新年のおみくじ
「すごい人だねぇ、“お正月”って感じ! 浮足立つ気持ちになっちゃうなぁ」
「そうなんだ」
人で賑わう境内は正月ムードに浮かれた参拝客で溢れかえっていた。
初詣の人混みの中、璃鷹にされるがままに手を引かれて歩きながら、カワキは興味なさげな目で周囲を見渡して適当な相槌を打つ。
黒地に赤い花手毬が咲き誇る振り袖は、カワキの黒髪によく映えた。冷淡な面持ちと緩やかに流した黒髪に、赤の襟巻は可憐さよりも凛とした印象を演出している。
カワキの手を引いて誘導するように少し先を歩く璃鷹は、愛らしい薄桃色の布地に華やかな桜が舞う振り袖姿だ。ふわふわと柔らかに揺れる水色の髪を飾る白のリボンが、一層その可愛らしさを強調して人目を惹いた。
人でごった返した境内で、各々、自由な方向に歩き回る人の洪水の中を、すいすいと泳ぐように進んでいた璃鷹が、カワキを軽く振り返る。
器用に人を避けながら、璃鷹はぼんやりと周囲を眺めるカワキに首を傾げた。
「あれ? あんまりピンと来てない?」
「……あまり、こういうことには馴染みがないから」
「あっ! カワキちゃん、外国育ちだもんね。もしかして……日本のお正月ってこれがはじめて?」
「そうだね。この服も……今日、初めて身につけた」
「そっかぁ、カワキちゃんの“はじめてのお正月”を一緒に楽しめるなんて、何だか嬉しいな」
歩調を緩めて、カワキの隣に並んで歩き出した璃鷹は琥珀色の瞳を柔らかく細めて微笑んだ。
冬の空気で薄紅色に染まった頬、親しみに満ちた璃鷹の笑顔は、同性でも見惚れるほど愛らしいものだったが、カワキは怪訝そうに璃鷹を見つめ返すばかりだった。
言葉も、表情も、振る舞いも。何もかもが“人懐っこく優しい友人”と表現して然るべきものだが……それが、カワキにはどうにも台本になぞらえたものに見えて、琥珀の奥を覗き込むようにじっと見据える。
真っ直ぐ自分を見つめる蒼い瞳に、璃鷹は心の内を見透かされそうな心地がして、パチリとまたたきをした。溌剌とした笑顔を作ると、カワキの手を強く引っ張る。
いきなりの行動だが、カワキはよろめくことなく足を踏み出した。璃鷹はカワキと向かい合う位置に来て足を止める。
話しながら歩いている内に、二人は境内の中心近くまで来ていたようだ。
少し開けたその場所で、璃鷹は袖を持ち上げて控えめにクルリと回って見せた。
微笑みながら伏せられた琥珀色の視線が身を包む華やかな衣装に落とされる。
「この服はね、“振り袖”って言うんだよ。日本じゃ初詣とか成人式とか、おめでたい日に着るもので……って、私も詳しい歴史や由来までは知らないんだけどね」
振り袖を「この服」と言ったカワキへと解説するように語った璃鷹は、肩を竦めて苦笑しながらそう付け加えた。
帰国子女の友人に日本文化について紹介する様子は、どこも不審な点はない。気のせいか……? と、先刻の違和感を心の内に留めてカワキは璃鷹との会話に応じた。
「へえ……私の振り袖は父に贈られたものなんだ。今朝、『友人と初詣に行って来るように』と書かれた手紙と一緒に届いた」
「振り袖一式!? わぁ……いつ聞いてもすごい溺愛っぷり。でも……良いお父さんだね」
「ああ。……尊敬する父だよ」
いつもの無表情で、持ち上げた襟巻の端を指先で弄りながら呟いたカワキ。不器用な照れ隠しだと感じて璃鷹はクスリと頬を緩める。
カワキの養父だというその人の、娘への愛情の深さを感じ取って、璃鷹はますますカワキへの好意が増した。
会ったこともない相手だが、カワキの父が娘を溺愛していることはよくわかる。
もしもカワキの身に何かが起こった時、その人はどんな顔をするのだろう——それを考えると、璃鷹は心が躍るようだった。
「……鳶栖さん?」
「あっ……ごめんね。ちょっと考え事してボーッとしちゃった。ほら、カワキちゃんがそんな風に言うなんて滅多にないから、どんな人なのかなぁ……と思って」
「……機会があれば鳶栖さんにも紹介するよ」
「本当? ありがとう、カワキちゃん! 楽しみにしてるね!」
