明るい日差しの中で

明るい日差しの中で

一二一


その人物が、ポーラータング号に現れたのは今から一ヶ月も前のことだった。

何の前触れもなく潜水中の艦内に現れたその男はあまりにも酷い状態だった。

怪我をしてない箇所はないのではないかと思うほどに全身に傷を負い、まともに治療を受けた痕すらなかった。右腕がないというのも目を惹いたが、何よりその容姿がキャプテンであるトラファルガー・ローとそっくりだったというのが皆を混乱させた。

抱き上げた時の異常な軽さと、意識のない身体があまりに冷たくて、まるで死人のようだったことを覚えている。すぐに医務室に運び込み、すぐさまローがオペを施したのだが、それでも彼は一向に目を覚ます気配がなかった。

そうして二週間以上が経過して目覚めた男は、まるで人形のようにぼんやりと虚空を見つめ続けて話すこともできない有様だった。表情も変わらず、痛みに反応する様子もない。

身体だけではなく、心が深く傷ついているのだと誰もが察した。


天竜人の奴隷だった事のあるジャンバールは男の様子を見てポツリと呟いた事があった。

「聖地には、あんな風になっちまった奴隷は数えきれない程いた」と。

その言葉に改めて男がどのような扱いをされていたのかを想像して皆が胸を痛めた。

男には天翔ける竜の蹄の刺青はなかったので天竜人の奴隷ではなかったようだが、似たような扱いをされていたのは間違いなかった。


ローは外科医だ。身体の傷は治せても心の傷までは癒せない。だからと言ってこのまま放っておくことは出来なかった。一度治すと決めた以上、怪我が治り切っていない状態で放り出すなど医者として許せるはずもなかった。

そうして正体不明のその男はハートの海賊団の元で療養することになったのだ。


しかしクルー達がいくらどんな言葉をかけても無反応で、何もかもに関心を失っているように見えた。

それでもきっといつかは話せるようになる筈だと信じて声をかけ続けたりと世話を続けたりしているうちに、少しずつ変化が現れた。

まず、誰かが視界に通るたびに目で追うようになった。その視線はすぐに外されるが、やがて見失った事に気づくと探すようにキョロキョロするようになった。

それから、何かに興味を示すようになり、食べ物や飲み物を自分から欲しがるようになった。

ある日、日向ぼっこをさせてやりたいと思い甲板に連れて行ってみると、日差しの中で気持ちよさそうにしている姿を見た時は感動すら覚えたものだ。

徐々に人間らしくなっていく男の様子が嬉しくて、クルー達は甲斐甲斐しく世話をした。


今日の担当はシャチだった。

その日も、男に日向ぼっこをさせるために甲板へとリクライニングチェアを出した。

車椅子から移動させてやると男は気持ちよさそうに伸びをした。男は船長であるローと同じ顔をしているが、髭ともみあげがないせいかローよりも幼い印象を受ける。それが余計に庇護欲のようなものを刺激してくるのだろう。

キャプテンを慕っているクルー達はそっくりのこの男に対してどこか過保護になりがちであった。

「今日もいい天気ですね〜昨日までは雨降ってたみたいですけど、晴れてよかった」

「……………」

男は相変わらず黙ったままだったが、特に嫌そうな感じではなかった。それどころか、いつもの無表情が少しだけ笑ったような気がした。

「えっ今笑いました?」

「………」

思わずシャチが尋ねると男はゆっくりと瞬きをした。シャチの言葉に反応している。

「やっぱりそうだ!」

嬉しさがこみ上げてきてシャチの顔にも自然と笑顔が浮かんだ。やっと、数週間かかってやっと言葉に反応してくれたのだ。嬉しくないわけがない。

「おーい、どうしたんだシャチー?」

その様子を見ていた、船の清掃中だったクリオネが尋ねた。

「いや聞いてくれよ!ようやくこの人がおれの言葉に反応してくれたんだよ!」

「本当か!?」

シャチの言葉に思わずガタッと立ち上がるクリオネ。

その時大きな突風が吹いた。不安定な足場に立っていたクリオネはバランスを崩した。シャチは咄嗟に駆け出すが、クリオネが海に落ちるのは避けられないだろうと思った瞬間、それは起こった。


「……“るーむ”」

見覚えのある青いサークルが一瞬で広がった。そして海に落ちかけていたクリオネと、男の近くに置いてあった机代わりの樽が入れ替わる。何が起こったか、一瞬理解出来なかった。

「今のは、キャプテンの…」

咄嗟に周りを見回すが、この場にいたのは三人だけだ。

シャチとクリオネと、そして───。

「くり…おね……よか、った」

横になっていたチェアから身を乗り出すようにして、男はクリオネを見ていた。

彼の声を初めて聞いた。酷く掠れてはいたが、ちゃんと意味を持った単語を話している。

やはりというべきか、声はローにとてもよく似ていた。いや似ているどころではない。今しがた使った能力といい、ローそのものだった。

「けが、ないか……?」

「怪我なんて、ない…です。あんたのお陰だ。…………その、キャプテン?」

思わずそう呼び掛ければ、男は───”もう一人のロー“は、寂しげに笑った。



そこからがもう大変だった。

喋れるようになった“ロー”に対して、思わず泣き出す者がいたり、ローと同じ能力を使える事に疑問を持つ者がいたりでてんやわんやの大騒ぎ。

「お前らいい加減落ち着け!!こいつはまだ完全に回復した訳じゃねェ。騒ぐのは後にしろ」

そんな騒ぎを鎮めたのはキャプテンであるローの一喝だった。


“ロー”は、その様子をまるで眩しいものを見るかのような眼差しで見ていた。

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