悋気

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【新着メッセージがあります】 


休みの日に職場、もしくは仕事相手から届くメッセージほど焦るものはない。だが、トレーナーから言わせれば仕事中に届くメッセージも同じぐらい焦る。

その相手が、自分の愛バである金色の暴君こと、オルフェーブルならば尚更だ。


【家庭科室に来い】


時刻はちょうどこれから昼休みになるかという時間。金色の暴君からはそんなメッセージが届いていた。

彼女からのメッセージは大抵いつも淡白で簡潔である。

仮にも歳上のトレーナーに対するメッセージとは思えないが、それでもトレーナーは見るなり素直に返信を打ち込んでしまう。

彼女からのメッセージは遅くても二時間以内に返信しないとどやされてしまうのだ。


「ふっ……ううっ……!」


『わかった』と返信してから、トレーナーは椅子に座った体を伸ばして疲れている目元をグリグリと押す。昨夜から今日にかけてほとんどパソコン作業をしていたためか、伸ばした背はパキパキと音を立て、押された視界はチカチカと点滅した。

だがのんびりしている時間はない。飲み切っていたゼリー飲料をゴミ箱に捨て進めていた作業を上書き保存すると、トレーナーは部屋を出て急いで家庭科室へと向かった。




昼休み突入のチャイムを聞きつつ、疲労で悲鳴を上げる足に鞭打って家庭科室へたどり着く。室内へ踏み入ると、六台ある調理用テーブルが見えた。

そしてその内の一台に、呼び出し主であるオルフェーブルが立っている。


「来たか」


足音を聞き付けていたか、オルフェーブルがゆっくりと目を開く。太陽の光を背に受けて堂々と佇んでいるその姿は、さながら阿修羅像のソレのような威圧感まで放っていた。

そんな彼女の視線が体に突き刺さり、思わず身震いした。ベルを鳴らすと唾液が出るようになった犬のように、いつしか無意識で生じるようになった反応。

未だに愛バに若干恐怖しているなど情けない話とは思うが……しかしこの一年での圧倒的な威厳により、自分の中での『絶対逆らえない者』の地位にたづなさんや母親を押し退けて君臨したオルフェーブルでは無理もない……と思う。オルフェーブルを前にして全く恐怖を抱かない者の方が少数派な気もするし。

ともかく、震えを悟られないようにしながらトレーナーは口を開いた。


「……あ、あのさオルフェーブル。やっぱり急に呼び出すのはやめてくれないかな?心臓に悪いから……」


「担当の要望に応えるのはトレーナーの仕事であろう。貴様は王であるこの余のトレーナーなのだ。心身の準備は常にしておけ」


「それはそうかもだけどさぁ……」


相変わらずオルフェーブルらしい理論だ。

本気で直してくれることを期待したものではなく、むしろこうして言いくるめられるとこまで含めて『いつもの流れ』なので、トレーナーは特に落ち込みもせず彼女のいる調理台まで歩いていく。

そうして近づいてわかった。オルフェーヴルがいる調理台には、いつの間にやらスーパーで売っているような卵のパックや調味料が置かれていた。

小首を傾げる。今日は調理実習もないし、卵のパックなんてのは家庭科室にはないはずである。となると、これはオルフェーヴルが用意したのか────?


