、グラン・テゾーロが完成した、その日のことだ。

「意味が、意味が分からない」

王下七武海として、加盟国の長としての立場に海軍との強い協力関係。世界政府との繋がりに四皇の不可侵協定。裏も表も動かすこの私の財力に、何よりその身に流れる支配の血。

男の手札は、数え切れぬほどあった。

全てを賭けてコールを仕掛ければ、限りなく奪い尽くせるほどの力を持っていた。

「それほどの力を許されて、なぜ、何もしない」

かつての私は、男が機を見ているのだと考えた。

とんでもない勘違いだ。この男は機など待っていない。何も待ってなどいない。

おぞましい"神"どもの血を引き、一手でこの世界を破壊できるはずの男は、実際には己の街すらも支配してはいなかった。能力に、思想に、役目によって分割された街のシステムは、男がいつ何処で欠けようとも揺るぎはしないものとして作り上げられている。

「何もせずに、いられるんだ」

向かいのソファに腰掛け足を組んだドフラミンゴは、私の問いに癪に障るあの笑い声で返した。そして常の笑みを初めて引っ込め、唐突にこう問いかけてきたのだ。

「今も星は美しいか?」

窓の無い客室で天を仰いだ男の両目は、能力のイトで閉ざされたままだ。

「……星だと?」

「ああ……お前の夜空にまだ、星は見えるか?」

瞼の裏側の世界に生きるその男は、それきり何も語らなかった。


閉じた瞼の裏に、星が瞬いた。

唐突にジャックされた映像電伝虫が映し出したのは、なんの変哲もない海と砂浜の映像だ。だが、流れる歌は非凡という言葉では到底足りないものだった。

目を閉じ、ただ聞き入る。そんな経験は、本当に久しぶりだった。

そういえば私は、歌を歌うのが好きだった。そんな気がする。

名も知らぬ女性の声を、私は追い続けた。彼女は聞いたことのない、おそらく自作の歌もよく歌っていた。波の音だけを伴奏に、いつでもその想いを美しく歌い上げた。

半年が過ぎる頃には、私はすっかりその歌声に夢中になっていた。

ウタという名前らしい彼女は常に笑顔を振りまき人々を勇気づけ、その歌で心に寄り添い励ました。彼女の歌は、世界を動かすだけの力を持っていた。

その姿が映るようになってからというもの、私は必死に彼女を探した。後ろ暗い連中にも金をバラ撒き、偉大なる航路から四つの海の片田舎まで情報を手当たり次第に集めた。

だが彼女は、夢幻のように手の届かない存在だった。世界の流通通貨の二割を占める私の財力を以てしても、その影すら踏めぬまま年月が過ぎていく。

金さえあれば全てを手にできる。

なんと、馬鹿馬鹿しい言葉だ。


「はじめまして、ウタです!あなたがテゾーロさん?」

「……ウタ?」

「これからよろしくね!」

音貝に記録し幾度も聴いたその声の主は、夢のように私の前に姿を現した。

「聖歌隊でのお仕事もあるからずっとここには居られないけど、ヤーナムに寄港してる時にはステージに立たせてもらえると嬉しいな」

なんにせよ、表向きは"世界征服を目論む悪の能力者に初ライブを利用された"ことになっているらしい彼女は、新たな活躍の場にこのグラン・テゾーロを選んだのだと笑顔を見せた。

「狩長さんはもう少しこっちに来て欲しかったみたいなんだけど、シュガーが怒って喧嘩みたいになっちゃって。シャンクスは送別会で飲み過ぎて潰れちゃってるし」

シュガーとは、ただの孤児院の職員ではなかったろうか。そして"あの"赤髪が彼女の為に送別会を開くというのは、つまりそういうことではないだろうか。明らかに内部情報に分類される内容を世間話のごとく喋った彼女に、バカラの顔が引き攣った。

話を聞くに、赤髪は彼女の義理の父にあたる存在であるようだった。

夢の中に囚われていた彼女を救い出し、ほとんどその足でヤーナムに立ち寄り、そしてまた立ち去った男。娘を取り戻せたというのに、薄情なものだ。

「違うよ!赤髪海賊団の船に乗ったままじゃ、皆に歌を届けられないから」

「なら彼らが留まれば良いだけだろう。君はそれでいいのか?」

「…うん。だって私、本当に嬉しかったから」

紅白に彩られた夜空の瞳が、私を映して細められた。

「だから今、心から幸せだって言えるんだ」

テゾーロさんにも私の歌で、少しだけでもおすそ分けできたらいいな。

それは歌を心から愛し信じる、噓偽りない彼女の本心だった。


「ありがとう…あなたの気持ちが、何より嬉しかった」

ああ、そうか彼女は。

「私は心から、幸せだった」


瞼の奥で、あの日のステラは確かに微笑んでいた。





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