故郷クリミアの戦況と天竜人の求婚を断るシーン
FGO婦長inONE PIECE北の海に位置する国クリミア。冬は厳しい寒さに閉ざされるこの地域は、土地に眠る資源が豊富なゆえに天上金の納めもよく、世界政府加盟国の一つに名を連ねていた。
しかし近隣国であるフレバンスで起きた戦争を皮切りに周辺諸国は自国の貧困に頭を悩まさなければならなくなった。
何といっても戦争というものは命だけではなく金がかかるのだ。特権階級の貴族が乱費するのとは比べものにならない額が消えていく。それでいてフレバンスの戦争は伝染病の蔓延を防ぐという、ただ滅ぼすだけで何も得るものがなかったという点もいけなかった。
フレバンスを滅ぼした諸国には武器こそ溢れたが、国民の人権を補償するための天上金がひどい重荷となって押し寄せた。戦争が終わったからといって武器を金に戻せるわけでもない。
それでいて納めるべき天上金は国民の数で決まるのだから戦争が『終わってしまった』今となってはこれより先下がる見込みもない。
国民を飢えさせるか否かの瀬戸際になった各国の王族は様々な決断を迫られた。
自国の領土を分割し、多くの国民を救うために少数を切り捨てた国があった。
一夫婦あたり子を産む数を制限する国があった。
王族と特権階級のみ財産を庇護されて、大多数の国民は財産を徴収され非加盟国と見紛うばかりに荒廃した国もあった。
自然といえば自然、中には過剰にある武器を使って再び戦争を起こし他国より強奪を行う強国も現れた。
海賊による襲撃ならばいざ知らず、加盟国同士の正式な戦争であれば世界政府が関与するところではない。
一つの国がそれを始めるとみな奪われてなるものかと軍備拡張競争が始まり、国は一層貧しくなっていく。
資源豊かなクリミアもまた、隣国の軍拡の動きに巻き込まれ抗いがたい戦争の渦へと押し流された国の一つだった。
国というのは不思議なもので、どれだけ貧困に喘ごうと特権階級は特権階級の生活を維持するものだ。戦時中だから、と割を食うのは大多数の国民で、貴族が明日の食事を懸念したりボロ布を纏ったりすることはない。
クリミアのナイチンゲール家の家長はそんな貴族階級の中ではわりかし『マシ』の方だったのだろう。
今でこそ家人が前線で戦いはしないが古くは軍のエリートを輩出した名家故に戦時中の建前というのもあった。
自らの特権こそ投げ打ちはしないが、家の前にいる乞食にはパンを投げてやるし、貧民院には寄付も行う。持つ者による持たざる者への慈悲というのを、体面によるものといえど続けていたのだから、他の貴族とは異色であったと言える。
かつては軍部に名を連ねた名家ゆえに野戦病院の慰問を家族で行なった結果、蝶よ花よと愛しんで育てた聡明な下の娘が貴族令嬢の人生を右ストレートでぶん殴り戦地へ従軍看護師として飛び込んでいくとは思いもよらないことであっただろうが。
そうして飛び込んだナイチンゲール家の貴族令嬢、フローレンスは極めて理性的な人間であったので野戦病院におけるあらゆる非効率性と不衛生と、自らの利権のみを考える軍閥派を相手に徹底的に戦い続けた。彼女が目的とするのはこれ以上の被害を食い止め、兵士1人たりとも無駄に命を散らさせることは許さないという信念。
傷つく人、苦しむ人がいなくなればいい、すべての命を救いたいという、子どもの夢物語で終わるそれを本気で信じてフローレンスはその少女期を戦場に捧げた。
そして患者である兵士達にある信仰にも似た尊敬が拡がっていく。使い捨てに過ぎない一兵卒にすら真摯に対応してくれる、死ぬ瞬間まで手を握っていてくれる、患者の誰1人として見捨てられることはない。
聖母のような、女神のような、天使のような。
フローレンスが停戦派の中心人物になるのにそう時間はかからなかった。
