斯くて聖書に曰く

斯くて聖書に曰く

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“死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを得る”という言葉がある。

聖書の一節に綴られた言葉で、意味合いとしては平易に直せば“話すことには気をつけなさい、うまく使えば良いこともあるよ”ということなのだが、裏を返せば舌を愛さなければ実りを得ることもない、というわけで。

この場に満ちた沈黙は、そういうたぐいのモノだった。


少し先にジャパンカップを控えたその日、当日に向けた特番の解説役としてテレビカメラに対してにこやかに話していたのが数時間前のこと。

ここ数年の勝者であり、かつ引退済みでフットワークも軽く時間に余裕があり、ついでにトリプル三冠対決でネームバリューも抜群、ということで白羽の矢が立ったのが、彼──すなわちコントレイルと、彼女──すなわちアーモンドアイの両名だった。

収録も恙無く終わり、さて帰るか、となったところで食事に誘われ、気が付けばそこそこにいい雰囲気の個室に案内されていて。

以前は色々とあって拗れていたとはいえ、腹を割って話す機会があったことでそこそこに打ち解ける程度にはなったのだが、折々に触れてかつてとは別のベクトルで扱いが難しいと感じることも少なくない。

きっかけは些細なことだった。本当に些末極まりないことだった。どうかそう弁明させていただきたい。

G1レースの度に授与される勝者を讃える指輪があって、ちょうどその場に2018年のものと、2020年のものと、2021年のものが揃っていたことから話題もそちらに移り、意匠はほぼほぼ同一だけれど刻印された年号だけ違うのね、とか、なんでメダルじゃなくて指輪なんでしょうね、とか、メダルだとレイと位置が被るからじゃないかしら? とか、元々は貴族の子女の婚活みたいなものだったらしいですし、その名残ですかね、とか、そんな話へ転がっていき。


「ちょうど9個頂いて、今は左手の薬指だけ空いてるの……どうかしら?」


淑やかな声の調子に反するような、こちらを伺うような表情。デリケートな問題だぞ、どう答えればいいものか、と思いながら、まあ“そういう”意図なんてありもしないだろうと言い放った言葉がどうにもお気に召さなかったらしい。


「そりゃすごい! もうちょっとでソロモン王だったじゃないですか!」


あ、なんかやらかした。

そう気が付いたときには、場の空気は形容しがたい気まずさを纏っていた。

じとり、とこちらを見つめる瞳は困惑とか軽い怒りとか恥じらいとかそういったものが綯交ぜになった色をしていて。


(なにやっても絵になるのは凄いよなあ、このひと)


軽く頬を膨らませた姿に取り留めのないことを思っているうちにも、状況は刻一刻と悪化していく。


「ええーっと、そのぉ……茶化すような意図があったわけではなくて」

「つーん」


口に出すのか。自分で言うのか。

それで厭味もなにも抱かせないのだから本当にずるいひとだ、と思ってしまうロジックに対しての説明は差し控えさせていただきたい。


「べつに? 気にしてませんけど? 気にして、ないけど……」


その物言いはどうしようもなく気にしている人の物言いではないだろうか。

どこか遠くを眺めるような様子で、彼女はテーブルの上に置かれたキャンドルの揺れる炎を見つめていた。


「いくらなんでも風情がなかったですよね、すみません」

「いいもん、どうせわたしは後輩にリアクションしにくい話題を振って困惑させる女だもん」

「ええ……」


実際リアクションしにくかったのは事実なのでそこは改めていただきたいところではあるというか、あんな台詞は普通意中の相手に言うものだと思うが。

ちなみにここで“意中の相手に言うようなことを言う相手って要するに意中の相手なのでは?”と思う程度の自己肯定感はとうの昔に擦り切れている。


「いいもんね、こうなったら思う存分飲んで忘れてやるもん」

「いじけた挙句妙な喋り方して無茶しようとするのやめましょうよ……」


普段の落ち着きを投げ捨てて、子供っぽい口ぶりでとんでもないことを口走るのをなんとか諫めながら、どちらが悪いかと言えば座りの悪さに耐えかねて冗談に走った自分なのでフォローはせねばなるまい、と文言を考え。


「あー、えっと、まあ、その。アイさんに10個目の指輪を贈る人は、きっと素敵な人なんじゃないですかね」

「はあーっ……」


深すぎる溜息。頭痛を抱えたように抑えられる額。ついでにどんどんと体感気温が下がっていくような錯覚に、舌禍という言葉が脳裏に浮かんだ。


ソロモン王が残した格言集、箴言。

その18章の21に曰く、死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを得る。

22に曰く、妻を得る者は良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。

彼が恵みを与えられる日は、おそらく遠いことだろう。

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