忘れられた話
まさか短期間に3人もの子持ちになるとは、というのが最初に思ったこと。修兵を保護したことをきっかけに胸糞悪い貴族連中の検証につきあわされることになった。
『将来的に隊長格になり得るかもしれない内在霊圧を持つ子供を同じ環境で育てたら、貴族の子、流魂街前半地区の子、流魂街後半地区の子で差は出るのか』という検証である。
もちろんくだらないと切り捨てたいことではあったが実際にはそれは組織である以上は適わない。修兵が拳西意外には未だに懷くというには少し無理があるため拳西が、両親を亡くした吉良と流魂街前半地区からもう1人子を預かることになった。
名前は昂。 歳は修兵より少しだけ上だがギンや乱菊よりは下。これまでの環境としては、遊んでいて無条件に食べられるほど優しい環境ではなかったが、大人の手伝いをすれば報酬として食料がもらえる環境で霊力持ちが集まってできた疑似家族の家はあったようだ。ただその『家族』がみんなが当然食料を必要とするということでもあり、体調を崩したとき以外は子供でも何かしらの労働をしていたようだが、質素ではあるがとりあえず体調を崩せば休ませてもらえる環境で、明日食うには困らない生活だったようだ。
「うさぎしゃん」
膝の上で兎のりんごを見た修兵が呟く。
「そうだな。おかゆ食べた後、食べような。で、今日はもうちょっと寝てような」
「けんせー。」
「大丈夫だ、傍にいる。昂とイヅルは移るとマズイから他の部屋で遊んだり勉強してろよ」
修兵は昨日までまた少し熱を出していた。今朝は熱は下がったが本調子じゃなさそうだったため、行儀よりも修兵の安心を優先し膝に乗せて粥を口に運んでやる。体調を崩すと不安になり怖い夢を見るのか、同時に不眠も併発しがちな修兵には言葉だけではなくこうして触れて確実な安心を与えることが肝要だ。
「わかりました。早く良くなってね修くん」
「…………。」
「どうした、昂」
「……、なんでもない…」
「……そうか。」
淋しいのだろうな、ということは拳西にもわかる。最近親を亡くした悲しみがあるとはいえしっかり愛情を受けて育ったイヅルとは違い、昂も流魂街出身、それも前半とはいえ一桁のようなほのぼのとしたところではないから、無条件に愛情を注いでもらえていたかというとおそらくそうではない。内在霊圧が高いからと今回の話に乗ったくらいには、『余裕』はない生活だったことがうかがえる。
わかってはいても、どうしても拳西は修兵を気にかけずには居られない。
出逢ったときの病的な細さも、感情を伝えることもできなかったのも全てつい最近のことなのだ。
「何かあったら言ってきていいからな?」
「わかった…。」
昂の頭を撫でても昂は笑わなかった。よくないな、と思った。
「おまえのせいだ!まだ拳西さんに見せてないのに!」
「昂にぃごめんなさい…」
「昂くん、修くんワザとじゃないよ…」
仕事から帰宅すると留守番させていた子供3人の声が聞こえて慌てて中に入る。
「どうした?」
訊きながら、泣いている修兵をとりあえず抱き上げる。いちばん冷静なイヅルが説明してくれた。
「昂くんが拳西さんの名前を漢字で書いて師範に褒められたんですけど、修くんが自分も頑張って書くって昂くんのを手本に練習してたら手本ごと汚しちゃって…」
「ごめ…なさい…」
ようやく筆を持つところから始めてひらがなの練習を始めて間もない修兵にはあまりに高すぎるハードルだ。無理もない。
「なるほどな。頑張ろうとしたんだな。偉いぞ修兵。でもなお前はやっと元気になったところだから、できないことがいっぱいあるのも普通だ。慌てなくていいんだぞ。」
「ごめっ、なさいっ、昂にぃの…っ、」
