愛だけは間違いないからね

愛だけは間違いないからね


平子が風呂場で髪の手入れを入念に行い居間に戻ると、夜着の藍染が畳に転がっていた。

男の隆起する胸を見下ろしながら、平子は眉根を寄せつつ呟く。


「髪ちゃんと拭いてから寝ろや。誰の家やと思っとんねん座布団濡らすな」

「…あなたの風呂が思った以上に長くて。待ちくたびれましたよ平子隊長」


そう言ってゆっくりと睫毛を持ち上げ身体を起こし、タオルで濡れた髪を掻き混ぜるように水気を取る藍染は、眼鏡を外しているせいかいつもより幼く見える。


「人ン家の座布団汚しておいてその言い草はないわ。あーもう俺も疲れとんのに……」

「つれないですね、折角の夜なのに」


唇の端を上げ目を細めながら藍染が言う。先程まで眠そうにしていた眼差しはいつの間にか鋭くなり、口元には笑みを浮かべている。

明日は珍しくふたり揃っての終日オフで、藍染が平子の部屋に泊まりにくることは事前に決まっていた。

藍染は勿論、平子の方も行為への期待があったことは否定しない。

だが。顎に指を当てて、平子はうーんと首を傾げる。


「生理が来んくって医者に見て貰ったんヤァ」


間延びした語尾はその内容の深刻さとはまるでそぐわなかったが、しかし藍染には冗談ではないことがすぐに分かった。


「……それはつまり――」

「妊娠しとった」


そう言って平子はピースしてみせるが顔は至って真面目に、心から苦心している様子である。


言外にオマエの子や。と言われた藍染は雑に乾かした髪からしずくが肩に落ちていくのを感じながら、必死に言葉を紡ごうとする。


玄関で致した日か、激務明けの日か? いや遠征の中日なのか?! それとも起き抜けの平子を出し抜いたあの朝か? 思い当たる日が多すぎて絶望する。


早くリアクションをしなければ、と思えば思うほど自分の顔が崩壊し、いびつに歪んでしまう。悟られたくはない。平子真子の前で隙を見せたくはない。

そんな藍染の動揺を見て、平子の表情も更に強張っていく。眉間に寄った深い皺もそのままに、視線を落とし、やがて耐えかねたように唇を開いた。


「嘘やって言えへんの、堪忍な」

「いえ、平子隊長はどうしたいのですか?」

「産む」


即答で返ってきた答えを聞いて、藍染の口元がわななく。平子真子が、自分の子を身籠った。その事実に藍染の心が大きく揺さぶられる。

この女ならば、そう言うだろうと分かっていた。だが恋人などという甘い関係ではない、快楽を分け合うだけの相手だ。そんな男の子でも産むと言うのか。


「お前がおっ勃てて愛してますとか囁いたんも全部演技…いや、嫌いな奴でも興奮出来る男のどうしようもない部分やったっちゅうことは分かっとるけどーー俺は妊娠出来て嬉しい」

「は」


藍染は目を見開く。平子真子はこんな女だったか、何を言っているんだと、本気で思った。


ーー愛してます? 言ったか? 確かに言った!


優秀な藍染は全てを覚えている。蕩けた藍染の脳をもっと蕩そうと、耳を丸ごと口に含むようにしながら薄く笑った平子に何度も強請った。


『隊長、僕のこと好きって言ったら続きをしますから、だから言ってください、早く』


上手に強請ると平子はふっと笑って好きや、愛しとるから、惣右介早く、来てええよ、と言った時の淫靡にぬかるんだ瞳を藍染は忘れる事はない。


『僕も好きです、愛しています』


譫言の様に繰り返し、口を吸い、その隙間に好きだ愛してると囁いた。

最中に口走った言葉のひとつひとつが鮮明に蘇ってくるが閨で出た言葉を、まさか真実だと思っていないだろう。藍染の知る平子真子はそんな女ではない。


現実主義の捻くれ者。副官として藍染を任命したのは怪しい動きを監視する為。情け深く、仲間を大切にする女ではあるが、決して藍染の言葉に乱されるような死神ではない。藍染にとって平子真子はそういう存在であって欲しかった。


