拓海とまゆ

拓海とまゆ


それはたまたま聞こえてきた。

買い物に行く道中で小耳に挟んだだけの、なんてことのない雑談。


『綺麗な肌~! めっちゃうらやましい~!』

『でしょー。ちゃんと手入れしてるんだから。彼にも綺麗だって褒められたいし』


すれ違いざまに女性2人が並んで歩いてく。

不意に私は自分の腕を見ていた。

飼い猫であるユキに引っかかれた傷跡がいっぱいの自分の腕。決して綺麗とは言えない、ユキとの思い出がたくさん刻まれた数々。

私はユキとのじゃれ合いを思い出して頬が綻ぶ。

綺麗かどうかなんて自分にはどうでもいい。見せる相手もいなければ、今はユキがいる。だからこの時、私はまったく気にならなかった。





「わぁ! これかわいい!」


今日私がやってきたのはペットショップ。首輪や洋服にリード、他にも猫じゃらしなどの猫用グッズがずらりと並ぶ一画でたくさんの商品を前に私は思わず声が漏れる。


「これなんかユキに似合いそうだなぁ」


手に取ったのは小さめのリボン。猫用のアクセサリーだ。

付ける付けないはその時のユキの気分次第だけど、一目見てビビっと来たこの感覚を無視することはできない。せっかくだし買って帰りたい。


「でも、どうせだったら違う色を……」


リボンが並ぶ棚には多少種類がある。微妙な見た目の違いと色違い。ユキに付けるならば今手に取っている色じゃなくて別のがいい。

そう思って棚の並びを目で追っていくと。


「あれ…ここだけない」


欲しい色の棚だけがぽっかりと空いていた。もしかして売り切れたんだろうかと考えて他の場所も念のために探すが、やっぱり目的の物だけがなかった。


「どうせだったらユキが似合うのがいいけど……」


消化不良のような気持でもやもやしていると、視界の端にスタッフの影が見えた。条件反射で声をかけようとして、スタッフがせわしなく動いているのを確認して、出かけていた声が喉奥に引っ込む。

近くにいたスタッフは大きめのダンボールを持ちながら歩いていて、こちらに気づいている様子はない。


「あ…あの……」


それでもユキのためだと声をかけようとするが、その声は情けないぐらい小さい。ただでさえ人に話しかけるのが得意じゃない私に、忙しそうにしている人を呼び止めるのはかなりの難易度だった。


「ど、どうしよう……」


他のスタッフでも。と考えて周囲を見るがすでに他のお客に対応していたり、レジ周りもちょうど列ができるほどに混んでいて呼ぼうにも呼べる状況じゃなかった。

なんてタイミングが悪いんだろう。自分の運のなさに。それ以上に声をかけることもできない不甲斐なさに思わずため息ができそうになる。

そんな時だった。


「どうかしたのか」

「ひゃっ!?」


意識していない方向からいきなり声をかけられて、猫のように大きく跳ね上がる。

恐る恐る振り返ると気まずそうな、どこか困惑に混じった表情を1人の男の子に向けられていた。


「あなたは……」


話しかけてきた男の子には見覚えがあった。つい最近知り合って意気投合したここねちゃんと、そのお友達であるゆいちゃん達と一緒にいた男の子だ。

確か名前は……。


「拓海先輩…さん?」

「先輩の後にさん付けはいらないんじゃねえか…」


指摘されて、思わず顔が熱くなる。

ここねちゃんが呼んでいた時のことを思い出して、口がそのまま引っ張られてしまった。


「ご、ごめんなさい…!」

「いや、別にいいけど。それより何してるんだ? なにか困ってたみたいだけど」

「あの…それは……」


歯切れの悪い私の反応に男の子は首を傾げる。

しばし間をおいて、私が手にしていたリボンと私を交互に見てから男の子はゆっくりと口を開いた。


「それ、猫用のやつだよな。確か猫飼ってるんだっけ」

「は、はい。ユキって言って…」

「なら、ちょうどよかった」

「え」


男の子は私の横に並ぶ形で棚にある商品を物色しだす。


「知り合いに猫飼ってるやつがいてさ。せっかくアニマルタウンまできたんだし何か土産でも買っていこうと思ってて。参考程度に何が良いか聞いてもいいか?」

「私が…ですか…?」

「て言っても別に感覚的にこれがいいとかでいいんだけど。オレもその猫のこと詳しく聞いてなくてさ。とりあえず良さそうな物選べればそれでいいんだ」

「えっと……」


どうしよう。男の子と2人っきりで話すなんて滅多にないせいで、なんて返せばいいのかわからない。

そもそもこの男の子とは知り合って間もない。もっと言えば知り合ったときもちゃんと話した記憶もない。ここねちゃん達といたときも別のことをしていてしっかり顔を見合わせわけでもなく、今のところ知り合いの知り合いぐらいの距離感だ。

