恋がなくとも、愛があれば

恋がなくとも、愛があれば



「ハイルフィ、これ」

「んお?」

時は海軍が"金獅子のシキ"率いる金獅子海賊団に勝利して十数日がたったある日の事。

その立役者たるルフィは同じく多大な貢献を果たした幼馴染のウタとともにオフの日を2人の自室で満喫していたが、何の気なしに彼女から紙を差し出された。

手に取って見たところ何かの書類らしい。そのことを認識したルフィの表情と体がみるみる萎えていく。

十中八九これを書けと言っているのだ。まだ中身を確認してないのにこのザマである。

「ウタ~……おれこういうのダメなんだよお~……ちゃんとやるから手伝ってくれよお~」

ナメクジ宜しく這いずり呻くように懇願するルフィを見て、ウタはやれやれと言わんばかりに自身の眉間をつまむ。

やってくれでなく手伝ってくれなあたり成長というか学習しているようだが、そこは今回重要ではない。

「そんなんじゃないわよ。もう大事なところは私が書いといたから。あんたは名前書いて判子押すだけでいいの。ホラ、そこの空欄」


「そうなのか?」

覇気を取り戻したルフィは改めて持った書類に目を見やる。確かにいろんな欄に彼女の筆跡が見えた。

そしてウタが指さす一際大きな欄。なるほどここに書けばいいのかと思いつつ、そういやなんの書類なんだ?と一番上の名前を確認し――――――

"婚姻届"。

一瞬思考がフリーズした。ルフィとてこの言葉の意味が解らないほど無学ではない。ただ意外すぎて理解が遅れたのだ。

そして空白の隣、同じ大きさのすでに埋まっている項目が目に入る。

そこには"ウタ"と彼女の筆跡で刻まれていた。勿論、捺印も。

これが意味する事は。己と彼女の名を書くという事は。

「……なァウタ、これってよ――――――」

「ルフィ」


そんな呆けた幼馴染に対し、ウタは。

なんてことはないように、しかし今までにない程に真剣な表情と声色で。

「結婚するよ」

告げた。

「…………なんでだ?」

脳内を疑問符が埋め尽くす。

彼女は真面目だ。からかったりする意図は感じない。長い付き合いなのだ、ウタの真偽などルフィには手に取るようにわかる。

だからこそ、彼女が「何故」このようなことを言うのかがわからない。故に肯定でも否定でもなく疑問が出た。

当然である。

確かにウタとは幼少時から四六時中一緒にいるしそういう関係になる可能性を考えたことはある――――――正直悪い気はしない――――――が、それはそれこれはこれだ。

あまりにも脈絡がなさすぎる。というかムードも何もあったもんじゃない。自分の知る彼女はそういったことに多少なりとも拘りを持っていたはずなのだが。

そんなルフィの内心を知ってか知らずか、ウタは続ける。その顔はむくれていたが感情を向けている相手はルフィではないようで。

「私も正直なんでって思ったんだよね。でもガープさんとか上の皆さんが五月蝿いの」

「センゴクのおっさんが?」

「クザンさんもサカズキさんもボルサリーノさんもおつるさんもモモンガさんも皆よ」

なんでもこういうことらしい。

ルフィとウタの表立った活躍により海軍に対して好感及び憧憬を抱く民衆が増えたこと。

知名度が上がっていくにつれて2人が親しい幼馴染であるという情報も比例して広がっていったこと。

その素朴ながらもドラマチックな関係性にも夢を見る市民が増えてきたこと。

そこに金獅子のシキ討伐という吉報が駆け巡ったことで、今のルフィとウタはかつてないほどの注目を内外問わず浴びている事。

そこでこの2人に別の方向で貢献してもらう――――――結婚してもらい吉報として大々的に宣伝するという案が出た事。

要するにこの状況下で2人を夫婦にすることでその存在をより強固な広告塔とし、後に予定されている世界徴兵の足掛かりにしようという魂胆だ。

「よく分かんねェけど、大変なんだな」

「そりゃそうよ、清廉潔白なだけで世の中は回ってないの。海軍も利用できるものはなんだって利用するって」

「で、意味あんのかそれ?」

「私達のネームバリューを考えれば、ある程度は」

ウタは謙遜した物言いだが、実際有効というレベルではない。単純に結婚という行事がめでたい事な上、旧世代とはいえ海の皇帝を一人落としたことで海軍は今大いに波に乗っている。