「貴様」


「は、はいっ!」


矢のような声に背筋が伸びた。そのままオルフェーヴルの次の言葉を待つしかなくなる。

なんだ。なんのために呼び出されたのだ自分は。オルフェーブルは何を言ってくるのだ。そもそも何故この時間なのだ。

状況が読めるようで全く読めず、様々なハテナマークが浮かんでくる。

そんなトレーナーに、オルフェーブルはいつもと同じ厳かな態度のまま、言葉を発した。


「貴様……確か料理の心得はあったな」


「え……料理?なんで急に……」


「答えろ」


「はいっ!えっと、心得っていうか……まぁ、人並みには。一人暮らししてるしお弁当とかも自分で作ってるし」


おっかなびっくりで答えると、オルフェーヴルは『そうか』と言い、トレーナーを見つめたまま腕を組んだ。


「余は今、空腹である」


「うん……うん?」


「貴様、余に料理を振る舞うことを許す。そこにある卵でオムレツを作ってみせよ」


「え……えっ、えっ!?」


浮かんでた小さなハテナが合体して大きなハテナマークになった。

空気が喉でつっかえて上手く言葉にならない。あまりに急すぎる命令だった。


「どっ、どういうことオルフェーブル??」


「たわけが。王に同じことを二度言わせるか」


「いや意味はわかったけど!えっと……な、なんでそこでオムレツ??」


とりあえず一番疑問に思ったことを聞いてみる。

オルフェーヴルとオムレツ。全く似合わないしイメージも結び付かない。

何故急に。ましてやこれまでトレーナーが彼女にオムレツを(というか料理を)振る舞ったこともないのだが……。


「貴様はオムレツが得意料理だそうだな。何故言わなかった」


「え……いや、言う機会ないし聞かれなかったし……そもそもそれどこ情報?一番作る頻度が多いってだけで、別に得意料理ってわけでは……」


「御託はいい。時間は有限だ。早く作れ」


「そ、そんな急に……」


「許可は既に取ってある。貴様がどれほど食器や火を使おうが憂う必要はない」


オルフェーヴルの中に『許可を取る』という概念あったんだ、とかなり失礼なことを思ってしまったのは一旦置いておくとして。

まだ脳は迷っていたが、それを許さないようにレーザー光線のようなオルフェーヴルの視線が顔に刺さってくる。……先程も言ったが『絶対逆らえない者』にそのように見られるとヘタレのトレーナーとしてはもうどうしようもない。

一先ずオルフェーヴルの目的はわかったし、下された命令も普通のものではある。ここは素直に従うのが吉だろう。

王の戯れには、下民は振り回されるしかないのだ。

諦めたように息を吐くと、トレーナーは水道水で丁寧に手を洗い腕まくりする。

フライパンなど一通りの道具を出してから、最後の確認のようにオルフェーブルを見てみる。彼女はいつの間にやら腕を組んで椅子に座っており、完全に待つ体勢になっていた。


「……では、僭越ながら」


それを肯定と受け取って、トレーナーは料理を始める。

卵を取ると、いつもは片手で割っているところを今回は万全を期して両手で割り、ボウルに入れて塩やコショウも加えて混ぜていく。卵白のコシを切るようなイメージで、黄身と白身がしっかり混ざるように。レシピサイトで得た知識を思い出しながら調理を進めていく。

トレーナーとオルフェーブルしかいない家庭科室。静かなそこに、外からの生徒の声と泡立て器がボウルに擦れる音が響いていく。

何度も繰り返しただけあってかその動きには淀みはなかった。車を運転するときのように、意識半分ですることができる。

調理中に漂う美味しそうな匂いを自分で嗅ぐ余裕もあった。……最初の方は。

戸惑いこそあったものの、なんだか王様専属のコックになれたようで悪い気はしなかった料理。だが、次第に居心地の悪さのようなものが来る。


「…………」


トレーナーがオムレツを作っていく様を、オルフェーブルが横からジッと見つめてくるのだ。腕を組んだままで。

まるでトレーナーの動作の一つ一つをスキャンして分析しているような視線だった。心臓が高鳴り、冷や汗がコメカミの辺りを伝う。

なんも言えない緊張で手元が狂いそうになる。だがここで失敗でもすればオルフェーブルから何を言われるかわかったものではない。……オルフェーブルは加点方式よりも減点方式で評価しそうだし。

生憎トレーナーはまだ命は惜しいし、オルフェーブルのレースももっと見ていたいのだ。


(なんなの……!今日のオルフェーヴルは本当に……!)


