拓海とユキ
「じゃあ外で待ってるぞ」
「うん。終わったら呼びに行くね」
手を振る幼馴染に軽く手を振りかえす。咄嗟に出た反応だけど、やっぱり気恥ずかして、拓海はすぐにお店から飛び出した。
「……にしても。わざわざ別の街に来てまで見たくなるもんなのか、コスメって…?」
『Pretty Holic』と書かれた大きな看板を見上げて独り言ちる。
おいしーなタウンからここアニマルタウンまでやってきたのは、つい先日幼馴染の女の子を含めた仲間達の提案からだった。新しい仲間ができたから、会いに行こうと。
最初、拓海は付いてくるつもりはなかった。恐らく仲間というのはプリキュアのこと。ならプリキュア同士で親睦を深めればいい。自分も混ざりたいというほど興味も関心もなかった。
だけど、
『拓海とも一緒に行きたい!』
……惚れた弱み。気になっているあの子に直接言われてしまえば断ることはできなかった。
結局仕方なく付き合うことになったわけだが、いざアニマルタウンまでやってきて最初に立ち寄ったのがまさかおいしーなタウンにもある『Pretty Holic』だったのは予想外だった。拓海自身ほとんど入ったことのない場所だが所謂コスメショップぐらいの認識はある。他にも軽食だったり手帳だったりを取り扱っていることは幼馴染経由でなんとなく知ってはいるものの、言ってしまえばチェーン店である以上置いてある商品も自分たちの街にある店とだいたい一緒のはず。わざわざ別の街に来てまで立ち寄る内容があるとは思えないというのが率直な感想。
「まあいいけど」
自分も旅行先で全国展開してるファーストフードのお店やコンビニに行くこともあった。感覚としてはそれに近いのかもしれない。
コスメショップという煌びやかで慣れない空間から解放された拓海は空気を大きく吸い込み、ぐーっと伸びながら体をほぐす。思わず声が漏れてしまい、
「にゃ~」
同じく伸びをしていた、気持ちよさそうに鳴いた猫に振り返る。
「ねこ?」
店前で見つけた一匹の真っ白な猫。野良猫だろうかと一瞬考えて、よく見ると首輪をしている。こちらに気づいていないのか、くるくる回ったりあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返す。気の赴くままに動くそれは掴みどころのない雲のよう。
しばらく見届けているとちょうどいい場所を見つけたのか体を丸めて眠る体勢に。やっぱりこっちに気づいてはいない様子。
「…………」
少しだけ好奇心が疼く。
この店の飼い猫だろうか。それとも近くの家から出てきたのか。考えながら、なんとなく構いたくなって近づく。
手持無沙汰というのもあるが、どうして人間は野良猫を見つけると相手をしたくなるのだろうか。解明できない感覚に動かされ、姿勢を低くし、そっと手を伸ばす—————
「ニャッ」
「あ」
気配に気づいた猫はすぐさま飛び起き、走り去ってく。
「あー……」
取り残された拓海はポツンと固まる。
猫はまだ見える範囲に立ち止まり、こちらの様子を伺う。
「いきなり来たらそりゃ驚くか…。ごめんな、眠ってるところ邪魔して」
さすがにこっちの勝手が過ぎた。いくら飼い猫で人に慣れてたとしても知らない相手が近づいてきたら警戒するのは当たり前だ。
「もう邪魔しないよ。じゃあな」
「…………」
申し訳なさそうに後ろ頭をかきながら拓海は店のデッキに設けられた休憩スペースへと踵を返す。できるだけもう無害であることを示すために視線を外し、背中を見せる。それでも猫はまだ警戒しているようで、ジーっとこちらを見ていた。
「ふぅ…」
とにかくもう見ないようにする。せめてもう興味がないと伝われば猫もまたゆっくりするだろう。
なんて思って椅子に腰かけたときだった。
「にゃ」
「え」
真っ白な猫が目の前のテーブルにぴょんとジャンプしてやってきた。
「にゃー」
「おまえ…」
テーブル上で何回か旋回。真ん中がしっくりきたのかゴロンと横たわる。無防備なその姿はさっきとは違いこちらを警戒している感じはない。
「もしかして…相手をしてくれるのか?」
「にゃ~」
言葉を理解しての返事。にも聞こえるがきっと気のせいだろう。
拓海はくすりと笑みを浮かべ、先程よりもさらに慎重にその毛並みに手を伸ばす。わずかに猫と目が合うが、今度は逃げることはなかった。
「すげぇ…さらさらだ。なのにふわふわで、あったかい」
