愛情

愛情


 ある日のアビドス。日の光差し込む対策委員会の部室で、彼女たちは今日も今日とて廃校を防ぐための作戦を話し合っていた。

 …とはいっても「ん、やはり銀行強盗しかない」「アイドル活動ですよ〜☆」「うへ、生徒を拉致すれば〜?」皆真面目に考えているのかいないのか、今日もこれといった対策は出なかった。先輩三人のトンチキな発案に、いつもの如くツッコミを入れるアヤネとセリカの1年生二人。だが、その一件いつも通りのその風景に、今日は見慣れない顔が二人いた。

 一人はこのアビドスの元3年生、ユメ。そしてもう一人は、そのユメを蘇らせた科学者、カナミだった。彼女は元々カイザーコーポレーションの科学者であり、死体であったユメを蘇らせカイザーの尖兵として利用していた過去があった。そんな彼女が何故アビドスにいるかというと、他でもないユメの調整、メンテナンス役に必要だったからだ。そういった理由もあって、彼女はアビドスの皆から嫌われていた。だが、彼女が嫌われていたのはそれだけが原因ではない。何よりの原因は…「そうだね…なら、僕の技術でクローンでも作って生徒を増やせばいいんじゃないか?」…著しい倫理観の欠如だった。「ありえない」「ホントに終わってますね」「ん、もう黙ってて」容赦のない言葉が飛び交う。だがこれもいつもの事だった。そしてカナミ自身も、彼女らの強い当たりをじゃれ合いやコミュニケーションの一環として捉えていたし、そして何より、人に嫌われることなんてとうに慣れていたのでこの程度で特に傷ついたりなどはしなかった。

 …はずだった。何がきっかけだったのか、それとも日々積み重ねてきたものが爆発したのか。その日彼女に向けられた憎悪と嫌悪は、いつもと比ではなかった。「会ったときからずっと思ってたけど、やっぱり人としてどうかと思う」「親の顔が見てみたいぐらいのクズだよね」「どういう人生を送ったらそこまで倫理観の欠けた人間になれるの?」鋭く容赦のない言葉の棘がカナミの全身を貫く。「ちょっと、皆…」先生とユメが静止に入るものの、もう遅かった。

 「そんな…どうして、私は…私は…皆のために、皆に…って、思って…」自らの余裕を強調するかのような薄ら笑いが消え、絶望と悲哀に満ちた顔へとみるみる変わってゆく。それと同時に、蓋をしていたはずの過去の記憶がカナミの脳内に溢れ返る。「最低のクズ」「やめて!近付かないで!!!」

 違うんだ

 「駄目だよ、あの人に近寄っては。」「化物科学者だ!!」

 僕はただ

 「逃げろ!!改造されるぞ!!」「私の友達になんてことしてくれたのよこのクズ!!!!」

 幸せにしてあげたくて

 「人の心とかないんか?」「どうしようもない気狂いだね」

 幸せになってほしくて

 それだけだったのに

 何が悪かったんだろう…その曖昧な思考は、最終的に一つの結論に纏まっていく。「そっか、私に欠けたモノを埋めればいいんだ。いつもそうしてるのに、なんで気が付かなかったんだろう」ぼそりとそう呟くと、カナミはふらふらと急いで部屋を出ていった。

 かちり、と廊下に響く鍵の音。アビドスの校舎内に備え付けられた、ユメの調整室兼彼女の研究室。カナミはその中心に置かれた寝台にそっと寝転ぶと、自身の全身に様々なコードや機器を付け始める。そして、すべての準備を終えた彼女は、一つのディスクを取り出した。

 『精神拡張プラグイン』それには彼女が人の身体を、心を研究することで得た「良心」「倫理観」「善性」といった物を自身の精神に流し込むプログラムが組まれていた。数年前、今回と同じような事を気に病んだ彼女が作り、凍結していた物だ。だが、それには一つの大きな欠点があった。かつての彼女が、その使用を断念した理由。それは…「対象者の人格が抹消されてしまう事」だった。

 当然といえば当然だった。人間の良心、倫理観、善性などというものはその人自身の人格に根差したものであるのだから、そこを上書きすれば人格がおかしくなってしまうことは。そして当時のカナミは、自身が消えてしまう事実に恐れ、それを凍結したのだ。だが今回のカナミは、それすらも覚悟していた。

 ゆっくりと、震える指でディスクを機械に差し込む。ウィィィィィン、とディスクが回転を始め、それと同時に彼女の全身を激しい痛みが襲う。「ゔあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」ガタガタガタッ!全身を苦痛に捩りながら苦しみに耐えるカナミ。その音は研究室を通り廊下に響き渡る。