いつしか料理というよりも実技テストをしているような気分でトレーナーはオムレツ作りを進めていった。






約二十分後。

コンロの火が中々つかなかったり熱している間に本当に話すことがなかったりと紆余曲折あったが、ともあれ無事にオムレツは完成した。

折り畳むようにしてお皿に盛り付けると、食欲を唆る匂いが鼻腔をくすぐってくる。

いつも作っている通りの、トレーナーとしては満足行くオムレツである。尤も、オルフェーブルから見るとどうかはわからないが。

食器はどうするか一瞬迷ったが、オルフェーブルならとナイフとフォークにした。


「えっと……お待たせ、しました」


コト、とお皿をオルフェーブルの前に置く。


「…………」


オルフェーヴは一度瞬きすると、出されたオムレツを生地の中身まで透かしているのではないかというほどに見つめていた。

だが、やがて静かにナイフとフォークを手に取る。食欲と関係なくトレーナーは思わず唾を飲み込んだ。

それを意に介さずオルフェーブルはオムレツの左側をゆっくりと切ると、そのまめ口に運んだ。


「…………」


にこりともせず、無言で口を動かしていくオルフェーブル。

……彼女のその食事は、咀嚼はもってのほかとしてオムレツを切る音すらも介在しない、非常に静かなものだった。予想できたこととはいえ、王様は食事のマナーも完璧らしい。

家庭科室から音が消える。音が消えて、会話も笑顔もなくなる。それはまるで時間が止まってしまったような錯覚すら覚えそうになった。

錯覚で済んでいるのは、壁に掛けられている時計の針と外から聞こえるウマ娘たちの声のお陰であろう。


「…………」


なんだか不思議な空間だった。

あのオルフェーブルが、自分の作った料理を黙々と食べている。それも何の変哲もないオムレツを。

だが……オルフェーブル自身が持っている……雰囲気のようなものがそうさせるのか。

窓からの陽光をたてがみのような髪に受けながら食事をする彼女は……絵画のような美しさだった。つい見惚れてしまう。


「…………」


手と動かす度に少しずつ減っていくオムレツ。表情どころか、眉すらも動かさないオルフェーブル。

まだトレーナーは、オルフェーブルとの『無言の時間を楽しめる』ようなフェーズには全く至れていないはずなのだが……その空間は、何故かとても居心地が良かった。

なんだか、張り詰めていた糸が久しぶりに弛んでいくようで────


「貴様」


「……ぅえっ!?あ、はいっ!?」


────そこで出し抜けに呼び掛けられてトレーナーの心臓は跳ねた。背筋を伸ばして垂れかけていた目と口を元に戻し、弛んでいた糸も真っ直ぐにする。


「過剰に反応するな。見苦しい」


小言を受けながらオルフェーブルの方に視線を向けると、いつの間にやら食べていたオムレツは半分ほどの大きさになっており、彼女は口許を丁寧に拭いていた。

トレーナーはおそるおそる問いかけてみる。


「あ、えっと……お、お味はどうだった?オルフェーブル」


「……悪くない味だ。」


「えっ……!」


問いかけておいてなんだが、まさか素直に褒められるとは思わず驚いてしまう。所詮自分の料理など五ケ所ぐらいダメ出しされるかと思っていたのだ。


「卵は柔らかく、焼き色もついていない。表面の厚みも均一となっている。……なるほど、ヤツが言っていたことも納得よの」


(や、やった……!)


思わず後ろ手でガッツポーズを作ってしまう。……別にオムレツ作りに特段自信を持っていたわけでもないのに、彼女に褒められるとすごく嬉しくなってしまう。

着々と自分が犬化していることを感じていると、そこで不意にオルフェーヴルはナイフとフォークを皿の上に置いた。


「ウマ娘はいかなる状態であろうとも、レース時は普段通り走れなければならん。それを為すためには長い反復練習が必要となる。そしてそれはニンゲンにとっても変わらん」


オルフェーヴル特有のどこか難解な言い回しだった。トレーナーは思わず小首を傾げてしまうが、


「このような状況であろうと貴様が普段通りに作れたのは、何度も繰り返し洗練した動作故であろう。今後も更に腕を磨け」


「え……あ、ありがとう、ございます……?」


もしかして更に褒められているのか。とりあえずトレーナーは礼を言う。するとオルフェーヴルは目だけをトレーナーの方に向けた。


「そして、繰り返された動作を行う時は、思考に余裕が与えられるであろう。何もしていないよりもな。……貴様も先刻よりはマシな顔になったか」


「え───?」


言われて初めて、トレーナーは自分の顔に手を当ててみた。しかし確認をする前にオルフェーヴルはさっさと席を立って歩いていく。


「えっ、ちょっ……ど、どこに行くのオルフェーヴル!?」


「目的は果たした。余がここに留まる意味はない」


呼び止める暇もない。

たてがみのような髪をなびかせながら、オルフェーヴルは本当に留まる意味が無くなったようにさっさと歩き去ってしまった。

……と思いきや、家庭科室を出る直前で一度だけトレーナーの方を振り返る。

そして、半分だけ残っているオムレツを見ながら言った。


「残りはくれてやる。貴様が食え」







「嵐のようなウマ娘だったなぁ……」  


月並みだが、それ故にしみじみと感じられる感想だった。

オルフェーヴルが去ってから数分後。時間はまだあるし何より勿体無いしで、トレーナーは素直に残ったオムレツを食べていた。

食器は新しくスプーンを出している。回りに誰もいないし、自分はオルフェーヴルのように綺麗に器用に食べることはできないだろうと思ったからである。


「……うん。おいし」


オムレツを掬って食べる。

柔らかさとか均一さとか厚みとか。その辺りはわからないし意識したこともなかったけど、少なくとも自画自賛には値する美味しさだと思った。

ゼリー以外の食べ物を久しぶりに食べたような気がして、噛んで飲み込むという動作をする度になんとなく気分が高揚する。脳に栄養が行き渡り、心が安らいでいくのを感じる。

そんな風に落ち着いてくると。


(……もしかして、オルフェーヴルなりに僕を気分転換させようとしてくれてたのかな)


