怪異に巻き込まれる二人

怪異に巻き込まれる二人


※クトゥルフ配布シナリオ「ロッカー」のネタバレあり

※シナリオ改変あり

※ホラー表現、少しだけキャラが傷つく描写あり


「ちょうどネギが安売りしていて良かった〜!今日は寒いし鍋にするか〜〜!」

「いいな。……もし余ったらまたカレーうどん作ってくれるか?」

「当たり前だろ!アルベルが食べたいなら毎日カレーうどんだっていいぞ!!!」

「……流石に毎日は飽きる」


 太陽は既に大きく西に傾き、先ほどまでオレンジ色に輝いていた空は東の方向から広がる藍色に呑まれようとしている。太陽が沈むと一気に冷え込むこの季節、逢魔が時の閑静な住宅街は毎日歩いている道にも関わらず、急に知らない街に迷い込んでしまったかのようにも思えた。


「あれ……こっちの方でいいんだよな?」

「いや、その道は左折だ」

「さすがアルベル頼りになる!!」

「全くあんたって人は…」


 背の高い褐色肌の男が同行者の手を取って、右に曲がろうとしていたもう一人の男を捕まえる。手を掴まれた方の男はなおももう一人を色々と褒めちぎるが、全ては忍び寄る宵闇に溶けていく。アルベルと呼ばれた男は呆れたような口ぶりでため息を吐いたが、手を引いて左の道に踏み出したその顔は穏やかで、二人の中ではよくあるやり取りだと察することができた。


「1、さっさと帰るぞ」

「おう!……わっ!?」

「……?なんだ?」


 いつもと変わらない帰り道を進もうとした二人に、突如曲がり角から現れたのは黒い猫。左の道から右の道へと二人の前を横切ったその猫に、1とアルベルの目線は磁石のように引かれたが、振り返るまでの数秒の間でそいつは二人の視界から消えていた。

 見間違えだったかと二人は顔を見合わせたが、人っ子一人通らない路地は先ほどと変わらずしんと静まり返っている。「気のせいか?」「かもな」と端的な会話で先ほどの光景を忘れることにした二人は、ようやく本来進むべき道に顔を向けた……はずだった。


「「???」」


 間もなく闇に沈もうとしていた街に突如膨らんだ大きな光、最初は車や自転車のライトかと思ったが道を埋め尽くすほどの光に視界を封じられかけて、1とアルベルは反射的に顔を手で覆った。

 目を閉じていたのは数秒か…おそらく長くとも1分とかその程度だと体感では思ったが、目を開けた時には二人は見慣れぬ一面真っ白な壁に覆われた部屋にいた。


✳︎


 およそ10m四方の部屋は明るく、真っ白な壁が目に痛い。一瞥した限りでは窓や通気口はおろか出入り口のようなものはどこにもなく、一辺の壁にずらりと五つのロッカーが並んでいるだけだった。さっきまで外を歩いていたはずなのに、あの一瞬でどうやってこの密室に閉じ込められたのだろう……二人の脳は理解を拒む。


「え、ここどこ?」

「……黒猫が前を横切って、振り向いたら光に呑まれて……気づいたら部屋の中とは、一体どういう原理だ?」

「二人同時に夢を見ているとかか?」

「訳が分からないが、まずは状況確認しよう」


 アルベルに促されて二人は目線を下に向けた。服は先ほどまでとなんら変わらず、誘拐されて乱れたような形跡もない。手にはエコバッグにスーパーで買った食料品、カバンにはスマホや財布も入っており何かを盗られたようにも見えなかった。


「携帯があるならここの場所を調べられないのか?」

「その手があったな!!よっしゃ、おれに任せろ!!!」


 アルベルに言われて1はスマホを起動する。……が、すぐに違和感に気づいた。ホームボタンを押せば画面は明るくなるし電波はちゃんと来ている……しかしホーム画面に表示された現在時刻は見慣れた数字ではなく文字化けしたような見たことのない記号が並んでいた。二人はそれぞれ嫌な予感を胸に抱きながら、スマホを覗き込む。

 指紋認証で鍵を開けて地図アプリを開く…………通常なら瞬きほどの時間で現在地が示されるはずだが、いくら待ってみても日本地図全体が映った状態で読み込みマークが渦を描くばかりだった。


「あれ〜、スマホの故障か…?」

「…気味が悪いな」

「あ、アルベルアルベル!!ヤバい!時計もおかしくなっている!!!」


 1が袖を捲ると腕に嵌めていた時計は針がぐるぐると回り決まった時間を示さない。時間も空間もおかしな空間、これはもしかして二人が同時に見た白昼夢なのだろうか?とアルベルは疑ったが、1は黙りこくったアルベルに気付かず再びスマホに目を落とした。


