祖父との決別

祖父との決別


 密林を進む。

 既にこの島に来るときに使った舟は発見されている。

 当然、海軍は二人がそれを取り返そうとしてくることは予期しているはずであり、最大限の戦力をそこに集中させているだろう。


 海兵たちの練度は高く、今の消耗したルフィとウタでは無茶はできない。

 だからウタが提案したのは、この島の特殊な現象を利用することにした。


 ここは孤島ではあるが、一日に数度だけ潮が引いて隣の島までの道ができるのだ。

 船を使わずにこの島から脱出できる唯一の手段。

 それに二人は賭けることにした。


 だが、ここはグランドライン。

 時に本職の航海士ですら、気候を読み間違えることもある魔境だ。

 潮が引き、隣の島まで地続きになるのがいつになるのか、正確に測ることはできない。


 じっと息を潜めて機会を待つ。

 普段は騒がしいルフィも、この時ばかりは微動だにせず、視線を海に固定していた。


「……!」


 そして、長く耐え忍んでいた苦痛が報われる。

 ゆっくりと割れていく波。

 姿を見せる真っ白な砂の道が姿を現した。


「行こう! ウタ!」

「うん……!」


 草葉の陰から勢いよく飛び出す。

 もう後戻りはできない。

 既に姿を現してしまったのだから。


「いたぞ! ルフィ元大佐とウタ元准将だ!」


 置いてきた舟の見張りに大半の戦力を割いたとはいえ、島内を捜索する海兵も当然ここにはいた。

 森のカーテンから出てしまえば、たちまち海兵が電伝虫で情報を共有する。

 まもなく、島中の海兵がここに殺到してくるだろう。


「どけええええっ!!!」

「「「「「うわあああああああああああっ!?」」」」」


 二人を捕らえようと殺到する海兵たちをルフィが吹き飛ばす。

 正義のコートも来ていない一般兵では相手にもならず、次々と派手に殴り飛ばされていった。


「急いでっ、この道、そんなに長くない!」


 割れた波がゴポゴポと不安定に留まっている。

 どうやら今回の道は短時間しか持たないものであるらしい。


 道が塞がってしまえば、悪魔の実の能力者である二人は溺れ死ぬしかないだろう。

 その前に突破しなければならない。


 砂を蹴って懸命に駆け抜けるルフィとウタ。

 だが、突如として島内から爆発音が響いた。


「「っ!?」」


 島の密林から砂ぼこりが立ち込めている。

 なにか強大な力で吹き飛ばされたその周囲で、喚きたてるようにように鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。


