恩の返し方
味のしない飢えを満たすだけの固形物に、碌に風を防ぐの事の出来ない壁。
世界はただ虚しいと繰り返し教えられ、辛い訓練と大人に奪われ続ける毎日。
挙げ句の果てには人体実験の非検体として体を開かれ、虫と混ぜられたアリウス分校での日々。
それに比べたらここ、ブラックマーケットは随分真っ当だ。まだ温かいと言ってもいい。
ここでは金があればいつでも自由に食事ができ、冷たい風を凌げる宿に泊まれる。
もっとも金のない私は既に廃棄されたビルでボロい毛布を被り、雨風を凌ぐ生活をしている訳だが。
最初のうちは世間知らず故、契約書で騙され、給料が出ずタダ働きすることも多々あったが、先生のお陰もあり今では苦しいながらも生活が出来ている。
これも全てあの時、アツコの救出に協力してアリウスをベアトリーチェから解放してくれた先生のお陰だ。
風の噂によれば、アリウスの生徒たちは手術の後遺症やこれまでの洗脳教育に対して医療騎士団が親身になって心身に対する治療やリハビリにより社会復帰を目指しているそうだ。
これもシャーレ。と言うより小吉先生が蒼森ミネに強く掛け合ったらしい。
廃ビルの壁に背をもたれ、考える。
思えば私は先生に何度も助けられたのにその恩を何も返せていないのでは?
姫やミサキ、ヒヨリ達は先生に保護されたと話で聞いているし、銀行の件や契約書の件、手術で得たグンタイアリの能力や格闘技術の訓練で私も小吉先生に度々世話になっている。
世話になったら受けた恩を返すべきだが具体的に何をすれば恩を返したことになるのだろうか。
17年生きて生憎今まで恩を返そうと、感謝を示そうと心の底から思った大人に出会えなかった。そんな私はどうすれば先生に感謝を伝えることが出来るのだろう。世間知らずの私にはわからなかった。
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今日も今日とて、ブラックマーケットで傭兵稼業。飾り気のないヘルメットを被り、金を貰い雇い主の敵対者を撃つ。
今回の仕事はブラックマーケットの古参悪徳企業Aが最近売り上げを伸ばしている新進気鋭のライバル悪徳企業Bを物理的に破壊しようと不良生徒達を雇ったのが発端。
一方、どこからか襲撃の情報を得た企業Bも戦闘用のオートマタや傭兵を用意、更に土嚢とコンクリートブロックのバリケードにより、本社ビル前に強固な防御陣地を築いていた。
そして今現在、その防御陣に私たちは足止めを喰らっている。
理由は簡単。陣地に備え付けられた幾つものブローニングM2重機関銃により障害物から出たら蜂の巣にされる状況となっているからである。
我々ザクザクヘルメット団を始めとした貧乏傭兵達に対陣地ロケット弾など高価な火器は無い。すでに何人も弾丸を撃ち込まれ気絶し、ポロポロと戦場から逃亡する傭兵もいる。
「どうする新入り。私達も逃げるか?」
共に機関銃の制圧射撃を避けるため壊れた大型トラックを壁にしている赤ヘルメットの装飾過多な先輩が話しかけてくる。
「いや、敵の防御陣地を破壊する。給料は欲しいからな。
策がある、先輩は少し離れていてくれ」
そう言い、上着の裏のホルダーから注射器を取り出す。
「何をするか知らんが気をつけろよ」と言って離れていく先輩の言葉を聞きながら首に変身薬を撃ち込む。
ドクンと体が跳ねる様な感覚に襲われ、変身薬により体が虫に近づく。この体が沸騰するような、作り替えられるような感覚は何度やっても慣れない。
変身はすぐに終わった。幸いな事に私は変身しても外見はあまり変わらず、頭部の触角もヘルメットで隠れているためアリウスの関係者と騒がれる事もない。
自分の体に宿るグンタイアリの能力が発揮される。
現状の膠着状態は攻勢側であるこちらに陣地を破壊する事が出来る火力が無いためだ。
ならば城門を突き崩す破城槌を用意すればいい。
「ぬん!」
今まで壁にしていたトラックを掴み、力を込める。10トン以上の鉄の塊が持ち上がり、投擲の構えを取る。
「オイオイオイ、嘘だろ‥」
「マジかよ‥」
敵味方双方の陣営から絶句の声が上がる。動揺から敵の機関銃が私に向けられるのが遅れた。
その隙を見過ごす私では無い。敵の防御陣地に向けてトラックを投げ付ける。敵兵が陣地を捨て回避しようとするがすでに遅かった。飛来する大質量が敵陣を粉砕する。
