旅は道連れ Another
きのみを齧りながら、どうにかサンジに水だけでも飲ませてやれないかと考えていたら。
がさり、と茂みから黒々とした影が飛び出してきた。
ヴルルル、と唸り声をあげる巨体ーーー野生の熊の、その視線はきのみを持つおれの手に向けられている、気がする。
熊の視線に気がついたのだろう。
サンジの顔色が仮面越しにでも分かるほどに悪くなる。
「ーーーゾロくん」
「おれがきのみを置いたら、ゆっくり下がるぞ。先生は熊に背中を見せるなって言ってたから、前を見たまんまだ。」
そう小声で会話して、おれはきのみをゆっくり手放した。
同時に空いた、竹刀を持つ手とは逆の手でサンジの手を掴む。
先程まで食べていたきのみの汁がついた、決してきれいとは言えないこの手を握り返すソレを、絶対離してやるもんかと誓った。
***
じり、じゃり、と。
亀の歩みより遅く、砂利と土を削るように足を擦り歩く。
少しでも地から離れたら、きっと恐怖から走り出してしまうだろうと理性が叫ぶ。
(なさけ、ねぇ。)
世界一の大剣豪になると決めているのに。
こんな熊如きに震える自分が情け無い。
ちらり、とこちらを見たサンジの視線に気がつかないふりをして、竹刀をそっと握りしめた。
ーーー瞬間。
ぐわり、と。
前方の熊が先程の何倍の大きさに膨らむ。
…否、膨らんだように見える速さで、熊が飛びかかってくる。
(しまった!)
どうやら竹刀を握る動きを敵対行動だと思われたらしい。
どうにかサンジだけは庇いたいのに、身体が動かない。
熊が横殴りに手を振りかぶる。
ふわり、場違いなほどの優しさで片手が軽くなる。
ガァン、と固い音が響いた。
***
おれより少し小柄な身体が真横に吹っ飛んだ。
「サンジ!」
叫び声にも、その体は反応しない。
真っ黒な鉄仮面の隙間から、どろりと赤が覗く。
「!」
カッと目の前がひかる。
何かを叫びたいのに、カラカラに乾いた喉はなんにも言ってくれない。
もうだめだ、そう諦めかけた思った瞬間、銀色の何かが視界の端で煌めいた。
***
柔らかい布の感覚で目が覚めた。
勢いよく飛び起きれば、真横にサンジが同じように眠っている。
どうやって助かったのかは分からないけれど、どうやらおれたちは生きているらしい。
ふぅぅぅ、と身体ぜんぶを空っぽにするくらいの気持ちで息をはく。
そのとき、ガラリと開いた戸から2人の男が顔を出した。
そのうち、白衣を纏う男がおれに駆け寄ってくる。
トニィと名乗る彼はどうやら医者らしく、薬草探しの為用心棒がわりの同居人と共に森に入ったところで熊に襲われるおれたちを見つけたらしい。
目が覚めたおれを見て心底安心したような笑みを浮かべるトニィに警戒心が削がれる。
「ーーーオイ。」
ぽつりぽつりと事情をおおかた話し終えたおれとトニィの間に無機質な音が割り込んでくる。
「コイツの仮面、俺が壊したらぁ。」
ニヤリと口角を上げる用心棒ーーーコウタロウと名乗った男の手には、一振りの刀が握られていた。
***
サンジに向けて刀を振り上げた男に「オイ!」と叫ぶが、トニィに止められた。
「だいじょうぶだよ、ゾロくん。」
あいつ、態度は悪いけど刀の腕だけは一流だから。と。
信頼に満ちた彼の目に、思わず言葉が詰まる。
静かにコウタロウを見れば、無骨な腕からは想像できないほど繊細に、滑らかに。
鋼鉄の刃が鋼を切り落とす。
どれだけ力任せに引いても外れなかったサンジの仮面は、まるで野菜の皮みたいに、刃に沿ってするりと剥けた。
***
重たい前髪を捲ったトニィが、サンジの頭に包帯を巻いていく。
ふと覗いたサンジの眉毛がくるり、くるりと巻いていることも、鉄仮面に隠れていた頭は満月みたいな色をしていることも、はじめて知った。
そして―――世界には、俺が知らない強い奴が、まだまだいることも、はじめて知った。
(強く、なりてぇ。)
サンジやくいな、先生。
大切なものを救えるくらい、強くなりたい。
治療が終わり、すやすやと眠るサンジになんとなしに手を伸ばす。
サンジには聞きたいことも、言いたいこともいっぱいあるけれど。
今はただ。
仮面に隠れていた眉毛でもきらきらの金髪でもなくて。
仮面越しでも見えていた青空みたいな目を、少しでも早く見たいと思った。
#旅は道連れ きみは空