忘れ草 我が心に付く天丘の 古りにし恋を忘れむがため

忘れ草 我が心に付く天丘の 古りにし恋を忘れむがため


 その技は代償に愛を求めた。


 おいしーなタウンとソラシド市、そしてスカイランドの三つの都市を巻き込んだ巨大にして強大な厄災。

 その厄災に、デリシャスパーティープリキュアとひろがるスカイ!プリキュアは共に肩を並べて立ち向かった。

 そして激戦の末、間もなくこのスカイランドで決戦を迎えようとしていた。

 しかし……


「スペシャルデリシャストーンと、プリキュアの力の限界解放?」


 キュアスカイことソラ・ハレワタールの問いかけに、スカイランドの偉大なる博学者・虹ヶ丘ヨヨは思慮深い面持ちで頷いた。


「そう。あの敵は、元は試製デリシャストーンが核となり、そこに大量のアンダーグエナジーが注ぎ込まれて暴走した結果、誕生してしまったもの。アレを倒すには、拓海くん──ブラックペッパーが操るスペシャルデリシャストーンの力に、プリキュアの浄化の力を加える必要があるのだけど……」


 ヨヨはその先の説明をしようとして、しかし、それがもたらす代償の大きさに、思わず口を噤んだ。

 そのヨヨの態度を前にして、キュアフィナーレこと菓彩あまねは持ち前の聡明さでその内心を悟った。


「浄化の力と言っても、私たちの今の力では敵わない。そのために限界を越える必要があるというわけですね。……何かを引き換えにしてでも」


 あまねの言葉に、ヨヨは悲痛な面持ちで頷いた。


「限界を超えた両者の力が交われば、拓海くんも、プリキュアも、どちらもただではすまないわ」

「何が起きるって言うんですか、ヨヨさん!?」


 ソラの問いに、ヨヨは言葉を搾り出すように、言った。


「力を使い果たしたプリキュアは姿を消し、そして拓海くんはそのプリキュアに関する記憶を失う。この技が記された古い文献には、そう言い伝えられていたわ」


 その言葉に、拓海と、そして周りのプリキュアたちは絶句した。

 ヨヨはさらに、力を限界解放するプリキュアは一人だけ、それも拓海と深く気持ちを通じ合った相手のみであることを告げた。


 心を深く繋げた相思相愛の者同士のみが、その愛を代償に放つ究極の浄化技。


 そんな残酷な技をどうして放てようか。誰もが言葉を失う中、しかし、敵の侵略はその間も進んでいく。

 これまであらゆる手を尽くしてきた。それでも敵を止めることはできなかった。

 他に手を探している時間は無い。いや、もはや迷う時間さえ残されて居なかった。


「やろうよ」


 そう口を開いたのは、キュアプレシャス…和実ゆいだった。


「あたしたちにしかできないことなら……ううん、違う。あたしたちがやらなきゃ、誰がやる!」


 ぐっとガッツポーズを取って、


「……ね、拓海?」


 えへへ、と笑って差し伸べた左手の薬指に嵌められた指輪が、キラリと輝いた。


〜〜〜


 あれから一年後……


 スカイランドの王都を見下ろす小高い丘の上に、ワスレグサという名の花が咲き誇る草原があった。

 その花は本来、スカイランドにはない花。

 地上世界から、ソラが持ち込んで植えた花だった。


──忘れ草の香りに包まれた中で、深く心を通じ合った真実の愛が交わされた時、スカイジュエルは奇跡を起こす……


 ヨヨから教わった古き言い伝え。一年前のあの日に失った大切なものを取り返すため、ソラはその言い伝えを信じてこの丘にワスレグサを植えた。

 毎日、毎日、甲斐甲斐しく世話をして、その果てに、オレンジ色の花に包まれたその場所の中心で……


 ……ソラは、膝を抱えてスカイランドの街を見下ろしていた。


──拓海さん! お願い、目を開けてください! 拓海さん!?

──……ソラ?