汚れ1つのない純白は触れているだけで心を落ち着かせる。優しく流すだけで心地よい温もりが伝わる。自分よりも遥かに小さくてまったく異なる生き物なのに、呼吸するたびに上下する鼓動に不思議な感慨が込み上げてくる。
「おまえこの店の子なのか? 大事にされてるんだな」
綺麗な体毛からきちんと手入れされているのだと動物を飼ったことのない拓海でも漠然とわかる。
「……にゃぁ」
鳴き声と共にこちらを見上げてくる猫。誇らしそうに見えたのは見間違いか、それとも。
「————この街には今日友達と初めて来たんだけど良い街だな。人も動物もみんな仲良さそうで」
「にゃあ」
「オレの街はおいしーなタウンって言ってうまい物がいっぱいあるんだけど、ゆいもよく食べ歩きしてて…あぁ、ゆいってのはオレの幼馴染でさ。すっげーよく食うやつなんだよ。でも、いつもうまそうに食べるから見てて飽きない奴でさ。特に……」
思わず、というか相手が猫だからか、拓海は今日この街にやってきてから体験したことや、自分の街について話した。意味が伝わっているとは思わないが、なぜか口は自然と動く。撫でながら、一時の時間を出会ったばかりの猫と過ごす。落ち着いてゆったりとした時間が流れていく。
どれだけそうしていただろうか。しばらくして、不意に後ろから声をかけられた。
「拓海。おまたせ!」
「ん? ゆい」
振り返ると幼馴染の女の子が立っていた。手にはPretty Holicのロゴが刻まれた小袋を持っている。何か買ってきたのだろう。
拓海は猫を撫でていた手をやめ、椅子から立ち上がる。
「にゃ…?」
この時、猫が不思議そうに見上げていたのを拓海が気づけなかったのは、呼びかけた相手が意中の相手だったのが最大の理由だろう。
「もう終わったのか?」
「うん」
「他のみんなは?」
「まだ中。すぐに来ると思う」
「そうか。結構見てたみたいだけど面白いものでもあったのか?」
「置いてる物はだいたい一緒だったよ。でも、ここのお店の子とここねちゃんが意気投合しちゃって。メイクの仕方とかで話してたんだ」
「へぇー…やっぱりコスメの店の人だと芙羽と話しが合うんだな」
「うん! ここねちゃんすっごく楽しそうだった! あっ、あとね。ちょっとだけメイクしてもらったんだ。ほっぺのところ」
言いながら幼馴染は、ずいっと自分の顔を拓海の顔に近づける。思わぬ突然の急接近に拓海はすぐに顔を赤くした。
「なっ!? ち、ちけえよ! そんなに近づかなくても見えるって!」
「そう? 近い方が見えやすいよ?」
「いいから! ……こっちの身がもたねぇって」
「?」
この幼馴染には異性との距離感がわからないのだろうか。時々そう思う。
「それで、どうかな? 似合ってる? こういうのあんまりやらないからわからなくて」
言われて幼馴染の顔をよく見る。戻ってきたときは気づかなかったが、よく見ると頬の周りが少しだけ赤くなっている。チークというやつだろう。拓海もメイクのことはからっきしわからないが、確かにいつもと雰囲気が違ってより女性を意識させる。
「…お、おう。まあ…いいんじゃねえか……」
直視してると心臓の動悸が激しくなりそうで、目線を逸らしながら絞り出すように答える。我ながら情けない反応だ。当の幼馴染は気にした様子はなかったが。
「えへへ、ありがとう。そういえば拓海は何してたの? 誰かと喋ってたみたいだけど」
「あー…それは……」
猫に話しかけていたのを同年代に見られた。しかも常日頃からよく会う幼馴染に。
思春期の男の子とは好奇心と気恥ずかしさが同居したような存在。特に羞恥心の面が強い拓海は思わず誤魔化そうとしどろもどろになり、
「にゃっ」
「いたっ」
不意に左手に小さな痛みが奔った。
「拓海? どうしたの」
「いや…猫に引っかかれて……」
「猫?」
きょとんとする幼馴染が拓海の身体の向こう側を覗き見る。
「どこにもいないよ?」
「え」
幼馴染の言葉に振り返ると、確かにさっきまでそこにいたはずの白い猫の姿はどこにもなかった。
「あれ、おかしいな…テーブルの上に寝転がってて…」
「拓海、猫とお話してたの?」
「うっ。それは……」
墓穴を掘った。
どう言い訳しようかと考えて、
「すまない。待たせた」
意外なところから助け舟がやってきた。
「あまねちゃん。ここねちゃんもらんちゃんも」
「拓海先輩おまたせ~」
「すいません。私がつい話し込んじゃって……」
申し訳なさそうに軽く頭をさげるここね。元気いっぱいに腕を上げるらん。そんな2人を引きつれるように前を歩くあまね。3人ともゆい同様にPretty Holicの袋を片手に、これまたゆいと同じようにうっすらとメイクアップしていた。
