明日語り

明日語り



日頃はどこにも生徒が散らばっているドームだが冬期休暇とあっては人影は殆どない。

テラリウムドームはモチーフとした土地の実際の気候を反映しているためこの時期はキャニオンエリアもかなり寒かったが、アローラの気候を再現したコーストエリアは流石に暖かいようだった。

例年のゼイユに倣うのであればスグリはまだキタカミにいるはずだったが、つい最近も休学でキタカミに戻っていた事や学業の遅れもあり、彼は一足早く休暇を切り上げ学園に戻ってきていた。



補講で与えられたアローラリージョンと通常フォームの比較という課題は一時期バトルの強さだけでポケモンを見ていた身としては興味深く、忘れていた事を思い出させてくれる内容だ。

後はナッシーを観察すれば終わりだが、かつて見かけた覚えのある場所を見渡してみても彼らの姿はない。


(山に登ったのかも知れねえ)


そう思って山岳の方を向いたスグリの眼を夕日が眩ませた。

人工の陽は既に傾きかけている。思えば足元の影も長い。

今から山に入ったとして、目当てのポケモンを見つける頃にはもう日は沈んでいるかもしれなかった。

少し考え込んだ後、スグリは山岳に背を向けて歩き出す。

テラリウムドームは安全に作られているし、そうでなくとも自分は夜の山くらいなんてことない…という自負はあったが、そうやって力に任せていった結果いつか違う場所に出てしまう事が嫌だった。


波の音が絶えず響き、砂浜を歩く音をかき消す。

足元の影は常にスグリの先を歩いて主人を追いつかせなかった。

それがなんだが面白くて、スグリは砂を蹴りながら浜辺をぐるりと回るように歩きまわる。

やがて、影は何かに気づいたように足を止めた。


浜辺のキューブ上の座席に小さく寝息を立てている姿があった。

切りそろえられた桃色の髪に、輝く石の髪飾り。腕の中ではエルフーンが同じく眠っていた。

少女に声をかけようとしてスグリは一瞬思いとどまる。

何しろ姉であればやれ「もっと早く起こせ」だの逆に「もっと寝かせておけ」だのと怒り出しかねないシチュエーションだ。

ひょっとしたら寝起きはみんな怒り出すものなのではないだろうか?であれば放っておく方が…。

バカな考えに苦笑しながらスグリは眠る姿に手を伸ばした。


「タロ」


カーディガンを纏った肩をそっと揺する。

日を浴びていたからか、その身体は暖かかった。


「ん…」


金色の目が薄く開く。

幸い彼女の寝起きは穏やかなようだった。


「こんなところで寝てたら風邪さひいちまうぞ」


「あれ、可愛い…」


とろんとした眼がスグリを見て、それから見開かれた。


「あっ違う!もうこんな時間!」



二つの影が二人の帰路を先導する。

波の音は既に遠く、砂を踏みしめる音も聞き分けられた。


「この時期はね、穴場なの」


歩きながらタロは指を立てて説明した。


「…って言っても、私も去年先輩に聞いたんだけどね。

 冬期休暇は皆家に帰るから早めに戻ってくると殆ど誰もいなくて、

 コーストエリアのきれいな浜辺を独り占めにできるって。

 それで早めに帰ってきたんだけど、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。

 …起こしてくれてありがとう」


「ああ、気付けて良かった」


笑うスグリの顔をタロは覗き込んだ。

彼女の方が幾分か背が高いので、スグリが彼女の方を見返すには少し上を向く必要がある。

彼女はどうしてか随分と嬉しそうな顔をしていた。


「そういえば、スグリくんはどうして早くに戻ってきたの?」


夕日を浴びて金色の瞳はきらきらと輝いている。


「キタカミには休学で帰ったばっかだったからな。

 それにその間遅れちまったぶん取り戻さねえと」


「あー、なるほどね」


「今日も補講でアローラのポケモンさ探してたんだ」


スグリは彼女に勉強を見てもらうという約束をしていた事を思い出す。

以前一度座学を教わった時、彼女は随分わかりやすく説明してくれた。


「ナッシーだけまだ見つかってねえんだよな、浜の方探したんだけんど…」


「山の方にいるのかもね。

 ナッシーは歩く熱帯雨林って言われてて…」


澄まして言った後、タロは”しまった”と言うように口に手を当てる。


「ん、おれもそう思った」


スグリは笑いながら答える。

タロが何を失敗だと思ったのかスグリにはわかっていた。


「でも明日にする。

 夜の山はあぶねえから」


「うん」


タロは驚いたような顔をして、それから笑った。


「それがいいと思うな」


砂浜はやがて終わり、草が茂りはじめていた。


「スグリくんがこの時間から山に行くって言い出したらどうしようって心配しちゃった」


「まあ行こうかとは思ったな…昔なら行ってたと思う。

 キタカミの山に比べりゃどってことねえし、おれのポケモンは強え。

 まあでもそういうのって、」


スグリ人差し指同士を交差させ小さくバツ印を作って照れくさそうに笑う。


「”よくない”べ?

 なんかあるかもしんねえし、誰にも連絡―――」


「っ…ちょ、ちょっと待ってください!」


スグリの言葉は最後まで続かなかった。

影の片割れが突然飛び上がり自分自身の身を抱いて悶える。


「きゃー!今の!今のそれ!可愛すぎますよ!写真撮らせて!」



「…いやー、すみませんでした、つい…」


エアームドタクシーのゴンドラに揺られながらタロは申し訳なさそうに笑った。


「いや…別に気にしてねえ、もう慣れたし…」


「面目ありません…先輩なのに…」


タロは目を伏せてむむむと唸り、それから思い出したように顔を上げる。


「スグリくん。

 もしよかったら明日一緒に山の方に行かない?

 私、コーストエリアは詳しいし手伝えるよ」


「え、いや、」


別にこんな事を手伝ってもらわなくても、と言いかけてスグリは言いよどんだ。

確かに他のポケモンたちでは苦労したから助かるのは間違いないし、行為をとりあえず遠ざけてしまうのは悪い癖だ。

しかし手を借りなくてもなんとかなりはするだろうし、何よりタロにはせっかくの休みのはずだった。


「いや…ありがたいけど、でもいいのか?

 折角早く帰ってきたのに」


「可愛い後輩のためですから。

 それに気づいたんだけど、コーストエリアの見どころって海だけじゃないもの

 色々行かなきゃもったいないって自分で思ったの。

 だから」


だから迷惑なんかじゃないよ、と続くことがスグリにはわかっていた。


「わかった、それじゃあお願いするべ」


「うん、任せて!」


タロは胸の前で手を握って楽しそうに笑っていた。

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