「大丈夫だ。」
「拳西さんっ!修兵がっ」
「昂、上手く書けたの見せようとしてくれてありがとうな。せっかくだから目の前で書いてくれたら俺はもっと嬉しい。…だから、修兵を責ないでくれるか?」
頭をクシャクシャと撫でてやると昂はムッツリとしているが一応黙った。
その後、食事を取って入浴すると精神的な疲れからか修兵はすぐに眠ったため、いい機会だと拳西は昂を膝に抱き上げる。
傍にはイヅルも居る。
昂を膝に乗せて、見せたかったのだという名前を書いてもらって、存分に褒めてやる。
「すごいな。昂もゆっくり文字の練習する暇なんてない生活だっただろうに。頑張ったな。」
言葉をかけて顔を覗き込んでやると嬉しげに誇らしそうにしている
この子もなかなか褒められることなどない生活だったのだろう。仕事というのはできて当たり前、ミスをすれば怒られるものだ。
「すごい?」
「ああ、すごいな。」
満足そうに笑う顔は子供らしい。
「なぁ、昂、お前がここに来る前に、イヅルがここに住むようになった時にイヅルには話してあることなんだが、」
「なに?」
「修兵のことだ。」
言った瞬間、昂の顔が曇る
かわいそうだとは思うが解ってもらうしかない
「修兵が生きてきたのはすごく辛い所でな。修兵はやっと寝込むことが少なくなってきて身近な人に笑えるようになったところで、できないことも、知らないことも多い。自分の気持ちを言葉にするのも下手だから俺も気にかけるし、お前を不快にさせることもあるがな。何かあったら俺に言うのはいい。溜め込めって言ってるわけじゃねぇ。けど修兵に直接大きな声で否定したりするのは待ってくれないか…?」
£££££££
願いも虚しく、拳西の願いが聞き届けられることはなくむしろそれから昂の修兵への態度は悪化した。普段から理由を探してまでキツく当たるというようなことはなかったが、不満が出てくると修兵に当たってしまう。
これはいかんとなった結果、やはり昂にも手をかけてやれる大人が拳西とは別に必要ということになり、かと言って『同じような環境での検証』という、何とも貴族のご都合だけの条件があるため誰でもというわけにはいかない。
考えた結果、昂だけを追い出すという形を避けるためと、どうせならイヅルにもマンツーマンで手をかけてやれる方がいいだろうとなり、イヅルはローズに、昂は羅武に引き取られることになった。 これならば平子が後見を務めるギンと乱菊も含めて、一緒に暮らしていなくても保護者達の横の繋がりで自然に深く関わることもできる。
昂くんはボクには大きな声を出してくることもほとんどなくて、怖い人というわけではなかったけれど修くんを泣かせることが増えてからはボクはどこかで昂くんのことをちょっぴり警戒するようになった。ギンさんに、「昂くんも修くんがちょっと子供っぽい理由、拳西さんに聞かされて知ってるはずなのに何故いじわるを言うんだろう?」ときいてみた時、
「あーー、…それはまぁ、しゃあないわ」
彼は酷く複雑そうな顔で苦笑しただけだった。成長した今ならばあの時何を言われていたのか解るのだけれど、当時のボクには昂くんの抱えるモノがわかわっていなかった。尤も、その後の彼の行動を鑑みれば、どんな理由があってもボクは彼を好ましいとは言えなくなってしまったけれど。
それでも羅武さんに引き取られてからは自分一人に目をかけてもらえるおかげか少しは落ち着いていた。
ただ僕たちにとって全てが変わってしまったあの夜、僕もローズさんが朝になっても戻ってきていないことは不安だったけれど、誕生日当日に、独りに弱い修くんを独りにしておきたくなくて駆けつけるとギンさんや乱菊さんも来た。
