想いは届かじ
石田雨竜が静止の銀の鏃を撃ち込み、黒崎一護がユーハバッハを両断した。
戦いは、死神側の勝利となった。
残った滅却師は撤退し、影は尸魂界から退いた。
歓喜の波が瀞霊廷に拡がる中、一箇所だけが静まり返っている。
終戦の立役者である黒崎一護が、石田雨竜が、——大罪人の藍染惣右介が、立ち尽くし、あるいは膝をついていた。
中心には少女がいる。その少女は瓦礫だらけの地面に横たわり、ぴくりとも動かない。少女の名は平子撫子。黒崎一護や石田雨竜の仲間であり、藍染惣右介の私生子であり、つい先程まで生きていた少女。
ユーハバッハとの決着において、命を落とした死神だった。
「——」
震える手をのばす。静止の銀を撃った時ですら震えることがなかった指が、今は震えていた。
指先で頬に触れる。まだ、温かい。けれど、急速に体温を亡くしていく。命が、流れ落ちていく。
「撫子さん」
呼んだ声は、上手く音にならなかった。
「撫子さん」
信じられない。信じたくはない。指からは死の事実だけが突きつけられる。
揺れる、ふわふわとした金の髪も。笑った時に細められる目も。家族を守るための手も。もう二度と、動くことはない。
「撫子さん」
黒崎一護は声を掛けようとして、止める。今、石田雨竜に声は届かない。
「僕は、僕は……君が」
声音は掠れる。頬を手で包んだ。
「君が、好きだった」
絞り出された声も、その意味も、彼女に届くことはない。
「好きだったんだよ……っ」
冷たくなっていく体を抱き起こす。力が入ることのない体は重いような、軽いような、妙な感覚を齎した。
ざり、と地面を踏む音を聞いて、黒崎一護はそちらを振り返る。
「藍染!」
黒い拘束衣の背中は、振り返ることはない。ふらふらと覚束ない足取りで、何処かへと進む。
「どうしてだよ……こんなの……ッ!」
勝ったはずだ。勝ったはずなのに。
声を掛けることもできず、黒崎一護は星十字騎士団の団服の白い背を見つめた。
「——藍染ッ!」
耳に飛び込んで来たのは、今最も会いたくはない女の声だった。
自隊の副隊長に支えられて、ボロボロの姿でこちらに向かってくる。
平子真子。藍染惣右介が唯一愛したかもしれない女であり、五番隊隊長であり、なにより平子撫子の母だった。
「終わったんやな?」
「……」
「……撫子は」
告げなければならない。彼女は落命した死神の母親だ。伝えなければならない。あの命はもう戻らないことを。
「藍染、」
いつも通りに。藍染惣右介らしく、言葉を連ねればいい。しかし、いつまで経っても言葉は出ない。
「藍染!」
「……ひらこたいちょう」
口を衝いて出たのはかつて自ら切り捨てたはずの、平子真子の副官としての言葉だった。
片膝をついて跪く。
「平子隊長、彼女を守れず——申し訳ありません」
「——は」
母親が、吐息をこぼした。その音は信じられないと言うようにも、事実をただ受け止めたようにも聞こえた。
「惣右介、どういうことや」
「……」
「惣右介ぇッ!」
「平子隊長!」
副隊長が隊長を留めた。今この場で、彼女だけが冷静だった。
「私は——、私は——」
常ならばとめどなく言葉を弄する口は、その機能を上手く果たせない。
「は、はは、——命一つ、どうにもできないとは。私は——」
ゆらりと立ち上がり、藍染惣右介はまた歩を進める。
「どこに、行くんや」
「私は大罪人だ。であれば、無間に戻るだけのこと」
「惣右介——」
「ああ、平子真子。どうやら私は……自分で思っていたよりも、父親だったらしい」
罪人は歩く。一刻も早くここから遠のきたかった。
遠く、歓声が聞こえる。
空を震わすその声が金色の少女の耳に届くことは、終ぞなかった。
あくまでif。
本来はちゃんと生きてるよ!
「ぶはーーーーッ!!!! 死んだかと思たわ!」
「平子!」
「撫子さん!」
「なんやみんなして。アタシはこの通り生きとるで!」
〆。