戦闘/毒花-1
視点は変わって、不意に照明の落ちた中央道。
突然のことにぎゃあぎゃあ喚くマスター、それに呆れるサーヴァント。
そこに潜む死があるとも知らずに呑気なことだ。
わざとらしく残された足跡に釣られた勇者……無謀な彼らを待ち受けるは、誰もに消滅したと思われていたアサシン。高ランクの気配遮断の前には、戦士の勘も届かない。
「ランサーが先にサクサク歩くのが悪い! えーっと……そうだ! こういう時こそ平静を装うんだ!」
「今更すぎるだろ!!??」
そして奇襲の後押しをする、地下道に反響しまくる二人の大声。こんな中では、吐息や足音を殺す意味すらない気がする。
アサシンの扱う短刀は手の内によく馴染み、簡単に隠せてしまう。
対するランサーの武器は巨大で、この閉塞空間中では風の攻撃だってリスクが伴う。
果たしてこの暗闇の中で、躊躇なく槍を振るえるだろうか? 答えは否。
……もし反撃が来たとしても、既に確保した「マスターの身体」を盾にすれば良いだけ。マスターにトドメを刺すのが自らのサーヴァントというのも、それはそれで。
「『日常会話で敵を撹乱する作戦だ!』」
「まぁた言ってるのかお前!!! 流石に二番煎じはウケな——」
しかも、この二人の声の距離は十メートルを優に離れているではないか。いかなサーヴァントとはいえ、脱力した状態から視界の助けもなく咄嗟に助けに飛び出せる距離ではない。
なんなら、余りに早く動き過ぎれば、「助ける対象/マスター」を巻き込んでしまう可能性すらある。
暗殺者たる彼女にしてみれば、これは余りに簡単な仕事。
暗闇に慣らすために閉じていた目を開く価値すらもない。余りにも簡単で、浮き足立ってしまうくらい。
「——『さ、流石にそれは悪口では!? ギャン!!』」
「ちょっと早いんだよ返しが!!」
ランサーのマスターは、転んだまま起き上がっていないらしい。
ぎゃんぎゃんと泣き喚いている足元に躍りかかる。一足飛び。
彼女はそのまま、容赦なく短刀を突き立てた。
狙うは喉笛。この騒がしいマスターを、一刀で黙らせ————
…………がちん!
短刀は地面に吸い込まれ、嫌な音を立てる。同時に血の気が引く。
失敗した!
失敗した? ……どうして?
でも確かに、声はここから……!
「『——ってことで日常会話リターンズなんだけどさ』」
(足の間から、また声が……!?)
刃を突き立てたほんの数センチ……いや、数ミリ横から。
「『グレちゃんって今、何してるんだろうね?』」
変わらず、呑気な声がする。
それは余りに呑気だった。これだけ至近距離に短刀が突き立てられる音がしたのに、全く気がついていないのか?
その異様さに思考が数瞬止まってしまうくらい——
「——バァ〜〜〜ッカがよぉ!!!! 暗闇の中で煩いやつは死亡フラグだって知らないのぉ!?」
「まさしくお前だろそれは……」
(な……!?)
嘲笑全開になじる大声。呆れた男の声。あ、あれ。おかしい。
何で? そんなそぶり、全くなかった!
背後から女の声がする。しかも、彼らの声の距離は……
(なん、で……?)
一メートルもない! マスターの方は、ランサーの背に庇われている!
なんならランサーは、その場から動いてすらいない。その場にいたランサーの後ろに、マスターの方が移動した……?
恐ろしいことに、ああしてアサシンの足の下で喚いていたはずの彼女は、一秒以下でランサーの後ろに立っていた。
更に恐ろしいことといえば、暗殺者にも気が付かれぬ忍び足だ。
十メートル以上を一瞬で移動、しかもその一連の動作は完璧な無音!