あの時昂くんは来なくて、だから後の彼の態度を見るまでもなくあの時から、僕の中で彼は『仲間』という意識から少し外れてしまったのかもしれない――。
£££££££
嫌いだった。檜佐木修兵も吉良イヅルもだ。
前半地区とはいえある程度の数字になれば流魂街での生活は楽とは言い難い。
だから死神達の思惑が何であれ瀞霊廷に行くことを選んだ。瀞霊廷には霊力の使い方を学ぶためと虚に襲われた子供の保護を目的とした施設もあるらしいがそこではなく隊長自らが保護者になってくれるという話だったから、こんないい話は無いと。
ひきとられて見ればそこには既に2人の子供がいた。
ひとりは吉良イヅル。下級の貴族であり両親を亡くして六車隊長に引き取られたらしい。
そしてもう一人が檜佐木修兵。流魂街後半、70番台に近いような区域で虚に襲われていたのをきっかけに保護されたらしい。
どちらも好きではなかった。
イヅルはやはり貴族ということなのか、俺より歳下なのに何でも俺より知っていて、たくさんのことができた。
とりあえず食うに困っていなかった流魂街での生活にも大きな不満は無いと思ってきたけれど、こうなるとやはり惨めな生活だったんだと突きつけられているようで劣等感を刺激してくる。
修兵のほうはもっと性質が悪い。
環境のせいだというがいちいち万事に怯えては拳西さんにべったりだ。
けんせー、けんせー、とそればかりで、何故か拳西さんもそれを一切咎めることなく、頭を撫でて抱っこして、風呂さえもひとりは怖いという修兵と一緒に入り、夢を見るのかなんなのか、夜泣きをする修兵を抱きしめて寝かしつける。
赤子の世話か!と言いたくなったことは数しれず。
瀞霊廷に来て、たしかに生きることの安定は得た。働かなくても食事が出てきて、着物は上等なもの。ギン兄や乱菊姉も、拳西さんの友人達も構ってもくれるし遊ばせてもくれた。
だけどこの家に居ると結局自分一人に愛情を注いでもらうことはできない。
いかに隊長とはいえ所詮は一個人だ。
平等に接しようとはしているのかもしれないけれどイヅルと俺への態度にはそんなに差はなくても、明らかに修兵には甘い。
自分が助けて拾い上げたから、そうなのだろうか?
口にはしていなかった願いが通じたか俺はしばらくして拳西さんの友人の羅武さんに保護者を交代してもらうことになったが、それでもイヅルや修兵と接することは多くて好きにはなれないままだった。
だから俺たちの養い親が纏めて姿を消したとき俺はどこかでホッとした。そして俺はそのまま瀞霊廷公認の保護施設に身を預け霊力の使い方を学ぶことにした。
俺は俺なりに必死に努力し、院にも優秀な成績で入ることができ、ギリギリではあったが特進クラス選出の中に入ることもできて自信がついた。
その数年後、受験をした修兵が落ちたらしい。普通なら生徒にもなっていない一個人の当落が噂になることはないが修兵の場合は一般的な、施設で手解きを受けたのではなく拳西さん達が失踪した後もあとを継いだ東仙隊長に大切に育てられていたため、その子が落ちたということで噂は瞬く間に広がった。
甘えてるからそうなるんだよ…
あの頃は口に出せなかったことを、思った。
その翌年、合格した修兵はその真面目さを遺憾なく発揮し始めたのか、1度受験に失敗しているとは思えないほど頭角を現しはじめていたが、1度失敗したのは事実だ。
それが俺を落ち着かせ、俺は自分の友人達に、自分と修兵は一時期一緒に過ごした幼馴染だと言い、アイツが落ちたことを揶揄する奴らから軽く庇ってやれるようにはなった。
時間はかかってしまったがいい形に落ち着いた気がする。