 異変を真っ先に察知したのはユメだった。ほぼかき消えていたその悲鳴を聞きつけたユメは、銃弾のように部室を飛び出し研究室へ向かう。先生達も数歩遅れて彼女に続く。ガチャガチャガチャ!鍵が締まり開かない扉を揺するユメ。そこに追い付いたホシノが鍵を壊してドアを無理矢理引き開ける。研究室中は薄暗く、寝台の上に一人カナミが横たわっていた。「カナミ!!!」ユメが駆け寄り彼女を抱き寄せる。「嘘、カナミ、カナミ!!起きて…起きてよ!!」悲痛な叫びと涙がカナミを呼び起こさんとする。

 すると、奇跡は起こった。カナミはゆっくりと瞳を開き、「あれ、ユメちゃん……」とユメの名を呼んだ。その一言にユメの感情を堰き止めていた壁はつき崩され、その溢れた感情は涙となって目から零れていく。「カナミ、カナミ…どうして……」その悲痛な声に、カナミはまだ動きのままならない口を必死に動かして、言葉を紡ぐ。「わたし…どうやったら、みんなにすきになってもらえるだろう…って、おもったらさ、ひらめいたんだ…ぼくに、良心がないから、みんなわたしのこと嫌うんだって…だから、ぼくを消して、新しいわたしをインストールしようとしただけ、だよ…?いつものパーツ交換と」同じだ。そう言い終わる前に乾いた音がパァンと響く。自分の頬を襲う突然の痛みに困惑するカナミ。

 「バカ!!!なんでそんな事するの!!!」ここ数日で一番大きな声で、ユメはそう叫ぶ。「私は、私はカナミを嫌いになったことなんて無いよ!!!私はずっとカナミが大事で、大好きで、大切だったよ!!!これまでも、これからだって、私がカナミを嫌いになるわけ無いよ!!!!」

 「でも…私は、ユメちゃんの身体を弄り回して、無理矢理蘇らせて、大切な後輩と戦わせて…ひどいことしたよ?ぼくは、君に…ひどいことを……したんだよ…?」

 「ううん、私は知ってるよ。君が、私を蘇らせてからずっと護ろうとしていてくれたことも、上層部からの要求にずっと抗っていたことも。君の技術なら洗脳を解かれる対策なんて簡単に出来たはずなのにそれをしなかったのは、後輩が、ホシノちゃん達が…私の目を覚まさせてくれるって、信じてたからでしょ?前線に出る必要のない君が、わざわざ私と前線に出てきたのは…万が一の時に私を護るためだったんでしょ?それに…私、実はカナミに感謝してるんだ。カナミがこうして蘇らせてくれたおかげで、私はこうしてまた、アビドスのみんなと一緒にいられることができる。そして、君とも一緒にいることができる。もう一度生きるチャンスをくれた人を、嫌いになるわけないでしょ?だから、その…改めてさ、私を生き返らせてくれて、ありがとう。カナミちゃん。大好きだよ、これからもずっと。」

 「感謝……久しぶりだな、誰かに、ありがとうって言われたのは。そして…初めてだ、誰かに…大好きって言われたのは…」ぼそりと、彼女はそう呟く。誰かに大好きだと言われたのは、初めて。彼女の何気ないその一言が、その場にいる全員の心を突き刺す。

 彼女は決して、「気狂いのマッドサイエンティスト」などではなかった。彼女はただ…「ただ純粋で裏表のない、愛されることを知らずに育ってきた可哀想な子」だった。今考えてみれば、あの時のあの提案も、この発言も…全て彼女なりに、心から皆を、そしてアビドスを想っての発言だったのだ。

 その事実に気づいたみんなが、ぽつりぽつりと言葉を漏らし始める。「ごめんね」「ごめん…」「ごめんなさい…」そして先生が跪き、そしてカナミの手を取って「私からも…ごめんよ、カナミ。私は先生なのに、君の苦しみに全然気が付けなかった。不甲斐ないにも程がある」と言った。

 「いや、いいんだ先生。気にしないでくれ。ユメ君が僕を愛していてくれたことに気付けなかったという点では、僕も同じだから。」と、返すカナミ。

 果たして彼女は不気味な科学者から、不器用な生徒へと姿を変えたのだった。そして数日後。

 「ん、おはよう、カナミ」「うへ、おはよぉ〜」

 そこには、アビドスの制服に白衣を羽織った、明るい表情のカナミがいた。

 「おはよう!カナミちゃん!」

 「おはよう…ユメ君、みんな」

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