悪々マヌル 前半

悪々マヌル 前半


 私の世界は、不思議な赤色でいっぱいだった。


「ウゥ…………」


 ──────僕の名前はマヌル。ホコリっぽい倉庫の中に座り込んで、とある作業をしている最中だ。

 倉庫の中は粉塵がむせる位に舞っているし、あちらこちらがガレキと化している。建物としての体裁を保っているのが不思議な程だ。だがまあ、贅沢は言ってられない。


「やるか」


 床に並べた薬草を掴む。アトムスフィアで回復効果だけを抽出し、フラスコ内の液体に注入する。そこから特別な材料を加えれば回復液を精製できるのだ。

 神様から『アトムスフィア』のスキル(薬師にしか使えない特殊技能の事)を与えられた僕にしかできない仕事。非常に地味だが、こういった積み重ねが戦いの生死を分ける。


「……ふふ」


 回復液の作成数が目標に到達。フラスコの先端をゆるりと回し、僕は中の液体へ笑みを漏らす。

 僕らは『勇者パーティー』。クソゴミ魔族とその王をブチ殺す為に結成された少数精鋭部隊。毛ほどの妥協も許されないし許してはならない。そう思えば、こんな仕事にも結構やりがいを感じられる。

 一息つく為、近くのモノへガレキを積んで腰掛けを作る。少し硬いが座り心地は中々──────「マヌル! 探しましたよ!」


 入り口の方から大きな声。勇者パーティーに在籍する仲間の声だ。声の主は”カスパー”。勇者をサポートする腕利きの魔術師で、優男風のイケメンだ。

 その彼が倉庫の中へと駆け込んでくる。収まりかかっていた倉庫のホコリが再度舞い上がった。


「どうしました? カスパーさん」

「どうしたもこうしたも無いですよ。勇者ちゃんが貴方を呼んでます」

「知らせてくれてありがとう。でも後片付けしないとだから──────」

「片付け位は私がやっときます。マヌルは早く行ってあげて下さい…………”大事な話”なんです」


 呆れたように目を細めたカスパーが僕の額をトンとつつく。魔力を帯びた彼の指が涼やかに光る。

 僕はそんな彼に向けて、胸の前で右手を立ててゆるく頭を垂れ、極めてカジュアルな礼拝を捧げた。


「オッケー、お言葉に甘えさせて貰うよ」

「…………ええ」



 倉庫を出て、服の汚れを取り、住宅街を抜け、宿屋に入り、勇者達の泊っている部屋へと向かう。

 宿屋の扉を開ければ、勇者ちゃんがイスに座り僕を待っていた。無数のキズが刻まれた、それでも尚カワイイ顔の額にシワを寄せて。

 普段の勇者ちゃんはカワイイ系女子にしか見えないが、魔物と戦う時の姿は誰よりも苛烈で心強い。今の姿はいつもより少しだけ戦闘寄りだ。

 ついでに他のパーティメンバーも一緒にいる。名前は確か…………ケンシとティゴ。そう、鎧の男がケンシで、薄着の女がティゴ。そんな感じだ。


「待たせちゃってゴメン。それで話って…………ん?」


 勇者ちゃんがこちらへ歩み寄り、僕の手にナニカを押し付けてきた。硬くて鋭くてザラザラした……これはレンガの破片か。鋭さからして割れてからさほど時間は経っていない。


「これが何か解る?」

「うーん、破片かな」

「その通り、だけどただの破片じゃない。これは先日領主の館が爆破された時にでたモノ…………ねえマヌル。昨日の夜、お前を館の近くで見たという目撃情報がある」


 シンと静まった部屋に勇者ちゃんの言葉が響く。声色こそ冷静だが、彼女の右手は剣の柄をしかと握っている。

 他のメンバー達は祈るように顔を伏せ、ひたすらに黙りこくっていた。武器はそもそも身に着けていない。