敵陣が沈黙すると直ぐにヘルメットの装飾過多な先輩の「と、突撃!」と言う号令が響きヘルメット団が標的のビルに突撃していく。
私も突撃して銃とナイフを片手に突撃する。 愛用のアサルトライフルが火を吹き、オートマタや敵の傭兵がバタバタと倒れていく。
銃剣で近接戦を仕掛けてくるオートマタも居たが人為変態した私に勝てる筈が無く、蹴りの一撃で壁にめり込み動かなくなった。
日が暮れる頃、今日の仕事は終わった。雇い主のライバル企業Bのビルを爆破炎上し、こうしてまた一つブラックマーケットに廃ビルが増えた。
「よう新入り、一緒に飯でもどうだ」
何故か普段より多い給料を受け取り、変身薬のストックはどれだけ残ってたかなど考えながら寝床にしている廃ビルに帰ろうとすると相変わらず過剰な装飾の先輩に手を掴まれ半強制的に先輩行きつけのラーメン屋に連れ込まれる。
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「むむ、むむむ‥」
数分間メニュー表と睨めっこしながら何を注文するか頭を悩ませる。
先輩は「町中華でそんな悩まなくても‥」と笑うが、どれもアリウスでは食べる事も見る事もできなかった食べ物だ。
皆一様に美味しそうで、未だ注文した事の無い料理もまだまだあるのだ。前回食べた物と同じ物を注文するかそれとも新しい物を試してみるかで延々と悩んでいると「埒が開かねぇ!もう私と同じ物頼め!」と先輩に言われてしまった。
「この店は醤油ラーメンにチャーハンと焼き餃子、この三つが一番美味いんだ」
ラーメンセットを待っている間、何故か自慢げにこの店のラーメンを褒め始める先輩。
確か前回連れて来られた時も醤油ラーメンだったな。一度もラーメンを食べた事がないと言った時、見た事ないくらい目を丸くして驚いていた先輩の顔を思い出す。
「ラーメンを食べたこと無いなんて人生損してるぜ新入り」と言われ、仕事終わりに先輩に連れたれて来たこのラーメン屋で他のザクザクヘルメット団のメンバーと共に食べた醤油ラーメンは実に美味しかった。
「そうなのか、先輩は何でも知っているのだな」
「ふふ、そうだろう。先輩を褒めろ、尊敬しろ」
色々物知りで愉快な人だ、一緒にいて楽しいと心の底から思える。この人が居るからザクザクヘルメット団は団結しているのだろう。
ふと、博識のこの人であれば先生への恩返しをアドバイスしてくれるのでは?と思い尋ねてみる。
「大人への恩返しの方法?」
「ああ、私には何をすれば良いのかよく分からなくてな」
深刻そうな顔でそう伝えると先輩は呆れた様に告げる。
「お前は真面目に考え過ぎなんだよ新入り。何して貰ったかは知らないけど相手は見返りを求めてお前を助けたわけじゃ無いんだろ?
なら礼の品と一緒に手紙でも送るか飯でも誘ってそこで感謝の言葉を伝えれば良いんだよ」
さらりと別になんて事もない様に彼女は答えを出した。
先輩は私が数日かけても答えが出せなかった難問を容易く砕いたのだ。
「そうか‥、そうしてみるよ先輩」
「助けになれたら何よりだ。おっ、ラーメンが来たぞ」
いただきますと言い、手を合わせてた後ラーメンを食べ始める。悩みが解消した故かいつもよりラーメンが少し美味しく感じた。
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今日もシャーレには書類の山が出来ていた。キヴォトス中から集まる問題の対処を先生である、小町小吉は必死に捌いていた。
U-NASA在籍していた時でも毎日ここまで忙しくは無かったなとボヤきながら仕事を進めていた。
仕事を進めているとピロン!と携帯が鳴る。送り主を確認するとつい「珍しい‥」と呟いてしまった。モモトークに誰かから連絡が来るのは珍しく無いがサオリから連絡が来るのは滅多に無かったからだ。
今までサオリが連絡して来た時は何かしら問題があった時や助けを求める時が多かった。その為、急いでモモトークを確認すると「先輩に良い店を教えて貰った。良ければ今度、共に食事をしないか」と夕食の誘いだった。
「上手くやれているんだな、サオリ‥」
すぐに「今日の夜に一緒に行こう」と連絡を返しどうやらブラックマーケットで上手くやれているらしいサオリに安堵し、サオリと共に食事をするために未だ終わる気配の見えない書類の山を消し去るべく、仕事を再開するのだった。