怪盗休業
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「さて、どうしたものかな。」
慈愛の怪盗は思案していた。
今日も今日とて、美しきものに相応しき扱いをせんと、ブラックマーケットから運良く流れ出たとある美術品を盗み出そうと、予告状を送り、まごつく悪徳業者と傭兵を尻目に華麗に優雅に盗み出す。
…はずだったのだが。
「ヴァルキューレのお嬢さん達もやればできるではないですか。」
予告時間に合わせて来てみれば、ばっちりとヴァルキューレの部隊が現場に張り込んで警戒態勢を敷いていたのである。下見、業者の動き。どちらにも一切影も形も見せなかった彼女たちの登場は怪盗にとって予想外であった。
「業者がギリギリに秘密裏に垂れ込んだ?いや違う。それでは捕まえてくださいと言っているようなもの。」
何よりこの突発的にしては完璧な配置。予告状をごく短時間で解き明かし、ヴァルキューレに垂れ込んだ第三者がいるとしか考えられない。
確かに今回の予告状はとあるアクシデントにより、急遽書き直さざるを得なかった二通目だ。だが、それでもこんなに速く解けるものにしたつもりはない。私のやり口をしっていなくては難しいだろう。
「…きな臭い。」
最近のキヴォトスは徐々に狂気の淵に近づいている。
あの美しさの欠片も無い砂糖によって、少女たちの心は穢され、ますます美しさなど理解できない愚鈍な病人ばかりが増えていっている。
怪しげな陰謀がその裏で動いていたとしてもおかしくはない。
「ですが、姿を現さないわけにはまいりませんね。」
私は慈愛の怪盗。
慈愛のためならばどんな手段でも取る覚悟がある。
故に美学は裏切らないという一線がある。
「予告時刻に怪盗が現れない。それは美しくない。」
攪乱に徹すれば、彼女たちを撒くの自体は難しくはないだろう。
美術品を盗み出せるか?はやや難しい…が、
「何より既に手に入れたものを手放すのは、美学に反する。」
怪盗がいるのは美術品の運び込まれたビル。その警備室であった。ビル全体にしかけられた監視カメラを見る彼女の足元には、布で包まれた長方形の物体が転がっている。
ヴァルキューレの現場警備は確かに厳重であった。
だが、すり替えていたタイミングは、予告時刻より遥かに前。こうして予告時刻に警備室に隠しておいた美術品を盗み出す。現場に目が向きすぎると、警備室という警備の要が手薄になる。
「流石に裏面の方のメッセージまでは、読み解けなかったようですね、お嬢さんたち。」
彼女の足元で眠っている警備室のヴァルキューレ達に怪しげに微笑むと、怪盗は絵画を持ち、椅子から立ち上がる。
動きは少々不自由になるが…愛する美術品のためだ、多少の無茶は押し通すとしよう。この数分でだいたいの配置は確認できた。最短ルートの構築とすり替えの際にしかけておいたトラップを駆使すれば、逃げ切れなくもない。
「さて、まずは、華麗な登場から始めさせていただくとしましょうか。」
転がるヴァルキューレ達を静かに避け歩き、警備室を後にしようと、扉に手をかけたその時のことであった。
ビルの外から爆発の音が響いてきた。
「ッ!もう来ましたか!!」
思わずドアノブに掛かっていた手を止める。顔をしかめて一筋たらりと焦りの汗がこぼれたのを感じる。
その爆発に怪盗は思い当たる節がある。その爆発音こそが、今回の予告を変えざるを得なかった最大のアクシデント。
ブツンッ!