「そうですね、館を爆破したのは僕ですよ」

「何故爆破したの?」

「魔王討伐への協力を拒んだからです。人類に仇成す魔王の討伐に協力しないのは即ち、人類への消極的な敵対。つまり悪です」

「……そっか」


 沈黙。ふとまっさらな表情を浮かべ、勇者ちゃんはしばし宙を見上げた。

 弛緩する空気。彼女の態度が軟化した事を察し、ケンシとティゴは安堵のため息を──────


「ひッ……」


 つけなかった。突如放出された勇者ちゃんの魔力に怯えて。度を超えて濃密な彼女の魔力はついに物理的な圧力を帯び、床板や家具を震わせた。光のベクトルに魔力が干渉して部屋一帯の風景が歪む。


 彼女は強烈に床を踏み鳴らし、僕の首元に剣を突きつけた。


「悪だからといって見境なく爆破する奴に! 誰が協力するんだよ! 私たちは勇者パーティッ! しょーもねえ悪なんて無視して! 1分1秒0.1秒でも早く魔王を殺すのが仕事でしょうが!」

「悪を見逃すのも、また悪です。悪が悪を倒した所で世界は変わりません。善こそが勝つと世に示さねば。その為に…………完璧な善性を保ったまま魔王を倒さないといけないんです」


 僕は彼女に向かって一歩踏み込み、勇者ちゃんの手を掴んだ。剣に裂かれた首元から血が零れ出すがそんな事はどうでもいい。この程度じゃ死ねないのは解ってるし。

 手を掴まれた勇者ちゃんは一瞬たじろいだ後、キッと眉を吊り上げる。


「ねえマヌル、完璧に善性を保った人間なんていないの! キレイ事だけじゃ生きていけないの! 第一、協力しなかった相手を爆破する人間を一般に善人とは言わないんだ…………私何度も言ったよね? 過激な事はダメだって!」

「領主以外を爆破しないようにちゃんと配慮した。僕は完璧な善人だよ。信じてくれ」


 僕がそう言うと、勇者ちゃんは剣を下して魔力の放出を止めた。どうやら怒りのピークを越したようだ。部屋の隅に移動していたケンシとティゴは密かに胸をなでおろす。

 ──────多分次に来るのは同意の言葉だ。何せ勇者ちゃんは僕の幼馴染。ぶつかる事はあっても最後は解り合える。そうに決まってる。

 僕は自作の回復液をグイッと飲み下し、彼女の言葉を待つ。


「……解ったマヌル。君を追放するよ」


 しかし、勇者ちゃんの言葉は僕の予想に反したモノだった。怒るような、呆れたような、悲しむような声だった。意味不明だった。

 僕は片頬をヒクつかせて彼女の手を強く掴む。


「…………な、なんで? 僕は一片の曇りもない善人だよ? なんで追放するの?」

「そうだね、まあ、価値観の相違が一番の原因かな。マヌルは幼馴染だし、いつか分かり合えると思ってたんだけどね。けどもう……限界だよ」


 勇者ちゃんは右に視線を逸らしながら、そう言い放った。

 こうして僕は追放されてしまった。不当にも。



 数日後。


 色んな声が混ざり混ざった喧騒。微かな吐しゃ物の臭い。乱暴に料理を運ぶしかめっ面の給仕。ここは酒場、それもかなり”カジュアル”な安酒場。

 しかし不思議な事に悪人は殆どいない。僕が一番気に入っている店だ。


「さて、どうしたものか」


 僕は今、酒場の片隅で氷水とザワークラウト(キャベツの漬物)をつまみながら今後について考えている。

 勿論自分がどう生きるかという話ではない。僕から離脱した勇者パーティをどうするか、という話だ。魔王を倒す存在は善、それも完璧でなければならない。ここだけは譲れない事項だ。