「一応電波が繋がっているってことはさ、外から見つけてもらうことはできるんじゃないかな?」

「……どうだか」


 細い希望に縋ろうとする1にアルベルは不安を募らせつつも否定はしなかった。以前二人で迷子になった時のように家人に状況を説明して探しに来てもらう、それでこの不気味な空間とおさらばできるのなら、後で受けるだろう説教など天秤に乗せるまでもない。

 ……それが甘い考えだったと二人はすぐに知ることとなるが。


プルルル……プルルル……


 耳慣れた呼び出し音が鳴ったことに安堵するが、相手が出るまでの時間がやけに長く感じられる。家に誰もいないのだろうかと徐々に不安が大きくなったところで、ようやく繋がった音がした。


「もしもし父さん?」

『……』

「…もしもし?」




「あなたはここからでられませえええええんあっははははははははhhhhhhhhhhh」

「っぎゃああああ!!」

「っ?!大丈夫か?」


 男とも女とも知れない声が甲高い笑い声を響かせて、覚えた悍ましさに1は携帯を宙に放る。幸い反射神経の良いアルベルが地面と衝突する前に受け止めたことで破損は免れたが、アルベルが確認する時には既に通話は切られていた。


「まるでこの前1がやっていたホラーゲームみたいだな」

「あ、確かに〜……いやいや、ゲームの中かそうかそうか仕方ない、で納得できるかってんだ!!!」

「同感だ。だが少なくともこんな悪趣味な部屋を用意した犯人がいるとしたらそういうゲームが好きそうだと思った」


 アルベルは自分と1をここに閉じ込めた何者かへ強い怒りを覚えたが、アルベルを心から信頼する1は内心巻き込まれたのが一人でなくて良かったと胸を撫で下ろしていた。自分一人なら訳が分からない状況に絶望して軽く辞世の句でも考え始めていた頃だろう。


「言われてみればそうか。でも見るのは好きだけど自分でホラーゲームやるとか無理!!助けてアルベル!!」

「…仮にも父親と言うなら落ち着いてくれ。ゲームというからには必ずクリアする手段があるはずだ」

「そうだねアルベル!!さすがおれの息子!!!」


 二人を知らない人が聞けば二度見するような発言があったが、これが二人の日常である。何はともあれいつもの調子を取り戻した二人は、夢と信じて目覚めを待つよりもゲーム感覚でこの部屋を探索することにした。



「一通り壁を叩いてみたが、出口らしい空間はなさそうだ。気のせいかも知れないが壁に触れていると禍々しい感じがする」

「そっか、調べてくれてありがとう。ところでアルベル、これ文字みたいに見えない?」

「……くち?…いや、ろ、か?」

「ロッカー、ロッカーだよな……ここにはロッカーがある。ここにはロッカーしかない。さぁ出口はどこでしょう、であってる?」

「おれもそう読み取れた。……やはりふざけている」

「とりあえずロッカーを調べてみよっか」

「そうするしかなさそうだ」


 真っ白な壁と床をくまなく調べたところ、部屋の中央の床に床の白とほぼ同化したメッセージを発見する二人。今まで敢えて触れなかったが、やはり脱出の鍵はこの部屋で異彩を放つロッカーにあるのだと目星をつけて壁側に移動する。

 5つの並んだロッカーは灰色の金属製で、四つは人一人入れそうな大きさをしており、残りの一つはそれらよりひと回りほど大きかった。一番大きなロッカーには「ロッカーのかぎ」、残り4つには100、23、67、36とそれぞれ数字が刻まれている。


「開かない」

「なんか引っかかっているのかな〜?」

「このロッカーにはロッカーの鍵と書いてある。鍵穴なんてどれも付いてないように見えるがな。……ん、これだけは開きそうだ」

「アルベル、気をつけてね」

「分かってる」


 先ほどの悪趣味な電話で二人の警戒心は上がっている。アルベルは1を自分の後ろに立たせてロッカーの扉が盾になるようにそうっと金属の板を開いた。しばらく何事も起こらないことを確認してから、ホラー耐性の低い1を庇いつつアルベルは恐る恐る中を覗いた。


「な、何がある?」

「……とりあえず危険そうなものはなさそうだが、役に立つものがあるようにも見えない」


 アルベルが安全を確認したところで2人一緒にロッカーの中を覗き込む。中には物が雑多に詰め込まれていた。非接触式の温度計、なぜか湯気の立ち上る土鍋、ミトン、古びた絵本、封の切られたホッカイロ、薬、水の入ったペットボトル、ぬいぐるみ……2人が共通点のない雑貨を一つずつ眺めていると、アルベルが握ったままだった扉に何やら文字が書いてあることを発見する。