 ばっ、とルフィが上を仰ぎ見る。

 遅れてウタも近づいてくるその存在に近づいた。


 容赦なく二人の肌を焼く太陽。

 それを背に一人のシルエットが浮かび上がる。


「くそ……っ」


 ルフィが反転し、ウタを抱いて飛び退く。

 二人がいた地点に突っ込んできた人物は、大地を揺らしながら着地した。


「じいちゃん……!」


 見聞色など使わなくても分かった。

 その顔は良く知っている。

 その存在感は、幼少の頃から鍛えてくれた人のものだ。


「……」


 土煙を纏い、ガープは立ち上がった。

 隣の島までの道を背を、真正面からルフィとウタに立ち塞がる。


「どこから飛んで……!?」

「電伝虫を聞いてあそこから飛んできたわ」


 そう言って、先ほどの爆発があった場所を指さすガープ。

 あまりの理不尽さに眩暈がする。海賊たちが見ている景色はこれだったのか。


「ガープさんっ、私たちは……っ!」


 ウタの声をかき消す轟音。

 それ以上喋るなとばかりに、ガープは大地を踏みつけたのだ。

 衝撃によって生まれた風が潮の香りを吹き飛ばす。


「わしのやることは! 決して変わらん……っ」

「……っ」

「モンキー・D・ルフィ! ウタ! お前たちを敵とみなす!」


 ガープが両腕を開き、向かってくる。

 これまでルフィやウタには見せたことがない。

 本当の殺意を伴って。


「ウタ、下がってろ!」


 ルフィも迎え撃つ。

 交錯する拳と拳。

 人体から出るとは思えないような鈍い音が、海面を揺らした。


「がっ……!?」


 初撃を制したのはガープ。

 ぐらりと揺れるルフィだが、左手で次撃を繰り出した。

 だが老兵は渾身の攻撃を腹に叩き込まれてもビクともしない。


「ぬがぁっ!!!」


 大木を思わせる巨躯から繰り出される突進。

 長年鍛え上げられた筋肉が、まるで石塊のように思える。


「うっぷ……!?」


 どてっ腹に叩き込まれた衝撃。

 吐き気に襲われながら、このままではウタまで突進が届いてしまうと気が付き、地面に食い込ませるように足を突き立てた。


「ぬ……!」

「ぐっ、ぎぎ……っ‼」


 ぐぐっ、と力と力がぶつかり合う。

 筋線維一本でも緩めれば、たちまち押しつぶされる巨万の力に耐えながら、ルフィは叫んだ。


「じいちゃん‼ どいてくれ‼」

「ならん!」


 ガープの体が沈み込む。

 それによってできた空間を利用し、頭突きをルフィに見舞わせた。


「武装色硬化っ、うわっ!?」


 黒く染めた両腕を交差させて受け止めるが、恐ろしい衝撃によって防御が弾かれる。

 無様にゴロゴロと砂浜を転がるルフィ。

 肌に砂をくっつかせながら、追撃を駆けようとするガープに足を伸ばした。


「ゴムゴムのォ~スタンプ!」

「ぬるいわ!」


 バチン、と弾かれる蹴撃。

 吹き飛ばされた足に引っ張られそうになるが、ルフィは敢えて逆らわず反動で起き上がった。

 伸びた足を引き戻し、再び構える。


「お前が天竜人に危害を加えた時点で……! 世界政府の威信を貶めた時点で、こうなることは分かっておったはず!」

「でも……!」

「貴様は……! これまで築き上げた全てを無に帰した!」


 反応すら許さず迫る拳骨。

 それは凄惨なる殴打の嵐の幕開けだった。


 首が千切れ飛ぼうかという勢いで弾かれる。

 反撃などする余地もなく、全身のあらゆる部位に拳が突き刺さった。


 ゴム人間であろうとも覇気を纏った攻撃は無効化できない。

 痛覚が一気に警報を鳴らし、脳内で朱いランプが明滅した。


 血飛沫が飛ぶ。

 欠けた歯が、道に転がる巻貝とぶつかった。


「ルフィッッ!?」


 ウタの叫びすら間に合わぬ高速の連打。

 彼女の悲鳴を合図にするように、ルフィは地に膝をついた。


「ぬ……」


 だが、倒れ込む直前。

 ルフィはガープにもたれかかるように纏わりつく。

 言葉はなくとも、決して通さないと伝えていた。


「どけルフィ」

「……どかない。どいたら、ウタを連れていくんだろ?」

「連れていきはせん。ここで引導を渡す」

「だったら! なおさら、通すわけには゛っ、いか゛ねぇよ……!」


 ルフィがむせ込み、吹き出した血がガープの制服を汚す。

 だが、その目はまっすぐとガープを見据えていた。


「なら、お前から引導を渡してくれる!」


 背中に激痛。

 えずきながらも踏みとどまり、密着した状態のまま脇腹を殴りつける。

 しかし、ガープは攻撃の手を緩めることなくルフィを滅多打ちにした。


「カヒュッ……、ぁ……!!」


 意識を飛ばしかけ、顔を腫れ上がらせながら。

 ルフィは立ち続けた。


 ガープと殴り合い続ける。


 風を切るストレートが迫る。頬にめり込んだ。

 ブローが鳩尾を抉り取る。間一髪防御できた。

 下から切り込むようなアッパー。まともに喰らう。


 対応できない。対応できない。対応できない。

 海軍の英雄と呼ばれた男に。いつかは越えなければならなかった象徴に。

 ルフィは勝つことなどできはしない。


「弱いっ! 弱すぎる!」


 鬼の形相で殴り掛かるカープは、血を吐くように怒鳴った。


「わし如き老いぼれに後れを取るような貴様が‼ どうして世界政府と戦えると思った! 天竜人に逆らうということはそういうことなのだぞ!!」

「……!」

「もはや誰もお前たちを助けん! 弱いお前たちがっ、それで生きていけるとでも思っているのか! まともな未来があると……思っているのか!」


 拳と拳がぶつかり合う。

 腰の入っていないパンチはじりじりと押し込まれていく。


 朦朧とする意識の中、ルフィは思った。

 自分はどう反応を返せばいいのだろう。


 祖父の言う通りなのだ。

 攻撃が届かない。防御が間に合わない。いくら叫ぼうが、こっちの訴えなど誰もききやしない。