胸の前で両手の指先を合わせて、満面の笑みを浮かべた璃鷹に、カワキは無愛想に頷きを返した。
カワキの世間話のレパートリーは皆無と言っても過言ではない。口数が多い方ではなく、沈黙を苦と感じる感性もないカワキが相手では、璃鷹から話を振らなければ、会話はあっさりと途切れてしまう。
璃鷹もカワキと同様に、沈黙を気まずく感じる気性ではないが……せっかくの機会だ。カワキからの印象を良くするために、もう少し会話を続けたい。
あっ! と、何かを思い出したように声をあげて、璃鷹は先刻の続きのように日本文化の紹介に話を戻した。
桜模様が華やかな振り袖から綺麗に折り畳まれた細長い紙を取り出して、カワキに見せる。
「ほら、これ。さっき、一護達と一緒に皆でおみくじを引いたでしょ?」
「ああ……この紙のこと?」
「わっ! せっかくの大吉がくしゃくしゃになってる……まあ、この人混みだし仕方ないよね」
黒檀の振り袖の隙間から、折り目だらけになったおみくじを取り出したカワキに、璃鷹はシュンと眉を下げて苦笑した。
璃鷹はカワキのおみくじの惨状を、この人混みに揉まれてのことだ、と思っているようだが……これは単にカワキがおみくじを仕舞う際に握り潰しただけだ。
おみくじには「大吉」の文字の下に今年の運勢があれこれと書き連ねられていた。だが、所詮は迷信。縋る先が欲しい者が、書かれた内容を都合良く解釈して一喜一憂するだけのお遊びだ。
本物の“預言者”など、カワキは父の他に知らない。
せっかくの「大吉」も、カワキにとっては適当な文言が綴られた、ただの紙切れでしかなかった。後でゴミ箱に捨てるつもりで、適当に握り潰して仕舞っていたのだ。
わざわざ璃鷹の勘違いを訂正する必要を感じなかったカワキがそれを明かすことはなく、おみくじの話は続いていく。
「おみくじってね、良くない結果が出た時は神社にある木の枝に結んで帰るの。大凶とか凶を引いちゃった人は、頑張って高いところに結んだりね」
「どうして?」
「えぇと……」
純粋に不思議そうに首を傾げたカワキの問いかけに、璃鷹は頭を悩ませた様子で首を横に振った。
「理由は……何だろ? あんまり気にしたことなかったから、私もわからないなぁ。こういうのって意外と由来を知らないままやってることが多いよね」
「要するに、単なる迷信だろう」
「まあ、まあ! そう言わないで。カワキちゃんのおみくじは大吉だけど、せっかくだし結んで行こうよ! そこにおみくじを結ぶ木があるからさ! ね!」
そう言って差し出された手を、カワキはじっと見つめる。これは先刻と同様、手を繋ごうという意味だろうか。
必要性は感じなかったが、同時に、抗う理由も特になかった。片手が塞がっていても戦う方法はいくらでもある。問答になるのも面倒で、カワキは差し出された璃鷹の手に指先をかけた。
柔らかな手がカワキの手を握り返して、逆の手が、白い紙がいくつも結ばれた木を指差して示す。
「さ! 行こう!」
「ああ」
「ねえ、どうせなら、うんと高いところに結ばない? 後で合流した一護達のこと、びっくりさせようよ!」
「一度結んだら、もう他人の目に見分けはつかないと思うけれど」
「良いの良いの。カワキちゃんのはじめての初詣の思い出にもなるでしょ?」
手を引いて前を歩きながら、カワキの方を振り返った璃鷹の横顔を、眩しい朝日が照らし出す。
笑顔の璃鷹が言った言葉に「友人と初詣に行ってこい」という父の言いつけを思い出して、カワキは少し目を伏せて考えた。
「……たしかに、報告には必要になるかもしれないな」
小さく呟いたカワキが手を引かれて今度は璃鷹の隣に歩み出る。赤い襟巻に顎の先を埋めて、カワキは上目遣いで璃鷹の横顔を見上げた。
「参考になった。ありがとう、鳶栖さん」
「……? ……よくわからないけど……、どういたしまして、カワキちゃん」
きょとんとした表情で、璃鷹がカワキのお礼に返事を返す。
美しく着飾った振り袖姿の少女達は、手を繋いで初詣に賑わう境内を進んだ。