揺らぐ正義の行方を前に

揺らぐ正義の行方を前に


 嵐が通り過ぎるのを待つ様な有様だった。

 ティーパーティーの一角たる百合園セイアから緊急の呼び出しを受けて来てみれば、セイアは既に安全のために室外へと避難しており。

 自分を出迎える形になった学園で最も貴き人に何事かを尋ねる前に、閉ざされたドアの向こうから怒号が飛んできた。


『……そうやって全部ぜんぶ、一人で勝手に決めて! 何が“にいさま”のためなの!? 全部ナギちゃんのためじゃん、かたき討ちを諦める理由が欲しいだけでしょ!?』

『ミカさんこそ、いつまで子どものような駄々をこね続けるつもりですか!? エデン条約を結べばあの人の願いは叶うんです、あの人の犠牲が無駄でなかったことの、証明に―――!』

『子どもの駄々!? 家族を殺されたのが!? だったら私は子どものままで良いよ! ナギちゃん一人でにいさまのお墓に報告に行けばいいじゃない、「私はあなたを殺した奴らと笑顔で握手できる立派な大人になりました」ってさぁ!!』

『っ、この……!』


 なんだこれ地獄か? 思わずツルギの胸中にそんな言葉が浮かぶも、幸か不幸か音を伴わせるような気力は残っていなかった。隣で絶句しているミネもまた、ツルギと同じくなんと声をかければいいのか分からないのであろう。セイアの顔とお茶会の会場につながる扉とを交互に見ながら、言葉を発しようとしては思い直して呑み込むような仕草を繰り返す。

 やがて豪奢な扉が大きな音を立てて開かれる。

 姿を見せたのはツルギよりも一回り小柄な少女―――聖園ミカ。しかし天真爛漫な常の雰囲気は霧消し、そこには武闘派たるパテルの長に相応しい、暴虐の気配を色濃く身にまとう獣が居た。

 獣は周囲を一瞥した後、ちらりと室内を振り返り―――悲し気に眉を下げる。


「私は認めないからね。私と、にいさまと―――“ねえさま”の幸せを奪った奴らを、許すだなんて」


 一瞬だけ伺えた、年相応の悲しみに暮れる少女の表情。

 セイアも、おそらくはツルギとミネにも見えていたそれをその場に置いていくかのように、獣は乱暴に扉を閉める。

 見世物ではないと言わんばかりにその場の全員を一睨みして去っていく彼女を、慌ててパテル派の副官が追っていった。


「……はっ、そ、そうだ。ナギサっ」

「セイア様、お待ちを」


 慌てて室内に残された親友のもとへ駆けて行こうとしたセイアの肩をツルギが引き留める。

 案の定、セイアが開けようとした扉からは続けて甲高い叫びと破砕音が響いた。


『………ぅ、あ、ぁあああーーーーーーーっ!!』


 既に去ったミカの背に届くわけがないと分かっていても、感情をぶつけずにはいられなかったのだろう。

 今まさに人身大の嵐の隣へ取り残されたフィリウス派の付き人、ついでにドアに叩き付けられて犠牲になったであろうティーカップの値段に逃避気味に思いを馳せながら、ツルギは自分の仕事を開始する。


「ミネ団長、ミカ様を追ってくれるか。正直ナギサ様やミカ様よりも、今からミカ様が行く先々に居る生徒の方が手当てが必要になる気がする。最悪は団長がミカ様を止めて欲しい」

「……そう、ですね。ナギサ様の方はツルギ委員長が……もしお怪我があれば、救護騎士団の方へ」

「私も応急手当は心得ている。安心してくれ」


 言うが早いかツルギは半ば蹴破るように扉をくぐる。足元に散らばる陶器の破片たちを踏みつけて部屋の中央に歩を進めれば騒動の中心となる少女がいた。


「ナギサ様っ、ど、どうか落ち着いて……ひぃ!?」

「皆してっ! 皆して私の邪魔をっ……私、を、ああああぁぁぁっ!!」

「だっ、誰かっ!誰か助け……」


 ミカが暴威を滲ませる獅子ならば、こちらは手負いの狼か。手当たり次第に物を投げる少女の両手を掴み、潰してしまわぬように加減しながら強引に止める。


「ご無礼……ナギサ様、私が分かりますか?」

「はぁっ、はっ……ツルギ、いいんちょう……」

「落ち着いて、そのままゆっくりと深呼吸を」


 キヴォトス人の中でも自分が特に頑丈な方で、今しがた拘束した少女―――桐藤ナギサがその対極であることはツルギも承知している。

 貴人の肌に傷を残さぬように細心の注意を払いつつ、怯えて足を震わせているナギサの付き人達に告げる。


「この場は正義実現委員会にお任せを。ナギサ様はこのまま自室にお連れするので、ティーパーティーの皆様におかれましては会場の“清掃”に取り掛かって頂きたく……セイア様、よろしいですか」

「お願いするよ、委員長。皆もこの場で見たことはくれぐれも他言無用だ……さて、すまないがもう一仕事頼むよ」

「はっ、はい! お願いします!」


 セイアの声で硬直が解けたように肩を跳ねさせたティーパーティーの生徒たちが見るも無残な会場をちゃきちゃきと片付け、騒ぎの隠蔽を始める。話が早くて助かる反面、狂態を見せた主を部外者に任せられるかと声を上げる者は無しか、と呆れ半分に眺めるツルギ。

 しかし、何よりもツルギが呆れて……いっそ哀れに想うのは、こんな気骨のない部下たちに囲まれて、幼馴染との対立に至ったナギサだった。


(何がこのひとをここまで駆り立てるのやら)


 桐藤ナギサと聖園ミカ。二人が実の姉妹のような間柄であることは周知の事実だし、そこから少し調べればかつて二人が本当に姉妹になる未来があったことは容易に分かる。

 そして二人をつなぐ筈だった人物が、命を落とすその時までトリニティとゲヘナの融和を夢見ていたことも。

 心無い生徒たちの中には、愚かな夢想家の末路を未だに陰で嘲笑う者もいた。だがフィリウス分派の長たる桐藤ナギサがその夢を継ぐ姿勢を明らかにしてからは、そんな声も鳴りを潜めた。おおかたナギサの報復を恐れて震えているだろうなと思うとそれこそおかしな話だ。

 しかしツルギは、己の正義に殉じた故人に敬意を持ちつつも疑問に思うのだ。




―――名も知らぬ貴方の正義は、最愛の人をここまで追い詰めてでも叶えて欲しいものだったのですか、と。





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