『教範にして、共犯』
「うぅ…食べたい…しかしメジロのウマ娘たる者、己を律せず目先の欲に囚われるなど…!」
先刻からこの少女はスイーツショップの招待券を穴が開きそうなくらい睨み付けて、同じ事を繰り返し呟きながら思い悩んでいるんだ。
彼女の名前はメジロマックイーン。誰もが知る名門メジロ家の最高傑作と呼ばれその強さを遺憾なく世間に誇示して見せた名ウマ娘。
しかしそんな彼女も年若い乙女であるわけで。年頃の女の子らしく甘味を楽しみたいという人並みの欲を備えているんだ。それでもこうやってずっと悩んでいるのは……
「折角減量用の食事メニューまでトレーナーさんに組んで頂いたのに…私がその信頼を裏切るわけには参りませんわ…!」
アスリートとして、体重が落ちにくいという体質、そして彼女のトレーナーへの信頼を裏切れないという自制心と責任感ゆえだろうね。
けれど……。
「あぁっでも…期間限定のジェラート食べ放題!スイーツ好きとしてこれを見逃す訳には…!でも体重が…私は一体どうしたら!」
欲望と使命の間で揺れる乙女心。
けれど、減量期間のご褒美を、目の前の期間限定ジェラート食べ放題は待ってはくれないよね。
(いっそ最初から見なかったことに…そうですわ!誰かにこの招待券を差し上げてしまえば良いのですわ!)
己を律するために、誘惑の元を自分から遠ざける。少女はそれが出来てしまえる自制心の持ち主なんだ。だからこそ溜め込み過ぎたストレスが自分を苛んでしまった事もあったけど…
「ごきげんよう、マックイーン。先ほどからじっと見つめているそれは…招待券?まぁ!期間限定ジェラート食べ放題なんて!色とりどりの宝石のような素敵なジェラート達がきっと目に楽しいのでしょうね…素敵だわ…」
涼やかにガラス玉を転がすような声。
その声の持ち主は、その心が好奇に弾み楽しんでいる事が分かるくらい目を輝かせていたんだ。
「アルダンさん!?一体いつから…
いえ、この招待券は私が使うのではなく…」
彼女の名前はメジロアルダン。生まれながらにガラスの脚を抱え、レースに向かない身体と称されながらも懸命に駆けるウマ娘。
そしてマックイーンにとっては血こそつながってないものの、姉のような人であり、そして令嬢の振舞いを身につけるにあたっての教範となった少女でもあった。
「そ、そう!この招待券はアルダンさんに差し上げるようと思っていたのですわ!ほら!もうすぐお誕生日ですし…お友人と遊びに行く際に使ってくださいまし!」
思わず口をついて出た嘘。
だけど全部が嘘というわけでもなかったんだ。ジェラート食べ放題に行きたかったのはホントだけど、もし他の人に招待券を譲るなら彼女だとも考えていたから。
(私はスイーツ断ちが出来ますし、それに最近のアルダンさんは元気がなさそうでしたから…スイーツを食べればきっと…!)
さらば雑念!と招待券から目を逸らしてマックイーンはアルダンの胸に招待券を押し付ける。招待券を押し付けられた少女はパチクリと菫色の瞳を瞬かせると、心配そうにマックイーンの紫白の眼をじっと覗き込む。
「……本当に、私が貰っても良いのかしら?マックイーン?本当は貴女が…「私は!要りませんので!!アルダンさんの自由に使ってくださいまし!」
「では、私の自由に使わせて頂きます」
(さらば、ジェラート食べ放題…!けれど、少しでもアルダンさんを元気付けられるならスイーツ欲を我慢した甲斐がありますわ…)
パシッ。
「え?」
「私は…貴女とジェラートを食べに行きたいわ、マックイーン」
決して強くはない、けれど振りほどけないと思えるくらいしっかりと握られた手。
(その眼で見ないでくださいまし…)
優しい眼差し。けれど確固たる意志を湛えた瞳に思わず魅入ってしまう。
「自由に使って良いと言ったのはマックイーンでしょう?なら誰と行くかも私の自由。それに、2人で一緒に分け合えば食べ過ぎたりしないでしょう?」
「気付かれていましたか……」
「ええ、分かるわ…お姉さんですもの。貴女のトレーナーさんには私も一緒に謝るから」
「そんな、アルダンさんが謝る必要は…」
「ううん。だってマックイーン」
───私達は今から『共犯』なのよ。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
そうして来るお休みの日。
もっとも、硝子の少女にとっては今はお休みの日が長く続いているんだけど……
マックイーンのお休みの日を待って、街へのおでかけを計画して今日がその日だったんだ。
「ほ、ホントによろしいんですの?」
「ええ、マックイーンの行きたい所に私も行ってみたいわ。きっと楽しいもの♪」
目を輝かせるマックイーンの笑顔を見つめ、少女は顔をほころばせる。コロコロと万華鏡の如く色を変える彼女の表情は見ていて飽きない、いや、むしろ目を楽しませてくれるんだ。
そしてそんなたくさんの楽しみを知るマックイーンが行く所なら、きっと楽しいはず…少女はそんな期待に胸を弾ませていた。
スイーツ食べ放題は予約制で予定の時間には少し遅いから、それまでの間を2人で街で遊ぶ…いっそデートと言ってしまっても良いかもしれない、マックイーンの行きたい場所、遊びたい物…少女達はとにかく楽しい時間を2人で過ごす事にしたんだ。
「まさか、あんな展開になるなんて…」
「帰ったら前作も観てみましょうか♪『元帝国軍人のおじさんがサウナに行ったら人生もととのった件』」
「か、かっとばせ~ ユ~タ~カ~」
「違いますわ!もっとこう…お腹からばーっと声を張り出すように!