本業を看護師としながらも自らの特権階級をコネに政治に利用されるのをフローレンスは嫌がることはなかった。
どのような手段を用いても構わない、一刻も早く1人でも苦しむ人が減るのならばそれで良かった。
そうしてまだ20歳を迎えたばかりで直面してしまう世界の不条理さ。
ガーゼ1枚、輸液1パックにすら不足に苦しむ野戦病院へ追加の物資をもぎ取るために、非常に煩わしいながらも王族への直接面会を取り付けた日のことだった。
華やかに飾られた王宮。厳しい冬だというのに軍服では汗ばむほどに焚かれた暖房。王宮の料理人が貴賓室へ運ぶのは贅を尽くした食事ばかり。
それの全てがフローレンスを苛立たせる。本来であれば貴賓室へなどは用はない。しかし執務室で何時間と待って貴重な時間を無駄にさせられるよりは、とフローレンスは王族、軍部上層官が貴賓室から出てくるのを待ち構えていた。
「おい、お前!」
苦痛により精神の荒立った患者に罵倒されることもあるフローレンスは不躾な呼び声ひとつで臆することなどありはしない。
見れば貴賓室の窓が開いてそこから品性のない表情をした男が顔を覗かせていた。
窓の奥には蒼白な顔をした国王と上官の姿が見える。
「お前、美人だえ。妻にしてやるえ〜」
フローレンスの思考を一言で表すなら「は?」である。懸命にも表情や口頭に出すことは無かったが、あらゆる意味でフローレンスの理解を超えていた。
「天上金の遅延にともなう利息はこの女で相殺してやるえ。残りの期限は明日までだえ」
「そんな…!先だってセバストポリで起きた侵攻を防ぐために国庫はもはや底を尽きております…!どうか、来春、来春までお待ちいただけませんか!」
「その女も天竜人様のお眼鏡にかなうかどうか!物資が足りないと見るや倉庫の扉を叩き壊し、わたしの、上官のベッドすら破壊して暖炉に薪として焚べる凶暴な女です!」
「激しい女は好みだえ〜!他は下民に戻して第一夫人にするえ」
「聖地にお迎えする準備を致します。こちらへ」
もし、自分がこの男についていくことで故郷が救われるのならフローレンスは頷いただろう。借金のかたに売られる年若い娘のように。国を苦しめないでください、という言葉が通じるなら。
しかし、これはダメだ。
これがこの世界を病ませている悪性腫瘍。
容易には切り離せず、無理に切除すれば患者そのものが命を落とす。
人相手ならば対話が可能だが、病相手にできるのは根絶することのみ。
しかしこの腫瘍はその権力においてこの場の誰よりも手に負えない。
フローレンスが所詮何と言っても己の欲望のままにするのだろう。
ならば、とフローレンスは覚悟を決めて静かに息を吸った。
命を懸けてでも病には屈しない、その信念を貫くために。
「お断り致します」
品性のない顔が怒りでドス黒く染まる。
口角泡を散らして叫ぶ男に命じられて、黒服の男たちがフローレンスを取り囲んで腕を拘束する。
その場で銃殺されるかと思ったが調教し甲斐がある、と罵るあたり、まだ聖地とやらに連れて行くつもりのようだ。国を病ませている腫瘍を理解したのに、もはやフローレンスにはその治療を成し遂げる機会はない。
腰に下げたペッパーボックスピストルで抵抗したところで何の意味もなりはしない。この悪性腫瘍は世界全体における病巣のごく一部に過ぎないのだから。
「私は誰かの妻になるより、1人でも多くの尊い命を救うことに人生を捧げておりますので」
あなたの妻にはなりません。
言い切る前に銃声が響いた。
訪れる痛みを予測して硬くした体の両脇で、どさりと重いものが倒れる音がする。
倒れ伏した黒服の男たち、唖然とした天竜人の向こうで硝煙の立ち昇るピストルを構えた上官が言った。
「逃げろ」
フローレンスの信念が上官に引き鉄を引かせた。引かせてしまった。
そしてこれは戦争に喘ぐ故郷に降りかかる悲劇を加速させる始まりの音でもあった。