斉藤家の母の日(前編)

斉藤家の母の日(前編)


「今年は、カーネーションにします」

4月の高校入学を終え5月に入ったある日。僕は兄と姉を密かに自室に呼び出した。片付けた部屋のカーテンをしめ、暗くした後に部屋の中央にキャンプで使用するようなランタン型のライトを置いて今から怪談話でもするのかというテンションで開幕の一言目を告げる。

母親はオフィスで仕事中、こちらに気付くことは無い。気づいた時の為に近くに起動直前状態にしたゲームを置いておく。これで母がこちらに来ても3人でゲームをしていたということにしてしまおうという算段だ。


「...ドノーマルだな」

「逆に今までなんで出てこなかったのか不思議なくらいだね」


ここまで下準備の理由と何のカーネーションなのか瞬時に察した兄と姉は神妙な面持ちでそれぞれの感想を述べる。


「これまで変な方向性に流れていたからね、ここは原初に帰るべきだと思う。プレゼントばかりに凝って気持ち忘れたら本末転倒だからね」


そう。基本的にカーネーションという選択は陳腐、シンプルなものとされる。しかしシンプルというのは使い古されながらもそれが良いとされた王道という意味だ。

やはり大切なものは気持ちだと、去年は痛感したものだ。そういう意味ではシンプルなものはそのままその記念日を祝う気持ちを反映してくれる。


「それ大体硝太のせいだけどね」

「ヴェっ!」


そこに姉のルビーのツッコミが来なければかっこよく決まっていたのだろうと鋭すぎるツッコミが来た瞬間に強く感じた。


「小学生の頃とはいえ、アゲハ蝶探して幼虫取ってきたりしてたな。あの時のミヤコさん引いてたぞ」

「あ、あーいや、そんな時も、あったねー」


アクアが少し口元を緩めながらした発言は、昔の古傷を抉ってきた。

その時のことはよく記憶に残っている。小学生特有の『自分が貰って嬉しいものは他人が貰っても嬉しいだろう』という勘違いの結果、というよりそういうプレゼントという概念をあんまり理解していない上に学習しようとすらしなかった結果。僕はわざわざ遠くまで遠征してアゲハ蝶の幼虫を捕獲して帰ってきた。アゲハ蝶の幼虫、つまり芋虫をもらって喜ぶ女性はまずいないだろう。しかもアゲハ蝶の幼虫はパッと見鳥の糞にしか見えない見た目をしている、その上こちらは育て方を知らない。ただ成虫になれば綺麗になるぐらいのイメージしかない状態で馬鹿なことをしたという記憶はこの時期になると必ず思い出される。


「去年なんだっけ?硝子の指輪だっけ?」

「それは去年のミヤコさんの誕生日だろ。母の日は薔薇だった」

「あー、監督さんに騙されたやつだ。ミヤコさんあれ押し花にして持ってるの見つけたんだけど」


最初の神妙な面持ちは何処へやら、今からゲームを起動して遊びながら話すような雰囲気で去年の失敗を仲良く話す|兄《アクア》と|姉《ルビー》。

去年のこともよく覚えている。誕生日に渡した硝子の指輪はよく結婚指輪とかに使われるダイヤの指輪のダイヤが硝子なだけのパチモンだが、薔薇は棘を抜いただけの正真正銘本物だ。五反田というアクアがよく手伝いに行っている監督さんのところにお邪魔して話をした時だ。「母の日は薔薇を渡すもの」だと嘘をつかれた挙句まるでカップルの告白のようなシチュエーションを用意されたのだ。

あの時の五反田のおじさんの顔は一生忘れない。あの時拳が出なかったのは僕が大人になった証拠と言うやつだろう。多分、きっと、メイビー。


「去年はもういいから!──え、それほんと?」

「ほんとほんと。オフィスの本棚のところにあるよ。嬉しかったんだろうねミヤコさん」

「へーそうなんだ。後で確認しよー───じゃなくて!カーネーション!カーネーションにします!」


ルビーの言っていた事は気になるがそれより今年の話だ。後でオフィスは確認しなければならないが、今年を踏み出さなければ意味が無い。これでもカーネーションのことについてはそれなりに調べてある。

ナデシコ科ナデシコ属の多年草。南ヨーロッパおよび西アジアが原産。花言葉は『女性の愛』や『純粋な愛情』がある。確かに母の日に送る花としてピッタリという意見も頷けるものだ。


「はいはいごめんね。それで?買い物に付き合って欲しいの?」

「それで買ってきたものがこちらですね」

「三分クッキングかよ」


アクアのツッコミを無視してベットの下に隠しておいたカーネーションのドライフラワーを出す。透明な容器の中に入ったピンク色の大きなカーネーション。ドライフラワーなのでかなり長持ちする。流石に造花では無いので永遠、とまではいかない湿気などの対策もしているので下手なことをしなければ10年は持つものだ。

