意外な助け船

意外な助け船


「ウタ! あっちに行こう!」

「う、うん……!」


 大将『赤犬』から辛くも逃げ延びても、状況は変わらない。

 灼熱のマグマの体を殴った拳が焼けこげ、戦闘力が大幅に低下している状態でありながら、弱音一つ零さないルフィ。


「……っ」


 痛々しい姿にウタは顔を歪める。

 元大佐が大将から一度でも逃げられた。

 すばらしい成果だ。奇跡と言い換えてもいい。


 こんな状況でなければ、理不尽ながら孫が大好きなガープなどは大笑いで周囲に自慢したはずだ。


(けど、こんなの長続きする訳がない)


 これは決められた時間内で収まる試合や決闘ではない。

 海軍は追うのを止めない。

 天竜人に逆らった愚か者に天誅を下す、その時まで。


 今からでも、今からでも私が投降すればルフィは許してもらえるだろうか。

 そんな甘ったれた思考が過った。


 有り得ない。

 ルフィが天竜人を殴り飛ばした事実は消えないのだ。

 ウタの身柄を確保しても、ルフィの首があのチャルロス聖という天竜人に届くまで、追撃は終わらないだろう。


(どうすればいいの? どうしたら終わるの?)


 海軍の手の届く場所にいる限り、捜索が打ち切られることはないだろう。

 もしも、これが終わるとすれば、ルフィとウタに構っていられない程の緊急事態が起きるか、或いは二人を海軍が完全に見失うか。


 シャボンディ諸島は海軍本部のお膝元。

 兵が尽きることはなく、すでに島全体に逆賊の情報は伝わっているはず。

 逃げ道などどこにもないだろう。


「大丈夫だ!」

「あ……っ」


 思考の袋小路に入っていたウタを、ルフィが現実に引っ張り戻す。

 痛ましい姿の手が、がっしりと彼女の手を掴んだ。


 それだけのことで、ウタの心が軽くなる。

 いつもそうだ。この幼馴染は、馬鹿なことばかりしてる癖に、こちらの不安や悩みは敏感に感じ取って笑いかけてきた。


「どっかに隠れてやり過ごそう! 俺、腹減った~!」

「そういえば、今朝から何も食べてないっけ」


 ルフィもウタも、今朝に倒した海兵が持ってた不味いレーションを食べたのみだ。

 あれからずっと走り回ってるせいで、雨に紛れて何度か腹の虫が鳴っていた。

 こんな状況でもお腹がすくなど、やはり現実は不便だ。

 ウタワールドなら食料も自由自在なのだが。


「あそこ、扉空いたままだよ!」

「よーし! 飯ーっ!」

「あ、ちょっ……隠れるのが本命なんだけど!? 分かってんのアンタ!?」


 雨のカーテンを派手に破り、小屋の中に入った。

 中には人気はなく、そこには壁にびっしり並んだ釣り竿があった。


「ここ、もしかして釣り小屋?」


 シャボンディ諸島は新世界へと続くただ一つの道。

 記録指針にログが溜まるまで、海賊たちはこの島で時間を潰すのだと聞いたことがある。


 ここも、そんな海賊相手の商売をする、逞しい住民の店なのだろうか。


「うっ!? き、きた…………い、いらっしゃーい」


 番頭の上で足を組んでいた店主らしき人物は、二人を見ると慌てて新聞を広げた。

 奇妙な行動にルフィは首を傾げる。


「おっさん! 悪ぃけど、おれたち客じゃ……」

「あーーっ! すまんな! お客さん!」


 ルフィが口を開き、自分たちの説明をしようとした瞬間。

 店主は遮って大声を出した。

 ビクリと反応するウタの前に、反射的にルフィが守るように出る。


「いきなりなんだよ!」

「す、すみません……じゃなくて、すまんな! この前、クソの海賊にレンタル用の舟を盗まれっちまってね! とても愛想よく接待する気にはなれねーんだ! このまま失礼しま……するぜ! 客の顔を見ねーくらいに失礼だ!」