ーー妊娠出来て嬉しい


「いえ、驚いただけです」


背筋を伸ばす。身籠って一番不安を感じているのは平子だ。自分だけが狼籍える訳にはいかない。

藍染は咳払いをして姿勢を正すと、深々と頭を下げた。

頭上で小さく息を呑む気配がしたが構わず続ける。


「どうかお願いします。責任を取らせてください」


平子が妊娠したのは藍染との性行為の結果なのは間違いないし、そもそも藍染が種を蒔いたのだから責任を取るのが当然だろう。これは藍染なりの誠意であった。


「薬を飲み忘れた俺の不注意やから重く考えんな…まぁ今後付き合う子には、お前も避妊協力したれよ」


思わず顔を上げれば、いつも通りの食えない表情をした平子と目が合った。

藍染は顔をしかめて舌打ちをする。

そうじゃない。そういう話じゃないだろう。


「そうではなく……僕は貴方を妻として娶りたいのです。結婚してください」

「アァ? いや、何でやねん」


返ってきたのはあっさりとした拒絶。藍染の本心から申し出は、平子には全く伝わっていない。


「それはこちらの台詞ですよ。僕の子を私生児にするおつもりですか?」

「そらそうやろ。死神は今まで通り続けるから、これからは普通の上官副官や。とりあえずお前が本命と結婚して子どもが出来た時はその子と俺の子を近付かんようにしよな」

「……」


藍染は沈黙する。

何故こうも話が噛み合わないのだろう。


「本命の女性なんていませんよ…先程嬉しいって言いましたよね。あの言葉は嘘だったんですか? 」

「お前とは長く一緒におるけど、夫婦はちょっとちゃう気ィするし、普通に考えて無理やん」

「何故ですか」

藍染は苛立ちを隠せず、強く拳を握る。


「愛してない女と生涯過ごすなんてできるか?子は鎹言うても限度がある。子どもに罪はないのに、親の不和を見せるんは可哀想やと思わんか?」


ーー俺とお前の関係性なんてそんなもんやろ。藍染ははぁ〜っと大きな溜息をつく。

平子の言葉を聞いている内に段々虚しくなってきたのだ。

この女は自分の事を何だと思っているのか。何かをこっそりと企んでいる生意気な男か。違いない。


「だからお付き合いしている女性も男性もいません。仮に馴染みの愛人がいたとしても切ります。閨で何度も伝えた通り好きなんです…隊長がどう言おうと僕は上に報告します。もう諦めて僕のお嫁さんになってください」


平子は一瞬呆けると、すぐに眉根を寄せて怪しげなものを見る目を向けてきた。自分たちは愛らしい繋がりでは決してない。隙を見せれば喰らいつく、獣のような関係だ。


それでも藍染は今、平子を手に入れたかった。腹の子は過ちではあるが間違いではない。


「ーーー随分熱烈やな?びっくりしとるわ」


平子はそう言って自分の腹を撫ぜると、藍染の顔を見据えて口角を上げた。

ーーその顔だ。

平子が友人に見せるその表情は、藍染が欲していたものだ。藍染が求めているものは全てその顔に詰まっている気がした。


「お前も人の子やってんな」

藍染は自嘲気味に笑う。

「僕に臍がついているの、よく知っているでしょうに」


平子は首を傾げる。

それから、ふっと息を吐いて口元を緩めた。藍染が見たことのない柔らかな微笑みのまま、藍染の手を取り自らの下腹部に押し当てる。


「怖いやろ」

「本音を言うと 怖いです」

「ハハっ!夜の惣右介はホンマ正直やな…お前でもビビッたりするんや」

「ええ、それはもう………隊長」


掴まれた手が爛れそうなほど熱い。藍染は目を細める。平子はじっと見つめたまま動かない。

ややあって、藍染は平子の唇を食んだ。何度か啄む様にすると、平子は誘うように薄く口を開く。

藍染は遠慮なく口内を蹂躙しながら、平子の身体を抱きしめた。

舌を絡ませながら、平子は髪を指で弄ぶ。離れるときに下唇を前歯で甘噛みされると、幾つもの記憶が一気にフラッシュバックする。


「父親になってこの世界も案外悪ないって思えるとええな」

「どういう意味ですか?」

「願望や。親になるんやから俺より子を一等大事にしてくれ。そんだけ」


何も言わず再び深く口づけた。

平子真子という女の手に堕ちている。

藍染はそれが心地良かった。


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