悲劇の前の日

悲劇の前の日


「さて、諸君。集まってもらったのは他でもない……今週末に弊社で行われる『最重要実験』についてだ」

 古びた部長席に腰掛け、アマテラス社保安部部長ヤコウ=フーリオは部下の顔を見回した。

 ハララは何故かヤコウが使う椅子よりも豪奢な作りのものに鷹揚と腰掛け、デスヒコは保安部の部屋には不相応なカウンターチェアに座っている。この二人はまだマシな方で、フブキは上司が居るにも関わらずテーブルの上に並べられたチョコレートを嬉しそうに頬張っており、ヴィヴィアに至っては暖炉の中で寝そべり本のページを捲っている。

 他部署の人間にはギョッとした顔をされる部下の振る舞いだが、生憎ヤコウにとっては日常の一コマでしかなかった。

「『最重要実験』、などとぼかされているがその実態は非人道的なホムンクルスの製造実験だろう?」

 ハララが足を組みかえながら口を開く。

「十年ほど前から統一政府の依頼を極秘で我が社が受けていることは知っていた。が、こんな夢物語のようなものとはな」

「不死の兵士、ホムンクルスだろ? んなもん作るなんてにわかには信じ難いよな。オイラだって自分で調査した結果じゃなきゃ信じてねーよ」

 デスヒコも呆れた調子で首を振る。

「オレだってお前たちの調査結果じゃなきゃ信じてないよ……この会社はおかしいと思い続けてきたがここまでのことをするなんてなぁ……はぁぁ……」

 頭を抱えるヤコウに、立ち上がったフブキが「まぁまぁ部長、チョコレートを召し上がってください!」とチョコレートを差し出す。

「甘いものを食べればきっと元気も出ますよ! そうです、皆さんでチョコレートを食べに行きませんか? ちょうど今週末新しいお店ができるんです! 一緒に行きましょう!」

