悪魔パロカビマホ
その部屋の光源は、テーブルに置かれたランプと窓から差す月光だけだった。
暗がりに目を凝らせば本、本、本。本棚の中で美しく規則正しく並ぶそれらの背表紙は、読むだけで悍ましいとわかるもの、その星の言語で記されていないもの、そもそも何も書かれていないもの……と、普通の図書室には決して置かれないであろうもの――あったとして、開架される筈のないものばかり。
そんな濁った本の海に、身一つで沈む影があった。
この星では小柄な体格、巡る思考に合わせてぴこぴこと動く耳。目深に被った青いフードと白いマントは彼の目元を隠し、身に纏う祭服はこの図書室の持ち主である教会の宗派で定められたもの、を少しばかり改造したもの。
彼は――マホロアは、度々施錠当番の者から鍵を借り受けては夜通し熱心に本を捲る習慣を持っていた。
ただひたすらに紙の情報を食らうこの時の彼は酷く静かだ。よく笑い、よく喋り、よく語る昼間の彼とは大違いで、そして、夜の面を知る者は滅多にいない。
「いけないんだぁ、ここは今お祈りの時間じゃない?」
例外のひとりが、マホロアに降り注ぐ月明りを遮ってやってきた。
突如かけられた声と明るさの変化に思わず窓を見上げたマホロアは、その数瞬後全力でしかめっ面をする。彼の目に映るのは夜に似つかわしくないマホロアと同じ大きさをした桃色の体、青空色の瞳。頭に被るはどの教会に所属していても身に付けられる黒い修道服のベール。表情をぼやかすためのフードやマントが形無しなのを気にも止めず、彼はその来訪者――カービィに告げた。
「別にボクは敬虔な信徒じゃないカラネ…………『オイデ』」
マホロアが裾で隠した指先を引くとはめ殺しな筈の窓がぱかりと開いて、宙に浮き窓越しにマホロアを見下ろしていたカービィを招き入れる。この星では彼にしか見せたことのない、マホロアの魔術だ。
彼はくすくすと無邪気にマホロアの頭上を回り、そのまま彼が両脇に積み上げていた本の塔の片方へ腰を下ろした。「汚さないデネ」というマホロアの小言を笑顔で流す。
「マホロアの方からぼくを招き入れてくれるなんて嬉しいなあ」
「ボクが迎えなきゃキミ、窓をブッ壊シテ入って来るデショ?」
だったらコッチの方がマシ。溜息を吐くマホロアをカービィはそんな乱暴なことしないよう、とまた笑う。
一見あどけない子供のようなのに、どこか空恐ろしさを感じる彼の振る舞いの理由をマホロアは、カービィがマホロアの素を知っているのと同じように理解している。
「……デ、今日はドンナご用事?悪魔サン」
マホロアの鋭い看破の言葉を受け取って、カービィはニヤリと笑みの種類を変える。
小さく丸いピンク色の手で自らのベールを引っ掛け、ストリップのようにひらりと落とせば、そこには紫色の角、羽、そして尻尾。幼児向けの絵本に描かれるような悪魔の要素を全て持ち合わせた、正しく悪魔の彼は頬杖をついて自身を見上げる愛しい獲物にニコリと笑顔を返す。
そしてカービィはがさごそと懐(がある服を纏っていないのだがそうとしかいえない場所)を漁ってひとつのラッピングを取り出した。
「大した用じゃないよ。昼間『頂いた』からさ、マホロアと一緒に食べたくて。クッキーだよ、美味しいよ?」
瞳を深夜の海面のように揺らし、カービィはリボンを解いて中からシンプルなクッキーを一枚取り出す。すでに窓の閉められていた図書室に上質なバターの香りがふわりと漂い、なるほど彼らしい誘惑だな、とマホロアは得心した。
彼は裾の中で指を鳴らす。と途端にカービィの座っていた本の塔がばらけ始めて、それぞれ己の居るべき場所へ収まりにいってしまう。あわわわ、とまるで焦っていない調子の声を出して、カービィはバランスを崩すフリをしてから背の翼をはためかせた。先ほどまでいた高さとさほど変わらない位置をふよふよと飛び、彼は唇を尖らせる。
「いぢわる。っていうか本返しちゃって良かったの?」
「ソッチの塔はモウ読み終わったヤツだから問題ナイヨ。丁度スペースを空ける必要が出てキタシ」
「え……ってことは!ぼくの誘惑に乗ってくれるの!?」
じゅるりと舌なめずりをするカービィの視線は、マホロアに注がれている。悪魔の誘いに乗り甘受するということは、そういうことだ。とうとう待望の日が!と浮足立つ彼の頭に、べしんと殊更厚い本が直撃する。
マホロアの座っている場所の対面に墜落しわざとらしく涙目になったカービィに、マホロアはオバカサン、と人差し指を振る。
「別にキミの誘いに乗るワケじゃナイヨォ。探索を始めてからもう四時間は経ったから、休憩にお茶を淹れようと思ってネ。……必要ならもう一個カップを出すシ、お茶菓子にクッキーを選んであげてもイイケド?」
続くマホロアの言葉に、カービィはこくこくと頷く。誘惑は失敗だが獲物であり友人でもあるマホロアとティータイムを過ごせるなら喜んで、だ。段々かわし方が巧妙かつ雑になってきている気がするが、それはそれ。
ジャアちょっと待っててネ。と席を立つマホロアへ手を振って送り出し、カービィはまだマホロアが読破していないという本の塔を、先程しまわれていった本たちを眺める。それらの内容を深くは知らずとも、悪魔である彼にはなんとなく、その本質たちを理解できてしまう。
(前よりずっと「深度」の高い物を、的確に拾えるようになってる)
それは、カービィにとって歓迎できないマホロアの進歩だった。
(マホロアはぼくが最初に目を付けたのに。さらってくようなマネ、しないでほしいな)
本越しに、カービィはソレを睨みつける。彼にも正体がわからない、マホロアが追い求める深き者。
オマタセ、とティーポットとカップをふたつ携えて戻って来たマホロアに気付いてパッと満開の笑顔を作ったカービィは、ずっと頭の中で考えている。信じない神に祈っている。
マホロアがソレより先にぼくの手を取ってくれるように。ぼくの元に堕ちてくれるように。