俺は6年間ずっと特進クラスを維持し、卒業と同時に受験することになる護廷十三隊の入隊試験も、いくつもある項目のうち何項目かは試験無しでスキップできると教員から知らされた。おかげで限られた項目の鍛錬に集中できる。受かる確率もかなり上がるので嬉しかった。
「頑張ってくださいね!先輩」
「おう、お前も頑張れよ!それにしても今更だが大胆なことしたよなお前、その頬…」
「あー…、東仙さん、にもちょっと窘められましたけど、でも昂さんにも忘れたくないこと、あるでしょ…?」
「……あー、そう、だな。」
たしかに全てが忘れたい思い出かというとそうではない。
すくなくとも、こいつやイヅルが護廷に入ってきたら先輩として色々教えてやろうと思えるくらいには、俺はコイツのこともイヅルのことも、あの日々も、心底嫌ってはいなかった―――。
£££££££
けれどそんな自信も檜佐木が五回生を終えたと同時に打ち砕かれた。
その時期に檜佐木のことが瀞霊廷で話題になったからだ。
五回生修了時の成績を持って、あと一年を残し、檜佐木は護廷十三隊への入隊が内定した。即戦力という程ではないため飛び級はなく通常通りにあと一年、院で学びはするが内定したということは既に平隊士と同等の実力はあるということ。将来的には席官は確実と言われている。こんなのは数年ぶりのことだ。
平隊士と同等。それはつまり奴は俺に既に追いついたということか…?
何故だ。どうしてこうなった。
あいつは甘やかされてはいたがその分霊力の扱いでは俺より劣っていたはずだ。
そしてこの時期に吉良は首席で院に入学した。
またか。吉良はいつも俺より優秀な成績を収める。育ちの壁は超えられないとでも言うのか?それならばそれで檜佐木は俺より劣っていなければならないはずだ。
ドウシテ オレバカリガ コンナ ミジメナ……‥。
一度は消えたと思った黒い感情が湧き上がるのを感じた。
「檜佐木さん!檜佐木さん!檜佐木さん!…っ修くん…っ!」
「落ち着いてください、吉良君」
「……イヅル、なきむし、だめなんだよ?」
現世研修における虚襲撃事件に瀞霊廷内が騒然とする中、俺は四番隊に向かった。卯ノ花隊長は俺が昔から檜佐木と吉良の知己だと知っているから、平隊士の立場でも通してもらえたというわけだ。
といっても俺の真の目的は檜佐木の傷を心配してのことではないが。
扉の前で聞こえてきたのは取り乱しきった吉良の声とそれを静止する四番隊の誰かの声。そして妙に話し方が幼い檜佐木の弱々しい声だった。
「イヅル、泣かないで。けんせ、なくなってゆってたよ…」
「…大丈夫ですこれは痛み止めによる朦朧状態での記憶の混濁ですから問題ありませんよ」
そこまで聞いてから、昂は病室に入室した。
「よう。」
「あ、昂くん、」
吉良が名前呼びしたのは、檜佐木の状態に引きづられたのだろう。
気を遣った四番隊員が退室し3人だけになる。
「いいザマだな…」
「なっ、」
「……っ、」
朦朧としていたはずの檜佐木も一気に正気に戻ったようで絶句していた。
そうでなくては意味がない。
俺は優等生の快挙を嘲笑いにきたのだから。
「1人、死んだってか?率いてたお前の不注意だな、檜佐木」
「―――っ」
本能的に檜佐木が左頬の69に触れる。触れるだけならよかったがガリっと爪を立てたのを、吉良が手を握ることで頬から手を離させる。必然的に吉良の手に檜佐木の爪が食い込んだが、そんな痛みは吉良にはどうでもいいことだ。
「違う!貴方のせいじゃな…っ「拳西さんも、」
吉良の声に被せて、冷たい声が檜佐木を責める。
「…失望してるかもなぁお前に。お前は拳西さんみたいに護ってやれなかったんだもんな」
