断章(Ⅰ)
カワキのスレ主
白の領地に身を寄せたカルデア一行。カワキは白の領地の影に設けた陣地を、仮拠点としてカルデアに提供した。
「こちらの管理はアンデルセンに任せてある。私が不在でも、彼に言えば多少の作り替えはできるから、存分に活用して欲しい」
「何から何まで……本当にありがとうございます、カワキさん。なんとお礼を申し上げたら良いか……」
「構わないよ。私にも利があることだ」
「俺には面倒事しかないがな」
悪態を吐くアンデルセンに一瞥もくれることなく、カワキは立ち上がってカルデア一行に背を向けた。
「君達には期待してる。……さて、私は行くよ」
「どこに行くの?」
「どこにでも」
はぐらかす言葉。けれど、発言者であるカワキに、はぐらかしたつもりはなかったのだろう。振り返ったカワキの眼差しには、後ろめたさも芝居の色も見えなかった。
秘密主義なカワキは多くを語らない。口に出される少ない言葉の中から、マスターはカワキが他の領地へ向かうつもりだと推測して眉を顰めた。
「一人で敵地に向かうなんて危険だ」
「……敵地?」
虚を突かれたように、一拍遅れてカワキがマスターの言葉を復唱した。妙な反応にカルデア一行が首を傾げる。
その疑問を言葉にするより早く、横で話を聞いていたアンデルセンが口を開いた。
「ああ、その心配はない。なにせ、そこの節操なしは黒、赤、白……いずれの領地にも我が物顔で出入りしているからな。そして当然、各陣営の領主達もそれを把握している」
「えっ……!?」
驚きに目を丸くしたカルデア一行。皮肉交じりの笑みを浮かべたアンデルセンは、カワキに視線を移しながら声もなく笑った。
頭に疑問符を浮かべるカルデア一行という読者に向けて、アンデルセンは作家らしく、カワキの複雑な立場を理解しやすい役職に置き換えて伝える。
「もはや何重かもわからない“公認スパイ”というやつだ。その面の皮の厚さには恐れ入る、広辞苑すら絵本も同然だ」
カワキはアンデルセンの言葉を、肯定も否定もしなかった。ただ淡々と補足情報を羅列する。
「領主達は新しい駒——君達の存在に気付いている。君達のことは、ここを使うにあたって白の領主にはもう話した。他の領地にも簡単な報告に行ってくる」
「君は、領主に簡単に会える立場なの?」
「黒の領主は私の父だからね。白の領主は義兄(あに)、赤の領主は叔母だ」
「ええ!? それは、つまり……カワキさんも領主一族ということですか!?」
「なんだ? 話していなかったのか? 言葉足らずも程々にしておけ。伏線のない雑な展開はミステリーのご法度だぞ」
突然の情報に目を剥いたマシュを見て、アンデルセンは呆れ顔でカワキに苦言を呈した。
説教くさい物言いが気に障ったのか、カワキは僅かに眉を寄せると面倒臭そうに溜息を吐く。
「疑問があるならアンデルセンか、外に出て他のサーヴァントに尋ねるのを勧めるよ。白の領主に会いに行くというのも一つの手だ」
言外に「私に聞くな」と言いながら、今度こそ拠点を出ようと動いたカワキを、ハッとした顔でマスターが呼び止めた。
「待って、魔力は大丈夫?」
「私のクラスはアーチャーだ。マスター不在でも自立行動に問題はない。契約の必要はないよ」
カワキは己のクラスを明かし、契約の申し出を断った。自分に回す分の魔力は他のことに使えと、カワキはマスターを見据えて告げる。
「私のことは気にせず、君達は自分の仕事に専念して。現状打破に向けて……お互いに助け合い、前に進もう」
◇◇◇
黒の領地。かつての帝国の面影を、最も強く残したそこで、カワキは王と対峙していた。