『かっとばせーッ!ユ・タ・カーッ!!!』」
そうしてついに……
「ようやくですわ!スイーツ!ジェラート!涼やかで煌びやかな甘味の宝石たち!」
「ふふっ私も…♪どんな素敵な味が私達を待っているのでしょう…?」
待ちに待ったスイーツ食べ放題の時間。
「んん~♪ひんやりした上品な甘さで舌の上に乗せるとさらりと蕩けて…」
「本当…♪淡雪のような口溶けに果実の芳醇な香りと味わい…見た目も色鮮やかな宝石がたくさん並んでるみたいで……今度ばあやに作り方を教えて貰おうかしら?」
ファンシーな内装の店内でカラフルなジェラートを堪能するお嬢様たち。
その姿はどこからどう見ても年頃の女の子がスイーツに夢中になっているだけの本当によくある光景で。
もし彼女達を知らない人が今の彼女達を見ても、2人が高貴で華麗な名家の令嬢だとは気づかないかもしれないね?それくらい、多くの人にとっては日常の光景にしか見えないけれど…2人にとっては非日常的な出来事なんだ。
しばらくの間、2人とも思い思いに各々が食べたいと思ったジェラートを注文していたけれど…
「そろそろ、ここまでにしましょうか。これ以上は食べ過ぎになってしまうもの」
「…!そ、そうですわね!元々アルダンさんに来て頂いたのも食べ過ぎない為でしたし…ですが……うぅ」
少しばかり食の細いお姉さんと違って、スイーツが大好きな少女には些か物足りなかったみたいだ。
「……ダメでしょうか?」
いつもは自分をしっかり律する少女も、今日は少しだけ甘えん坊さんになってしまったのか上目遣いで硝子の少女を見つめて…
「ふふっ♪じゃあ、1品だけですよ?」
「まぁ!良いのですか!?」「ええ♪」
そしてお姉さんも可愛い愛妹のような少女にはとても甘かったんだ。
「私も、最後のひとつを決めようかと」
……そして案外ちゃっかりしている所もあったんだ。
今日の至福の時間を締めくくる大事な一品。
どれでも自由に選べた中からそれを決めようとするとどうしても迷ってしまうよね?
長考の末、2人が選んだフレーバーは……
「マックイーンはソーダ味にしたのね」
「アルダンさんはグレープですか」
「ええ、考える事は一緒かしら?」
空の蒼をそのまま持ってきたような目にも涼しげな水色のソーダジェラートと。
高貴な雰囲気を纏いつも果実の如く瑞々しい輝きを放つ薄い紫色のグレープジェラート。
「まるで、私たちのような色ですもの」
お互いの少し変わった髪色毛色をイメージして選んだ今日を締めくくる最後の1品。
「美味しい…!けれど罪の味ですわ…」
「ちゃんと食べた分のトレーニングもしないといけませんね、私もお手伝いするわね?」
「ありがとうございます。けれど…アルダンさんの脚の方は大丈夫なのですか?」
「ううん。でも走れなくても出来る事はちゃんとあるから。“今”の自分に出来る事を精一杯。例えば、食事管理なんてどうかしら?」
「あはは……お手柔らかにお願いします」
「ねぇ、マックイーン」
「はい。どうかしまし…!?」
呼ばれて顔を上げた先に差し出された、ジェラートの乗ったスプーン。
ツンツンとマックイーンの唇をつつく冷たく冷やされたソレに思わず口を開けて…
「はい、あーん」「あむっ」
悪戯を成功させた子供のようにくすくすと笑う硝子の少女。少女がずっと見てきたメジロのお姉さんとはまた違った一面に少し驚いて。まるで姉ではなく、幼い子供のような……と同時にしてやられた気恥ずかしさもやってくる。「お、お返しですわ!」「まぁ」
マックイーンも負けじと自分のソーダ味のジェラートをスプーンに乗せて、先ほどやられたのと同じようにアルダンの唇をツンツンとつつく。親鳥が雛に餌を与えるように…彼女が小さく口を開けスプーンを口に含んだのを見てからそっとスプーンを引いたんだ。
「ふふっ♪…あははっ」
2人してなんだか可笑しくなって、少女達の鈴の鳴るような笑い声はしばらく止まらなかったんだ。
それでも、楽しい時間は終わりを迎えるものだ。
「今日は本当に…楽しかったわね」
「ええ、私も充実したお休みになりましたわ。トレーナーさんには申し訳ありませんが…」
そういってお腹に視線を落とす少女。楽しい時間が終わると罪悪感がやってきたんだろうね。
「ごめんなさい、私の我儘のせいで…」
「いえそんな!私も行きたかったのは事実ですから…アルダンさんのせいではありませんわ!」
「ううん。でもね……」
「すっごく、楽しかったの。マックイーンと一緒に“デート”が出来て。私は私の為に貴女を誘ったのよ。だから私達は『共犯』よ」
共犯。少女はその言葉に、その秘密に罪悪感が淡く蕩けて行くのを感じたのかもしれない。
「なら、減量を手伝って貰わないといけませんわね?『共犯者さん』?」
自分の教範となっていた少女が、今はこうして自分と同じ罪を共有している事に不思議と暖かな心地がして、つい笑みが零れてしまったんだ。
そうしてお迎えのリムジンの車内は、屋敷に着くまでの間ずっと、2人の令嬢の軽やかで楽しげな話し声で満たされていたんだ。