民衆からの信頼が最高潮のこの状況を利用しない手はない。その鏑矢になったのがルフィとウタという訳だ。

新世代の英雄と歌姫の結婚ともなれば注目を浴びないはずもなく、その行事を利用しない手はない。

そのあたりの謀略を抜きにしても、2人に対して色んな意味で夢を見る者は内外問わず多い。

いつ入籍するかがある種の賭け事になっているくらいには、2人はニコイチ、一蓮托生と認識されているのだ。

……ついでに海軍上層部としては良くも悪くも揃って破天荒で型破りな言動が控えめになるのではという淡く切実な期待もあったりする。それこそあのサカズキが「いっそくっ付いてくれればお互い落ち着きそうなモンなんじゃがのう」などと冗談半分願望半分にボヤく位には。

「何言ってんだサカズキのおっさん」


「らしくないよね。ちょっとかわいいかも」


自覚がないというのは恐ろしい。ルフィは言うに及ばず、ウタは落ち着いた人間という自認だが、あくまで相対的なもので端から見れば大差ない。

何はともあれ。

番同然に思われている事自体はルフィもウタも構わないが、一々その件であらゆる手合いに突っかかってこられるのには2人とも辟易していた。

「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」とは言うが、正直恋路でなくとも仲を茶化すような連中にはお引き取り願いたい。

そこにこの提案である。世界経済新聞を筆頭とする面倒な追っ掛けを絶やすことができ、このことがもたらす自身や海軍に対する恩恵なども勘案したウタは、総合的にメリットの方が多いと判断、提案を了承した。

ちなみにルフィに対しこの話が回ってこなかったのはハナから聞く気がないと判断されていたのと、ウタの方がうまく説得できるだろうと思われたからの合わせ技である。ウタも自分だけが聞かされた際に何となく察していた。

そんな評価をされたとは露知らず、ルフィはふーんと言いながら顎に手を回し言う。

「……よし分かった、するか!!結婚」

「あっさりしてるなあ……よかったの?」

随分いい笑顔で返され意外に思う。

ウタとしてはいくら己が相手とはいえ間違いなくゴネるだろうと予想していたのだ。だからこそあらかじめ埋めることができる部分は埋めて差し出したのだが、結果として杞憂だった。