「ものを全部外に出して閉めること、という指示が書いてある」

「これ全部出したら出られるのか……?」

「分からない。とりあえず現状は指示に従うしかなさそうだな」


 二人は手分けして真っ白な床にロッカーの中身を広げていく。最後に、見た目からして熱そうな鍋を料理上手の1がミトンを使ってロッカーから取り出した。


「中は何が入っているんだろ?……ヴ、うっ……おえ……気持ち悪…」

「ハァ…見え透いた罠に乗るやつがあるか」

「ごめんこれだけ言わせて!!この形容し難い中身is何???!!……うぅ、アルベルはよく平気でいられるよね、さすがおれの息子…」


 1が不用意に鍋の蓋を開けると、火にかけてもいないのに赤黒くて生臭いゲル状の液体がぐつぐつと煮立っていた。これを作ったやつは人間の身体中を流れる赤い液体を集めてジャムにしようとでも思ったのだろうか、もしかしてこの部屋に出口などなく自分たちもいずれこのような変わり果てた姿になるんじゃなかろうか、と1の頭を得体の知れない恐怖が覆う。

 しかし、ホラーが苦手な癖にホラーゲームを嗜む1に散々付き合わされてきたアルベルはあくまで冷静だった。彼にも人並みの恐怖心は備わっているが、それよりも自分の大切な人が取り乱しているときは自分が支えてやらなければという使命感が彼をそうさせていた。


「……癖のようなものだ、昔から最悪の事態を頭に思い浮かべておくのが。そうすれば大抵の現実は期待値を下回るから過剰に騒ぎ立てずに済む」

「あ〝あ〝、嫌なこと思い出させたよな……ごめんなアルベル」

「別に、悪いことばかりじゃない。今世も、死んだ方がマシだと思うほど酷い目ばかりに遭うと思っていたが……お前と再会できた」

「え〜〜?!それってアルベルもおれに会えて嬉しかったってコト?!おれもアルベルと再会できて世界一、いや宇宙一幸せだよ!!BIG LOVE!!アルベルの憂いは全部おれが晴らしてやる!!!!」

「…やはり1はこうでなくちゃな」


 元気を取り戻した1にアルベルはくすりと笑いをこぼした後、空っぽになったロッカーを閉じる。すると、カチャンという音が二箇所から聞こえた。一つは今しがた閉めた扉から、もう一つはすぐ隣の100と数字が刻まれたロッカーから聞こえたような気がする。



「あ、開けるよ…」

「代わるか?」

「いや、おれはアルベルの父親だからな!アルベルばかり危険を冒させるわけにはいかねェんだ!!!」


 1が決死の覚悟でロッカーの取っ手に手をかける。震える指先がカタカタと金属の板を叩いた。1の緊張が静まるまで決して短くない時間が過ぎてから、音が立たないほどゆっくり引いて開いた中には……。


「か、空っぽか…あ、でも文字が書いてある!『一度に開くロッカーはひとつずつ』だってさ!」

「…どうやら原理を考えるだけ無駄みたいだな」


 アルベルは念のため残りの23、67、36のロッカーと大きなロッカーに手を掛けてみたがいずれの扉も固く閉ざされ力を入れてもビクともしない。一度に開くロッカーは一つずつ…つまり二人を閉じ込めた相手は一つ一つのロッカーを開けさせようとしているのだろうか。しかしどうやって…?このかき集めにしか見えない品々が本当にロッカーの鍵だというつもりなのか…?アルベルは腕を組んで頭を捻る。


「アルベル!アルベル!」

「どうかしたか?」

「はい、アルベル熱はない〜?」


 名前を呼ばれて振り返れば1が体温計をアルベルの額に当てていた。ピッ、という電子音と共に36.0度と数値が表示される。どうやら温度計は正常に作動するらしいが、1はその数値に違和感を覚えた。


「あれ……アルベルの平熱って37度だよね、ちょっと低くない?!身体冷えてる??大丈夫アルベル???」

「別に普通だが…」


 1が慌てたように背伸びしてアルベルの額に手を当てると、確かに少し高めの体温が1の手のひらをじんわりと温めた。試しに1が自分に向けて温度計を使ってみると36.0度、これは1にとってはいつもの体温である。「壊れてんのかな〜?」と何度も測り直す1を横目に、アルベルは「ご都合主義」という言葉を頭に浮かべながらロッカーを睨みつけた。


「1、この鍋の温度は何度だ?」

「え、えっと……100.0度ピッタリだって!」

「どれもこれもキリのいい数字か…。本当に“出来すぎている”空間だ」


 十中八九、ロッカーに書かれた「100」という数字がヒントとなっているのだろう。ロッカーから出された雑貨をもう一度見渡して、アルベルは背筋にヒヤリとしたものを覚えた。もし、自分の想像が正しいのとするなら……いや、もちろんまだそれが決定的となったわけではないが。