生前、カワキが生まれ育った場所とよく似た城だ。玉座に座る男が、恭しく跪くカワキに親しげな笑みで語りかけた。
「よく帰ったな、カワキ。我が最愛の娘よ。……して、此度の遠征はどうだった?」
「他の領地に大きな変化はありません。ですが、道中で旅人に出会いました」
「カルデアか。視えている。……喜ばしいな、カワキ。これで変わり映えしなかった盤面に、変化が生まれることだろう」
紅玉の瞳を細めて笑う王に、前髪の下の瞳をピクリと動かしたカワキは、何食わぬ顔で報告を締めくくった。
「既にカルデアとの接触は済ませました。彼らの動向は追ってご報告いたします」
「任せる。……ああ、そうだ。レーナに伝えておけ——世界が終わる9日間は、すぐそこだ」
王の予言に、蒼玉の瞳がギラついた輝きを宿した。だが、跪いて伏せた顔は余人には窺い知れない。
野の獣のような光が瞳に宿ったのは一瞬。蒼い瞳は瞬きの刹那にガラス玉に戻った。
顔を上げたカワキが、感情の抜け落ちた表情で諾を返した。
「…………仰せのままに、陛下」
◇◇◇
赤の領地。領主の趣味が色濃く反映された王宮で、カワキは王女に謁見していた。
絢爛豪華でありながら玉座を持たぬ王宮の主は、赤髪に白い仮面が映える美しい女性だ。気が強そうな吊り目の女性に、カワキが挨拶の口上を述べる。
「拝謁の栄を賜り、感謝申し上げます。マグダレーナ様」
「よく来たわね、カワキ。まあ、ゆっくりしていけば? と言っても、どうせ兄様のおつかいがあるんでしょうけど」
仕方なさそうに言うマグダレーナに、カワキは頷いて口を開いた。
「私からのご報告が一件。そして、陛下からの言伝を預かって参りました」
「報告って例の乱入者のことだろ? それなら、放置でいいわ。こちらの手駒になるかもしれませんし……で? 兄様は何と?」
白の領地への対応と同様、カルデアの存在を黙認する方針を示したマグダレーナは、兄の様子が気に掛かっているようだった。
急かすような問いかけに、カワキが答える。
「——『世界が終わる9日間は、すぐそこだ』、と」
「…………そう。……兄様が、そのように……」
どこか寂しげに目を伏せたマグダレーナを、カワキが注意深く見つめる。
カワキは伝言の意味するところを宣戦布告であると捉えたが……マグダレーナは別の意図を感じ取っていた。
それを悟られぬよう、凛と前を向いたマグダレーナはカワキに命を下す。
「……わかりました。私は準備に取り掛かります。カワキ、カルデアのことはオマエに任せます。良きに計らいなさい」
「かしこまりました」
◇◇◇
そして——
「よくぞいらした。お久しゅうございます、殿下」
「出迎えが君一人とはね、ダルヴァ。警戒されているのか、それとも甘く見られているのか……まあ、良いよ。ちょうど君に用があったから」
「おお、これは嬉しいことを仰る。儂の忠義と信仰を踏み躙ったどこぞの王と違って、御自ら我が元を訪れて下さるとは……」
若草色の髪を持つ隻腕の男は、カワキを前に慇懃に頭を垂れた。切り揃えられた髪が肩口で揺れる。
「巧妙に隠れておいて、よく口が回ることだ。君達にはまんまと騙されたよ。けれど、タネがわかればやりようはある」
カワキの言葉に顔を上げた男は、ニヤリと愉快そうに笑った。口の端が吊り上がり、細められた目がカワキを捉える。
「ほぅ……『騙された』、と。これはまた異なことを」
「……喋りすぎたな」
「ふむふむ……やはり、そういうことか。もしや、おぬし——“眼”が視えておらんな?」
「…………。聡いね」
見透かされた不快感はあれど、僅かな手掛かりから答えに辿り着いたダルヴァへ、カワキは賞賛を送る。