何しろ束縛を嫌う男である。番になれば大なり小なりお互いに縛られるのは決まっているのだから。海軍に所属していること自体が奇跡のようなものだ。

――――――彼にそうさせたのは、おそらく自分なのだろうけど。


「そうすりゃ海軍がまた強くなって味方も増えるんだろ?いい事じゃねェか」


「体よく利用されてる、としても?」


「そうするしかねェなら仕方ねェよ。……それに、おれは結婚するならウタがいいしな」


「……もう」


とんだ爆弾発言を食らいほんの少し頬が赤く染まる。

それはさておき、ルフィの言うとおりだ。

このことがきっかけで組織力の更なる向上が見込めることは容易く想像できる。

これで大局を見据える能力は優れているルフィだ。己の事情よりも海軍の事情を――――――平時の彼を知っている身からすれば意外だが――――――優先したのだろう。

世界政府に都合のいい手駒だとしても、そうあることで海の平和を保てるのならばそうあろうとする。祖父と同じである。

「それによ、結婚したからって、おれもウタもなんも変わんねェだろ?今まで通りにすりゃいいよ」

「ふふ、ルフィらしいね……うん、そうだね。何も変わらないよ」

「それよりもよ、お前の方こそいいのか?おれが旦那になるなんてよ」

「見くびらないで頂戴。その気がなければこんなこと言わないって。私も、結婚するならルフィがいい」

「……そっか」


一緒に微笑む。

実益もあるが、なによりルフィとそういう関係になるなら構わないと思ったからこそ提案を受け入れたのだ。

今更お互い恋をするなどという段階はフライングしてここまで来た。

2人の間柄にあるのは深い愛情である。

夫婦の間柄になったからと言って距離感が変わる訳ではない。お互いに対する愛が変わる訳でもない。

今のこの関係がなんとも心地いい。だからこそ番になることに、ルフィもウタも抵抗はなかった。

……そしてルフィもまたそう自分を思ってくれていることが、ウタは嬉しかった。

「あ、でも夫婦になったら子供作んなきゃなんねェのか?」

「その必要はないよ。身重になったら戦えないもん。でも……」

「でも?」

「……そのうちするかもね。海が平和になったら」

「……ししし、そうだな。それからだな」

果たしてそんな日はやって来るのか。

そんな事を思った直後にらしくないと首を振る。

やって来るかどうかではない。迎えるのだ。自分達の戦いを以て。

「じゃあセンゴクさんに報告しなきゃね。それと多分、結婚式とかもすることになると思うから、ちゃんと準備しなさいよ」

「えェ~?面倒くせェよ。そんなんしなくてもいいんじゃねェのか?」

「バカ言うんじゃ無いの。私達の立場をちゃんと考えなさい。おいしいものたくさん食べたくないの?」

「メシがでるのか!?」

うひょーと盛り上がる幼馴染に呆れの混じった笑みを向ける。

ウタとしてもわざわざする必要は感じてないが、2人の地位と名声がそうさせるのだ。ポーズと言えばそれまでだが、それでもとっておいた方がいい。

自分達の名前を利用することにほの暗い感情が沸くが割り切る。

……なにより、そういった行事に憧れがないわけではないのだから。

「そういやよ、結婚するなら"アレ"いるんじゃねェか?」

「アレ?」

ふと何かに気づいたように言うルフィにオウム返しする。

「アレだよ、指輪。結婚指輪ってやつ。フーフになったらつけるんだろ?」

「……」

「なんだよ」

「いや……まさかルフィの口からそんな言葉が飛び出るなんて思わなかったから。どうしたの?悪いものでも食べた?」

「あのなァ!!いくらおれでもそういうのがあるくらい知ってんだからな!!失礼だぞウタ!!」

「あはは、ごめんごめん!!でも、指輪、か」

結婚が持つ意味について逡巡する。何も戸籍だけの関係ではない。共にいると口にするだけではない、態度で示すだけでもない。お互いにお互いの人生を捧げること。

いうなれば指輪はその証なのだ。

……証。

共にいてほしいと願ったこと。共にいると誓ったこと。

幼少時の思い出を振り返る。

ウタはシャンクスに置いていかれた。シャンクスはルフィにウタを託した。

ルフィはウタに、シャンクスに、頼まれた。一人にするな、と。

思えば、それは祈りだった。

その祈りが今ここで実を結ぼうとしていた。

「じゃあ今度買いにいこっか、シャボンディ諸島に。ちょうどジュエリーショップが出来たんだって」

「おう!!楽しみだなァ!!ウタに似合う指輪ってどんなのだろうなァ!!」

――――――それが悪夢の始まりだなんて、想像だにしてなかった。







――

―――

――――

―――――

――――――







「……ん」

夢を見ていた。

いつか過ごした日々を。

それが崩れ去る前兆を。

目を開けばそこは洞窟の中。逃亡の最中見つけた、とりあえずの寝床であり住居。

そして自分を見つめる幼馴染。

「よく眠れたか、ウタ」

ルフィが優しく声をかけてくる。ウタもまた、ぎこちないながらも笑顔を向けた。

「……うん。大丈夫」

嘘だ。最悪な夢見のせいでどうしようもなく気分は沈んでいる。

あの日。自分は罪人となった。積み上げてきた栄光と名声をすべて失った。