「? どうかしたのか?」
すぐにいつもと違う雰囲気を察知したあまねが首を傾げる。
「それがね。拓海がさっきまで猫とお話ししてたみたいで」
「お、おい!」
ただでさえ他人に見られたのが恥ずかしいのにそれをさらに伝聞する幼馴染に拓海の冷や汗が一気に溢れる。
ここねとらんならまだいいが、あまねに聞かれるのはよくない。この同い年は自分をからかうネタを見つけたらすぐにその部分を突いてくるのだ。おかげであまねの前ではゆいとは違う意味でよくドキドキさせられている。
できればそれは避けたい。……なのだが、結局止める暇もなくすべてのあらましをあまね達に聞かれてしまう。
あちゃーと、思わず頭を抱えたくなる。
「ふむ」
あまねは小さく声を出し、顎に手をかける。
またからかわれる。そう拓海が考えて、しかし意外なことにあまねは思わぬことを言い出した。
「もしかしたらそれは機嫌が悪くなったのかもしれないな」
「え……」
どういう意味だ?と聞こうとする前にあまねは語る。
「ついさっきまで自分が相手をしていたのにゆいの方に意識を向けたから、その猫は怒ったんじゃないか?」
「はにゃ~、猫ってそういうところあるよね~。気まぐれというか、構え!ってときに構わなかったら怒ったり」
「もしかしたらその猫…拓海先輩にもっと撫でてほしかったのかもしれない」
「う~ん…そうなのか……?」
確かにそう言われると急に自分ではない誰かに意識を向けられるのは人でもいい気分はしない。もし猫でも同じ気持ちを抱くなら、怒るのもわからなくはないが……。
「もしくはマーキングをしたのかもしれない」
「マーキング?」
「猫は体をこすり付けたりトイレなどで臭いを移して自分のテリトリーを示す。他にも爪でひっかいたりするのも、猫の立派なマーキング方法だ」
「へ~そうなんだ。あまねちゃん物知りだね」
本当に。いったいどこでそんな知識を身に着けるのか。
「はにゃ? つまりその猫ちゃんは……拓海先輩を自分のものだってマーキングしたってことになるのかな?」
「ゆいに嫉妬した…?」
「いやいやっ。ないだろ、さすがに。単に引っかかれただけだって、こんなの」
いくら猫が気まぐれな生き物とは言え出会ったばかりの人間に、ほんの数分一緒にいただけでそこまで懐くとは思えない。仮に懐かれていたとしても、単純にもっと遊んでほしかったとかで自然と手が出てひっかいただけだろう。人間同士のやりとりで嫉妬という感情を猫が抱くなんて拓海には信じられなかった。
なによりそれらの意味合いを受け入れた場合、自分とゆいが『そういう』仲に見えたことを受け入れることであり、嬉しいことだけどやっぱり拓海としては気恥ずかしさが勝ってしまって否定せざるを得ない。
だが、そんな拓海の隙を見逃さないのがあまねだ。
「わからないぞ? 品田の撫でる手つきがその猫にとっては懐くには充分なテクニックだったのかもしれない」
「なんだよ、それ。意味がわかんねえよ……」
「品田なら猫も片手で落としてしまうということだ」
「『も』ってなんだ! 『も』って!」
「拓海先輩、ついに猫まで手籠めに……!」
「気づけばたくさんの女の子相手にしてるもんねぇ。そりゃもうらんらん達だけだったのが遠い昔なレベルで増えてるし。今さら猫の一匹や二匹増えたところで驚きはないよね」
「拓海……? また……」
「『また』っ!? おっ、落ち着けゆい! こんなのただの猫の気まぐれだ! 菓彩の言ってることがあってるかもわからないんだし……!」
ゆらりと暗いオーラを纏うゆいに拓海の心臓が跳ね上がる。ここねもらんも火に油を注ぐかの如く暴走しはじめ、もはや先程までの猫と過ごした穏やかな時間が嘘だったかのよう。
あわただしくなる拓海にあまねは面白そうに笑みを浮かべ、
「ふふふっ。どうした、品田。顔が赤いぞ?」
「う、うるせえ! おまえの所為だよ!」
その後、暴走する女子達に振り回されながら最終的にあまねにからかわれるいつもの流れに拓海は四苦八苦することとなった。
猫の真意は結局わからぬままに。
『にゃ~』
『あ、ユキ。おかえり。ねえ聞いてユキ! さっきお店にお客さんが来てね、私と同い年ぐらいの子達だったんだけどみんないい子で、その中の1人ととっても仲良くなったの! メイクについていろいろとお話してね!』
『……にゃぁ』
『あれ、ユキ? なんだか…ご機嫌ナナメ?』
『………にゃっ』
『???』