恋!
長いので読むならお時間のあるときにでも「あー……水なくなっちまった」
たまたまシャフリヤールくんと一緒に練習をしてた日。水筒を傾けながらつぶやいた彼に、わたしはまだたくさん残っていた水筒を差し出した。
「わたしの飲んでいいよー、もう帰るだけだし」
「いや、そういうのは」
「顔もなんだか赤くなってるし、水飲んだ方がいいって。ほら飲んで!」
申し訳ないと思ってるのか、頑なに受け取ってくれないけどそういう場合じゃないと思う。何かあってからじゃ遅いんだよ!って言ってようやく受け取ってくれたけどそれでもすっごいゆっくり飲んでるし。
「やっぱり体調悪い?」
「疲れてきただけだって。心配しなくても寝れば治る」
「なんでもないならいいんだけど。今日は安静にするんだよー?」
「わかってるよ。水筒、ありがとな」
まだ顔赤い気がするけど、本人が大丈夫っていうならわたしが何かできるわけでもないし。ほんとうに疲れてるだけならいいんだけど。
*
どうしよう完全に迷っちゃった……!
こんなことになるなら誰かに一緒に来てもらえればよかったかなあ。同期のみんなでご飯行こうって誘われて、嬉しくってそのあたりのこと考えるの忘れちゃってたなあ。
連絡取ろうにもさっきまで地図見てたせいでスマホの充電もないし、これじゃみんなに会いにいくどころか帰れないかも。
「う……寒くなってきた……どうしよう……」
歩いてるひとに道でも聞いてもう帰ろう。誰か、道を教えてくれそうなひと……ってあれ?
「シャフリヤールくん?」
「っは、やっと、見つけた……っ」
「え?」
「っつーわけだから。俺が連れてくからお前らは先店行っててくれ」
なんか電話で話してる?かと思ったらスマホをポケットにしまって、シャフリヤールくんは改めてこっちに振り向いた。
「迷ったなら連絡しろ。つかなんでそんな薄着なんだよ」
「えっと、地図見てたら充電なくなっちゃって。服は、うん、ちょっと間違えちゃって……っくしゅ!」
「あーもう。風邪引かれてもこっちが困るし……これ、着ていいから」
「でも、そしたらシャフリヤールくんが寒くなっちゃう」
「ならこないだの水筒の礼ってことにしろ。ほら早く着ろ、行くぞ」
ほら、と半ば無理やり持たされたコートに身をくぐらせると、シャフリヤールくんがさっきまで着てたからかじんわりとあたたかかった。それに、わたしとそんなに背丈は変わらないはずなのに袖が余ったり肩が落ちたりして、思ったより体の大きさが違ったことにも気付いた。
「……ふふ」
「なんだよ、急に笑ったりして」
「シャフリヤールくんは大きいなあって」
「はあ?」
「ほら見て、わたしが着たら指先まで隠れちゃうの。あなたが着てたときはそんなことなかったのに。シャフリヤールくんも男の子なんだね」
「……そうか」
「ね、はぐれたら困るから、着くまで手を繋いでてもいい?」
「勝手にしろ。あんまり待たせるとあいつらうるさいし、早く行くぞ」
ぶっきらぼうに言い捨てるのに、なんだかんだ手を差し出してくれるからシャフリヤールくんは優しい。その手もコートと同じで、大きくて、あたたかかった。
「手も大きい。やっぱり男の子だね」
「見てわかることだろ」
「えへへ。……迎えに来てくれてありがとう、帰っちゃおうかと思ってた」
「どーいたしまして。今度は地図見る前に連絡寄越せよ、そしたら捜しに行くから」
「うん」
やっぱりシャフリヤールくんは優しいな。
*
「あれっ、ソダシちゃ……」
危ない危ない、ソダシちゃんが誰かと話してるのを邪魔しちゃうところだった。えーと、一緒に話してるのは……シャフリヤールくん?