「アルベル、この本知っている?」

「読んだことはないな」

「なんかヒントになるかもしれないから読んでみよっか!えーと、なになに…『水辺のシカ』?」


 古びた絵本に書いてあったのは以下の内容だ。


泉で水を飲んでいるシカが水面に映る自分の姿を見て、大きな角が見事に枝分かれしているのを得意になった。

それに比べて細くて幾何にも弱々しい脚が悲しい。そこへ突然ライオンが現れた。シカは一目散に逃げ、すぐにライオンを引き離した。

しかし樹木の生い茂る場所に来ると大きな角が枝にからまって走れなくなり、とうとうライオンに捕まってしまった。

シカが殺されうる間際に独り言のように言った。

「ああ、情けない。裏切られると思っていたものに助けられ、いちばん頼りにしていたものに滅ぼされた」


 どうせこれも犯人が用意した悪意の塊だと心構えをしていたアルベルは軽く肩をすくめて「まともなヒントは用意されてないようだな」と呟いた。一方、息子と呼ぶ男に全幅の信頼を置く1は基本的にはめげない性格ではあるが、時折りネガティブスイッチが入るのか考えすぎるきらいがある。そしてこの絵本に重要な鍵が隠されていると思い込んでいた1は心なしか青白い顔でアルベルを見上げた。


「これ、てさ…おれにとって一番頼れるものはアルベルなわけじゃん?アルベルに滅ぼされるのは別に良いしむしろウェルカムなんだけど……おれがアルベルを殺してしまうかもしれないってこと?!」

「深く考えれば相手の思う壺だ。おおかたおれ達を疑心暗鬼にさせる罠だろ。……先に言っておくがおれも1になら殺されても構わない」

「え、本当に?アルベル!アルベル〜〜!!!!おれ!アルベルの父親で良かった〜〜ヒン……」

「分かったから、少しは落ち着け。当然二人で脱出するのが最優先だ。他の物も調べるぞ」

「そうだよね!おれも頑張るよアルベル!!」


 この部屋に二人を閉じ込めた邪神はきっと知らないのだろう。前世で出会った時から二人は一連托生、相手のためなら自らを投げ打つことも厭わない二人の絆は、転生してからはさらに強くなり…きっと来世のその先でも続く。

 気を取り戻した二人は床に散らばったままの雑貨に目を向ける。手分けして調べれば早いのだろうが、アルベルの服から手を離さない1とこれ以上1のメンタルを削らないよう立ち回ることを決めたアルベルは二人で一つずつ確認していくことにした。



 土鍋はもういいだろうと脇に避け、1は手に嵌めていたミトンをその上に置く。一応ミトンも軽く確認したが、ところどころ焼けこげている以外はなんの変哲もない。絵本をその隣に置いて、次に1が手に取ったのは開封されたホッカイロだ。見たことのない包装でメーカーはパッケージに書いてないが、触れば冬の寒い時期にちょくちょくお世話になるものとなんら変わりない。


「結構熱いな〜。カイロって何度くらいになるんだろう?…お、67.0度だって!つまりアルベルより30度も熱いの?!」

「……比較がおかしい。それにしてもまたキリのいい数字だな」

「あれじゃない?きっと小数点以下の数字が壊れているんだよ!」

「器用な壊れ方だな……ちょっと待てさっき67度と言ったよな?」

「言った言った!」


 ホッカイロの袋を凝視していたアルベルは袋の隅に「67」と小さく印字があることに気づいた。他の製品も普通にどの程度まで回路が温かくなるか記載があるものなのかもしれないが、この状況でご丁寧に温度を書いてあることがアルベルには嫌味にも感じられた。


「これはなんの薬だろ?」

「病院なんて滅多に行かないから分からない…1、頼むから飲んで確かめようとはするなよ?」

「さすがのおれでもこんな怪しい薬飲まないって!」


 薬は病院や薬局で出される多くの錠剤と同じようにアルミの薄い包装に包まれている。指で押して服用するお馴染みのあれだ。成分らしきカタカナがシートに印刷されているが、当然医学を学んだことがない二人には何かの暗号にしか思えなかった。

 薬とくればセットのつもりなのだろうか、水に入ったペットボトルを1が手に取る。ラベルには商品名の代わりに「熱いものに近づけないでください。ボトルがとける可能性があります」と注意書きがされている。そういえば、沸騰したお湯をペットボトルに注いでボトルが溶けるとシーンをテレビで見た気がする。何度まで耐えるのか分からないが煮立った鍋に近づけたら溶けるんじゃないかなと1は思った。