それだけならいい。自分だけならいい。

その責め苦をこの幼馴染にも背負わせてしまった。

今日日そのことを後悔しなかったことはない。心も、体も、どうしようもなく打ちのめされていた。

助けを求めるべきではなかった。言ってしまわなければ、巻き込まずにすんだハズから。


「ほら、木の実と動物狩ってきたんだ。腹減ってるだろ?焼くから食うぞ」

「……」

「あ、それとも喉乾いたか?じゃあ待ってろ、すぐ酌んで――――――」

ウタは食料を調達してくれたルフィに礼を言うでもなく、彼が言い終わる前に胸に顔を埋め、縋るように両手を背に回す。

少し驚いたが、ルフィもまたそんなウタを優しく掻き抱く。

いつからか、これが日課になっていた。このぬくもりが唯一縋れるものだった。

顔も見ずに言う。

「……ごめんなさい」


私があなたにシャボンディ諸島に行こうと言ったから。

私があなたに結婚しようと言ったから。

私があなたに一人にしないでと縋ったから。

私があなたと出会ってしまったから。

私があなたをこの地獄に引き込んでしまった。


「謝んなよ。おれがやりたいからやったんだ」

ルフィはそれを決して後悔しない男でもあった。昔から分かっていたことだ。

現にルフィが言外にこう言っている。

お前は何も悪くないと。

おかしいのは世界の支配者の方だと。

何の打算もなく、彼は自分に寄り添ってくれて。

その人生を自分のために使ってくれて。

それが余計にウタの罪悪感を募らせる。そのようなことを感じる事すら、彼は良しとしないのに。


「ごめんなさい」


だから意味がなくとも言ってしまう。 言わなければ、きっと自分は潰れてしまうから。

今まで何度、この言葉を言ったのだろう。

これから何度、この言葉を言うのだろう。

それで己の罪が消えるわけでもないのに。

そしてそれでも彼の優しさに甘えてしまう。

浅ましい。醜い。情けない。

なんと身勝手で下卑た思いか。

お前のような女が、ルフィの隣にいる資格などない。

いっそどこかで死んでしまった方が――――――

「なァウタ」

そんな思考は掛けられた言葉に遮られる。

明るさの中にも重みを感じる声色だった。

思わず顔を上げると、いたのは何かを決意した顔のルフィ。

「ちょっといいか?渡したいモンがあるんだ」

そういってウタの左手を取る。

もう片方の手にはどこで手にしたのか指輪が一つ。

それにウタは見覚えがあった。

「……まさか」

思わず息を呑んだ。

結婚指輪。

あの日シャボンディ諸島で楽しみ半分義務半分に手にした、番の――――――祈りの証明。

もしかして、今までずっと持っていたというのか。持っていてくれたというのか。

"お前に似合う"と言ってくれた、瞳と同じ色の宝石、アメジストが填められた指輪。

「こんな時だけどよ。こんな場所だけどよ。言わなきゃいけねェって思ったんだ。言いたいって思ったんだ、今」

ダメだ。その言葉を言ってはいけない。

それを言われれば自分はもっと縋ってしまうから。

もっと縛り付けてしまうから。

なにより――――――





「……好きだ、ウタ」






もっと好きになってしまうから。

もっと満たされてしまうから。





「昔から、会ったときから、ずっと好きだ」

「ふ、う、ひぐっ、うぁ……!!」

素朴でささやかな愛の言葉。

その言葉と同時、左手薬指にリングが通される。

止めどなく涙が溢れる。

「……おれは、お前と一緒にいたい。おれと、結婚してくれ」

「うん……うん……!!私も……ルフィが好き……!!ずっと、ずっと好き……!!だから……!!」


「ああ」


「だから……!!私と結婚してください……!!」


かっこ悪くとも、言葉にせねば伝わらぬ事など幾らでもある。思っているだけではダメだと解った。

結婚が意味することが漸く解った。

一緒にいてやりたいと、一緒にいたいと、そう思った。

嬉しかった。

愛してくれるのが嬉しかった。愛してあげられるのが嬉しかった。

ルフィとなら、ウタとなら、一緒になってもいい。とんだ嘘っぱちだ。なんとささやかな願いか。

ルフィと共に歩みたい。ウタと共に生きたい。

この人の隣で笑っていたい。

この人と一緒なら、不幸になってもいいから。

この人がいてくれるなら、どん底でも頑張ろうと思えるから。


ならば改めて誓おう。この人と比翼連理足ろうと。

例え何があろうと、この人を支えようと。

男は笑いながら。女は泣きながら。

辿々しく、しかし無限の愛を込めて、口付けを交わした。







――――――嗚呼神様、感謝します。

強くて優しいこの人と、私を巡り合わせてくれた事を。

そして許さないで下さい。

何よりも自由を愛するこの人を、私に縛り付けてしまう事を――――――



――――――なァ神様、ありがとう。

綺麗な声と心を持ってるこの人と、おれを会わせてくれて。

それとごめん。

何よりも皆が好きな歌を歌うこの人を、おれのものにしてしまって――――――


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