 そう言って新聞をどう考えても読めてない速度で捲る店主。

 頭の上に疑問符を出すルフィに、ウタはそっと耳打ちした。


「ルフィ、この人きっと、私たちを見逃してくれようとしてる」

「え? そうなのかおっさん?」

「し、知らねーなぁ。俺はただの失礼な店主だ! ほら、客の前なのに昼めしも食うぞ!」


 そう言ってバクバクとサンドイッチを頬張る。

 多分、真面目で。今まで失礼な接客などしたことがない人なのだろう。


「ああやって見なければ、そもそも逆賊が店に来たと分かりませんでしたって言い訳できる」

「あ、そっかー。おっさん頭いいな!」

「お、俺は頭がよくない失礼な店主だ! ほら、サンドイッチにこんなに塩をかけたぞ……ヴォェェェ」

「それは止めた方が良いぞ、おっさん」


 新聞紙の裏で大変なことになっている店主。

 暫く咽た後、店主は何かを二人に放り投げた。


「これは遊園地の広告だ! 裏にメモ書きがあるが、俺は失礼な店主だから気にしねぇ!」


 ウタが店主の投げた広告を拾う。

 そこに書かれていたのは、この島の遊園地である『シャボンディパーク』の観覧車だった。

 裏返すと簡潔な殴り書きがそこにはあった。


——東の海の二人組へ ナミの測量室で待つ


「ナミ……?」


 その名は東の海で出会った元アーロン一味の幹部だ。

 今は海賊家業から足を洗い、海兵として頑張っていたはずだが……


(ナミの測量室ってアーロンパークの? ナミとアーロンとの関係は一部しかしらない。一体誰がこんなことを書いて……いや、それはいい。問題はこれを店主さんが見せてきたってこと)


 十中八九ルフィとウタへの伝言。

 だが、一体どういう意味があるのか分からない。

 アーロンパークは遠すぎてそもそも行くことなど……


「いや、そういうことね。手紙の人物が待っているのはシャボンディの中」


 場所がどこを指しているのかは分かった。

 ならば後は、これを信じるか信じないかだけだ。


(このままでもジリ貧、賭けるしかない!)

「ルフィ! 次の行き先決まったよ!」

「んっ? 分かった! その前におっさん食い物とかねーか? 俺、腹減っててよー」

「えっ!? えぇーと……き、今日は記念日だから客にサンドイッチをプレゼントしている! だが俺は失礼な店主だから渡さん! 机の上にあるのを勝手に持っていけ!」


 そう言って机の上にあるいくつかのサンドイッチを指さす店主。

 ルフィの手が伸び、それを引き寄せると、乗っているサンドイッチを半分に分けてウタに渡した。


「ありがとう! ところで何の記念日だ?」

「な、なんの……? それはあれだ! ……」


 咄嗟にいい言い訳が思いつかず、苦戦する店主はやがてこういった。


「……俺の、俺たちの大好きな二人が、馬鹿どもから逃げ切った記念日だよ。今日は」

「……そっか! 行ってくるー‼」


 にししと笑って、外に飛び出すルフィ。

 ウタも新聞を読んだままの店主に頭を下げた後、ルフィを追って外に出た。




 二人がやって来たのはシャボンディ諸島の30番代の繁華街。

 そこにあるシャボンディパークだ。


 アーロン一味のアジト出会ったアーロンパークは、この施設を模したものだった。

 わざわざ、その広告にメモを書いたのはそのためだろう。


 そしてメモの待ち人は、二つの施設を重ね合わせた場所。

 シャボンディパークにおける、ナミの測量室にあたる部屋にいるというメッセージを送ったに違いない。


「あのメモを見て来ました! 誰かいるんですか!?」


 逃亡中の二人が呑気に遊園地に来るとは思ってなかったのだろう。

 海軍の警戒はさほどなく、二人は園内に侵入できた。


 それでも万が一のことがあると、随分と臆病になった心が囁いたが、それを押し殺してウタは声を上げた。


 暫くの無音。

 やがて、ギュッポ、ギュッポと足音が近づいてきた。


「よ、よぉ……無事だったんだな、お前ら」


 そこに現れたのは蛸の魚人。

 六本の手が特徴的なシルエットは、まだ魚人の人権が認められきっていないシャボンディ諸島では珍しい。


「アンタ……! アーロンの所の!」

「ま、待ってくれ! 俺は……」


 ウタの表情が険しくなる。

 知っている顔だった。彼は東の海でのある一件で敵として対峙したのだから。

 罠だったか、とウタが臨戦状態に入る。

 