そんな男の子と2人だけの状態で会話をしろだなんて、とてもじゃないが私にはできない。


「あの……」


それに私の感性でこれがいいとかで選んでしまっていいのだろうか。

どんな猫かもわからないのに、私が教えた所為で間違ったお土産を持たせてしまったら。もしそれがきっかけで贈り物を上げる相手とこの男の子が険悪になってしまったら、どう責任が取れると言うのか。

頭の中でいろんな考えがグルグルと回り、私はうまく口を開くことができなかった。すると男の子は何気なく振り返る。


「その持ってるの、色違いも見てみたいな」

「……え」

「すいませーん」


男の子が近くにいるスタッフ声をかける。私が躊躇していた相手だ。

気づいたスタッフは手にしていた荷物を一度床に置き、急ぎ足でやってくる。


「はい、どうしたました」

「こいつの持ってるのなんですけど、ちょうどここの棚の色の奴だけないんです。もう在庫ってないんですか?」

「こちらですね。たぶんあると思います。確認してきますので、少々お待ちください」

「はい。お願いします」


先程私ができなかったことが難なく進み、スタッフはバックヤードの扉の向こうへと消えていく。

男の子たちのやりとりを隣で見ていた私がぽかんとしていたら、男の子は再度棚の方を見つめる。


「それ、ありそうだな」

「あ、はい…」


一瞬、反応に遅れて言葉を返す。それから少しだけ考えて、


「あの……」

「うん?」

「もしかして今の…私の代わりに声をかけてくれたんですか?」


言われて男の子は少しだけ恥ずかしそうにこちらを見て、また視線を棚側に戻した。そのほっぺはほんのり赤い。


「…悪い。もしかしたらと思って。お節介だった」

「いえっ、そんな!」


思わずいつも以上に声が出た。裏返ってないか心配になるぐらいに。


「猫、すきなのか?」


恥ずかしさを誤魔化すためなのか、男の子はそんなことを聞いて来た。

私はしばらく男の子を見つめて、そして男の子同様に棚側に視線を向ける。


「ネコが好き…と言うか、ユキが好きなんです」

「真っ白してそうな名前だな」

「はいっ。実際にユキはすごく綺麗な白色なんです。とってもかわいくて触ってるだけで心が落ち着く毛並みで!」

「猫って気まぐれなんだろ。大変じゃないのか?」

「そんな気まぐれで素っ気ないときもぜんぶ含めてかわいくて大好きなんです! ユキと一緒にいると癒されるというか、ユキとの時間が何よりも私には………………」


言ってる途中で男の子がぽかんとしているのに気づき、私の顔がみるみる青くなる。

やってしまった。また、やってしまった。ユキのことになるとつい熱弁してしまう癖がこんな所でもでてしまった。

思わず私はその場に小さく縮こまる。ちょうど目線の高さに来た商品を手に取って、気まずい気持ちから目を逸らそうとして、同じく屈んだ姿勢の男の子にびくっと身体が震えた。


「す、すいません……」

「いや、まあ…好きなんだな。本当に」


渇いた笑みを浮かべる男の子。

やっぱり引いている。それはそうだろう。いきなりあんなにべらべらと語りだして驚かない人間なんていない。


「お、これなんかいいかもな」


気まずい空気の中、なんとかしようとしてくれているんだろう。男の子は少しトーンを明るめにした声を出す。けれど私は自分の醜態に恥ずかしくて男の子の方を向けない。


「猫とのペアルックなんてあるんだな」


ただ、興味深い言葉に思わず私は顔を上げてしまう。……単純かもしれない。


「あ、かわいい」


男の子が手にしていたのは猫と飼い主がお揃いになるようデザインが施された首輪とブレスレット。青とミントグリーを基調としたシンプルな見た目だけど、どこか心惹かれるものがあった。

私の言葉を聞いて男の子は小さく笑う。


「その腕の傷、猫に引っかかれた傷か? すごい数だな」


自然と腕に視線が移り、自分の腕の傷を手でなぞる。


「はい。ユキと遊んでて、気づいたらたくさんついてました」


ふと。ここに来る道中で出会った女性2人の話を思い出す。

綺麗な腕。

いつもだったら意識しないこと。けれど、そんな話を聞いたせいなのか。それとも今隣にいるのが知り合ったばかりとはいえ男の子がいたからなのか。ユキの綺麗な姿を思い出したからなのか。私は何気なく付け加えた。