「ありがとう、フブキちゃん。けどね、今週末オレ達保安部は『最重要実験』の警護任務があるから行けないんだよね」

「『最重要実験』……?」

 品良く小首を傾げたフブキはハッとした表情でヤコウを見つめ返す。

「そうでした……! 申し訳ありません部長、わたくし今週末と先週末を勘違いしてしまっていたようです! てっきり、『最重要実験』は先週の出来事かと……!」

「いやいやお嬢、そしたらオイラ達一週間の記憶がぶっ飛んだことになっちまうから!」

「この会社なら、一週間の記憶を奪うなんて造作もないことだろうけどね……」

 本を読み終わっていたのか、暖炉の中からヴィヴィアの声が響く。

「怖いこと言わないでよ……やりかねないけどさぁ……」

「部長は僕達よりも会社に対する捜査権限があるはずだろう? そちらの調査はどうなっている?」

「あー……そのことなんだけどね、うん」

 フブキが差し入れてくれたチョコレートを鷲掴みやけ食いをしながらヤコウが頭をかく。フブキはちょこんと定位置の白いソファーに座り直してヤコウの言葉を待つ。

「今週の頭に行われた血液検査、あるでしょ?」

「伝染病の検査でしたっけ……?」

 そうそれ、とヴィヴィアの言葉に頷く。

「全町民に無料で検査するなんて殊勝なことするなーって思ったんだけどね、あれ、『最重要実験』に使う遺伝子情報を抜き取るためっぽいんだよね」

「ハァ!? 血液検査は衛生部が主導してたろ!? 『最重要実験』をやってる研究部は関係ねーはずだぜ!?」

「それに……私が調べた限り……伝染病は実在しているはずです……」

「……それほどまでに研究部の権力が増しているのだろう」

 やれやれ、とハララが肩を竦める。

「恐らく伝染病も研究部がウィルスをばら撒きでっち上げたものだろうな」

「そんな、酷いです……!」

 知り合いがその伝染病にかかってしまい苦しんでいるというフブキが力強く拳を握った。

「調査すればするほどアマテラス社はおかしい……そう結論付ける証拠が出てくるばかりだよ」

 どうしてこんなことになってるのかなぁ、とヤコウは天を仰ぎたい気分だ。

「オレたちの遺伝子情報も取られちゃったし……あーあ! 無惨に失敗しないかなぁ『最重要実験』なんてさ!!」

「つーかこんなことしてて、世界探偵機構から何にも言われねーのか?」

「アマテラス社に『統一政府直々の依頼を行っている』という言い分がある以上、立ち入った調査はできないだろうね……」

「超法規的かつ超特権的な権限を有していようと、探偵というものはあくまで『事件を解決する存在』でしかない」

 ヴィヴィアとハララの冷静な声にフブキが勢いよく立ち上がった。

「だから、わたくし達が闇の奥に秘められた正義と真実を追い求め、カナイ区を守るのですよね!」

 天真爛漫な笑みを向けるフブキにヤコウも釣られ、頬を緩めた。

「……そうだな。会社も、探偵も、政府も信頼できない中、オレが町を守るため信頼できるのはお前達ぐらいだよ」

 目を細め、もう一度部下達の顔を見つめる。

「頼む。オレと一緒にこの町を救ってくれ!」

 立ち上がり頭を下げたヤコウに部下達は顔を見合わせ……互いに微笑んだ。

「良いだろう。だが、僕は安くはないぞ」

 ハララ。冷静沈着で優秀な人間だ。人間不信の気があり、金しか信頼していないところと上司にも躊躇なく暴力に物を言わせるところは玉に瑕……いやだいぶ大きな瑕だが、皆が言うほど冷血な人間ではない。どこまでも誠実で真面目な性格が変な方向に向かってしまっただけだ、とヤコウは考えている。

「ったく、しょうがねーな部長は! 仕方がない、スターの力を貸してやるよ!」

 デスヒコ。明るくポジティブでお調子者。女性に対するアプローチが行き過ぎているところがあるため遠巻きに見られることも多々あるが、本人は優しく良く周囲のことを見てくれる。そうでなければ完璧に変装して別人になりきる、なんて不可能だろう。

「はい! 皆さん一緒に頑張りましょう!」

 フブキちゃん。超規格外お嬢様なだけあって天然で世間知らずだが、誰よりも純粋で素直な良い子だ。自分の持つ大きな力を常に誰かを救うために使おうと考えている彼女がカナイ区に来てくれて本当に良かった。彼女が抱える大きすぎる責任を少しでも一緒に背負えれば、と思う。

「部長も、あまり無理はしないでくださいね……」

 ヴィヴィア。不思議なことにヤコウを心底から慕ってくれているようだ。一体自分の何が優秀な能力を持つ彼を慕わせたのかヤコウには全く見当がつかないが、その信頼を裏切ることはしたくない。彼のことをよく知らない人間は物静かな彼を不気味だと評するが、誰よりも愛情深い人物であることをヤコウは知っている。

「……ありがとうな、みんな」

 部下の言葉に、ヤコウを見つめる瞳に力強く頷く。

「改めて、今週の『最重要実験』の警護任務だが……万が一何かあったらオレがどうにかするから、お前らはとにかく自分の身と安全を第一に行動するんだぞ!」


 ……所詮、ヤコウ一人だけでは故郷を守ることなんて不可能だ。

 けれど、優秀な部下達と一緒なら不可能さえ可能になってしまうかもしれない。

 そんな無根拠な希望さえ抱いてしまうほどにヤコウは部下達のことを信頼していた。

 部下達の方もヤコウに親愛と信頼を置いていることを、終ぞヤコウが知ることは無かったが。


「最重要ホムンクルス実験」が行われ、空白の一週間がカナイ区に訪れるほんの数日前。

 悲劇の前の日、確かにヤコウと部下達は笑い合えていた。


◆終◆

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