──拓海さん! 良かった……本当に、良かった…!

──そうか。全部終わったんだな。みんなも無事だな! ははは、やった、やったぞソラ、俺たちは勝ったんだ!

──…ッ!?


 一年前のあの日、誰よりも大切な存在の消失に、彼は気がつかなかった。

 彼女の名前も、共に過ごした記憶さえも、何もかもを失った、その事実さえも……


──品田……わからないのか? ゆいだぞ!? ゆい! この名を聞いて何も感じないのか!? 本当に…何一つ…!?

──わからない。……菓彩、お前がそこまで取り乱すなんてな。……えっと、なんて名前だっけ? その子は……


 あの技の代償は、その愛の記憶を知ることさえ許さなかった。

 周りの人間がどれだけその愛おしかった過去を伝えても、彼の記憶からは、彼女に関する全てに関してのみ、不可思議な力に阻まれたかのように、すぐに消し去られてしまう。

 そんな残酷な現実を前に、あまねを始めとしたデリシャスパーティーのメンバーや、そして彼女の家族の心は追い詰められて行った。


──ソラ、君に頼みがある。

──品田を……スカイランドに連れて行って欲しい……

──もう限界なんだ……あんな彼を見るのは

もう……耐えられないんだ……ッ!

──頼む、ソラ……決して思い出せないくらいなら、いっそ……君の側で……彼を幸せに……ッ!


 慟哭と共に告げられたあまねの言葉を思い出しながら、ソラは、忘れ草に囲まれた草原で、膝を抱えて街を見下ろしていた。


──ここが、俺の新しい家……か……

──拓海さん。あの…わ、私は……!

──ソラ。

──は、はい!

──俺が、大切なものを失ってしまったのは知ってるつもりだ。でも、実感がないんだ。……このまま、みんなを苦しめ続けてしまうより、これからは未来を見ようって、決めたんだ。

──………

──みんなが大好きだったあの子も、きっと、それを望んでくれている。菓彩はそう言ったよ。だから……

──拓海……さん……

──俺は幸せになれるよう頑張るよ。そして、お前も幸せにする。だから、よろしくな、ソラ。


 二人の新しい人生が始まったあの日、何も答えることができずに泣き崩れたソラを、拓海は優しく抱いてくれた。


──拓海さん、ただいま帰りました!

──おかえり、ソラ。夕飯にするか? 風呂にするか? それとも?

──そ、それとも!? それともってどういう意味ですか、た、拓海さん!?

──言わせるつもりか。俺から言って欲しいのか?

──あ、ああえっと、その……た、拓海さんが欲しい……です……

──よく言えました。良い子にはご褒美だ。



──青の騎士団の仕事、大変じゃないか?

──そうですね。でも……

──でも?

──こうして、家で待ってくれる人が居るから大丈夫です。私は、どこまでも頑張れます!


 丘の上、思い出に浸るソラの周りを風が吹き抜けた。

 さぁっ…と草連れの音が通り過ぎて行った頃、


「お前、こんなところで何してるねん」


 丘を上がってやってきた大柄な人影が、ソラにそう問いかけた。

 人影……正確に言えば人ではない。

 かつてアンダーグ帝国の幹部としてソラたちプリキュアの前に立ちはだかった、豚の顔をもつ男、カバトン。

 ソラとの一騎打ちに敗れ、彼女の強さと優しさを知り、それ以来悪の道から足を洗って娑婆で生きる道を選んだ彼は、丘の上で物思いに沈むかつてのライバルの様子を見ていられなくて、声をかけた。


「おい、ソラ! お前はそんなところで何をやってると訊いているのねん!」

「カバトン……私のことは放っておいてください……」


 顔も向けずに告げたソラの態度に、カバトンはチッと舌打ちを鳴らした。


「さっき黒胡椒がこっちに向かって歩いてくるのを見たのねん。……お前、あいつをこのままここに来させて良いのねん?」

「もちろんです。ずっと、ずっと前から、この日が来るのを待ってたんですから」

「ソラ……お前はそれで良いのねん?」

「……はい!」


 カバトンの問いかけに、ソラは何かを振り捨てるように大声で答え、立ち上がった。


「最初から、決めていたことですから!」


 丘にまた風が吹き、見開いたソラの瞳に涙が滲んだ。

 そう、全ては、忘れ草が咲き誇るこの日のため。

 そのために、ソラは拓海との真実の愛を育んできた。


──拓海さん…この水着、似合ってますか?