「普通の水だよな」

「飲むなよ」

「分かっているって」


 アルベルも1がそんなことしでかすとは本気で思ってはいないが、1には長い付き合いで色々と手を焼かされてきたからつい口を出してしまうのだ。口煩いと思われてないか不安を抱いたこともあるけれど、アルベル命の1はそんな気遣いを心の底から嬉しいという風に笑う。1の過剰なまでの愛情表現を慣れた調子で受け止めるアルベルも大概なので、案外二人は似た者同士なのかもしれない。


 最後に残ったぬいぐるみをアルベルが抱き上げた。犬を模したそれはアルベルの大きな手にすっぽり収まるくらいの大きさで、精巧な作りに二人が一瞬本物のプードルと見間違ったほどだ。触れるとカイロほどではないがなぜか温もりを感じて、アルベルはもしかして本物の犬を固めたのではないかという疑念を心の隅に追いやった。本物に似せて作るなんて今の時代ありふれたものだ、ならば作り物だと割り切った方が精神衛生上良い。


「アルベルは犬派?」

「……そうかもな」

「おれは犬も好きだけどどっちかと言うと猫かな〜。アルベルが猫だったら可愛すぎて心臓が止まるくらいじゃないかってよく思うんだ」

「人を勝手にペットにするな」


 そう軽口を叩いたが、アルベルも1が分かりやすく尻尾を振る犬に見えたので犬派と答えたことは死ぬまで胸の内に秘めておこうと誓った。

 気味が悪いもののぬいぐるみの中に重要なアイテムが埋まっているのは脱出ゲームの常套手段だろう。ぬいぐるみのお腹を押したり尻尾の縫い目を確認したりしていたアルベルはプードルの耳に小さなタグが付いていることに気づいた。

 そのタグには23と書かれており、彼は反射的に並んだロッカーに目をやった。


「1、これも温度計で測ってくれ」

「アルベル何か分かったのか!!ちょっと待ってろよ……23.0度だね!!」

「予想通り、か」


 アルベルが考えた通り実測温度はタグの数字と一致する。そしてそれはロッカーに書かれた数字とも一致することを示していた。


「ん〜水とミトンは19度で、薬は11度、本は17度……アルベルは何度測ってもやっぱり36度だな〜、ついでにおれも!」

「……」


 鍋やカイロが高温なのは分かるが、熱を発さない物質でこれほど差があるのは、やはり“そう設定されている”としか思えなかった。あとは考えたことが正しいか、抜け道はないのか実践してみるだけだ。



 考えをまとめたアルベルは端的に「鍋をロッカーに入れてみる」と宣言してミトンを手に嵌めた。


「もしかしてロッカーに書かれた数字と同じ温度のものを入れたらいいのか?」

「素直に考えればそうだろうな。それが正しくなければいいとも思うが」

「え~なんで?」

「……すぐに分かる」


 アルベルが土鍋をロッカーの中央に置いて扉を閉めると、カチャンという音が二箇所で聞こえた。試しに扉を引いてみるが100のロッカーはビクともしない。一つずつ扉が開くのは理解できるが、なぜわざわざ開いたロッカーを閉めるのだろう?アルベルは疑問に思いながらも隣の23のロッカーに手を掛けた。


「何もないな」

「またなんか書いてあるぞ!『鍵があいてから一度しまったロッカーは開かない』」

「…『少なくとも君が生きているうちは』か……間違ったものを入れたら終わりということだろうか」

「え〜怖っ!でも23ならぬいぐるみがあるからこれを入れたら良いんだよね!」

「ちょっと待ってくれ」


 早速ぬいぐるみを入れて扉を閉めようとした1をアルベルが止める。彼は元々二人が持っていたエコバッグを持ってくると中身を広げて温度を測り出す。


「アルベル?」

「23度のもの一つだけでなければならないのか、入れたものの合計値が23であればいいのか検証させてくれ」

「もちろんいいけど、ぬいぐるみ入れたら済む問題じゃないのか?」

「考えられる可能性は試しておきたい」

「アルベルが言うならそうしよう!」


 鍋にしようと買ってきた野菜はどれも15度前後だったが、牛乳を測ったところ4度であった。この部屋に用意されていた水が19度だったから二つ合わせれば23になる。念のため水の温度も測り直して19.0の数値を確認してからアルベルは牛乳と水をロッカーに入れて扉を閉めた。