「さあやれランサー! 可哀想なアサシンに圧倒的暴力の力を教えてやれ! 毒使いめ、テメェの性能は通信で割れてんだよ!」
「けっ、相変わらず性格悪いな! ギカレーダ!」
そう言いつつもランサーの声は楽しげだ。
「ッシャ褒められた! 照れる! お代は千円で良いぞ!」
「いや払わねえよ」
……ああ、目を開けずとも分かる。
これは、まずい。アサシンは苦い顔を浮かべた。
轟轟。狭い空間に、肌を切り付けるような風が吹く。
……どうする? アサシンは思案する。
あの剛力、まともに討ちあえばこちらに勝てる道理はない。
逃げるべきか。
しかし、このまま一行を進ませては……
(すまないが、そのまま戦闘を継続してくれるか、アサシン。戦う場は君の判断に任せる)
『あの方』の声が、頭に響く。心地よい声。
今、判断を任された。信頼されている! 殺す対象でない相手から信を置かれる喜びが、多くのターゲットを籠絡しては殺してきた暗殺者の胸をいっぱいに満たした。
(主命を受諾致しました、貴方の御心のままに!)
(ああ。全てのサーヴァントを打ち倒し、また会えるのを楽しみにしているよ)
(はい!)
この先にある、広い一室で戦うということになれば……更にこちらの不利になる。
槍を思う存分振り回せるとなれば、万に一つの勝利の芽すらも消え失せる。
「……ッ!」
となれば、ここで討つしかない。
自分ではきっと、あのサーヴァントを殺すことはできない。毒霧は全て風で無効化されているし、仮に接近出来たとしても向こうの一撃の方が速い。
毒血を浴びせる為の接近で上半身と下半身をぶった斬られては困る。
だが、人間だけを狙うなら勝ちの目はなくもない。というか、それ以外の道はない。
「ヘイヘーイ! 俺の速さについて来れる自信あるわけー!? 速さの俺、力のランサー! まさか、この最強の布陣に一人で勝てるとか思ってんのかーい!?」
「煽んのはやめろって……」
確かに懸念が一つ。
そもそもアレはどうやって、あんな高速移動を行ったのだろう?
ほんの瞬きのうちのことだ。自分の足元から、向こうまで移動した。しかも足音すらもなく。
大声がわんわんと反響していた途中ならまだしも、「足元での発言」と「後ろからの嘲笑」の間は静寂だった。
あの中を素人が歩いたならば、暗殺者として絶対に勘付いた。
そのはずなのに……。
こうなっては意味がわからないが、あれを何度も発動出来るとなれば脅威なことは確かだ。
こちらも全力で。
身構える一手順、その前。ざりり、と引いた足が、何かを蹴飛ばす。
ハッとそれに目を向ける。暗闇に慣らしていた瞳が捉えるのは、四角い板状の何か。
「——『日常会話で敵を撹乱する作戦だ!』」
先程と寸分違わぬ声……本日三回目のその発言が、足元から発された。
「……あ、やっべ。『さ、流石にそれは悪口では!?』う〜〜〜んポンコツ携帯がよ〜!」
そして次の声は、ランサーの隣から。
そうか、これが意味するところはつまり、
「録音……!」
蹴り飛ばした衝撃で、もう一度再生されてしまっただけ……!
事前に自分の声を録音し、再生。その直後にランサーに声を張らせ、その場から去る足音を誤魔化した!
この暗闇で何かを仕掛けてくると踏んで仕掛けられた罠に、みすみすこちらが誘い出されてしまったと……。
そうと分かれば、もう懸念はない。
つまり彼女はただの人間で、高速で動く異能などない。
なら、殺せる。
小刀一つで殺せる。毒で殺せる。素手で事足りる!
「ま、いつ来るかわかんない不意打ちを誘導出来ただけヨシ! 俺の計画成功だぜ!」
不意打ちが来ると確信していたのは少し気になるが……どうせ殺せるのだからどうでもいい。
そして、マスターを殺せる手立てがあるならば、もはやランサーの強さも関係ない。
このランサーを倒せれば「あの方」の計画は大きく動いて、そして私も————!