──ああ、似合ってる。でもダメだ!

──ど、どうしてですか!?

──似合いすぎてるから…

──え?

──その、えっと……俺以外に見せたくない……っていうか……

──拓海さん……!


──どうだ? 美味しいか?

──はい! 拓海さんの作る料理はどれも美味しいです! 美味しすぎて笑顔が止まりません!

──あははは、大袈裟だな。……でも、良いもんだな。

──何がですか?

──俺の料理で笑顔になってくれる、そんな人とこうして一緒に暮らせることがさ。

──………ッ!

──なんだよ、急に泣き出して。……ソラ、俺に、お前の美味しい笑顔を守らせてくれ。これからも、ずっと……


 ああ愛おしい、なんて愛おしい記憶だろう。ソラは天高き空を見上げて涙を堪えた。


 この一年、拓海はソラを満たしてくれた。心も、体も、その愛で満たしてくれた。


 私は幸せだ。最上の幸せ者だ。


 風が吹いた。その瞬間、ソラの視界が大きく揺れた。

 突然の激しい眩暈と吐き気。ソラは倒れそうになる中、無意識に己の下腹部を守るように手で押さえた。


「ソラ!?」


 カバトンが咄嗟に駆け出して、倒れかけたソラの体を抱きかかえた。


「お前、突然どうしたのねん!? 大丈夫か──まさか?」


 カバトンの額に嵌め込まれた宝石が一瞬輝き、彼のもつ能力が発揮される。

 その力が、ソラの胎内に宿るもう一つの命の存在を感じとった。


「ソラ……お前……」

「カバトン……ありがとうございます。でも、私は大丈夫ですから」

「馬鹿野郎ッ!」


 カバトンの突然の大声に、ソラは思わず体を震わせた。

 カバトンはそんな彼女を抱き支えたまま、激しい剣幕で言葉を吐き出した。


「お前は馬鹿だ! 大馬鹿野郎だ! そこまでしちまったのに、なんで全部投げ出そうとする!? 何故だ!?」

「愛しているからです!」


 ソラは即座に答えた。お腹を手で撫でながら、涙を湛えた瞳をいっぱいに開いて、胸の奥から言葉を絞り出して、


「拓海さんを誰よりも愛しているから、幸せにしなきゃ駄目なんです!」

「ふざけんな! 腹ん中のガキはどうするつもりだ!」

「産みますよ! 育てますよ! だって、私と拓海さんの子供ですもん!」

「だったら──」


 カバトンの声が、重く、低く、沈み込んだ。


「──奪っちまえ」

「…ッ!?」

「何の遠慮もいらねえ。獲ればいいじゃねえか。奪えばいいじゃねえか。それが、誰も悲しまねえ結末だ。そうだろ!?」

「……………」


 カバトンの腕の中で、ソラは、深く、深く息を吸い込んだ。自分の中の何かを必死で抑えるように、何度も、何度も深く息を吐いた。

 そして──


──カバトンを殴った。


 鈍い音が響き、カバトンが仰け反る。その腕から取り落とされたソラは、忘れ草の上を転がり、その花弁を散らした。

 風が吹き、散らされたオレンジの花弁が宙を舞った。


「……ソラ」

「カバトン。これ以上、何かを言ったら、私はあなたを許しません」

「………チッ」


 カバトンは殴られた頬を軽く撫でながら舌打ちすると、その額の宝石を輝かせ、その場から消え去った。

 風が吹く。忘れ草の匂いを纏わせた風がソラを包み込む。

 花弁が舞い、丘の下へと吹き流れて行った、その先に、こちらへと歩いてくる拓海の姿があった。


〜〜〜


「俺がここに移住して、あれからもうすぐ一年か。この丘、二人で登ったな。スカイランドで初めてのデート….になるのかな?」