その声にたまらなくなって吉良が立ち上がり昂を力ずくで室から追い出した。
生まれが流魂街と貴族だろうと吉良の家など既に絶えている
ましてや今の立場は平とはいえ正式な護廷隊士と院の1回生。明確に昂の方が立場は上だ。 けれど後からどんな咎められ方をしようと構わない。
檜佐木がいなければ吉良は死んでいた。
そしてそれを抜きにしても、もう随分前にこの人を護ると誓っている。
この瞬間から昂は吉良の中で『大切な人』という枠から完全に外れてしまった。
あるいは彼はそれが目的でここに来たのかもしれないけれど。
「檜佐木さん」
「……き…っ、ら…っ」
何を言っても慰めにはならない気がして、吉良は呼吸を乱している檜佐木に、呼吸のリズムを整えるようにだけ言葉をかける。
拳西という修兵の絶対の保護者がいなくなってから、彼のことを護るために、体調の異変に気づくために少しずつ医療について学んでいたのが役に立った。
「大丈夫。ここにいます。落ち着いて、ゆっくり息を吐いてください。」
「ん、っうぅ…、は、ぁ、」
そうやって、苦しさに呻くことはあっても、修兵はイヅルの前ではもうずっと、泣いてはくれない――。
£££££££
今現在護廷には藍染、市丸、東仙、そして吉良と檜佐木に対する悪い噂が充満している。
雛森副隊長はその憔悴から藍染と手を組んでいたという可能性は自然に消えた形となりこの手の噂は立っていないが、市丸のために松本乱菊に刃を向けた吉良、そして東仙離反後も動揺らしい動揺を見せずいつもどおりに業務をこなした檜佐木。
実際裁判でも吉良も檜佐木も、市丸と東仙の罪を軽くするような言動が見受けられたと聞く。 正直俺にとっては事実はどうでもいいことだ。
所詮十一番隊の平隊士でしかない俺には護廷の行く末などほとんど関係がない。
あっという間に俺を抜き去り俺の自信をズタズタにしやがったアイツらとは違って。
クッ、と喉の奥から嘲笑う
自信がついた。やれると思った。導いてやろうと思った。
でもそんなの全部幻だった。
全部、全部全部全部全部…、全部、幻だ。
吉良が兄と慕った市丸も、檜佐木を慈しんで育てた東仙も、何もかも。
俺が持っていた自信も…。
『昂さんにも忘れたくないこと、あるでしょ…?』
ねぇよもう。何もない。
「書簡、受け取ってくれるか?」
「…平隊士が処理する書簡じゃねぇか。なんで副隊長サマが持ってきてんだ?それも今は隊長権限代行サマでもあるお前が。」
「……どうせ更木隊長に渡さなきゃいけない書簡もあるからな。同じ隊に二人も出向く必要ねぇだろ」
要は檜佐木や吉良だけではなく隊全体が悪く言われている現状、部下を他隊の目に晒す機会を減らしてやったということなんだろう。お優しいことだ。
言葉遣いもそうだ。立場上自分のほうが上だから先輩で歳上の俺にも敬語は使わないが、俺の方もタメ語で話しても諌めない。
真面目なくせに自分に対する非礼は許す。
ああ全く、そういうところが反吐が出る。
「ああそうか、忙しいんだよなぁ九番隊は。東仙とかいうクソみたいな裏切り者のせいでよ」
瞬間、ビリッと肌に電流のようなモノを感じた。
殺気には満たない。けれど明確な怒気だ。
どこまで阿呆なんだコイツは。ここで怒るから東仙とグルだと思われると解らないほど馬鹿じゃないだろうに。
「事実だろうがよ」
「…………ああ、事実だよ。あの人の罪は罪だ。あの人の思いに気づけなかった俺も悪い。」
「そう思ってんなら辞めろよ、そんなに地位が惜しいかよ」
「…………」
挑発は黙殺された。
書簡だけこっちに押し付けて踵を返そうとする背に、最高の挑発を追い打ちしてやる。