「…!」
急に警備室の電気が落ち、怪盗は身構えた。すべての監視カメラも映らなくなっている。
停電だ。彼女のテロの余波か、それとも何かの作戦か。だが、どちらにせよ時間はない。この暗闇は自分にとって有利に働く面も大きい。
「これは…かつてないほど忙しい夜になりそうですね…!」
そう思いながら急いでドアノブを回して扉を開けようとして、怪盗は急に背中が逆立つのを感じた。それは直感。慈愛の怪盗として、危険な状況を何度も潜り抜けてきた直感がこの扉を開けるべきではないと言っているのだ。
だが、回してしまったドアノブを止め、前に押し戻すには既に遅く、ゆっくりと扉は内側に開きかけていた。
そして扉の隙間から、こちらを睨む淡緑色の瞳とギロリと、目があった。
「突入!!!!」
咄嗟に体重をかけて閉めようとした扉は押し寄せる物量に抵抗できずに開け放たれる。殺到する人員はあっという間に私にのしかかると、すぐさま自由を奪い取った。
「抑えました~局長~!」
「容疑者、確保。…年貢の納め時だな、慈愛の怪盗。」
「これはこれは…『狂犬』殿直々のお出ましとは。恐悦ですね。」
電源が復旧し、警備室に明かりが戻ってくる。顔を見て、そう呼んだ彼女はジロリと鋭い目線で、群がられるようにして下敷きにされている私を睨み返した。
尾刃カンナ。ヴァルキューレの公安局の局長にして、『狂犬』と呼ばれる執念深さで知られる人物である。
「ヴァルキューレにしては随分統率がとれていると思えば…なるほど、あなたの子飼いですね?それならば納得です。」
「ふん。犯罪者の褒め言葉には喜びを覚えんぞ。…おいそこ顔をにやけさせるな。」
「でへへ~だって、こんな大犯罪者確保だなんて大手柄じゃないですか~。」
「まったく…。さっさと拘束しろ。体のどこから煙がでてくるかわからん。」
「イェッサー!」
バタバタと慌ただしく手錠がかけられ、そのまま地面に座り込まされる。
その体勢を変える間すら、カンナの目はこちらをじっと見据え続けていた。自分の目の届く範囲では怪しげなことなど許さないとでも言いたげな鋭さである。
かつてこっそりと様子をうかがった際は、もっと濁った目をしていたと思うのだが…何やら心境の変化があったらしい。
「ふぅ。捕まるのは二度目とはいえ、それがこんなに早いとは思っても見ませんでした。…よければ教えていただけませんかね、狂犬殿、誰の入れ知恵です?ひょっとしてあのミレニアムのお嬢さん達がまた謎解きを?」
「……彼女達は今、ミレニアムの緊急薬物治療室にいる。」
「…………。」
ヴァルキューレ達に抑えられてなお、余裕のありそうな優雅な笑みを崩さなかった怪盗の顔が、数秒、無になった。
目的のため共闘し、最後には裏切った彼女達。怪盗にとって特別な存在と言うわけではないが…それでも、あの真っ直ぐで、青春を謳歌していそうお嬢さん達が砂糖の手にかかっているというのは。
ひどく、気分の悪い感情が胸中を過ぎざるを得なかった。
お喋りな怪盗が押しだまったことで、数秒、警備室を沈黙が支配する。カンナは睨み続け、怪盗の顔色はマスクでようとして知れない。
だが、ピクンと怪盗の耳が動いた。
「静かすぎはしませんか?」
問い詰めるような目線をカンナに怪盗は向けるが、カンナはそれに答えを返さない。
そう、おかしい。『静かすぎる』。彼女がすぐ近くで暴れているはずなのに、爆発音があれから聞こえてこない?それはまるで。
カツン、カツンと廊下からヒールの音が聞こえてきた。
いや、それはありえない。彼女がここに現れるはずがない。最も彼女に似合わない行為だ。その可能性は低すぎるから真っ先に切り捨てたのだ。
だが、もし、万が一そうなのだとしたら。
「あらまぁ。慈愛の怪盗様とあろうお方がお労しい。袋の鼠…いいえ、猫でございましょうか?」
「…ワカモ。警察の犬とは随分堕ちたものだね。いいや、ヴァルキューレが堕落したのかな?」
捕まった自分を嘲笑うような声音の狐面が一匹。さも当然のように部屋に入ってきて、ごく自然とカンナの横に立ってこちらを見下してきた。
災厄の狐、狐坂ワカモ。自分と同じ七囚人の一人。二枚目の予告状を出さざるを得なかったアクシデントの正体こそ彼女であった。
美術品のある周辺地域で彼女が最近テロ活動を行っている…その情報が出た時点で、私は計画を早めざるを得なかった。彼女の起こす破滅的なテロ被害の前では、一枚の絵画など簡単に焼け落ちてしまう可能性が高いからだ。
だがもし、彼女がヴァルキューレとグルだったなら…それは『私への誘導』として、この上なく有効に作用したことになる。そして、切れ者かつ、私のような『混沌』のやり口にたけた彼女ならば、突発的な実行を余儀なくされ、誘導された私が待ち伏せされる可能性は十分にありえる…!
「おい。誤解のないように言っておくが、私は今すぐにでもコイツにもわっぱをかけてお前と同じようにしてやりたいと思っているぞ。」
「一応虜囚の身…ということになっていることは否定しませんわ。ただ、逃げだそうと思えばいつでも逃げ出せるこの状況でも、あのお方のご命令ならば受け入れるというだけです。」
カンナは極めて不服そうかつ我慢ならない様子であったが、ギリギリで飲み下すような表情をしており、ワカモは狐面越しでありながらもひどくうっとりとした声を出していた。
狂犬に堪えさせ、災厄の狐を虜にしているものが私を捉えた黒幕と言うわけだ。そのような存在がキヴォトスにいるだろうか?
「さあ、怪盗さん?あなたもお話になってくださいます?」
そういって彼女が差し出した携帯電話が、私の耳に押し当てられた。
"久しぶりだね。アキラ。"
「っ…先生…。」
ワカモの眉間にシワがよった。この女、携帯から先生の声が聞こえた瞬間、トーンが少し上がらなかったか?
