擁 

擁 


 

 船が大きく傾いて、しまったと思った時には投げ出された体はもう冷たい水に叩き付けられていた。

 一瞬にして重いそれに全身を絡め取られ、藻掻こうにも痺れたように強張った手足は少しも動いてくれない。

 一面の青から光も届かない黒へと少しずつ、大海原に対峙するにはあまりにもちっぽけな僕の体が沈んでいく。

 一度も見たことのない筈の海が何故だか嫌いだった。僕の中にある男の魂がそうさせるのだと知っていた。だからあの男に半ば無理矢理シュミレータ内の海洋へ連れ出された時は当然少しも乗り気ではなかった。

 だというのに僕はその光景を美しいと思ってしまった。

 遠ざかる水面から光の網が降っている。零れた息が気泡となって網に触れたところからちかちかと煌めいて、小さな生き物のようだ。

 ひんやりとした波に揉まれて浮遊感に身を任せるのも悪くない気分だ。ミクトランは暑い所だったからこの涼しさは心地いい。

 さっきから轟々と鳴っているこの音はなんだろう。知らない筈なのに懐かしい。

 そうして何をするでもなくぼんやりと漂っていると、不意に水面から大きな泡の塊が生えて来る。

 泡を割いて黒い影が、真っ直ぐ僕の方に吸い寄せられて――


「なんっっっっで沈んでるんだよ君は!泳げないなら先に言ってくれ!」


 貼り付いた金髪から雫を落とす男に裏返った声で怒鳴られた。

「泳げる。僕だって水辺での戦闘を想定し装備を身に着けたまま水中で泳ぐ訓練を熟してきている」

「あーそーですかじゃあなんでいつまでも浮かんで来なかったんだよ……」

 男は僕を抱き抱えたまま後ろへゆっくりと倒れて、そのまま水中を軽く蹴る。

 こうしてぷかぷかと浮かぶ男の上で波に揺られているとまるで彼を筏にして遭難しているみたいだ。筏のくせにシートベルトのように巻き付く腕を払うのも億劫で、諦めて頭を男の胸元に乗せる。塩水でベタついて不快だったが不安定な姿勢で立泳ぎを続けるよりは幾分かマシだ。

「おやおや、いつもと違って積極的だ。嬉しいね」

「お前いくらなんでも拍動が速すぎるんじゃないか?」

「君いい加減にしろよ!」

 冷えた体にじわじわと男の体温が移ってきて、なんだかとても眠くなってきた。サーヴァントとやらになったこの身でも眠気に襲われる事があったのか。

「……イスカリ?えっ、君まさか寝てるのか?この流れで?嘘だろ……」

 だんだん男の声も遠くなる。誰かの腕の中で揺られる事を、果たしてなんと言うのだったか。



サブタイトル:母の胎を知らない子供


Report Page