「はい。私の……大切な思い出の場所です」

「おいおい、私の、じゃないだろ。私たちの、だろ? 俺とお前の、大切な思い出の場所だ」

「………」

「ワスレグサ、二人で植えた花がこんなにも咲いている。綺麗だな……」

「はい……」

「来年もこの景色を一緒に見よう。俺と、お前と……子供の三人で、な?」

「……拓海さん、気づいて!?」

「当然だ」

「あ……っ」


 美しき花々の中で、深く心を通わせた二人の影が重なり合う。

 塞いだ唇を離し、拓海はソラの耳元で囁いた。


「お前から、今日ここに来て欲しいと誘われたとき、俺は決めたんだ」

「もう一度、ここで俺は誓うと決めたんだ」

「ソラ、俺はお前を守ると誓う。この一生をかけて、お前の笑顔とお腹の子を守ると誓う」

「拓海さん…!」


 二人の唇が深く、深く重なり合う。


──忘れ草の香りに包まれた中で、深く心を通じ合った真実の愛が交わされた時、スカイジュエルは奇跡を起こす……


 ソラが首にかけていたスカイジェエルのペンダントが、淡い光を発し、その光が抱き合った二人を包み込んだ。




 ああ、なんて愛おしい日々だっただろう。


 ああ、なんて温かい日々だっただろう。


 ああ、なんて甘い日々だっただろう。




 あなたがくれたこの日々は、忘れるにはあまりにも多すぎて……




 ああ、なんて恋しい、忘れ難き思い出か。


 ああ、なんて切ない、捨て難き想いか。



 あなたの心にも、私の想いが深く、深く根付いてくれたと信じることができたから……


 ……だから、



 忘れ草よ。どうかその香りで、彼の想いを消してください。

 この狂おしく切ない想いを消してください。


 そして、本当の愛と幸せを、彼に──


「さようなら、拓海さん」


 それは、愛の奇跡。










「拓海?」


「ゆい? ………ゆいッ!」


「拓海ぃ!!」











 その奇跡は、代償に愛とその記憶を求めた。



〜〜〜


 スカイランドの街の片隅に、人気のない路地がある。

 そこに、カバトンのオデン屋台があった。


「いらっしゃいなのね〜ん……って、なんだ、お前か、ソラ」

「なんだって、酷いですね……来ちゃ悪いですか?」

「裏路地の屋台ってのはなぁ、幸せなやつが寄りつく場所じゃないのねん」

「……今の私は、どう見えますか?」

「ウチの客に相応しいシケたツラしてるのねん。……この、ばっかやろうがよぉ」


 カバトンに吐き捨てるように言われて、ソラは力が抜けた顔で笑いながら席についた。


「オデン……美味しそうですね」

「妊婦が無理すんじゃないのねん。食えるネタなんて限られてるだろ………ほらよ」


 カバトンの箸が蒟蒻を掬い上げ、皿に乗せて突き出された。

 ソラの顔が、へらりと笑った。


「いただきます……」


 箸を手に黙々と食べ始めたソラに、カバトンはそっぽを向きながら低い声でボソリと言った。


「俺ぁよお、親の顔なんざ知らねえんだ」

「………」

「片親だけでも、望まれて産まれて来るやつぁ幸せもんだ……俺ぁそう思う……ねん」

「…….……」

「ガキ産まれたら連れてきな。こんなシケた屋台のオデンで良けりゃ、いくらでも腹一杯食わせてやるのねん」

「……………………」


 屋台のカウンターで、すすり泣きが聞こえた。

 カバトンはそっぽを向き続けた。




 すすり泣きが止むまで、ずっと、カバトンはそっぽを向き続けた──

Report Page