アサシンはマスターを殺すべく、ギカレーダ目掛け跳躍する。
それを許すわけもないランサーは、槍を顕現させ大振り一つ。強く吹き荒れた風に、空中にいるアサシンは微かに姿勢を狂わされる。
仕方なく天井を蹴り、その反動で迅速に地上へ着地。
間を置かず、土壁を蹴り飛ばして真横にひとっ飛び。
「オラァ!」
「ッ……!」
その直後、アサシンのいた場に剛拳が突き出される。
まともに当たれば即死の一撃。
「チッ……狭い! やりにくい!」
背筋が冷えるアサシンに対し、ランサーの感想は「やりにくい」と呑気なものだ。
「暴れすぎるなよランサー! 崩れたら困るぞっ! 暗くて見えねえけど暴れてんだろどーせ!」
「わーってるよ!」
地下道に強風が吹き荒れる中、しかし、マスターたるギカレーダの髪は揺れてすらいない。
「……そう」
この数十秒の間でほんの一回だけと、異様に攻撃の頻度が低いこと。動きが鈍いことにも、合点がいった。
どうやらランサーは、風の調節にかかり切りになっているらしい。
この狭い空間で気を抜けば、マスターや自分に毒霧が届いてしまう。下手に風を強くして他の道に霧が流れれば、味方に危険が及ぶ場合もある。
戦う場の狭さ。視界の悪さ。毒への対処。奇襲の懸念。
自衛手段を全く持たないマスターを背に、戦闘を長引かせることへの焦り。
気にかけることが多いが故に、彼の動きにはキレがない。
仮に屋外での戦闘だったなら好きなだけ槍を振り回せたし、毒への対処だって何倍も楽だったのだろう。
そうして、アサシンはあっさりと討ち取られていたに違いない。
マスター狙いで投擲された短刀が手甲に弾かれ、ばらばらと落ちる。
「よう、アサシン。相対するのは二回目だな? ……いや、あれは不意打ちみたいなもんか。あの傷でどう生き延びた? あれを受けてよくもまあ、また立ち塞がれるもんだ」
槍を振り回して牽制しつつ、口火を切ったのはランサーだった。
「……? 何を言っているのかよく分かりません。私は『あの方』と再契約し、全てのマスターを殺せと命じられました」
アサシンは後ろに飛び退き、会話に応えながら相手の隙を探る。
「ラジアータか」
「『あの方』は『あの方』です。私の身体に触れても、死ななかった方。私が殺さなくても良い、私が触れても殺せない命」
「……へえ、俺じゃ駄目だったか。ま、殺されかけちゃ友好も抱かねえか」
「ますます何を言っているのか理解出来ない。貴方は、毒に触れない技量のことを『毒が効かない』と表現するのですか」
風で毒霧を防ぎ、毒の塗られた短刀は武具で弾く。確かに彼を毒で殺すことは難しそうだが、それと『毒が効かない』はイコールではないはずだ。
「……いや、見せてやっただろ」
少なくとも、毒の娘はそう認識していた。
だが、怪訝な顔のランサーにとってはそうではないらしい。
「お前の毒なんざいくら浴びようが効かねえ。仮に血を舐めたって何の影響もない、って」
「………、………え?」
「あ?」
ランサーの妙な虚言かと思いきや、後ろのマスターも渋い顔をしている。
「私、貴方と戦うのは初めてじゃ……?」
「……ああ。そういうアレか」
「え……?」
そもそもあの騒がしいマスターの言動は信用ならないけど……それにしたって、脳の隅で主張される違和感が煩い。
アサシンの記憶の中にはランサーと相対した記憶はないのに。『あの方』に身を捧げる以外の真実は有していないのに。
……あれ? 変だな。何かがおかしいような……?
「成程ね、トンチキ王子をあんな扱いできんならソレも出来るか。野郎、ますます気に食わねえ。人の記憶を何だと思って……」
何かを悟ったらしき彼が浮かべたのは、彼女への憐憫とラジアータへの憤り。
「……可哀想な奴だな、お前」
「っ……、……?」
ところで。
戦場での動揺は、命取りだ。