「綺麗じゃないですけど……いっぱい思い出が詰まってるんです」

「……………」

「かまいすぎちゃうのがダメなんでしょうけど、やっぱりユキがかわいくてつい」

「———————そうか。悪いもんじゃないんだな、そういうのも」


柔和な笑みを湛えた男の子は私の腕の傷に優しい眼差しを注ぐ。

その顔に、その瞳に、私は少しだけ男の子に対しての緊張が解れたような気がした。


「すいません、お待たせしました」


店員さんが戻ってきたのはそれぐらいのタイミングだった。


「こちらが色違いになります。商品並べるのが遅くなって申し訳ありません…」

「いえ、こっちこそ忙しい時に頼んですいません」


2人が軽く会釈し合いながらいくつかのやりとりを得て商品を男の子が受け取る。

店員が下がると同時に男の子は振り返り、『ほら』と私が1人では到底手にできなかったお目当ての物を差し出してきた。


「わぁ! うん、やっぱりこっちのがユキにあう!」


念願かなって手にしたリボンに思わず頬がゆるむ。


「よかったな、あって。じゃあオレはもう行くから」

「え、お土産で買うのはまだ決まってないんじゃ…」

「それならこれに決めた」


そう言って男の子が見せたのは私がさっきかわいいと言った猫と飼い主のペアルックセット。


「それにするんですか?」

「ああ。オレがあれこれ考えるより実際に猫飼ってる人の反応の方が間違いないだろ」


どうやら無意識に出た私の言葉を聞いて購入を決めたらしい。でも……。


「い、いいんですか…。その…もしかしたらそれを送る人が気に入るかもわからないし……別のにした方が……」


私がいいと感じたものを他の人もいいと感じるかは別問題だ。猫を飼ってるだけで私の言葉を信じて、もしものことがあったらと考えたら申し訳ない気持ちで胸が締め付けれる。

しかし男の子は気にした様子もなく、


「オレがこれがいいって決めたんだ。だからいいんだ。悪いな、急にこっちのことに付き合わせて」


くるりと反転し、背中を向けて男の子はレジへと歩き出す。

思わず小さく『あ』と声が漏れて、止めようと手を伸ばそうとして、結局伸ばせない。

見送るしかない私は立ちすくむ。でもやっぱり選び直した方がいいと声をかけようとして、男の子がピタリと止まった。


「……その腕」


少しだけ顔をこちらに向ける。


「綺麗かどうかなんてわからないし、オレは犬も猫も飼ったことないからわからないけど、命を飼うのが大変なんだろうなってのはなんとなくわかる」


周囲を見渡す男の子。

ペットショップなだけあって、いるのは人だけじゃない。犬や猫、鳥までもが鳴いている。

これから新しい飼い主に飼われる子もいれば、飼い主と一緒に訪れている子までさまざま。それぞれが人と触れ合い、一緒に時間を共有している。

男の子はそんな人と動物を一瞥して、優しく笑う。


「だから、そんだけ傷だらけなのはいっぱい世話してるからだろうし、それだけ傷だらけでも好きでいるんだから、その腕は素敵な腕だと思う」

「…………」


私は小さく吐息を零した。周りの喧騒に簡単に消えてしまうぐらい本当に小さな吐息を。


「…………」


男の子はしばらく固まり、ちょっとずつ耳から顔にかけて赤くなってくると全身がぷるぷると震えだす。


「—————だっ、だからっ。そんだけ猫好きの奴の意見を聞いてオレが選んだんだからおまえは気にすんなよ! いいな! じゃあな! 手伝ってくれてサンキューな!」

「あ」


まくしたてるように言うだけ言って男の子はそそくさと退散してしまう。追いかけようかどうしようかとも考えて、男の子の言葉を思い出す。

……もしかして、私が心配しないように気遣ってくれたのかな。だとしたら……。


「…………」


私は手にしたリボンに視線を落とした。

思い浮かぶのは愛猫の姿。


「ふふっ。ユキ、気に入ってくれるかな」


ふわふわとする不思議な気持ちに心が温まりながら、私もレジへと向かった。












そういえばレジが酷い混み具合だったのを、レジに到着して列に並んでいた男の子と再会して思い出した。


「あ、えっと……」

「…………」

「さっきはありがとうございました! 拓海先輩…さん!」

「……だから先輩のあとにさん付けはいらねえって」


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