 ガープがここに来た時点で、この道を通ることは絶望的になった。

 勝てもしない相手に挑んで負けていてはどうしようもない。


 ここは退くべきだ。

 また密林に戻って、体勢を立て直した上で機会をうかがうべきだ。

 ガープを乗り越えられないのであれば、それしか方法はないだろう。


 まだ、一回思い切りジャンプする程度の余力はある。

 ウタを連れて後ろの森に飛び込んで、逃げることができるのだ。


「……! うおおおおああああああああああっっ!!!」


 だが、ルフィは吠えた。

 退路を捨て、さらに前へ。

 暴虐の嵐の中に自らを投じる。


 無謀なことはとっくに分かっている。

 賢くない選択なのも。


 ならば、弱い自分がウタを守り続けるためには。

 自分を乗り越えなければならない。

 力がなければ届くはずがない。


「なん、じゃと……!?」


 全体重を前へ。

 倒れ込むように全てを拳に集中させる。

 力を振り絞って、ルフィはガープの拳を押し返した。


「ぬぅ……!」


 ぶつかり合った武装色の覇気が周囲をピリつかせる。

 それでも、ガープは精々数歩下がっただけ。


 だが、ルフィの渾身が確かにガープを押し返した。


「おれはっ」

「!」

「それでもウタを守る!」


 無力。絶望。諦観。

 全てを呑み込んで宣誓する。

 変わらぬ望みを。


 ガープは目を見開き。

 すぐに表情を歪める。


「できると思うか! 政府を! 世界を! 敵に回して……!」

「ああ! だから全部置いていく! ……じいちゃんから貰ったこのコートも!」


 コートに手をかけ、勢いよく脱ぎ捨てる。

 手柄を立て、士官として正義を纏うことが許された日、大喜びした祖父が届けてくれたコートを。


「このっ、帽子も!」


 大物海賊にコテンパンにやられ、大将や祖父に助けてもらった日。

 ウタを守り切れなかった自分を責めるルフィの想いを汲むように、被せてくれた帽子も手放した。


「……っ! ルフィッ!!」

「ごめんじいちゃん! おれ、皆に貰ってばっかなのによぉ! こんなになっちまってごめん!!」


 でも、ウタは譲れないのだと。

 全身を血に塗れながら、ルフィは構えた。


「……!! 無駄話をしている暇はあるのか、ルフィ!」


 時間が経ち過ぎた。

 潮が再び満ちようとしている。


 この道が閉ざされれば、どの道二人に逃げ場はない。

 最早、一刻の猶予もなかった。


「おれは何があっても! ウタを守る! 絶対だ!」

「ならまずは……わしを倒していくことじゃあ!!!」


 この一撃で全てが決まる。

 ルフィの体は蒸気を発し、肌が赤くなった。


「ギア2!」

「おおおおおおっ‼」


 空間ごと押し潰さんとガープの拳が迫る。

 身の丈程の大きさに変化したと錯覚するほどの圧を伴って。


 それに対してルフィは。

 更に指を咥えた。


「ギアッ、3!!」

「ぬっ!?」

「骨、風船!!」


 ルフィの体が膨らむ。

 今、彼に出せるありったけの一撃で勝負を決めていく。


「巨人のJET砲弾!!!」

「ぬおおおおおおっ!!!」


 激突する両者。

 ガープは正面から弾き返さんとまっすぐ拳骨を繰り出し……

 ほんの一瞬、砂場に足を取られて硬直する。

 瞬きの間の出来事。しかし、それがルフィに味方した。


 十全の威力を出せなかった拳骨と砲弾。

 軍配は後者に上がった。


「ぐわっ!?」

「ガープ中将!?」


 海兵たちの驚倒の声がする。

 海に叩きつけられたガープを見て、ウタは走り出した。


「ルフィ! 掴まって!」


 全力を出し切って動けないルフィを背負い、ウタが閉ざされようとしている道を駆け抜ける。

 ガープとの戦いに彼女が入らなかったのは、この瞬間のために力を温存していたからだ。


「くっ……! 待たんかぁ!」


 水浸しになりながらも、すぐに起き上がったガープが怒鳴りつける。

 海に居ようと関係ない。このまま一っ飛びでルフィとウタを追いかけようとするが、島の方から聞こえた悲鳴に振り返った。


「う、うわああああああ!?」

「島の猛獣だぁああああっ!?」

「撃て撃てぇ~!!」


 島への退路を塞いでいた海兵たちが攻撃を受けている。

 襲っているのはこの島に居着く狂暴な猛獣たち。


 なぜこのタイミングで襲ってきたのか。

 その答えは彼らの錯乱ぶりにあった。


「もしかしてこいつら、さっきのガープ中将のジャンプを敵の攻撃だと勘違いしてるんじゃ……!?」

「今は言ってる場合か!? このままだとやられる!」


 ガープは島に戻らざる得なかった。

 部下を見捨てて自分だけ追跡をするなど、できる性格ではない。


 部下たちを全員救助し終えた時。

 もう割れた海は元通りになっており、二人の姿も確認できんかった。


「逃がしたか……」

「ガープ中将! センゴク元帥から伝令です! すぐに本部に戻るようにと……!」

「……分かった。すぐ戻る!」


 部下たちが撤収のための準備に取りかかる。

 ガープはそれを手伝うことなく、消えた二人の姿を求めるように海を見つめていた。


「……!」


 そこに、ルフィが捨てたコートと帽子が流れ着く。

 膝を折り、それを拾ったガープはじっとそれを見つめる。


「ガープ中将! 準備が……っ」


 報告に来た海兵が見たのは、コートと帽子を額に押し付け、声をくぐもらせるガープ。

 そこに海軍中将の姿はなく、一人の祖父の姿があった。


「……ふっ、……ぐぅぅ…………!」

「ガープ中将……」


 先ほどの傍目には鬼の形相に見えたガープ。

 しかし、本当の彼の表情は、きっと……


 海兵は帽子を深くかぶり、ガープから視線を逸らす。

 ガープの想いは、もう二人に届くことはなかった。

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