 するとどこからともなく数本の針が飛んできて、一つはアルベルの頬を掠めてもう一つはアルベルの手の甲に突き刺さる。


「っ!!」

「あ〝あ〝アルベル大丈夫!?あ〝〜アルベルの御尊顔に傷が!!え、血っ、血出てる!?は、早く手当てしなきゃ!!」

「掠っただけだ。騒ぐほどの傷じゃない」

「いやいやいやいやアルベルが傷つくなんておれにとっては一大事に決まってんだろ!!!」


 冷静に手に刺さった針を抜くアルベルとは対照的に、ポケットから慌てて取り出したハンカチを取り落とすほど動揺した1は拾ったハンカチを念入りに叩くと、鍵が開いたままのロッカーから水を取り出しそれをハンカチに染み込ませてアルベルの頬に走った赤い線を拭う。ちりちりと不快感はあるがそれほど深くない傷に大袈裟だとアルベルは思ったが、こうなった1を止めることなど経験上不可能だと知っていたので口まで出かかった文句を喉に押し止めて彼の好きにさせた。



「閉めるよ…いい?」

「ああ」


 今度は針じゃなくて槍とか爆弾とか降ってきたらどうすんの?!と物凄い剣幕の1に押されて、アルベルも当初の予定通りぬいぐるみを入れることに渋々同意する。1がロッカーを閉じるとやはり二箇所で鍵の開閉する音が聞こえて、23のロッカーは完全に施錠された。

 あと二つロッカーを開け閉めすればアルベルと一緒に元の世界に戻れる。アルベルも疲れただろうから今日は腕によりをかけて美味い飯を作ってやらないと1は呑気に考えていた……最愛の息子が苦虫を噛み潰したような顔で何かを必死に考えていることなどつゆ知らず。


 67と刻まれたロッカーの中にも何も入っていない。代わりにロッカーの内壁にはやはりこのゲームを作った誰かからのメッセージが書かれている。


「さて、そろそろ君にもここの仕組みがわかってきたかな。次のロッカーの中にはプレゼントを用意しているよ。気に入ってくれるかな」


「へへーん、お前が作った仕組みなんてうちの賢い息子には簡単すぎだっての!!プレゼントってなんだろう〜」

「……どうせ碌でもないものに違いない」

「ん〜どうだろうな…ともかく67だからホッカイロ入れて閉めるよ」


 アルベルはもう少し慎重になるべきだと心の中では思っていたが、1の行動を止める言葉は見つからず床に残った品々を恨めしそうに見るに留めた。



カチャン

カチャン

カチャン


 1がロッカーの扉を閉めると今までとは違い音は三つ聞こえた。ロッカーに背を向けるように立っていたアルベルは白一面だった壁に突如として鉄のドアが浮かび上がったのに気がついた。素早く駆け寄って確かめるも、鍵穴のないその扉は重く閉ざされている。


「アルベル!こっちも開けるぞ……って、あれ?いつ間にドアが?!」

「1がロッカーを閉めた途端現れた」

「ってことはもうすぐ出られるんだな!楽勝じゃん!!」

「……1、最後まで油断はするな」

「分かっているって〜」


 アルベルが1のそばに戻る前に1は軽くなった36のロッカーの扉に手を掛けた。あと少しで出られる、その希望が気持ちを高めるのは当然のことだろうが1の晴れやかな笑顔に反比例してアルベルの顔は言いようのない恐怖で曇る。ホラーゲームに限らずゲームには最後の最後に山場がやってくる、そして今回も例に漏れずアルベルの予感は的中することとなる。


「なんか入っているみたい……え……何この色…グロっ……って、もしかして…ひ、人の腕……?!うぎゃあああ!!無理無理無理!!!アルベル!アルベル!!!ヒン……グッス」

「だから気を付けろと言ったのに……」


 半分も開かずして飛び出してきた人の形をした「それ」を目撃して1は思い切り飛び上がり、駆け寄ってきたアルベルにしがみつく。アルベルの名前を泣き声のように繰り返す1を宥めながら、1には見えないように扉を最後まで開くアルベル。これもどうせ作り物だと自分に言い聞かせてはいるが、予測が正しいとするならこれが人だったものという推測も真実になるとアルベルは分かっていた。

 お化け屋敷の類にはビビらないアルベルでも流石に素手で触ることは躊躇われて、ミトンを嵌めてからその人だったものに触れる。既に肉が削げ落ちミイラ化が進んだ死体は暗く窪んだ眼窩と歪んだ口元が悲痛な思いを代弁していた。ロッカーの奥から伸びた鎖がミイラの左手と右足を固定していたが、アルベルが触れると老朽化していた錠は簡単に外れる。一体この人はどれだけの間ここに繋がれていたのだろうか……支えを失った死体は嫌に軽く、反対の腕で1を抱き抱えながらでも簡単に動かせてしまう。