ダルヴァが『眼が視えていない』と言ったのは、物理的な視力を指したものではない。カワキが有する『聖文字』を指して『眼』と表現したのだ。
高度な演算によって未来を予測し、操作する千里眼——神霊の権能にすら近い能力は、ただのサーヴァントの霊基には重すぎた。
生前は地平に広がる無数の可能性を捉えた瞳も、今や視えるのは手指に触れる砂粒程度。無理に彼方を視ようとすれば、己が霊基が焼き切れる諸刃の剣であった。
「ダルヴァ、君は相変わらず賢い男だ。出向いた甲斐があったよ」
「相変わらず」と言われたダルヴァは、少し残念そうに眉を下げた。
「……殿下は変わられた。ありし日は、獣性を持て余し、倫理が崩壊していようとも、確かに“人”であったというのに……サーヴァントとは儘ならぬものよ、今のおぬしには“それ”がない」
「そうかもしれないね」
侮辱とも取れる言葉を、カワキはただの事実としてすんなりと受け入れた。否定する理由がなかったのだ。
昔から、強くなることで頭がいっぱいだった。どれだけ力を得ても渇きが満たされることはなく。もっと遠くへ、ずっと先まで——そうして手を伸ばさずにはいられなかった。
この特異点に召喚されてからは、その衝動が顕著だ。今の自分の核になっているのは、あの飢えと渇きなのだろう。カワキは漠然とそう感じていた。
「サーヴァントは影法師。ある人物の一側面を切り取った幻像だ。自分でも、生前とのズレは感じている。けれど……これも“私”だ。いつだって、私は私以外の何者でもないのだから」
カワキは悲しげに自分を見据えるダルヴァに向き直る。白の領地寄りに形成された空白地帯に赴く前、カワキは交渉の詳細を視ることはしなかった。
わかっているのは、成功の可能性は五分か……それを下回るということだけ。その程度の予測が、今のカワキが無理なく行える限界だ。
「君のことだ。用件はわかっているだろう。君の叡智を借りたい。停滞なんてまっぴらだ。私は進む」
無駄なおべっかは使わない。単刀直入に「己が目的のために力を貸せ」と、カワキはそう言った。
その様子にダルヴァは落胆した顔で首を横に振った。
「王道、覇道、実に結構。仮におぬしが賢王であろうと、暴君であろうと、“人”たる理性を持つ滅却師であれば口を挟まぬよ。じゃが……」
黄味がかった切長の瞳に宿るのは、忠義か狂信か。
「今、おぬしが往かんとするは、獣の道と言わざるを得ぬ」
「まさか。私は獣たる資格を有さない。その程度は弁えているつもりだけれど」
「獣(ケモノ)でないなら獣(ケダモノ)か。どちらにせよ、それは“人”の往く道ではあるまいよ」
肩を落とすダルヴァに、カワキは興が冷めたという顔で「残念だ」と吐き捨てた。言葉とは裏腹に、その声色に落胆や失望は感じられない。
あっさりと立ち去ろうとするカワキに、ダルヴァは意外そうな声をあげた。
「おや、始末して行かぬのか? 儂は命を捨てる覚悟で忠言に参ったのじゃが」
試すような発言に、カワキは退屈そうな表情でダルヴァを一瞥して告げる。
「しないよ。盤上の駒は多く、盤面は複雑であるほど良い。不確定要素が増えるほど、可能性は増えていく。君達の働きはそれで十分だ」
静かに佇むダルヴァにカワキは言葉を続けた。
「君の指摘は最もだ。だけど、それは、私が歩みを止める理由にはならない。……私は“やる”と決めた。私は、私の心に従う」
不敵で傲慢な言葉は、いっそ清々しいまでに両者の間にある断絶を明らかにした。こちらの理屈の通じぬ相手であることを、これ以上なく示すものであった。
「裸の王(ケモノ)に対し、命を持って忠言するのも忠臣じゃろう……来るべき日に、必ずやその道を阻んでみせよう」
オマケ▶︎