買う時も学校帰りを狙ったのでまずバレることは無い。予想通り僕より確実に頭が良いアクアもなんだかんだよく見ているルビーの目も掻い潜って買ってきて今日まで隠し続けられた。

まずバレないだろう。ベットの下なんて死角に隠すなんてことを想像することはまずない。


「あれ?じゃあ私達なんで呼ばれたの?」

「ああ、それはね...」


用意されたカーネーションをまじまじと眺めながらルビーが当然とも言える疑問を出す。ルビーの言葉にアクアの顔がカーネーションからこちらに向く。どうやらアクアもわかっていないようだ。

何を用意するかを決める会議ならまだ分かる。

どこで買うかを決める会議ならまだ分かる。

サプライズで渡すための用意ならまだ分かる。

しかし今の状態でアクアとルビーに手を出すことは無い。もう渡すものも準備されており、もう当時手渡しをするだけだ。


「これを、3人で渡したいんだ」


──それが僕だけのプレゼントという前提がつくなら、だが。


二人の顔が分かりやすく曇る。間違っても母親へのプレゼントの用意をしている子供の表情では無い。


「──硝太、それは」

「わかってる」


重苦しい表情で何かを言おうとしたアクアの言葉を無理矢理切る。

アクアの言いたい言葉は理解出来る。恐らくルビーも同じことを考えているのだろう。


「確かに、二人のお母さんはアイさんで、間違っても《《僕の》》お母さんじゃない」


星野アクアと星野ルビーの母親は斎藤ミヤコではなくアイドルの星野アイだ。二人はただ、|星野アイ《二人のお母さん》が亡くなった後|斎藤ミヤコ《僕のお母さん》に拾われたからここにいるだけ。

だから僕とは血の繋がった兄弟ではなく、ただの引き取られた先の家族と引き取られた双子でしかない。


「でも、お母さんにとっては二人も子供だから」


別にアイさんのことを悪く言うつもりは無い。あまり記憶には残っていないがそれでも二人が何より大切にしていることは分かる。|斎藤ミヤコ《僕のお母さん》のことを母親として認められないかもしれない。


「僕のわがままなのはわかってる。だけど僕はお母さんに喜んで欲しいから、2人にも祝って欲しいんだ」


お母さんはアクアもルビーも自分の子として育ててる。二人にかけてる愛情は僕にかけられているものとほとんど変わらないだろう。僕自身お母さんが二人に接している時に構って貰えないことに拗ねたりしたことも何度もあったが僕は二人のことを本当の兄弟だって思っている。

だからその日だけでも家族でいて欲しい。|斎藤ミヤコ《僕のお母さん》のことを、『お母さん』と呼んで欲しい。


「硝太は本当にミヤコさん大好きだね」

「...それは、まぁ」


黙っていたルビーがポツリと言葉を零す。二人も決してお母さんのことを信用してないわけでも感謝してない訳でもない。生まれの母しか認めないと意気地になってる訳でもない。ただアイの存在が大きすぎるだけだ。

それは少し羨ましい。僕も幼い頃共に居たはずなのだが、幼すぎたからか、大した記憶は持っていない。ライブをやるアイドルとしてのアイ、二人の母親として奮闘するアイ、そして逆上したファンに刺されるアイ。そのどれもが鍵のついた宝箱に仕舞われてしまったように思い出せない。二人はその全てを脳の深くまで焼き付けている。それが少し羨ましい。

だけど少し申し訳ない気持ちにもなる。そんなアイはもういないからだ。僕の場合母親には今からでも抱きしめにいける。恐らく抱きしめに行っても「仕事中だから後にして」と口ではあしらわれるだろうがそこまで不快な思いはさせないだろう。それに仕事中でもなければ甘えることも甘えさせることもし放題だ。だが、二人にはそれが出来ない。その対象がいない。いくら義理の母親がいたとしても産みの母親がいないという事実は簡単に薄れるものでは無い。

僕だって今からお母さんが死んだら、それでも生きろと言われても躊躇いなく死を選ぶ。自殺以外の選択肢を意識的、無意識共に省く。消し去ってそれで「この選択肢しかないよね?」と言うだろう。


「お母さんはお母さんだから」


そんなアイの存在を上回ることは僕とお母さんが一生共に居たとしても変わることは無いだろう。そもそも上回ることを望むこと自体が間違っている。二人にとっての生きる理由であるアイを上回ることはまず無い。それでも寄り添いたい、寄り添って欲しい。僕が求めるのは、それだけだ。


二人の暗かった顔が少し呆れたような顔になる。どうやら、納得して貰えたようだ。


「分かった。お兄ちゃんもいいよね?」

「あそこまで言われたらな」


ルビーの言葉にアクアは軽く頷く。少し仕方ないという雰囲気もあるにはあるがやってもらえるだけで充分だ。


「これ、みんなで渡そっか」


ルビーがそう言って出したカーネーションの容器を撫でる。

僕は、黙って頷いた。

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