あれ、ソダシちゃんとシャフリヤールくんって仲良かったっけ、あんまり一緒にいるところは見かけたことない気がするけど。
なんか胸やけしてるみたいにもやもやする……ご飯いっぱい食べすぎちゃったかなあ、今日はそんなに食べたつもりなかったんだけど。
というかあのふたり何話してるんだろう、でもわたしが気にするのも変な話だし聞くわけにもいかないし、やっぱり胸もぎゅーってするし。
「何百面相してるのよ」
「え、あ、ソダシちゃん!」
「さっき話しかけようとしてたでしょ」
「いや、大した用じゃなくて、たまたま見かけたから声かけようと思ったら」
「たら?」
「シャフリヤールくんが、いて……」
「え、ちょっと、どうしたのよ、急に胸抑えたりして」
「ううん、ちょっと胸やけしちゃっただけ。シャフリヤールくんとのお話はよかったの?」
「世間話してただけよ。そんなに話すこともないしね」
「そっか」
なんか胸やけも治まってきた気がするし、気のせいだったのかもしれない。
「じゃあわたしもう行くね。またねソダシちゃん!」
「ええ、またね。……はあ、ふたりそろってまったくもう」
去り際にソダシちゃんが何か言ってた気がするけど、振り向いてみたら普通に手を振り返されたから気のせいかも。
*
「最近胸やけすることが多くなってきて……、わたしも年かなあ」
「それケーキ食べながら言う台詞とちゃうくない?」
同期でお父さんの同じオロくんは、でもお父さんと違ってちょっと毒舌気味。いやお父さんがとびきり優しいだけなのはわかってるけど、それでも乙女への口の利き方ってものがなってないってソダシちゃんも言ってたし。
「せや、写真撮ってもええ?ウマスタ上げるやつー」
「うん。そっち寄ったらいい?」
「そうそうその辺で……ハイ、チーズ」
「よく撮れた?」
「そらもうばっちりよ」
インフルエンサーオロさま舐めんといてーとかなんとか言って、写真を撮ってしばらくスマホをポチポチしてたオロくんだけど、なんか、スマホを見てにやにやし始めた。面白いものでも見てるのかなあ。
「何か面白いことでもあったの?」
「まあそんな感じ。見せたれへんのが残念やわ」
「えー、なにそれ」
「ほなオレそろそろ次の予定あるから行くわ。ま、胸やけか何か知らんけどなるようなるって」
「ええ?行っちゃった……」
まあオロくんはいつもあんな感じだけど。わたしも帰ろうっと。
*
「なあ、俺、お前になんかしたっけ」
「ええ?何もされてないと思うよ……?」
そういえばシャフリヤールくんと話すことも減ったなって気がするある日。シャフリヤールくんは申し訳なさそうにそんなことを聞いてきた。でもわたし、何かされた覚えなんかないけど。
「どうして?」
「最近、避けられてるなって思ったんだ」
「そうかなあ」
シャフリヤールくんのことを避けたりしてるつもりもないんだけど。そんなことする理由もないし。
「今だって、目を合わせてくれないし。……前まではそんなことなかったのに」
「えっ?うそ」
「嘘じゃない。こっち見ろよ」
「……っ」
意識してシャフリヤールくんの目を見た。見ようと思ったんだけど、一秒も見られなかった。他の子はそんなことないのに、なんだかきゅーってなって目を見てられなくなっちゃう。
「……やっぱり、何か気に障るようなこと」
「っごめん、わたし、帰る!」
だめだ。だめ。だめすぎる。これ以上目を合わせて、声を聞いてたらだめになっちゃう。全身が震えて、まともに立ってもいられなくなる。
「うう……」
しばらく走ったところで、シャフリヤールくんが見えないことを確認したら力が抜けてしまった。やっぱりわたし変になってる。走っただけじゃない、なにか別の理由で胸がどきどき鳴ってる。
とりあえず部屋に帰って寝よう。もしかしたら今日体調が悪いだけなのかもしれないから。
*
「レーベンちゃん、最近きれいになったわよね」
「そう?」
「ええ。元から可愛いけれど、最近は特に」
「自分じゃよくわかんないなあ」
「そういえば。女の子は恋をするときれいになるというけれど、もしかしてお相手がいらっしゃったりするのかしら?」
アカリちゃんと話していたら突然そんなことを言われてびっくりしてしまった。
「恋とか、わたしにはまだよくわかんないよ。アカリちゃんは?」
「恋、と呼べるかは定かではないものだけど、話していると胸が高鳴るような殿方なら」
「ええー!胸が高鳴るって、どきどきする感じ?」
「そうね。心拍数が上がって、顔に熱が集まるような、そういう感じ」
そういうのなら、わたしも……あれ、あのときシャフリヤールくんと目を合わせて、どきどきしたのって……あれ?
「あ、ああー!!!」
「急に叫んでどうしたの?」
「わ、わたし、好きな人、いるかもしれない!」
「あら!」
だってシャフリヤールくん優しいし、かっこいいし、好きになっちゃってもおかしくないようなひとだし。わたしがどきどきするのも、好きとかそういうのでもおかしくない、のかもしれない。
「誰かのこと、好きになっちゃったらどうしたらいいんだろう?」
「何かをしなければいけないことはないんじゃないかしら。好きだという気持ちを大事に抱えて、大切に育てていてもいいと思うわ」
「そう、なのかな。もうちょっと考えてみる」
まだ恋だって確定したわけじゃないけど、そうかもしれないと思うと意外と腑に落ちるものがある。わたしは、シャフリヤールくんに恋をしているのかもしれない。
*
とりあえず、この間走って帰っちゃったしシャフリヤールくんには謝った方がいいよね。
でも対面してまともに話せる気もしないから……電話にしようかな。
「もしもし、シャフリヤールくん?」
『何だ』
「うん。えっとね、この間は急に帰っちゃってごめんねって言いたくて」
『気にしないでいい。事情があったんだろ』
「あ、あとね、シャフリヤールくんには本当に何もされてないから。これからも仲良くしてほしいな」
正直、今までみたいに仲良くできる自信はなかったけど、それでシャフリヤールくんと疎遠になっちゃう方がずっとずっと辛くて悲しいから。
『……悪ぃ』
「えっ?」
『仲良し、じゃ……いや、この話は会ってさせてほしい。今どこに——』
「でっ、でも」
『ああいや、やっぱりいい。……見つけた』
そんなことを言われて、視線を上げると前から歩いてくるシャフリヤールくんと目が合った。なんでわたし部屋で電話しなかったんだろう、アカリちゃんと話して、そのままの勢いで外で電話なんか、して。
「ユーバーレーベン」
「っは、はいっ!」
「……好きなんだ、お前のことが。仲良しとか、そういうのじゃ満足できないくらいに」
そんなことを言われて、わたしがなにかを言い返す前に体がぬくもりに包まれた。——抱きしめ、られてる?
