息吹とアイ1
「ではイブキ、明日の朝に迎えに来ますからね。」
「うん!イロハ先輩、ありがと〜!」
D.U.のシャーレのビル前。
イブキは満面の笑みでイロハに手を振る。
イロハはその様子を見ると表情を綻ばせ、虎丸の轟音を立てて去っていった。
「〜♪」
イブキは鼻歌を歌いながらとても嬉しそうにシャーレのビル内に入っていく。
ICカードを翳し、階段を上り、廊下を歩く。
そして、その扉を開いた。
「あら、イブキちゃんじゃない。こんにちは♪︎」
「いらっしゃい、イブキ。」
「こんにちは〜!先生、ユウカお姉さん!」
笑顔でイブキを出迎えたのはシャーレの主である先生と、当番として業務を手伝いに来たユウカだった。
「お姉ッ…!?んんっ、今日はどうしたの?」
「あのねっ、先生に勉強を教えてもらいに来たの!」
イブキは本来の目的を隠すため、当たり障りの無い嘘をつく。
対するユウカはイブキの愛らしさに絆されていた。
「…ユウカ、他に片付けないといけない事ってあったっけ?」
「か、かわいい……あ、えっと…もう無いですね。」
ユウカが作業リストを見ると、山ほどあった書類や作業はアッサリ片付いていた。
改めて先生の優秀さを認識すると、ため息がでてしまう。
「先生は仕事が早いのに、時々全く手着かずにするのが玉に瑕です。」
「早さも大事ですけど、継続する事も大事なんですよ?私もいつでも手伝える訳じゃないですから。」
「…うん、ごめんね。ちょっと気分が乗らなくて。」
時々なのだが、先生は全く仕事をしない時がある。
そこだけが問題であり、ユウカはこれさえ無ければと思わずにはいられなかった。
「もう…そういう時は連絡を下さい。」
「私がその気にさせてあげますから!」
「ありがとう、頼りにしてるよ。」
先生のその言葉が嬉しくて、ユウカは自身の頬が赤くなるのを感じる。
その照れ隠しに、常々思っていた問いを使うことにした。
「そ、それにしても、本当に二人はよく似ていますね。」
「先生のお歳は27ですし…生き別れの姉妹か、異母兄弟…だったり…?」
「違うんだよねぇ。」
「ねー!」
金髪の歳の差コンビは息ぴったりでユウカの考察を否定する。
だが、ユウカは否定されても納得がいかなかった。
そっくりさん、の一言で片付けるには言動に似通った点が幾つか見られるのだ。
ユウカは脳内で確率の計算をしてみたが、やはり解は”極めて低い”だった。
しかしユウカはそれを表には出さない。
「ふふっ、いずれ答えを聞ける日を楽しみにしてます。」
「あはは…」
「では先生、イブキちゃん。私はここでお暇しますね。」
「明日はトリニティに行かれるんですから、早めに寝てくださいね?」
「そうだね。今日はアロマを焚いてしっかり寝ることにするよ。」
「今日はありがとう、またね。」
「お姉ちゃん、バイバーイ!」
人には聞かれたくないことの一つや二つある。
それを追及するのは野暮というものだと、理解しているからだ。
ユウカはミレニアムへの帰路につく。
その答えを二人の口からではなく、別の形で知るとは夢にも思わずに。
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「イブキ、こっちにおいで。」
「…!」
先生の言葉を聞くや否や、イブキは先生の胸に飛び込む。
イブキはずっと我慢していたのだ。
こうして抱擁をもって触れ合うその時を。
互いの温もりを感じることが出来る幸せを。
「ただいまっ、お母さん!!」
「おかえりなさい、イブキ。」
豊満な胸に顔を埋め、そのまま見上げる形でイブキは自らの母に帰りを告げる。
そして母もまた、娘の帰りを優しく抱き上げる事で自らの懐に迎え入れた。
この行為は無自覚であるが、互いの存在を最も強く感じる為のコミュニケーションだ。
そしてそこには、確かな親子の親愛と絆があった。
二人はソファに腰掛け、話したかった事を互いに話し始める。
「ごめんね。イブキが私の大事な娘だって事、隠しちゃってて。」
「ううん、いいの!こうやってお母さんと一緒にいられるから!」
「ありがとう…。しばらく会えてなくて寂しかったよ。」
「イブキもお母さんに早く会いたかったの!」
「でも、マコト先輩が『もうちょっとだけ我慢してくれ』って。」
「うんうん、それでどうしたの?」
「なんとかじょーやく…?の段取りが着くまでって言われて、イブキ嫌だったの。」
「だからね、マコト先輩とこーしょーして、プリン1ヵ月分貰ったんだ!」
「ふふっ、交渉がとっても上手になったね。私に似たのかな?」
「お母さんの真似してみたから、お母さんのおかげ!」
母はイブキの近況を楽し気に聞きながら、彼女の頭を撫でる。
イブキも心地良いのか、もっと撫でてと頭を差し出す。
互いに温もりを感じながら、幸せな時間は流れていった。
そうして暫くの時間がたった頃、母は明日のことを言っていなかったと思い出す。
「そうだ。明日のエデン条約の式典だけど、私も会場にいるよ。」
「本当!?」
イブキは目を輝かせる。
自身が出席する式典に、大好きな母が来てくれて、見ていてくれる。
たったそれだけの事。だが、それはイブキにとっては嬉しくて堪らないのだ。
「イブキが頑張る所、見ててね!」
「もちろん!イブキの晴れ姿、楽しみにしてるよ。」
「えへへ…あ、そうだ。明日の式典頑張ったら、イブキご褒美欲しいな~!」
イブキは口ではそう言うものの、そこまで期待しないでいた。
母はとても忙しい人で、自分もあまり我儘を言ってはいけないと分かっている。
けれども少しイタズラとして言ってみよう、と考えたのだ。
だが、それは多大な成果を伴って返って来た。
「いいよ、私にできることなら一つお願いを叶えてあげる。」
「え…本当に、本当に良いの!?」
「うん、大事な私の娘だもの。…言ってみて?」
「じ、じゃあ…!」
イブキの願いは本当にささやかでありながら、切実なものだった。
“しばらくの間、一緒に暮らしたい”というものだ。
母はそれを聞くと一瞬悲しげに顔を顰めるが、すぐに笑顔に戻して告げた。
「わかった。しばらくの間、こっちに滞在出来るように準備しとくね。」
「ただし!…明日の式典で頑張ってる所、お母さんに見せてね?」
「うん…!うんっ…!!!」
「…よしっ!じゃあまだ外も明るいし、公園で一緒に遊ぼうか!」
「やったー!」
こうして式典の前日はのどかに、幸福に終わりゆく。
当日に巻き起こる動乱など、知る由も無かった。