手品師とヒロキ

手品師とヒロキ

2023/03/26

古い木造のアパートの2階、ヒロキは一番端の方の扉に立って、ポケットから鍵を出して、鍵を開けた。部屋に入って、ランドセルを部屋の隅に置くと、冷蔵庫に貼ってある紙を見て、ヒロキはため息をついた。


ヒロキへ、今日も仕事が遅くなりそうです。夜になったら冷蔵庫に入っているご飯を温めて食べてください。ごめんね。母より


「またか……」

ヒロキの家庭は、父と母が離婚して母と共に暮らしている。だが、母は仕事が忙しく、仕事が休みの日以外は母とろくに会話をすることもできない。友達を作ろうとしても、

「お前はお父さんがいないから」

「僕たちが持ってるゲームやおもちゃも無いから」

「お前といるとビンボー菌がうつるから」

と言われて、誰も遊んでくれなかった。

お母さんが仕事でいないこと、学校の友達が誰も遊んでくれないことを思い出して、さみしくなったヒロキは家にいる気が起きなくて、公園まで来た。

夕暮れの中、誰もいない公園で一人ブランコをこいでいると、だれかの影が目の前にぬっと現れた。

「誰?」

顔を上げると、そこにいたのは燕尾服に蝶ネクタイを締めてマントを羽織り、シルクハットにステッキまで揃った、古風な手品師さながらな若い男だった。男の人はヒロキをまっすぐ見て、言った。

「きみ、落ち込んでいるみたいだね」

「違う!」

思わず大声で答えてしまった。男はふふっと小さく笑うと、

「違うのかい。それは失礼した。おわびに手品を見せてあげよう」

「手品?」

「そうだよ、わたしは手品師だからね」

手品師はシルクハットのつばをつかみ、くるりとひっくり返してヒロキに中を見せた。

「種もシカケもございません。どうだい、きみ、中に何か見えるかい?」

用心深く中をのぞいたものの、黒くて丸い底が見えるだけだった。

「何もないよ」

「それでは、ワン、ツー、スリー!」

手品師がそう言ったとたん、シルクハットから白いハトが何羽も飛び出し、次々と地面に降り立った。

「うわ!」

ヒロキはびっくりしてブランコから落ちた。

「どうだい、おどろいたかい」

手品師は得意げな表情を見せて言った。

「すごい! すごい! おじさんすごいんだね! じゃあさじゃあさ! 次はカラス出してカラス!」

「カラス……ですか」

「うん、カラス! 出せるでしょ?」

ヒロキは悪意ない声でおねだりして、手品師は少し困った表情をする。だが、小さく笑うと。

「分かりました 出しましょう」

「やったあ」

手品師は今度はシルクハットをステッキで叩く。

「いきますよ~ワン、ツー、スリー!」

手品師がそう言ったとたん、シルクハットから黒いカラスが何羽も飛び出し、次々とブランコや滑り台の上に乗った。

「いかがでしたか?」

「すごかった!!」

「そうでしょうそうでしょう」

「そしたらさぁ!今度はペリカン出して!ペリカン!」

「ペリカンは……ちょっと……いや、出しましょう」

「ホント!?」

「いきますよ~ワン、ツー、スリー!」

手品師の掛け声とともに、シルクハットからペリカンの特徴的なくちばしが飛び出してきた。それから頭が出てきて、次に片方の翼、そしてもう片方の翼。気づけばシルクハットからペリカンが姿を現し、地面へと降り立った。

「うわああああああ!?」

ヒロキは恐怖と興奮が混じったような叫び声を上げながら遠ざかった。

「すごいでしょ~」

手品師は誇らしい笑みを見せる。少年は恐る恐る手品師の元に寄ってきて、ペリカンを見上げた。

「うわ……本物だ……すごい……」

「あ、あんまり目を合わせないでくださいね 突かれますからね」

「うん、すごい……」

ヒロキはひたすらに驚いていた。うわ言のように感嘆を漏らしている。

「ねえ!今度は鳥さんたち全部消してよ!一瞬でばあって!!!」

「一瞬では無理ですよ~」

「できないの?」

「一瞬ではできないだけですよ」

手品師は、シルクハットを地面に逆さに置き、立ち上がった。

「鳥達よ、ハットの中にもどりなさい。ワン、ツー、スリー!」

すると、ペリカンがシルクハットの中に吸い込まれていった。それだけではない。カラスや鳩も、シルクハットの中へ全部入ってしまった。

「おぉ……」

手品師はシルクハットをつかみ、くるりとひっくり返してまたヒロキに中を見せた。

「どうだい、きみ、中に何か見えるかい?」

中を覗いてみたが、さっきのように黒くて丸い底が見えるだけだった。

「何もないよ」

「そうでしょう」

「凄いんだね! どうやったの!?」

「さっき、種もシカケもないって言ったでしょう」

「そうなの? じゃあどうやって出したの?」

「だから、種もシカケもないと……」

「ねえ教えて、教えてー!」

ヒロキの言葉に、手品師は観念したかのようにため息をつくと、こう言った。

「さっき、種もシカケもないって言ったけど、本当は種ならあるんだ」

「どういうこと?」

「こういうことさ」

手品師はシルクハットを頭に乗せると、ステッキで叩く。すると、手品師の衣装がドロドロに溶け始めた。シルクハットも、燕尾服も、マントも。そして黒いドロドロになった何かが手品師の全身を包みこみ、ぐりゅっ、ぐちゅっ、ぐちょっと音を立てて動く。そして、人一人入れるくらいの、大きな黒光りするタールみたいな不透明のスライムになると、その中からパンツ一丁の手品師が出てきた。

