「散髪しよルドくん」

「散髪しよルドくん」


 梳き鋏をチョキチョキ動かしながらドラルクがそう言うと、スマホをいじっていたロナルドはこちらを胡乱な目で見た。「胡乱な目」と表現してはいるが、基本的に彼は覆面を着用しているので、どんな目をしているかわからない。こちらに顔を向けたのと、雰囲気でそう判断した次第である。

 ドラルクの同居人、吸血鬼退治人ロナルドは、常に覆面をかぶって顔を隠している。転がり込んだ当初はカボチャを脱がせようとしてみたが、反応が少々常軌を逸していたため早々にやめた。見ているだけでガチ死するかと思った。

 一つ目カボチャをかぶった男が銃を手に住居に乗り込んできたときの驚きと恐怖は、ドラルクをたやすく殺した。吸対のうら若き乙女も初対面ではたいそう驚いたらしい。なお、彼女が床下にいないことは確認済みである。

 せめてカボチャがジャック・オー・ランタンならまだ愛嬌があるのに。カボチャの覆面によく似たデザインの目からビーム出るヤツは、見ようによってはちょっと怖い。

「散髪しよルドくん!」

 もう一度宣言すると、首を横に振られた。覆面は基本的には一つ目のカボチャだが、大仏やスイカなど他のものを身に着けていることもある。どれも頭をすっぽり覆う形で、髪型さえわからないデザインだ。しかしなぜドラルクがロナルドに散髪を勧めるのか。きちんと理由はある。

 ロナルドが手元のスマホを操作すると、ドラルクのスマホがRINEの着信音を鳴らした。表情がわからない上ロナルドはめったに喋らないので、彼とのコミュニケーションはRINEかドラルクが察するかになる。

『髪は自分で切ってる』

「えっ自分で? 君のことだから毛先ガッタガタにブエー」

 すべて言い切る前に顔面に右ストレートが飛んでくる。毎度の如くドラルクは拳の風圧で死んだ。続けて、再びドラルクのスマホが着信音を鳴らす。ナスナス再生しながらRINEを確認すると、『どうせ誰も見ねえよ』というメッセージが表示されていた。毛先がガタガタなのは否定しないのだろうか。というかこの家、梳き鋏がなかったんだが。

「見たまえ」

 ドラルクはロナルドの眼前に、コロコロ転がしてゴミをとるクリーナーを突き出した。粘着テープには、銀色の髪が何本も付着している。家を掃除しているのはドラルクだから嫌でも数えてしまう。長さは結べるほどだろう。確かに洗面所にヘアゴムがあった。

「髪が長いと抜けたとき目に付くんだよ。電気は消すから、私が切ろう」

 人前で覆面を外せないなら、理容室に行って髪を切ることなどできやしないはずだ。ただし自分で散髪していたとなると、なぜこの家に梳き鋏がないのかという疑問が残る。見落としているだけだと思いたい。カボチャ頭を緩く傾げるロナルドにドラルクは続ける。

「何、多少の明かりはつける。髪を切れても、顔はわからないよ。我々吸血鬼の夜目が利くことは知っているだろう? 君の肌を傷つけるような真似はしないから安心したまえ」

 嘘である。どこがというと「顔はよく見えない」というところが。

 高等吸血鬼の目なら、問題なく顔の細部を見通せる。主目的ではないが、ロナルドの素顔を知りたいというのは事実だ。周りに聞いてみたことはあるが、見習いのころから彼を知っている退治人たちも見たことがなく、高校の同級生である半田も素顔は知っているというだけで、どんな顔なのかは明言を避けた。

 ドラルクの思惑に気づかず、しばらく悩む素振りを見せたロナルドの返事は『妙なことしたら殺す』というものだった。


 照明を限界まで絞ったバスルームの床とシャワーチェアに新聞を敷く。吸血鬼には何の問題もないが、人間がこの暗がりを見通すことはできないだろう。ロナルドも顔を見られるとは気づかないはずだ。

 バスルームの引き戸が開く音がして、ドラルクは振り返る。座ってくれ、と言おうとして言葉にならなかったのは、ロナルドの顔が思っていた以上に美しかったからだ。

 たれ目がちの目、鼻筋の通った鼻、ふっくらとした唇。あまりに睫毛が長くて、まばたきのたびに音を立てそうだ。花のようと表現するには精悍すぎ、野生の獣と形容するには甘すぎる顔立ち。たとえるならば美術館の彫像。それほどまでに美しかった。髪で顔の半分ほどを覆い隠しているのにこんなに美しさが伝わってくるのだから、素顔を晒して街を歩けばどれほどの人が振り返るだろう。

「おい……」

「ああ、すまないね、座ってくれ」

 思わず固まっていたドラルクに、ロナルドから声がかけられた。ドラルクは平静を装う。素顔を見たと気づかれたら本当に殺されるかもしれない。砂を流されたら再生できなくなる。

 ロナルドの声はなんというか、ちゃんと聞き取れる、普通に成人した男の声だった。爆発炎上した城の瓦礫が飛んできて覆面に当たったとき、小さく声を上げた気はしたが、きちんと聞くのは初めてだ。ロナルドはそれきり口を噤み、黙って椅子に座る。

 髪はやはりザンバラだった。癖のある髪質なのに構わず、邪魔なところをザクザク切ることを繰り返したらしい。シャキン、シャキン、と鋏が鳴く。そのたびにこぼれ落ちていく銀糸が吸血鬼の肌を焼くことはない。きっと以前はもっと髪が傷んでいただろう。同居してから自分やジョンが使うほどとはいかずとも、ちょっと質のいいシャンプーを使わせているので改善したはずだ。

 ロナルドはあまり己に手をかけようとしない気質だ、肌も荒れているかもしれない。その辺りの手入れも仕込んでみようか。見る者はいないだろうが、そうすれば美しさにより輝かんばかりになることだろう。手を動かしながら、ドラルクは若者の言いくるめ方を考えていた。

 この後、ロナルドから文房具の鋏で髪を切っていたと明かされたドラルクは怒りのあまり死んだ。出先から帰ってきたジョンも一緒になってヌーヌー怒った。

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