先程行き着いた仮説が再び脳内に浮かび上がってくる。

トレーナーはここのところ働き詰めだった。食事を摂る時間も惜しくほとんどゼリー飲料で済ませてしまうぐらいには。

それはオルフェーヴルも消えないトレーナー室の灯りから把握していただろう。限界を超えて働いていると、仕事の効率も落ちるし何より体がもたない。

だからトレーナーが慣れている……思考に余裕ができる料理でも作らせて、気分転換させようとしたのかもしれない。

そしてついでに、ここのところマトモな食事をしていないであろう自分のために、オムレツも半分残しておいたのではないか。


……そこまではさすがに考え過ぎかもしれない。あの暴君が、自分ごときのためにそんな気遣いなどしないかもしれない。しかし現に、定規で測定でもしたのではないかというほど正確に半分残されていたオムレツを見ていると……とそこまで考えたあたりで。


「……まぁ、いいか」


思考をくしゃくしゃに丸めて放り投げる。

結局どれだけ考えようが暴君の考えてることがわかった試しなんてない。どんな時に食べようとオムレツは美味しいものだ。数字と文字以外の情報を処理したことで脳もほぐれたような気がするし、このまま束の間の食事を楽しませてもらおう。

そんな風に思ってたとき、


「んん?おいおいおい!なんだか旨そうな匂いがすると思いきやよ~!」


突然家庭科室の入り口から大きな声が聞こえた。

心地好い時間を邪魔されて少し苛立ち気味に「はい?」と返したが、それはすぐに「げ」の口になった。

それもそのはず。


「ゴルシちゃんが焼きそばの販売してた中で、お前は優雅に自作のオムレツを堪能中かよこのやろーっ!」


「いや……作りたくて作った訳じゃないんだけどね」


やって来たのは芦毛が特徴的なウマ娘、ゴールドシップだった。彼女の来訪にオルフェーヴルとは別ベクトルで気が重くなってくる。

このゴールドシップはどういうわけか彼の愛バであるオルフェーヴルと一定の関係を築いているようであり、必然的にこのトレーナーとも顔見知りである。そして目が合う度にトレーナーが理解できないノリで絡んでくるので、非常に苦手意識があるのだ。

本来手綱を握る役目であるゴールドシップのトレーナーも一緒に騒いでいたりするし……。


「なんだよ腹減ってんならゴルシちゃんに言えよなー!焼きそば1tぐらい余ってたのによ!」


「業者か。なんでそんなに余ってんの……」


「世界をゴルシちゃんの色に染めるんなら全然足りないぐらいだぜ?」


いつも通り理解できないことを言いながら平然と対面に座ってくる。追い返そうとしても敵わないことは身に染みているので、トレーナーは素直に食事を続けることにした。

するとゴールドシップはくんくんと形の良い鼻を動かす。


「……にしても、本当良い匂いすんなぁお前のオムレツ。こないだご馳走してもらった時もすげぇ旨かったもんな。つい回りに自慢しちまったぜ」


「……『お弁当に入れてたのを横からかっさらった』のはご馳走したとは言わないけどね」


「良いんだよこまけぇことは!しかし、なんで急にそんなもん作ってんだ?学園に許可取ったのか?」


なんで揃いも揃ってそういうところは律儀なんだ、と思いながらトレーナーはここまでの流れを軽く説明した。


「はぁ~?また突拍子もねぇことさせるなアイツはよ~!」


「君にだけは言われたくないと思うよ……。それになんだかんだで気分転換にはなったし。とりあえずオルフェーヴルなりに気遣ってくれてたのかなって、受け取ることにするよ」


「気遣いねぇ……アイツがそんなこと……あ?待てよ?」


何やら言いかけたゴールドシップだが、その途中で何やら思い当たったのか顎に手を当てる。そのまま『あー、そういやアイツにも自慢したっけな……』とか何やら小声で呟いている。


「……なに?僕の推測がそんなに的外れだった?」


そんなに自惚れが入っていたかとかとトレーナーは言おうとしたが、ゴールドシップはそれに対し「いやー?」と返すだけだった。

……何故か彼女は、新しいオモチャを見つけた時のようにニヤニヤとしていた。

そのことにトレーナーが疑問に思っていると、ゴールドシップはニヤニヤしたまま、『まぁ結局ゴルシちゃんにもアイツの考えてることはわかねぇけどよぉ……』と前置きしてから、静かに言った。



「……案外、暴君にも可愛いところがあったりしてな?」


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