「うわあ!?」

ヒロキは思わず後ずさった。

「どうだい、驚いたかい」

「う……うん……」

「わたしはね、手品師であると同時に、魔法使いでもあるんだ」

「魔法……使い……」

「これは私が開発した魔法道具『イメージング・スライム』さ。私がイメージしたものに、なんでも変化できる。こんな風に」

手品師はスライムの一部を手ですくうと、黒いスライムは白い鳩になった。

「すごい! さっきの鳩やカラスは、全部これだったんだね!」

ヒロキは目を輝かせた。

「更に、こんなこともできる」

手品師は、いきなり宙返りをして跳ぶと、スライムの中にぢゅぽっと音を立てて入った。

すると、中に入った手品師を咀嚼するかのように、ぐぶっ、ぬぶっ、どぢゅんっ、ごぢゅっ、ばぢゅんっと気持ち悪い音を立てて、スライムが上下に動く。黒光りするスライムの中がどうなっているのかは、外からは見えない。

すると、動きがいきなり止まる。スライムはうごうごと形を変えて、巨大な黒い蛇になった。くけぇええっ!! と蛇は声を上げた。

「きゃああああっ!!」

ヒロキは悲鳴を上げた。すると、手品師の笑い声が聞こえてきた。

「これは驚いたかな? 私はここに居るよ」

手品師の声が聞こえると、蛇の額から手品師の顔がぐぼっと音を立てて出てきた。

「うわぁっ」

ヒロキは再び叫んだ。

「どうだい、面白いだろう」

手品師は満足げな笑みを浮かべた。

「もっと見せてよ!」

ヒロキは興奮気味に言った。

「いいとも」

手品師が頭を蛇の中に引っ込めると、蛇はまた黒いスライムに戻り、中にいる手品師を咀嚼するかのように、ぐぶっ、ぬぶっ、どぢゅんっ、ごぢゅっ、ばぢゅんっと気持ち悪い音を立てて上下に動く。すると、今度は龍になった。ぎゃおおおっ! と雄叫びを上げる。

「うわあああ!!」

ヒロキはまた叫ぶ。

「まだまだ驚くには早いよ!」

手品師がそう言うと、。スライムは、どんどん形を変えて、亀、鳥、蜘蛛といったものに形を変えた。それを見て、ヒロキは毎回声を上げた。

そして変わったものが元の黒いスライムに戻ると、中から再びパンツ一丁の手品師が出てきた。

「はい、おしまい」

「あーあ……、もう終わりなんだ……」

「でも、とても面白かったでしょう?」

「うん! ……ねえ、おじさんそのスライム、ぼくにくれる?」

「それは無理だね。私のこの『イメージング・スライム』は私の商売道具だからね」

「そっかあ……」

「でも、商売道具はあげられないけれど、君にはこれをあげよう」

手品師はどこからともなく、瓶に入った黒いスライムを出し、ヒロキに渡した。

「これは、『イメージング・スライム』の試作品さ。一度何かに変化したら元の黒いスライムには戻らない。よく考えて使ってくれ。それと、『イメージング・スライム』のことは誰にも喋っちゃいけないよ」

「うんわかった、約束する」

「それでは、今日のショーはおしまいだね」

手品師はまたしても飛び上がり、『イメージング・スライム』の中にずぽっと音を立てて入る。ぐぢゅるぅ、ぐちゃぐちゃ、ぐちょん、ぐじゅり、びちゃんっと、手品師が中に入っている黒いスライムは、ドロドロした粘液を掻き混ぜるような気持ち悪い音を響かせ、激しく動く。

そしてぐちゅぐちゅと音を立てて形を変えると、巨大な黒いドラゴンになった。そして、ぐちゅるるる! と音を立てて、ドラゴンの胸の辺りから手品師の顔が出てきた。

「さようなら」

手品師のその言葉を最後に、ドラコンはバサッ、と翼を広げると、空高く飛んでいった。ドラゴンの胸から出ている手品師の顔は、にこやかに微笑んでいた。

ヒロキは早速、家に帰って瓶に入った『イメージング・スライム』とにらめっこしていた。これを何に変えようか悩んでいたのだ。

そうしてひとしきり考えた後、ヒロキは瓶を開けて『イメージング・スライム』を手に持って、イメージした。

夜、ヒロキの母が帰ってきた。

「ごめんね、ヒロキ。また遅くなっちゃって」

「うん……あのね、お母さん。この間何の日だったかわかる?」

「何の日だったの?」

「……母の日。いつも頑張ってるお母さんに、プレゼントがあるの」

「あら、無理しなくても良いのに……」

「良いの。それで、これをプレゼントしたいの……」

ヒロキが母に渡したのは、藍色のエプロンだった。

「エプロン……ありがとうね。これ、大事にするわ」

「うん!」

それからというもの、ヒロキの母はそのエプロンをずっと使っていた。薄い布地なのに、なぜかボロにならないエプロンを。

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