 つまり──────「動くんじゃねェ! お前はもう奴隷なんだよォ!」


 背後から怒声と乱闘の音。見なくても解った。近くに悪がいる。

 僕はゆっくりと立ち上がり、酒場に入ってきた大男───人間の繋がれた鎖を手に持っている───に近づき、肩をポンと叩いた。

 肩を叩かれた大男は訝し気な眼で僕をみる。


「なんだお前? 今忙ジッ」


 大男が爆発して吹っ飛んだ。酒場の喧騒がピタリと静まる。

 手持ちの爆弾(薬草や鉱石を加工して自作)からアトムスフィアで効果を抜き出し、男に移し替える事で彼自身を爆弾に変えたのだ。対人なら大抵これで片が付く…………が、たまに耐える奴もいる。今回もそのパターンだった様だ。


「おお」


 顔面は丸焦げ、息も絶え絶え、皮膚は所々ケロイド状。だけどまぁ、放っておいてもきっと死なない。一般人と強者は根本からして違う、気に掛けるだけ無駄だ。

 そしてこれ以上の裁きも要らない。過度な裁きもまた悪である。

 僕は大男の連れていた奴隷を縛る鎖の錠前をアトムスフィアで弱めの爆弾に変え、イイ感じに破壊した。


「大丈夫ですかって…………ああ、サンドラ先生じゃないですか」


 のそりと立ち上がる奴隷、もといサンドラ。彼女はエルフの魔術師にして英雄。王国の最強パーティ『アレクサンドラ隊』の元一員であり、侵攻してきた魔族四匹をブッ殺した事で有名だ。その時の戦いで深い怪我を負って今は半隠居状態だが、それでもまだ強い。

 僕に戦闘のイロハを叩き込んでくれた恩師でもある。


「何してんですかサンドラ先生。アンタ奴隷堕ちなんかするタマじゃないでしょうに」

「奴隷のふりして犯罪組織に潜入しようとしてたなの。でも面が割れてたから毒を盛られちゃったなの。正直今も体に力が入らないの」

「…………サンドラ先生って割と直情的な所ありますよね」

「爆弾魔のマヌルにだけは言われたくねぇなの」


 サンドラの言葉に僕は肩を竦めた。


「爆弾”魔”は辞めて下さい、爆弾使いでお願いします」

「ハイハイ、それで爆弾使いのマヌルさんや、勇者ちゃんは元気なの?」

「じ、実はその、勇者ちゃんと価値観の相違で別れてしまって」

「…………そうか。今回はそうなのね」


 ふと、瞼を伏せて下唇を噛むサンドラ。何か気がかりな事でもあるのだろうか。


「? どうしました?」

「イヤ、何でもないなの…………それはそうと、ここで再会したのも何かの縁だし、久しぶりに軽く冒険にでも行こうなの。ほら、宝石樹の森とかどうなの? 宝石を持ち出そうとしない限り比較的安全で、とっても綺麗な場所なの」