「……誰だっけ?」

「ニュ~~!?」

「ルフィ……」


 が、空気を読まないルフィによって、戦いは不発に終わる。


「あれだよ、ナミさんの村を滅茶苦茶にしてた……」

「あーっ! 思い出した! ぶっとばす!」

「わーわー!? 話を聞いてくれ~!? ぶへっ!?」


 その後、一発ルフィに殴られた後、元アーロン一味のハチは説明を始めた。


「あの後、色々あって反省してよォ……今は海賊を止めてタコ焼き屋になったんだ」


 堅気として生きていく一方で、徐々に自分たちのやった罪の重さを理解していったハチは、ナミに謝りたいと思うようになっていたらしい。

 しかし、今の彼女はどこいるか分からず、悶々としていたら件の事件を聞きつけ、慌てて駆け付けたということだ。


「なんで私たちのピンチで駆け付けるのが、ナミに謝ることに繋がるの?」

「うぅ、俺も上手く説明できないんだけどよォ。二人に何かあったらナミが悲しむだろう? そう思ったら、いてもたっても……信じてもらえないかもしれねェ! けど、俺は、俺はなァッ」


 六本の手を振り、懸命に誠意を伝えようとするハチ。

 それにウタは逡巡する素振りを見せたが、ルフィは違った。


「よし! 信じた!」

「ルフィ!? そんな簡単に……!」

「こいつ、シャボンディ諸島に来てるんだもん! 嘘じゃねーって」


 シャボンディ諸島は魚人の人権があまり認められていない。

 この表現ははっきり言って正しくない。

 魚人は魚類。それがこの島の常識であり、人権など持つものと思われていないのだから、犯罪はされ放題なのだ。


 シャボンディ諸島に魚人がいても大半は奴隷。

 それが残酷な真実。


 ただの嫌がらせで来るにしては、殺気立った今の島でハチが出歩くとことはあまりにもリスクが大きい。


「……分かった。私も信じる」

「お、お前らァ……ありがとうなァ~!」


 ごしごしと目元を拭うハチ。

 彼はシャボンディパークの傍に舟を用意していると言った。


「シャボンディ諸島じゃお前らはいつまでも逃げられねぇ! 舟で違う島まで逃げるんだ!」

「そんな物、どうやって用意したの?」

「釣り小屋で舟を盗んだ……っていう名目で譲ってもらったんだ。そういう形なら協力できるってよォ」


 どうやらあの店主が一枚以上噛んでいたらしい。

 それだけではない。あの店以外にもメモを書いた広告をいたるところで用意していたんだとか。


「もう世界中がお前らの敵だけど、それでもお前らに助けてもらった奴らだって一杯なんだ」


 着いたのはシャボンディパークが見える海岸。

 魚人たちがよく、人目を忍んで遊園地を眺めているというポイントだ。


 そこにあったのは二人が乗るには十分な大きさの舟と、中に詰められた食料などがあった。


「この舟、コーティングしているの!?」

「ああ、レイリー……知り合いのコーティング屋が」


 何よりも驚いたのは船がシャボンでコーティングされていたことだ。

 魚人等に行くために必要な海に潜る加工。

 かなりの準備時間が必要なはず。


(もしかして、ルフィが天竜人を殴ってすぐにハチは動いたんじゃ……)


 周到すぎる準備。

 これまでルフィとウタを追いつめてきた海軍だからこそ、ここまでの用意がされていることは想定外のはずだ。


「海軍の連中はコーティングしてる舟を見つけることなんて予測できねー! これで海中から隠れて逃げてくれ……!」

「ハチ……」

「俺はここまでしかできねけどよォ。ナミのためにも、お前ら死なないでくれよなァ」


 そう言ってハチが記録指針を渡してきた。

 魚人島の方向ではない。これは、どこかの島の永久指針のようだ。


「普通の記録指針はこっちだ。それじゃ、俺は魚人島まで逃げるからな!」


 住民たちは知らないふりで誤魔化したが、直接的に動いたハチはそうもいかない。

 事態が露見すれば、ハチは逃亡幇助の罪で捕まってしまうだろう。


 だから今のうちにここから離れるつもりのようだ。


「おう、ありがとうな! ハチ!」

「……ありがとう。ナミに、いつか謝れるといいね」

「~~っ! 二人も、俺を信じてくれてありがとうなァ!!」


 ざぶん、とハチは海面に潜る。

 魚人なだけあって、あっという間にその姿は見えなくなった。


「俺たちも行こう! ウタ!」

「うんっ」


 急いで出航の準備をする。

 大雨がシャボンに弾かれる音に急かされながら、ふとウタは振り返った。


 ヤルキマングローブの巨樹。

 大きな戦いから変える度、出迎えてくれた海軍本部前の安全地帯。


「……さようなら」


 二度と見ることはないかもしれない姿を目に焼き付けて。

 ルフィとウタは荒れ狂う海原の中に姿を消した。

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