旦に願いを込めて
自身を襲う絶望の激流から身を守るように、スレッタは外界の刺激から目を逸らして心を閉ざす。鈍い反応はある種の逃げだと捉えることもできるだろう。だけれど。
"逃げれば一つ"
逃げてしまっても得られるものはある。俺はそれを身をもって知っている。
この言葉を生み出したのは彼女からすべてを奪ったかの魔女であることはなんとも皮肉だが。
スレッタに教えられたその言葉に、己は確かに救われたのだから。
現実から目を逸らす"逃げ"で彼女の心が守られるならば、その選択はきっと正しい。
――――――
あの日から随分と長い月日が流れ、まもなく新しい年が始まろうという頃、とある噂を耳にした。『新年1日目の夜明けは見届けるといい事がある』らしい。
普段なら与太だと気にも留めない話だが妙に頭から離れない。ものは試しと願掛け気分で実行に移すことにした。日の光を浴びるだけならスレッタの負担にもならないだろう。
日付が変わる瞬間は事務的な挨拶を交わすだけで終わった。
「0時を回ったな」
「そうですね」
「あけましておめでとう」
「はい、おめでとうございます」
互いに真顔でめでたさなど欠片もない会話。それでも相槌を打たれるだけで終わらなかったことにホッとした。
日の出までの数時間は仮眠で埋める。ベッドに誘導して、そういう意味で迫ってくるスレッタをなだめ寝かしつける手腕は誰にも負けない自負がある。すうすうと寝息を立てたのを確認したら、アラームをセットして俺自身も目を閉じた。
――ピピピピ
電子音で浅い眠りから目を覚ます。腕の中のスレッタはまだ夢の中だ。少しの罪悪感を抱えながら肩を揺すって覚醒を促す。
「起きろ、スレッタ」
「ん〜、にゃんれす……か……?」
「おはよう、見せたいものがあるんだ」
半覚醒状態のスレッタを抱きかかえて運ぶ。窓の前に椅子をおいてカーテンを開いた。俺は椅子に座って、膝の上にスレッタを座らせた。もうすぐ日が昇る。
特別な演出があるわけではない、いつもと同じただの太陽光の投影。しかしどこか清々しい気分になるのは、そうあってほしいと俺が願っているからか。
そっと視線をスレッタに移す。人類が宇宙(そら)に上がっても身体の作りはそう簡単に変わらない。人間は日の光を浴びれば目が覚めるようにできている。例に漏れずスレッタも目をぱっちりと開けていた。その目は潤んでいて、つぅと一筋の涙が零れ落ちる。指で涙を拭ってやる俺の顔はきっと動揺の色を隠せていない。
「自分でも、よく、わからないんです」
「なぜだか、涙が、止まらなくて」
「悲しいわけでも、苦しいわけでもありません」
「だから大丈夫なんです。きっと」
たまらなくなってスレッタをギュッと抱きしめた。スレッタは俺の背に手を回し、大丈夫、大丈夫とあやすように優しく俺を撫でさすった。こうして俺たちはしばらく抱き合って互いの肩を涙で濡らした。