「誘ってくれてありがとう、先生。でも僕には今やらなきゃいけない事があって」


 そう、善の道から外れた勇者ちゃん達を正す使命が僕にはある。悪が魔王を倒す事などあってはならない。悪が魔王を倒したら、その悪が第二の魔王となるだけだ。

 僕は先生に一礼し、酒場の勘定を済ませて出ていった。


「…………マヌル」


 ──────サンドラはマヌルの背中に手を伸ばしたが、その手が届く事は無かった。彼の姿は扉の向こうに消えていった。

 静まり返っていた酒場はマヌルが居なくなった瞬間に喧騒を取り戻す。彼のいた痕跡を上書きするかのように。



勇者視点


 ここはソーンフォレスト。強固かつ鋭利な葉を持った植物達が侵入者の肌を切り裂く、極めて危険な森。


「シイィィヤアァァ!!」


 眼球をひん剝き、歯茎を露わにした勇者が体長5mの魔物を一刀両断した。彼女の怒声と放出された魔力が大気をビリビリと震わす。


 勇者が勇者になる前、彼女は抜け殻だった。魔王に家族を殺されたからだ。今はその空虚を憎悪と微かな情で埋め、ギリギリの所で社会性を保っている。

 勇者が勇者になった時、生まれ持った名前を抹消した。名前を使って呪いをかけられるリスクがあるからだ。

 勇者が勇者になってから、一度の敗北も無かった。人間の敵をゴーレムじみて無機質に処分し続けている。


「ダッ!」


 彼女の気迫に怯えた後詰の魔物へ踏み込み、間合いに入る。両断。

 沈黙。勇者は五感を研ぎ澄まし伏兵が居ないか確認した。


「よし。もうここらは大丈夫だね!」


 般若の如き勇者の面がストンと笑顔に切り替わる。纏う空気を日常のソレへと切り替えた彼女は──────背後の茂みに剣をブン投げた。

 あがる悲鳴。茂みを黒ずんだ朱に染めて漏れ出す血。中から這い出て来たのは小柄な魔物。


「……」


 勇者は無言で剣を引き抜き、服の袖で刃を拭った。彼女の笑顔は本の英雄のように屈託がなく、本に書かれた挿絵と同じく一切動かない。


「皆お疲れ! 三十分だけ休憩しよっか」

「は、はい……」


 勇者パーティのメンバーであるケンシとティゴは互いに目配せし、勇者から少し離れた場所で囁き声を交わし合う。


(ねえ、今日何時間歩いた?)

(10時間。この森じゃ座る事すらマトモに出来ないし、足場も悪い。もうクタクタさ)


 ケンシとティゴは共にくたびれた苦笑を浮かべる。


 ──────マヌルが居なくなってから、勇者の苛烈さが度を越し始めた。ケンシもティゴも魔王を憎む気持ちはあるしヤル気だってある。勇者パーティに相応しいだけの実力もあるつもりだ。だが、そんな二人からしても勇者は度を越している。

 行軍は限界ギリギリまで行い、戦闘技術の上達にもノルマが課せられるようになった。ケンシとティゴが陳情しても勇者は耳を貸さない。参謀役であるカスパーの意見だけはちゃんと聞いてくれるが…………彼は無難な事しか言わない。

 下手な事言ったら殺されかねないと理解しているのだろう。


(…………正直、もうついて行けないよね)

(解る)


 マヌルが居た時は違った。幼馴染なだけあってとにかく遠慮が無かったし、勇者も彼の意見を聞いていた。マヌルも苛烈だったが勇者とはベクトルが違う。互いの尖った部分を削り合える関係だったのだ。

 確かにマヌルは人格の破綻した爆弾魔である。だがパーティに必要な存在でもあった。今更後悔しても遅いが、それでも後悔せずにはいられない。


(私、ここから帰ったらパーティ抜けるね)

(お前が抜けるんなら俺もそうするぜ。勇者ちゃんには悪いが、もうこっちの心身が持たねえよ…………ん?)


 話し込む二人に近づく男が一人。カスパーだ。何故か彼には疲労の気配が一切ない。自分自身に何かしら魔術でもかけているのだろうか。


「…………どうしたカスパー。何か用か?」


 ケンシは鬱々とした感情を取り繕う事もせず、ぶっきらぼうに話しかける。鋭く尖った下草がカスパーの脛を浅く突き刺す。


「用事という程の用事でもないですよ。最近覚えた、元気になる魔術をお二人にかけようかと思いまして」

「へえ……魔術ってのは便利だな。じゃ頼むわ。ティゴはどうする?」

「私もお願い」


 了承を受け取ったカスパーは二人の額をトンと突いた。魔力を帯びた彼の指が脂っぽい虹色に光る。


「おお、これで終わりか。結構アッサリしてるんだな」

「補助魔術なんて大体こんなモンですよ…………それはそうとケンシさん、ティゴさん、少し離れた所に移りませんか? 話したい事があるんです」

「いや……いい。この森は危険だからな。勇者と離れたくない」

「お願いします。”大事な話”なんですよ」


 余りにも不審なカスパーの態度に二人は言い返そうとしたが、特に何も思いつかない。何故不審に思ったのかも解らなくなった。キット、ツカレテルノダロウ。



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