「アルベルなんか分かった…?」

「まだ調べ途中だ。目を瞑っていろ」

「うん!ごめんねアルベル…」

「別に構わない」


 とりあえずミイラを部屋の隅に置くと、アルベルは引っ付き虫と化した1の頭を胸に押し付けて何も見せないように気をつけながらロッカーの中を覗く。ロッカーの中にはあのミイラの持ち物だろうか、黒いリュックサックが置かれており、壁には「これを閉めたら出口が開くよ」と相変わらずこちらを挑発するようなことが書かれている。扉の裏も確認して…すぐにアルベルは軽率な行動を取ったことを恥じた。


助けて助けて助けて出たい出たい許さない許さない許さないユルサナイ


 よく目を凝らせばミイラの右手が届く範囲にびっしりと爪の跡らしき引っかき傷と赤黒く乾いた血がついている。先ほどミイラを動かす際に指先だけ黒く染まっていたように見えたが、あの人は誰かに騙されてこのロッカーに閉じ込められ命尽きるまで己の運命を呪いながら息絶えたのだろう。

 常人より肝が据わっているアルベルでも、これには腹の奥から湧き上がる嫌悪感を覚えずにはいられなかった。


「アルベルどうした?」

「……だ、大丈夫だ」

「全然大丈夫じゃない声じゃん!!…おいしっかりしろ、おれ!分かってんのか、息子の一大事に父親が及び腰じゃ息子を守れねェぞ!!!」

「助かる…ロッカーの方は見るな。中からこれが出てきた」


 1は頬を叩いて自分自身に喝を入れるとようやくアルベルの身体から離れてリュックサックを受け取る。二人はロッカーに背を向けながらそれほど重くない荷物の中身を確かめることにした。


「鍵と携帯に財布か…ごめんなさい泥棒しないから中見せてもらいますよ!えーと野見山祐介って人の持ち物みたいだ。会ったことはないよな…たぶん」

「チョークに算数の教材…学校の先生か?」


 筆記用具やノートの類は入っていないが、巾着袋には九九の書かれたマグネットがたくさん入っている。適当に一つを手に取ると表には2×4、裏に8と書かれていた。全部確かめるつもりはないが、きっと1×1~9×9まで揃っているのだろう。


「そういえば最後のロッカーって何度だったっけ?」

「36」

「36か〜そんなのあったか?……あれ?え、もしかして……」


 首を傾げたまま停止した1にアルベルは押し黙る。この部屋で36度の温度を示したものは二つしかない……正確に言えば「二人」だけだ。


 アルベルは途中のロッカーに36度の鍵となるものが入っているかもしれないと細い希望を抱いていたが、それも虚しく打ち砕かれる。あのロッカーに入っていたものを考えれば、片方を犠牲にして一人だけ脱出するというのがこの部屋に用意された唯一の解法かのように思われた。


「どっちかがロッカーに入らないといけないのか…?」

「今、他の方法がないか考えているところだ」

「やっぱり、アルベルは気づいていたんだな…」


 アルベルに遅れて1もようやく事の次第を理解した。先ほどから息子が煮え切らない反応をしていたのはこの状況が序盤から想像できたからであろう。床に残ったものを眺めて、1はスーパーの入り口に置いてあった焼き芋を思い出す。店内に充満する甘い香りに誘惑されたけれど、今日は思ったよりたくさん買いものがあったから我慢したのだ。偶然36度になるとは限らないけれど、もしかしたら帰り道の間に温度が下がってちょうどいい温度になっていた可能性もゼロではない。……もちろん、今この部屋にないものを考えてもほんの少し心を慰めるだけで意味などないと分かってはいるが。


 1は思い詰めた顔で考え込むアルベルを眺めて決心をする。

 アルベルと出会ってから自分の人生は一変した。突然「おれはアルベルの父親だ」と押し掛けて、アルベルに殺意を向けられたこともある。失敗ばかりしてアルベルを困らせたり道に迷ってアルベルの手を煩わせたりした記憶も昨日のことのように思い出せる。百獣のみんなに見守られて、少しずつ自分に心を開いていくアルベルに心の底から喜んだ日々……カイドウ様の代わりにアルベルを守り切ると誓ったあの日、悲惨な末路が待っているかもしれないと考えなかったわけではないが、アルベルに全てを捧げた前世を悔やんだ事は一度もない。

 今世で再会を果たした時、1はどんなに驚きそれ以上に喜んだことだろう。前世と違って逆転した年齢、ぐっと近づいた身長差、アルベルが素肌を隠さず堂々と太陽の下で歩ける世界。ありふれた表現しか思いつかないないけど、同じ家で生活し始めてから毎日が色鮮やかに輝いて見えた。

