怖れ 後編

怖れ 後編



帰り道、黒服の裾を握る841の歩みは遅かった。それは先ほどまで抱いたものを彼女の中で咀嚼し終えていないからだった

(もうひと押しでしょうか)

黒服は自らの理論を確かめるべく声をかける

「841、貴方はあの場所に着いてから言いましたね。怖い…と」

黒服の言葉に841は立ち止まる

「賭け試合、古い言い方では闘技場。他者を闘わせその姿を見て楽しむ場所。昔は奴隷などがいましたが現代ではそうはいきません。しかし、貴方達が生まれた。人として可憐な姿をしながらも使い捨ての出来る機械。その存在は彼らの欲望を刺激した。暴力、優越感、あらゆる欲望が集まるあの場所で貴方達は、いえ841、あなたはあの場所では欲望に蹂躙される存在でしかないのです。…あそこは三大校とは違う学園の支配地域です。そこの学園が動かない限り、誰も助けれません。シャーレを除いて、ですが」

黒服は力説する。しかし841はピンと来ない

「ええ、少し分かりづらかったですね。では想像してみてください。被験体841、いえ9629として妹の10050号の立場を!他者に命令され迎えた最期を!その恐怖を!」

841は想像する。10050号の代わりになった自分の姿を。マスターである黒服に命令され命をかけた戦いを強いられてそして

(———あっ)

瞬間彼女は自らが抱いた恐怖を理解した。理解したと同時に

「クックックッ、おめでとうございます。晴れてあなたは道具としてではなく1つの個体として誕生しました」

黒服の目の前にはヘイローの生えた1人の少女がいた

「あなたのお名前は?」

「…?私は被験体841です」

少女の言葉を黒服は否定する

「いけませんね。既にあなたは道具を脱却して私と対等な存在なのです。今までと同じ名前では意味がない」

少しだけ少女は考え答えた

「…ヤヨイです!」

「フム、841をもじっただけみたいですがまあいいでしょう。では改めてよろしくお願いします、ヤヨイ」

「はい!マスター!」

(ヘイローを持ったからといってプログラムされた関係がすぐに変わるものではない…か)

「あの…手を握っても構いませんか?」

「?それぐらい構いませんよ」

(何にせよ、これで一つ成功例が出来ましたね。シャーレの『先生』に良い話ができます。…もっとも向こうは嫌な顔をしますがね)

クックックッ、黒服はその光景を想像して笑う

後日、シャーレに入った匿名の情報をもとにシャーレの権限を持って捜査。違法な組織を摘発した。シャーレの先生は情報提供について不機嫌であったという







黒服の計画は単純だ。恐怖を与える事。その方法は黒服の協力者の情報で決まった

『とある場所で量産型アリスを使った賭け試合がある。しかも、今回は正規品も参加するとの事だ』

この情報から黒服はヤヨイに自分の同型機の悲惨な状況を見せる事で自らに訪れる可能性を考えさせる事で悲しみや怒り、恐怖の感情を植え付けようとした。それは実際に恐怖の感情として成功した


しかし、黒服は勘違いをした

黒服の考えではヤヨイは自分や同型機の事を考えた上での恐怖だと

違う、彼女は



想像する、10050号の気持ちを。無理矢理戦わされ、壊された彼女。彼女が見せた恐怖を理解する。だけど違う

想像する、あそこにいた人達から狙われる自分を。その恐怖を理解する。だけど違う

自分が壊される事に恐怖はある。しかしずっと抱いていた怖れを凌駕しない。

何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?———マスター。

瞬間、理解した。人混みでマスターの姿が見えないことが。マスターのそばを離れることが。同型機ではない、マスターと一緒にいれないことが彼女の最も強い恐怖であった事を


マスターの手を握る中ヤヨイは思う

(マスター、あなたが命じるならどんな酷い事でもしましょう。『色彩を倒せ』というならやり遂げます。『この世界を滅ぼせ』というならやり遂げます。『分解する』というならそれでも構いません。例え世界で2人だけになろうとも、例えあなたの身が朽ち果てて私1人になる未来でも構いません。私が壊れる最期まであなたの側に居させてください)


Report Page