「口を付けた水筒を貸すのは俺だけにしてほしいし、迷子になったりしたら一番に俺を頼ってほしいし、一緒にケーキ食べに行きたいし、なにより目を合わせて話してほしい。ずっと、好きなんだ、お前のことが」
わたしに目を合わせて話してほしいって言うくせに、わたしをぎゅうぎゅうに抱きしめて独白みたいにシャフリヤールくんは言う。返事なんか聞きたくないってみたいに、腕に籠められる力が強くなってる。
「……顔、見せてほしいな」
だから、まだ恥ずかしいけど、シャフリヤールくんにだって逃げてほしくない。目を見て、深呼吸して。
「わたしもね、あなたのことが好きだよ」
「それは、友達とか、そういうのじゃ……」
「違うよ。みんなと話すときは楽しいけど、胸はぎゅーってしないし、目を合わせても恥ずかしくならない。でもシャフリヤールくんと話すときはずっとドキドキするし、こうやって目を合わせるのもすっごく恥ずかしい」
意を決して伝えたのに、それでも信じられない、というような顔をするシャフリヤールくんにむっとして、……ちょっとためらったけど、口付けをする。一瞬だけだけど。身長が同じくらいなことに心から感謝しながら。
「どう?信じてくれた?」
「…………はい……」
観念したように呟いて、顔を真っ赤にして俯いたシャフリヤールくんを見て、ほんとうにわたしのことが好きなんだなあと思った。わたしもあんまり信じてなかったのかもしれない。
「その、俺と、付き合ってください」
「ふふ、よろこんで」
そう答えたらシャフリヤールくんがもう一度抱きしめてきたから、今度はわたしも抱き返す。わたしと変わらない身長なのに、硬くて大きい男の子の身体の感触がする。
「やっぱり男の子なんだね」
「それは、今まで男として意識されてなかったとか、そういう」
「男の子でもそうでなくても、わたしはあなたが好きだよ」
「それは……ズルくないですかね……」
仕返しなのかもっと強く抱きしめられたから、こっちもぎゅぎゅっと抱きしめ返す。ちょっと苦しいけれど、それも霞むくらいに幸せだった。
おまけ
「運命の相手からはいい匂いがするって言うだろ」
「言うのか?」
「レーベンを抱きしめたとき、これが運命の匂いかって思ったんだ……」
「そろそろお前の惚気も聞き飽きたんだけど。かれこれ五時間くらいそんな話してるし」
「しかし、シャフリヤールも変わったな」
「そうか?」
「『偉大な王』サマはどこにいったんだろうねホント。前までもうちょっと尊大な感じじゃなかったっけ」
「恋をするとひとは変わるとか、そういうやつか」
「すみませーん、ここにシャフリヤールくん……あ、いた!」
「用があるなら連絡くれればすぐに行ったのに」
「いいの。ここに来るまでもどんなお話をしようとか、会うのが楽しみだなあとか、そういうことを考えてて楽しかったから」
「ならいいんだけどな」
「そう!それでね、トレーニング場の向こうにきれいなお花を見つけたから、シャフくんにも見せたくって」
「わざわざそのために呼びに来てくれたのか。レーベンは優しいな。……じゃ、俺行くわ」
「ああ。俺たちには構わず行ってくれ」
「ほんともうデレッデレ。見てるこっちが胸やけするよ」
「俺たちも恋をするとああなるのだろうか」
「……さぁね」
*
「ステラ、ちょっとこれ見て」
「えっ、何それ」
「シャフリヤールにレーベンとのツーショ送った時のトーク画面。ヤバない?」
「あいつのそういうとこ、正直見たくなかったな……」
おわれ
(>>68さんの書き込みが良すぎたので参考にさせていただいたら結構な長文になってしまいました。ここまで読んでくださった方はありがとうございます。>>68さんも素晴らしい書き込みをありがとうございました。)