「ああそうか、やめらんねぇよな。お前にとって大事なのは結局その頬に刻んだ奴の方で東仙じゃねぇもんな。お前の気持ちなんてその程度だもんなぁ?」
£££££££
「檜佐木さん、どうしました?何がありましたか?」
「いや、なんでだ?」
「…だって、…その、頬に触れる回数、増えてるから」
檜佐木には吉良と乱菊、そしてギン、白哉しか知らない癖がある。
東仙は盲目故に知らない。
檜佐木は何かあると頬の69に触れる仕草が出ることがある。あの人に救いを求めるみたいに。
「何でもねぇよ」
「そうですか…。」
今の瀞霊廷には僕たちに対する悪意など満ち溢れていてひとつひとつに反応していてはきりがない。だから。
「無理はしないでくださいね。まあいざとなったら乱菊さんと3人で逃げちゃいましょう。」
軽口を言葉にするとようやく檜佐木さんが少し微笑んだ。
「逃げるってどこへ?」
「どこへでもいいですけどね、一緒なら。」
「お前、馬鹿だろう?そういう台詞は雛森口説く時にでも使え。」
「く、口説くって檜佐木さん!…ていうか口説くときにこんなこと言ったらひかれますよね…。」
「だろうな」
「イヅル」
「はい」
「…逃げねぇよ、俺も、乱菊さんも、お前もな」
「はい、知ってます。知ってるから言えたんです」
だよな、と静かに頷くのを見る。
赤子のような人だった。
幼くて儚くて、それ故にどこか無垢で。
この人を護ろうと、いつからか決めていた。
けれどいざという時、護られ導かれるのはいつだってボクの方。ああ、敵わない。
たからやっぱり、この人を護れるのはあの人しかいない。
戦場で姿を見た時幻かと思った。
あの人たちが、生きている。
その事実だけで満足するべきかもしれなくても。
「やっぱり、戻ってきてほしいです。ローズさん…」
檜佐木さんの前を辞して扉を閉めてから呟いた。
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三隊長復帰の折、その場に同席したのは隊長、副隊長と室の周りを見張る限られた者だけのはずだが人の口に戸は立たぬとはよく言ったもので、就任式であの全死神の規範とも言える九番隊副隊長が泣き崩れたというのは噂として広がっていた。
その噂をどこか遠くに聞きながら、そうかよ、と一人の十一番隊隊士が嘲笑う。
彼はこの物語の登場人物だった。
この、愛情と悲劇に彩られた切ない物語の。
登場人物だったはずだ。
だからこそ平隊士でありながら誰よりも知っている。
戻ってきたのは鳳橋桜十郎、平子真子、六車拳西。
彼らが理不尽を飲み下してでもここに戻ってきた理由を。
愛川羅武は戻らない。彼は物語への再登場を望まなかった。
そしてそれと同時に、ここにいる一人の十一番隊隊士が物語を彩る登場人物であったことも、忘れられたのだろう。
しかたねぇだろ、と彼は嘲笑う。
これは才能の話なのだから。
無いものは無い。
ああ、馬鹿らしい。
「ナァ、俺らはべつに修兵やイヅルとお前を比べたりしてねぇぞ。それだけお前が解ってくれりゃあいいんだけどな…。今すぐは無理でもゆっくり解っていってくれ。」
頭を撫でた人の眼はサングラスで見えなかった。
くつり、と嘲笑う。
何もかも終わったことだ。
『昂さんにも忘れたくないこと、あるでしょ…?」
『……あー、そう、だな。』
お前は何も解っちゃいない。
忘れたいとか忘れたくないとか、そんな選択権はねぇ。
俺は、忘れられていくんだ。
いちばん腹立たしいのは、いちばん長く俺が登場人物だったことを憶えていてくれるのがきっとアイツだということ。
ああもう、嘲笑う以外にできることなんてない―――。