「名前、覚えていてくださったのですね。」
"生徒の名前を忘れるわけないよ。"
「ふふ、お変わりないようで…ですが、ここまでして私を捉えようとは。やはり…先生も私を理解はしてくださらないのですか?」
"違うよ。"
私のだした少しわざとらしく寂しげにした問いかけに、力強い否定が帰ってきたことに、少しほっとしてしまう自分がいる。ああ、この何度も聞いた声。やはりあなたの声を聞くと胸の内側からこのまだ名も無き気持ちが溢れてきてしまう。
「意地の悪い試し行為をしてしまいました。すみません。それで?先生。この慈愛の怪盗めに手段を選ばず接触した理由をお聞かせ願いましょうか。」
"実はアキラに頼みたいことがあるんだ。"
「ほう?」
"あのね……"
頼みがある。その言葉に意外そうに目を見開いた怪盗の顔は、その後に続けられた先生の『お願い』を聞くにつれ、次第に険しいものへと変わっていく。
「先生。あなたはとても愚かしいことをしようとしています。この慈愛の怪盗。俗世からは離れた生活をしておりますが、今のあそこがどれだけ危険な場所かは私ですら聞き及んでいるのです。」
"それでも、必要なことなんだ。"
「なぜ?少なくとも優秀な犬や危険な狐すら手懐けているのです。共を連れるべきでしょう。」
"一対一で、話がしたい。"
「危険すぎます。多くの生徒達はあなたを失うわけにはいかないのですよ?」
"ホシノを、信じてる。"
「…七囚人すら生温い程の大犯罪者だとしても?」
”それでも、また寄り添うことを諦めたくない。”
”彼女はまだ…”
”私の大切な生徒だから。”
「……先生。」
先生。先生。先生。あなたのそのあり方に多くの生徒が脳を焼かれて、胸を焦がしているとご存知なのでしょうか。この、私ですらも。
故に、きっとその熱は、悪しき甘き毒を打ち砕く火種になるでしょう。
「…いいでしょう。」
「ッ!?お前!」
拘束されていたはずの怪盗はすくりとその場からなんなく立ち上がった。手錠はとっくの昔に外していた。代わりに片手に握り込んでいた煙玉はそっとしまいこみ、もう片手でワカモの携帯を奪い取る。
「この慈愛の怪盗。いまひと時ばかりは休業でございます。代わりにただ、あなたの頼れる生徒として…この技、ふるわせていただくといたしましょう。」
仮面の下で瞼をつむり、静かに宣言する。そう、ここから先は慈愛の怪盗ではなく。怪盗『清澄アキラ』として、あなたのお役に立つとしよう。
”…!ありがとう!!”
「ふふ、そう嬉しそうな声をなさらずとも。私もこうしてあなたとまた手をとりあえそうで、嬉しく思っていますよ。早速ですが、先ほどのお願いについてどこかで二人きりでお話を…」
「フンッ!!!」
アキラの手から携帯がかなりの勢いでワカモに奪い取られ、どこか楽しそうなアキラのさえずりは中断されてしまった。
「もうしわけありません、あなた様。あまりここに長居するのもよろしくないでしょう。どうかシャーレでお話の続きはいたしましょう。ささ、今は真夜中でございます。お忙しいと思いますが、少しでもお休みになさってくださいまし。それでは~…。」
”え、ちょっ…(ブツン)”
「ほ~う。ふ~ん。なるほど。そういうことかワカモ。君も、か。」
「なるほど、先生は気づいていらっしゃらないご様子…。よろしくないですねぇ。先生の周りを泥棒猫がウロチョロとするの。非常に気分がよくありませんわ…。」
「泥棒?違う、怪盗さ。泥棒と違って、心を盗むのも得意としている所が大きな差異だよ。」
二人の間にバチバチとした空気が一瞬で張り詰める。後一グラム、どちらかが火種を投下した瞬間、この空気は爆発し、間違いなく警備室からこのビルは崩壊することになるだろう。
「いい加減にしろ犯罪者共。」
ガチャンッ!ガチャンッ!!
無論そんな状況でカンナが黙っているわけはなかった。二人の手首に改めてガッチリと手錠がかけられる。
「いいか、今から。お前たちを秘密裏に逮捕された犯罪者として、シャーレまで送る。その方が、奉仕作業の名目で先生の下で動きやすいからだ。」
「奉仕作業の途中、不運な事故で何かが壊れることや襲い掛かってきた犯罪者を制圧することはあるだろう。」
「だが、それ以外では大人しくするか、目立つな。一応は捕まっているんだからな…!!」
普段は非常に冷静なカンナが、額に青筋をピキピキとたて、努めて我慢をしている声で二人に圧をかけてきている。二人の現・囚人は顔を見合わせると各々返事をした。
「「努力はしますわ/するよ。」」
「………。はぁ~~……。」
後に公安局所属の生徒は言った。あれほど不安と疲れを滲ませたため息を局長がついたのを、久々に見た…と。