 二度とアルベルの手を離しはしないと誓ったけれど、何よりも重要な前提は……1にとってアルベルは可愛い息子で、誰よりも幸せになってほしい人ということだ。


「お、おれが入るよ!息子を守るのは父親の役目だ」

「馬鹿なことを言うのはやめろ!!」

「大丈夫、もしかしたら違うやつらがすぐ来るかもしれないじゃん」

「忘れたのか?『鍵があいてから一度しまったロッカーは開かない 少なくとも君が生きているうちは』と書いてあっただろう。おそらくおれたちの双方が死ぬまで次の犠牲者は現れない」

「グッ…ア、ワッ……ヒン……。アルベル、おれはお前と出会えて本当に幸せだった。来世でもおれのそばにいてくれるか…?」

「縁起でもないことを言うな!1、勝手に死ぬ覚悟を決めるなんておれは許さない!……だいたい、あんたは残される側の気持ちを考えたことがあるのか?ないだろ?だからあんなことができるんだ!!!」

「ご、ごめん。そうだよな…。アルベル、おれが悪かった……」


 珍しく怒りの感情を露わにしたアルベルにすぐさま1は両手を合わせて謝罪した。二人の間に何があったかは知る術などないが、1の自己犠牲がアルベルに地雷レベルのトラウマを植え付けたことは想像できる。

 残ったガラクタの前に座り込んでいたアルベルの隣に大人しく腰を下ろした1は自分の手元に目を落とす。やっぱり時計はぐるぐる回ったままでこの部屋に入ってからどれくらい経過したかは分からない。一時間は経っていないと思うが、バイトが終わった時くらいの疲労感を覚えてアルベルの身体に寄りかかる。


「36……36か。時計の針が弄れたら36分にして入ればクリアだったとかないのかな〜」

「時間を示さない設定なら壊したくらいで止まるものだろうか。ん?ちょっと待て。時間…温度……いや、もしかして……単位は関係ない?」

「まあ、ロッカーに書いてあるのは数字だけだし、数字が合っていればいいのかもしれないよな。根拠はないけど」

「……根拠ならある、かもしれない」

「へ?!そうなの??さすがアルベル!!」


 プードルのぬいぐるみには23と書かれたタグが、カイロの袋には67と記載がそれぞれあったことを思い出した。あれは温度を記したものだと思ったけれど、あの数字こそが重要だったとしても辻褄は合う。


「鍋に数字はあっただろうか」

「見てないけど…あのドロドロを出したら書いてあったとしてもおかしくはないよな」

「ただ、この考えが合っていたとしても36の数字が書いてあるものがなければ意味がない」

「うーん、買い物のレシートとかに書いてあったかな……」


 1が自分の財布を、アルベルがリュックサックに入っていたレシートやカードを確認したが、36という数字はどこにもなかった。当てが外れて流石に気落ちしたアルベルは財布を戻そうとしてあるものに気づく。


「あった」

「え、何が?!」

「36」

「……っ!!なるほど、そういうことか!やっぱりうちの子天才じゃない?!!」


 アルベルの手にあったのはあの巾着袋だった。確かあれには算数の教材が入っていたっけ…と思い出したところで1も「36」の正体に気づく。


「6×6は36…これだな。意地の悪い犯人なら答えを抜いているかもしれないと思ったが流石に杞憂だったか」

「4×9と9×4も一応入れてみる?」

「一つあればいいだろ」

「了解!あ、おれがやるね。もうアルベルに怪我をさせたくない」

「分かった」


 アルベルからマグネットを受け取ると1は遺恨にまみれたロッカーに近づく。


「アルベル、下がってて」

「ああ」


 二人が導き出した回答がハズレだった場合のことを考えて1がアルベルを自分の後ろに庇うように立つ。

 普段はしっかり者のアルベルが少し抜けたところのある1をフォローすることが多く、どっちが保護者だ…と呆れた場面も数知れない。しかしそれ以上に、自分よりずっと小柄で肉付きの薄い1の背中にアルベルが揺るぎない頼もしさを感じていることは紛れもない事実だ。普段プライドが邪魔をして口にしないが、この背中が何度も自分を救ってくれたことを心の底から感謝している。


 ……もし、神がいるならどうかおれ達を救ってくれ。前世のように突然で無慈悲な別れは二度とごめんだ。アルベルが願うのはただ一つ、父親を自称するこの人とこれからも穏やかな日々を過ごしていきたい。世界を変えるだなんて大それたことは思わない、ただ世界の片隅でありふれた幸せを手にしたいだけ。

 アルベルはマグネットをロッカーに閉まって扉に手をかけた1の姿に手を組んだ。




『ふうん。つまんないの。まぁいいか。また別の人間を適当に見繕ってくることにしよう』

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