新入隊士:石川信三郎の話

 新入隊士:石川信三郎の話


 文久三年、十月。


「はぁ…」

 

 新選組隊士────になったばかりの彼、石川信三郎は心の底から落ち込んでいた。

 石川は当年とって二十三歳。十歳の頃より剣の修業に打ち込み、新陰流の目録を授かっている一端の剣士である。

 故に腕には多少の自信はある…いや。

 自信は「あった」のだ。つい先程までは。

 入隊の際に行われた立ち合い。それが石川の持っていたささやかな自信を打ち砕いた。

 新選組幹部である、沖田総司との立ち合い。

 あっという間、という言葉すら生ぬるい。

 始まると同時に沖田の姿が消え、衝撃を受けたと思ったら石川は地面に倒れていた。

 面を打たれて倒されたのだと気付いたのは、頭の痛みがやってきてからだった。

 何をされたかも分からない内に打たれ、叩き伏せられていた。

 あれが真剣なら気付かない内にあの世行きだった。

 そして石川にそれを味あわせた少女は、疲れるどころか特に何も感じていない様子だったのだ。

 立ち合う、という言葉すらおこがましい。

 一瞬で打たれた、というだけのそれが頭の中から離れず、ため息ばかりが出てくる。

 本当に自分はやっていけるのだろうか。そんな弱気さえ出てくる。

 そしてその弱気に押しつぶされ、屯所の庭に座り込んだまま石川は動けずにいた。


「よお、お疲れさん」


 不意にかけられた声に、石川は顔を上げる。そこにいたのは────


「あっ…な、永倉先生!」

「先生はいい。なんかこっ恥ずかしいからな…沖田は無邪気に喜んでたけどよ」


 入隊希望者の立ち合いの相手を務めていた幹部の一人、永倉新八。

 沖田が自分を含む目録持ち三人を瞬時に打ち倒してからは、大半の連中が永倉の方に相手をしてもらっていた。

 だが結果は何も変わらない。誰も彼も永倉には勝てなかったのだ。


 ─────いや、一つだけ違った。


 沖田を相手にした者は皆は一瞬で打たれ、地面に倒れて終わりだった。

 だが永倉の方は違う。負けは負けだが、何故負けたのか。何処を打たれたのか。何をされたのかが分かった。

 まだ「人間」を相手したと言える結果だった。

 この人は自分と同じ人間なのだと言える。そういう内容だった。

 沖田の方は────


「沖田のことは気にすんな。あれは別格だからよ」


 石川の考えていることを見透かしたかのように、永倉が苦笑しながらそんなことを言ってくる。

 あるいは永倉も沖田と初めて立ち合った時、同じようなことを思ったのかも知れない。


「俺も藤堂も、土方さんも山南さんも沖田にかかっちゃ形無しさ。まともにやりあえるのは斎藤ぐらいのもんだ」

「斎藤先生は、そんなに凄いのですか…!」

「ま、その斎藤も『出来ればやりたくない』って言ってるぐらいだぜ?沖田に負けたことと、その内容なんざ気にするこたぁない」


 あれは剣に関しちゃ化物だ、と笑いながら永倉は言う。

 そのとおりだと石川も思う。

 あれは人の形をしているが。

 可憐な少女のような見た目だが。


 中身は紛れもなく、剣の怪物だ。


「沖田に勝てんのは『あの人』ぐらいのもんだ」

「か、勝てっ…!?そんな人が!?」

「ん?おお、いるぜ。近藤さんとは別の沖田の師匠がよ。今は大阪に行ってて留守だけどな」

「…そ、その人と永倉先生を比べたら?」

「比べんな比べんな。俺どころか沖田や斎藤だってあの人にゃ勝った試しがねぇんだ」


 石川は思わず絶句する。沖田やそれとやりあえる斎藤ですら勝てない相手とは、いったいどれほどの…否。


 いったい、どんな怪物だというのだ。


「あ、あの…」

「ん?」

「そ、その方はどのような方なのでしょう?」

「どう、って…」

「やはり近藤局長の様に見た目からして質実剛健な方なのか…?」


 石川のその言葉を聞いて永倉は少しばかりきょとん、とし────


「…ぶっ、わっはっはっは!」


 大声で馬鹿笑いをし始めた。


「し、質実剛健!?あの人が!?くはっ、ははっ!に、似合わねえー!ははははははっ!」

「あ、あの…」

「だはははは!わ、悪い悪い。お前は知らねえもんな…ぶふっ!」


 石川の言葉がよほど愉快だったらしく、永倉はまだ笑い続けていた。


「ま、まあ…本人が帰ってきたら見りゃわかる…質実剛健かどうか…んふっ!だ、だめだ面白すぎる…!」

「…全く似合わない人、ということですか?」

「だから見りゃわかるから楽しみにして…ぶふっ!」


 ツボに嵌る、というやつだろう。

 永倉はしつこいぐらいに笑い、肩を震わせていた。


「ま、まあとにかく帰ってきたら紹介してやるからよ。楽しみにしとけ…見ても笑うなよ?」

「は、はあ…」


 そう言って笑いを噛み殺しながら、永倉は去っていった。

 そして石川はあまりのことに呆気に取られ────

 ────気付けば、落ち込んでいたことすらすっかり忘れていたのだった。



 ────



「沖田沖田」

「なんですか永倉さん」

「さっき新入隊士が面白いこと言っててな…ぷぷっ」

「自分の話で笑わないでくださいよ…」

「悪い悪い…でな。今あの人大阪に行ってていないだろ?」

「大阪…ああ、師匠のことですか」

「そうそう。で、あの人のこと話したら『見た目からして質実剛健な方なのですか?』だってよ」

「質実剛健…?見た目からして?師匠が?」

「おう。大真面目な顔で聞かれたんだぜ…っくくく…」

「師匠が質実剛け、んふっ、ふっ、ふふふふっ…!」

「あれ?沖田ちゃんに永倉さん、何話してんの?」

「さ、斎藤さ、んふっ…!い、今、永倉さんが、面白い話を…っ!」


 後日。

 いわゆる試衛館組の間でこの一件は「滑らない話」として広まる事となる。

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